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君と過ごした夏の時  作者: こうた


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9/10

第9話 夏が終わる前に



八月の終わり。


沖縄に来てから、二か月以上が過ぎていた。


最初は、ただの出張だった。


仕事をして、ホテルへ帰る。


それだけの毎日になるはずだった。


なのに今は――


ひろしのスマートフォンには、三人の名前が並んでいる。


なおみ。


しょうこ。


りな。


誰か一人を選ぶことから、逃げ続けていた。


でも、もう時間がなかった。


大阪へ戻る日が決まったからだ。


---


「帰るんだね」


なおみは静かに言った。


「はい。来週には」


二人は、いつもの海辺にいた。


夕暮れの海は、夏の終わりを知らせるように少しだけ寂しく見えた。


「ひろし君」


「はい」


「私、ずっと考えてた」


なおみは笑った。


「ひろし君といると、安心する」


「……」


「仕事で嫌なことがあっても、ひろし君と話すと落ち着くの」


そして、少しだけ視線を落とす。


「だから……帰ってほしくないって思ってる」


ひろしは胸が締めつけられた。


「でもね」


なおみは続ける。


「無理に私を選んでほしいとは思わない」


「なおみさん……」


「好きな人には、好きな人を選んでほしいから」


なおみは笑った。


その笑顔が、ひろしには一番苦しかった。


「最後の日まで、普通に一緒にいてくれる?」


「もちろんです」


「ありがとう」


なおみはひろしの肩に頭を預けた。


「……もう少しだけ」


「はい」


その言葉だけで、十分だった。


---


翌日。


しょうこは、ひろしを人気の少ない海辺へ連れてきた。


「ここ、覚えてる?」


「もちろん」


「最初に二人で来た場所」


しょうこは砂浜に座った。


「私さ」


「うん」


「ひろしが帰るって聞いてから、ずっとムカついてる」


「……ごめん」


「なんで謝るの」


「いや……」


「だから謝んなって」


しょうこは笑った。


そして、ひろしの手を握る。


「私、たぶん初めてなんだよ」


「何が?」


「こんなに誰かに帰ってほしくないって思ったの」


ひろしは黙っていた。


「大阪帰っても、連絡して」


「するよ」


「毎日」


「毎日は……」


「嫌?」


「いや、嫌じゃないけど」


「じゃあ決まり」


しょうこは満足そうに笑った。


そして突然、ひろしの肩へ頭を預けた。


「……ねえ」


「うん」


「もし私が、もっと素直だったら」


「?」


「ひろしのこと、もっと困らせてたかも」


「もう十分困ってるよ」


「ふふっ」


しょうこは笑った。


でも、その目には少し寂しさがあった。


「帰っても、忘れんなよ」


「忘れない」


「絶対?」


「絶対」


二人はしばらく手を繋いだまま、海を見つめていた。


---


そして――


その夜。


りなから電話が来た。


「ひろしさん」


「うん」


「明日、会える?」


「会えるよ」


「二人きりで」


その声には、いつもと違う緊張があった。


「分かった」


「ありがとう」


少し沈黙。


「……私ね」


「うん」


「明日、ちゃんと伝えるから」


電話が切れた。


ひろしは窓の外を見た。


遠くに見える沖縄の夜。


明日で何かが変わる。


そんな予感がした。


---


翌日の夜。


りなは、ひろしを海辺の小さな場所へ連れてきた。


誰もいない。


波の音だけが聞こえる。


「ここね」


「うん」


「私が一番好きな場所」


りなは海を見ながら言った。


「ここで、ひろしさんと出会ったから」


ひろしは隣に立った。


「りな」


「うん」


「俺も話したい」


「……先に私が言っていい?」


「もちろん」


りなは深呼吸した。


「私、ひろしさんが帰るって聞いたとき、すごく怖かった」


「……」


「もう会えなくなるんじゃないかって」


そして、ひろしを見る。


「でも、もっと怖いことがあるって分かった」


「何?」


「ひろしさんが、私じゃない誰かを選ぶこと」


ひろしは言葉を失った。


りなは笑った。


泣きそうな笑顔だった。


「私、強くないんだよ」


「りな……」


「だから、お願い」


りなの手が、ひろしの手を探す。


指が重なる。


「私を選んで」


その一言が、夜の海に消えていった。


ひろしは、握られた手を見つめた。


ずっと迷っていた。


なおみの優しさ。


しょうこのまっすぐさ。


そして、りなへの想い。


でも――


自分が本当に会いたいと思ったのは誰だったのか。


離れている時間に、何度も思い出したのは誰だったのか。


声を聞くだけで胸が苦しくなるのは誰だったのか。


答えは、もう決まっていた。


「りな」


「……うん」


「俺も、りなが好き」


りなの目から涙がこぼれた。


「本当に?」


「うん」


「大阪に帰っても?」


「うん」


「沖縄にいなくても?」


「……それでも好きだと思う」


りなは泣きながら笑った。


「ずるいよ……」


「え?」


「そんなこと言われたら……嬉しくなるじゃん」


りなはひろしの胸に飛び込んだ。


ひろしは、その身体を受け止めた。


二人はしばらく何も言わなかった。


ただ、互いの体温を確かめるように抱きしめ合っていた。


やがて、りなが顔を上げる。


距離が近い。


ひろしは、りなの目を見る。


りなも目を逸らさない。


「……ひろしさん」


「うん」


「今度こそ……いいよ」


ひろしの胸が大きく鳴った。


ゆっくりと顔を近づける。


唇が触れる。


ほんの一瞬。


それだけなのに、二人には長い時間のように感じられた。


離れたあと、りなが照れたように笑った。


「……やっとだね」


「うん」


「もっと早くしてくれればよかったのに」


「ごめん」


「もういい」


りなは再び、ひろしの手を握った。


「だって、これからだから」


その言葉に、ひろしは笑った。


しかし――


大阪へ戻る日は、もう目の前だった。


そしてひろしには、まだ二人に伝えなければならないことが残っていた。


夏の終わりまで、あと三日。


ひろしは、なおみとしょうこに向き合うことを決めた。


逃げずに。


曖昧にせずに。


そして――


最後の夏を、終わらせるために。

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