第8話 触れそうな唇
翌日の夕方。
仕事を終えたひろしは、駐車場でスマートフォンを見つめていた。
画面には、三人からのメッセージ。
――なおみ。
「今日、少しだけ二人で話したい」
――しょうこ。
「約束どおり、海。逃げんなよ」
そして――りな。
「今夜、会いたい」
三人とも、大切だった。
だからこそ、ひろしは迷った。
「……俺、どうしたらいいんだよ」
答えが出ないまま、ひろしはまず、なおみの待つ場所へ向かった。
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海沿いのベンチ。
なおみは、ひろしを見ると小さく笑った。
「お疲れさま」
「なおみさんも、お疲れさまです」
「今日は仕事の話じゃないからね」
「……はい」
なおみはしばらく海を眺めていた。
「もうすぐ、夏が終わるね」
その言葉に、ひろしの胸が少しだけ痛くなった。
「俺、沖縄に来る前は……こんな夏になるなんて思ってませんでした」
「私も」
なおみはひろしを見る。
「ひろし君と会うなんて、思ってなかった」
その瞳が、いつもより真剣だった。
「ねえ、ひろし君」
「はい」
「もし……沖縄じゃなかったとしても、私たち、仲良くなれたかな?」
「……なれたと思います」
「本当に?」
「はい」
なおみは少しだけ笑った。
そして、ひろしの肩に頭を預ける。
「じゃあ……よかった」
肩越しに伝わる体温。
ひろしは動けなかった。
なおみも離れなかった。
「もう少しだけ、このままでいていい?」
「……はい」
静かな時間が流れた。
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その頃、しょうこは海でひろしを待っていた。
「遅い!」
「ご、ごめん!」
「まあいいけど」
しょうこはそっぽを向いた。
「……なおみさんといた?」
「うん」
「ふーん」
明らかに機嫌が悪い。
「しょうこ?」
「別に」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「……怒ってるよね?」
「うるさい!」
しょうこはひろしの腕を軽く叩いた。
そして、しばらく黙って海を見た。
「……私さ」
「うん」
「こういうの、苦手なんだよ」
「こういうの?」
「好きな人が、他の女といるの見るの」
ひろしの胸が大きく鳴った。
しょうこは顔を赤くしながら続ける。
「だから……私、結構嫉妬してる」
「しょうこ……」
「今だけ、何も言わないで」
しょうこはひろしの手を握った。
強く。
「今日だけは、私のことだけ見て」
ひろしは何も言えなかった。
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夜。
ひろしは、りなとの待ち合わせ場所へ向かった。
りなは一人で立っていた。
白いワンピース。
風に髪を揺らしながら、ひろしを見つけると笑った。
「来てくれた」
「うん」
「……よかった」
りなは近づいてくる。
そして、ひろしの前で立ち止まった。
「今日ね、ずっと考えてた」
「何を?」
「ひろしさんと、どうなりたいのかなって」
「……」
「友達じゃ嫌」
りなの声は小さかった。
「ただの夏の思い出にもしたくない」
ひろしの心臓が速くなる。
「じゃあ……」
「聞かないで」
りなは笑った。
「今は、私から言いたい」
一歩近づく。
二人の距離が縮まる。
「ひろしさん」
「うん」
「私……あなたが好き」
その瞬間、周囲の音が遠くなったように感じた。
りなの手が、ひろしの手に重なる。
「……俺も」
ひろしがそう言うと、りなの目が少し潤んだ。
「本当に?」
「うん」
「じゃあ……」
りなが顔を上げる。
ひろしも自然に顔を近づけた。
あと少し。
唇が触れそうになった、その瞬間――
「……ひろしさん」
りなが止まった。
「ん?」
「この先は……ちゃんと、覚悟してからがいい」
「覚悟?」
「うん」
りなは少し照れながら笑った。
「私、ひろしさんとのこと……遊びにしたくないから」
そして、ひろしの胸にそっと身体を預けた。
ひろしも、りなの背中に腕を回す。
強く抱きしめることはできなかった。
それでも、離れたくなかった。
「……夏が終わるね」
りなが呟く。
「うん」
「だから、終わる前に……ちゃんと答えを出そう」
ひろしは、りなの髪に触れた。
「分かった」
二人はしばらく、そのまま海を見ていた。
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帰り道。
ひろしのスマートフォンが震えた。
なおみからだった。
「今日はありがとう」
続いて、しょうこ。
「また明日」
そして、りな。
「おやすみ。大好き」
三人から届いた言葉。
ひろしは画面を見つめる。
自分の気持ちは、もう分かり始めていた。
けれど――
誰かを選ぶということは、
誰かを選ばないということでもある。
沖縄で始まった恋は、
もう「夏の思い出」では済まされなくなっていた。




