第5話 あなたにだけ話したい
その日の仕事は、いつもより長く感じた。
ひろしは何度も時計を確認していた。
なおみと二人で話す。
それだけなのに、妙に緊張する。
仕事が終わり、現場を出ると、なおみが少し離れた場所で待っていた。
「お疲れさま」
「お疲れさまです」
「行こうか」
「どこへ?」
「海」
また海だった。
沖縄に来てから、海を見る機会が増えた。
けれど、今日は莉奈と会うわけではない。
なおみと二人。
それだけで、いつもと違う景色に見えた。
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二人は海沿いのベンチに座った。
夕方の太陽が水平線へ沈みかけている。
なおみはしばらく何も話さなかった。
「……相談って?」
ひろしが聞く。
「うん」
なおみは海を見つめた。
「私ね、仕事ではしっかりしてるって言われるんだけど」
「はい」
「実は、そんなに強くないんだ」
ひろしは黙って聞いた。
「最近、ちょっと色々あって」
なおみは笑おうとした。
でも、うまく笑えていなかった。
「誰にも言えなくてさ」
「俺でよければ聞きます」
「……ひろし君だから言えるの」
その言葉に、ひろしは少し驚いた。
「私、ひろし君のこと最初は真面目すぎる子だと思ってた」
「よく言われます」
「でも、一緒に仕事して分かった」
なおみがこちらを見る。
「優しいんだね」
「そんなことないです」
「そういうところ」
なおみは笑った。
「すぐ否定する」
少しの沈黙。
海風が二人の間を通り抜ける。
「ありがとう」
なおみが突然言った。
「何がですか?」
「聞いてくれて」
そして、なおみは少しだけ身体をひろしの方へ寄せた。
肩が触れる。
ひろしは動けなかった。
「……ひろし君」
「はい」
「私、今だけ甘えてもいい?」
「……はい」
なおみは、ひろしの肩に頭を預けた。
ひろしの身体が固まる。
「重い?」
「いえ」
「嫌?」
「……嫌じゃないです」
「よかった」
なおみは目を閉じた。
しばらく、二人はそのままだった。
ひろしの鼓動が聞こえてしまいそうだった。
なおみの髪が、風に揺れて頬に触れる。
近い。
近すぎる。
それなのに、不思議と嫌ではなかった。
むしろ――このままでいたいと思っていた。
「ひろし君」
「はい」
「もし私が、もっとわがまま言ったらどうする?」
「……分からないです」
「じゃあ、今はそれでいい」
なおみが顔を上げる。
二人の視線が重なる。
ひろしは息を止めた。
なおみも何かを言おうとした。
しかし――
「ひろし!」
遠くから声がした。
二人が振り返る。
しょうこだった。
「何してんの?」
「しょうこ?」
「探したんだけど」
しょうこは二人を見る。
なおみがひろしの肩から離れる。
「相談してただけ」
「ふーん」
しょうこは少し不機嫌そうだった。
「ならいいけど」
「どうしたの?」
「ひろしに用事」
「私?」
「そう」
しょうこはひろしを見る。
「ちょっと来て」
「今?」
「今」
なおみが笑う。
「行っておいで」
「でも……」
「大丈夫だから」
ひろしはしょうこと一緒に歩き始めた。
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「何だったの?」
「別に」
「別に?」
「……」
しょうこは黙ったまま歩いている。
やがて、小さな声で言った。
「さっき、何してた?」
「なおみさんの相談を聞いてた」
「肩に頭乗せられてたけど?」
「……見てたの?」
「たまたま」
しょうこは前を向いたまま答えた。
「そういうの、普通なの?」
「分からない」
「ふーん」
しばらく沈黙。
「ひろし」
「ん?」
「私とも……」
しょうこが言葉を止める。
「何?」
「……なんでもない」
「気になるんだけど」
「うるさい」
しょうこは顔を赤くして歩く速度を上げた。
ひろしは追いかける。
「待ってよ」
「来んな!」
「なんで?」
「知らない!」
その横顔を見て、ひろしは笑った。
「しょうこって、意外と分かりやすいね」
「……殺すよ」
「怖い」
「本気だから」
そう言いながら、しょうこも笑っていた。
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その夜。
ホテルに戻ったひろしのスマートフォンが鳴った。
莉奈からだった。
『今、電話できる?』
ひろしはベッドに腰を下ろす。
『できるよ』
すぐに着信。
「もしもし」
『ひろしさん?』
「うん」
『今日、誰といたの?』
「……なおみさん」
電話の向こうが少し静かになる。
『そっか』
「どうしたの?」
『なんでもない』
「莉奈さん?」
『……ひろしさんってさ』
「うん」
『誰にでも優しいよね』
「そうかな」
『うん』
少しだけ寂しそうな声だった。
『だから、ちょっと困る』
「え?」
『私、ひろしさんのこと……』
そこで言葉が途切れた。
「莉奈さん?」
『……なんでもない』
「気になる」
『今度会ったときに言う』
「また?」
『うん』
莉奈の笑い声が聞こえた。
『おやすみ』
「おやすみ」
通話が切れた。
ひろしはスマートフォンを見つめた。
なおみ。
しょうこ。
莉奈。
三人とも、自分に何かを伝えようとしている。
でも、ひろし自身はまだ誰にも答えを出せない。
恋愛経験が少ない自分には、誰かを選ぶなんてできなかった。
その夜。
ひろしは眠りにつく直前まで、三人の顔を思い浮かべていた。
そして翌朝。
よしたかから、意味深なメッセージが届いた。
『お前、沖縄来てからモテすぎじゃね?』
ひろしは画面を見て、思わずため息をついた。
――夏は、まだ始まったばかりだった。




