第3話 雨上がりの夜
翌朝。
ひろしは、いつもより早く目を覚ました。
目覚ましが鳴る前だった。
「……眠い」
昨夜、莉奈と別れてからも、なかなか眠れなかった。
何度もスマートフォンを確認してしまった。
結局、莉奈から新しいメッセージは来ていない。
「何期待してんだよ……」
自分に呆れながら、ひろしはベッドから起き上がった。
沖縄に来て、まだ数日。
それなのに、仕事以外のことで頭がいっぱいになっている。
自分でも少し怖かった。
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現場に着くと、空はどんよりしていた。
沖縄の6月は雨の多い時期。
朝から湿った空気がまとわりついている。
「今日、降るかな」
ひろしが空を見上げる。
「降るんじゃない?」
横から声がした。
なおみだった。
「雨、嫌い?」
「現場的には嫌ですね」
「真面目」
なおみは笑った。
「たまには仕事じゃなくて、自分のこと考えたら?」
「自分のこと?」
「彼女とか」
ひろしは固まった。
「……いません」
「知ってる」
「なんで知ってるんですか?」
「よしたか君が言ってた」
「……あいつ」
ひろしは小さくため息をついた。
なおみは笑いながら、
「でも、沖縄に来てから誰かと仲良くなったんじゃない?」
「え?」
「顔に出てる」
「そんなに?」
「うん」
なおみはひろしの顔を覗き込む。
距離が近い。
ひろしは思わず一歩下がった。
「……何で逃げるの?」
「いや……」
「もしかして、女の人苦手?」
「苦手というか……慣れてないだけです」
「ふーん」
なおみは意味ありげに笑った。
「じゃあ、慣れる練習してみる?」
「え?」
「冗談」
そう言って、なおみは先に歩いていった。
ひろしはその背中を見ながら、妙な胸騒ぎを覚えた。
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昼過ぎ。
突然、雨が降り始めた。
屋根を激しく叩く雨音。
現場の作業が一時中断になる。
ひろしは資材の確認をしながら走り回っていた。
「ひろし!」
なおみの声。
「これ、濡れる!」
「ありがとうございます!」
二人で急いで資材を移動させる。
雨に濡れたなおみの髪が、頬に張り付いていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫」
なおみが笑う。
「ひろし君こそ、びしょびしょ」
「俺は大丈夫です」
「そういうところ」
「え?」
「自分のこと、後回しにするよね」
なおみはそう言って、ひろしの肩についた水滴を手で払った。
「……」
ひろしは動けなくなった。
なおみも、自分が何をしたのか気づいたらしい。
「ごめん」
「いえ……」
二人の間に、妙な沈黙が生まれた。
雨音だけが響いている。
なおみが小さく笑った。
「なんか、変な感じだね」
「……はい」
「ひろし君」
「はい?」
「沖縄に来てよかった?」
少し考えてから、ひろしは答えた。
「……まだ分からないです」
「そっか」
なおみは外を見る。
「私は、よかったと思うよ」
「どうしてですか?」
なおみはひろしを見た。
「ひろし君みたいな子と会えたから」
その言葉に、ひろしの胸が熱くなった。
しかし、なおみはすぐに仕事へ戻ってしまった。
まるで、何もなかったように。
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夕方。
雨が上がった。
空には薄い夕焼けが広がっている。
仕事を終えたひろしが現場を出ようとすると、
「ひろし」
しょうこが呼び止めた。
「何ですか?」
「今日、暇?」
「……たぶん」
「じゃあ付き合って」
「どこに?」
「飯」
しょうこはぶっきらぼうに言った。
「嫌ならいいけど」
「行きます」
「……早っ」
しょうこが少し驚いた。
「お前、意外と素直なんだな」
「よしたかにも言われます」
「ふーん」
二人は歩き始めた。
しばらく無言だった。
「ねえ」
しょうこが突然言った。
「昨日、誰かと会ってた?」
ひろしは足を止めた。
「……なんで?」
「なんとなく」
「別に……」
「女?」
「……」
「やっぱり」
しょうこは笑った。
「誰?」
「知り合った人です」
「へえ」
「それだけです」
「ふーん」
しょうこは前を向いたまま歩く。
「別に興味ないけど」
「はい」
「ほんとに興味ないから」
「分かりました」
「……何笑ってんの?」
「笑ってません」
「笑ってる」
「しょうこさん、面白いなと思って」
「さん付けやめろって」
「じゃあ……しょうこ」
「……うん」
その返事だけ、妙に小さかった。
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夜。
二人が入った店を出る頃には、空には星が見えていた。
「今日はありがと」
ひろしが言う。
「別に」
しょうこはそっぽを向く。
「また行く?」
「……気が向いたら」
「じゃあ、また」
ひろしが歩き出す。
「ひろし」
「はい?」
「……沖縄、楽しめよ」
「うん」
しょうこはそれ以上何も言わなかった。
ひろしもホテルへ向かった。
その途中。
スマートフォンが震えた。
莉奈からだった。
『今夜、少しだけ会える?』
ひろしは立ち止まる。
その直後。
別の通知が届いた。
なおみから。
『明日、仕事終わったら少し付き合ってほしい』
そして、その数秒後。
しょうこからもメッセージが来た。
『さっき言い忘れた。明日も飯行くから』
ひろしは三つの画面を見つめた。
「……なんで?」
沖縄に来る前は、こんなことになるなんて想像もしていなかった。
一人の女性と出会っただけだった。
それなのに。
気づけば、自分の周りに女性が増えている。
そして、誰か一人を選ぶどころか――
まだ誰の気持ちも分からない。
ひろしは、莉奈への返信画面を開いた。
『どこに行けばいい?』
送信。
すると、すぐに返信が来た。
『昨日の海』
ひろしはスマートフォンを握りしめた。
また、あの海へ。
今夜は何が起こるのだろう。
そして――
自分は、どこまで彼女に近づいてしまうのだろう。
沖縄の夜は、静かに更けていった。




