第2話 もう一度、君に会いたい
翌朝。
ひろしは目覚ましが鳴るより少し早く目を覚ました。
カーテンの隙間から、強い朝日が差し込んでいる。
「……暑い」
まだ六月だというのに、大阪とは違う暑さだった。
顔を洗い、作業着に着替える。
ホテルを出る直前、スマートフォンを確認した。
昨夜の莉奈とのやり取りが、画面に残っている。
『次に会ったときに教える』
たった一言。
なのに、気になって仕方がない。
「何考えてんだ、俺……」
ひろしはスマートフォンをポケットに入れた。
今日は仕事だ。
恋愛のことを考えている場合じゃない。
そう自分に言い聞かせながら、現場へ向かった。
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現場に着くと、けんたの大きな声が響いていた。
「ひろし! 昨日頼んだ資料は?」
「ここです」
「遅い!」
「昨日の夜にまとめて――」
「言い訳はいい」
ひろしは黙って資料を渡した。
けんたはそれを受け取ると、ざっと目を通した。
「……まあ、いい」
「ありがとうございます」
「褒めてねえよ」
「はい」
けんたは鼻を鳴らした。
その様子を、少し離れたところから一人の女性が見ていた。
「朝から大変だね」
ひろしが振り向く。
白いヘルメット。
長い髪を後ろで束ね、資料を抱えている。
「……誰ですか?」
「今日からこっちの現場を手伝う、なおみ」
女性は軽く頭を下げた。
「28歳。よろしくね」
「ひろしです。よろしくお願いします」
「そんなに固くならなくていいよ」
なおみは笑った。
「けんたさん、ああいう人だから」
「……いつもあんな感じです」
「知ってる」
なおみは苦笑した。
「だから、ひろし君もあんまり気にしないこと」
「はい」
「真面目だね」
「そうですか?」
「うん」
なおみはひろしの顔をじっと見た。
「でも、ちょっと疲れてる?」
「え?」
「目」
指摘されて、ひろしは少し戸惑った。
「昨日、あまり寝てなくて」
「仕事?」
「……まあ」
昨夜の海と、莉奈の笑顔。
それを思い出してしまった。
なおみは何かを察したように笑う。
「沖縄に来たばかりなんだから、仕事だけじゃなくて少し遊びなよ」
「そういうの、苦手で」
「もったいない」
なおみが言った。
「せっかくの夏なんだから」
その言葉が、昨夜の莉奈と重なった。
『今年の夏、楽しんでくださいね』
ひろしは、なぜか少しだけ胸がざわついた。
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昼休み。
食堂で弁当を食べていると、突然隣の椅子が引かれた。
「お前、ひろし?」
「……はい」
「私、しょうこ」
短い髪。
少し鋭い目。
そして、腕にはいくつかの小さな傷跡があった。
「22歳」
「よろしくお願いします」
「敬語いらない」
「え?」
「同じ現場なんだから」
しょうこは弁当を開けた。
「それに、あんた真面目すぎ」
「そうですか?」
「そう」
即答だった。
「見てたら分かる」
「……すみません」
「ほら、それ」
「何が?」
「すぐ謝る」
しょうこは呆れたように笑った。
「もっと堂々としてれば?」
「難しいです」
「ふーん」
しょうこはひろしを見た。
しばらく黙ってから、
「でも……嫌いじゃないけど」
「え?」
「何でもない」
しょうこはそっぽを向いた。
ひろしは意味が分からず、弁当に視線を戻した。
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その日の仕事が終わったのは、夜の八時過ぎだった。
ホテルへ戻る途中。
スマートフォンが震える。
莉奈だった。
『今日、仕事終わった?』
ひろしは少し迷ってから返信した。
『今終わりました』
すぐに返事が来る。
『じゃあ、少しだけ会わない?』
ひろしの足が止まった。
画面を見つめる。
『どこで?』
『昨日の海』
心臓が一度、大きく鳴った。
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海へ向かうと、莉奈はすでに来ていた。
白いワンピース。
昼間とは違う、少し大人びた雰囲気。
「こんばんは」
「こんばんは」
「来てくれたんだ」
「……はい」
「なんか緊張してる?」
「してないです」
「嘘」
莉奈が笑う。
その笑顔を見ると、ひろしも自然に笑ってしまった。
二人で海沿いを歩く。
会話は仕事の話から、好きな食べ物、地元の話へ変わっていった。
「ひろしさんって、彼女いる?」
突然、莉奈が聞いた。
「いないです」
「今まで何人?」
「……ほとんどいないです」
「ほとんど?」
「ちゃんと付き合ったのは一人だけ」
「へえ」
莉奈は少し意外そうな顔をした。
「じゃあ、恋愛苦手?」
「……たぶん」
「私も似たようなもの」
「嘘ですよ」
「なんで?」
「莉奈さん、慣れてそうだから」
「何に?」
「こういう……」
ひろしは言葉に詰まった。
莉奈が足を止める。
「こういう?」
「……女性との距離感」
莉奈は一瞬黙った。
そして、ひろしに一歩近づいた。
「じゃあ、今は?」
「え?」
「私との距離感」
気づけば、二人の距離はかなり近くなっていた。
潮風が吹く。
莉奈の髪がひろしの頬に触れた。
ひろしは動けなかった。
莉奈も動かなかった。
数秒。
ただ、お互いの目を見つめる。
「……近いですね」
ひろしが小さく言った。
「うん」
莉奈は笑った。
「でも、嫌じゃないでしょ?」
「……嫌じゃないです」
「そっか」
莉奈がほんの少し顔を近づける。
ひろしの鼓動が速くなる。
あと少し。
本当にあと少しで――。
「ひろし?」
突然、スマートフォンが鳴った。
二人とも同時に離れた。
画面には、よしたかの名前。
『明日、朝早いから寝坊すんなよ』
「……」
ひろしは思わず空を見上げた。
莉奈が吹き出す。
「ふふっ」
「……最悪だ」
「何が?」
「いや……」
莉奈は笑いながら言った。
「今日はここまでにしようか」
「え?」
「また明日、会えるかもしれないし」
そう言って、莉奈は海の方へ歩いていった。
ひろしはその背中を見つめた。
そして初めて、自分から思った。
――また会いたい。
それが恋の始まりだとは、まだ気づいていなかった。




