最初の頼まれごとは、村はずれの古い灯り石
役場裏へ続く道を歩きながら、
僕は何度も鞄の上から帳面を
確かめていた。
持ってきていると分かっていても、
なんとなく落ち着かなかった。
話を聞くだけでいい。
現物を見てから決めればいい。
フェルム先生はそう言ってくれたけど、
初めての頼まれごとになるかも
しれないと思うと、
胸の奥が少しだけそわそわした。
「ポコ、緊張してる?」
「ぷきゅ」
肩の上のポコが小さく鳴く。
その声は、どっちとも取れる
曖昧な返事だった。
僕は思わず少し笑う。
「僕も、ちょっとしてる」
役場の裏手は、
表よりずっと静かだった。
書類を運ぶ人の足音や、
木箱を引きずる低い音が
ときどき聞こえるくらいで、
広場のにぎやかさとは
少し空気が違う。
建物の脇には古い道具置き場があり、
替えの縄や木の杭、
小さな灯り石の台座なんかが
まとめて立てかけられていた。
その前に、
ひとりの女性が立っていた。
年は母さんより少し若いくらいだろうか。
茶色の髪を後ろでひとつに束ねていて、
動きやすそうな上着の上から
細い革紐を斜めにかけている。
腰には手帳と小さな工具袋。
足元には見回り用らしい
丈夫な靴がそろっていた。
たぶん、この人がエッダさんだ。
「……リク君かい?」
先にそう声をかけてきたのは、
向こうのほうだった。
声はやわらかいけれど、
見回り役らしく、
相手をよく見る目をしている。
「はい。フェルム先生に、
話を聞いてみろって言われて」
「そうかい。
わざわざ来てくれて助かるよ」
エッダさんはそう言ってから、
僕の肩の上のポコを見た。
「この白い子が、
先生のところでいろいろ試してる
召喚獣なんだってね」
どきりとしたけれど、
その言い方には
探るような嫌な感じはなかった。
「……はい。ポコです」
「ぷきゅ」
ポコは小さく鳴いて、
ちょこんと頭を下げるみたいに
体を揺らした。
それを見て、
エッダさんが少しだけ笑う。
「礼儀がいいね」
その一言で、
張っていた気持ちが
少しだけやわらいだ。
「先生からは、
いきなり頼むんじゃなくて、
まず話を聞かせろって言われてる」
エッダさんはそう前置きしてから、
道具置き場の脇にある
木の箱へ腰かけた。
「だから、無理そうなら
無理って言ってくれていい。
そこは気にしなくていいからね」
「はい」
その言い方がありがたくて、
僕も少しだけ力を抜く。
最初から
“直してくれ”と決めつけられるより、
ずっと話しやすかった。
「困ってるのは、
村はずれの曲がり角にある灯り石なんだ」
そう言われた瞬間、
昨日ポコが反応しかけた
あの石の姿が頭に浮かぶ。
「やっぱり、あの……」
「知ってるのかい?」
「昨日、その前を通って。
少し古い灯り石ですよね」
「そうそう、あれだよ」
エッダさんはうなずいた。
「あの道は、畑へ行く人も通るし、
夕方になると荷車も通る。
夜遅くに戻る人もいるから、
暗くなると地味に困るんだ」
地味に困る。
その言い方が、なんだか
ポコの力の話に少し似ていた。
「完全に消えてるわけじゃないんですか」
「そこまではいってない。
でもね、灯りが弱い日が増えた。
つく日と、頼りない日がある」
エッダさんは工具袋から
小さな紙片を取り出した。
見回りの記録らしい。
「三日前は少し暗い。
一昨日は普通。
昨日はまた暗い。
そういう感じで波があるんだよ」
僕は思わず鞄の中の帳面を思う。
こういうふうに残しておくと、
やっぱり見えてくるものがあるんだ。
「魔道具師さんには?」
「村のほうでは、
まだ人を呼ぶほどじゃないって
判断してるんだよ」
エッダさんは少しだけ
困ったように笑った。
「でも、見回る側からすると、
そういう“まだ大丈夫”が
いちばん困るんだよ。
急に駄目になられると困るから」
その気持ちはよく分かった。
壊れているなら、
壊れていると分かる。
でも半端に使えるものは、
ある日急に駄目になるかもしれない。
それは確かに、落ち着かない。
「根元の金具にも、
少し錆が出てるんだ。
石の表面のひびも、
前より広がった気がする」
そこまで聞いて、
僕はもう一度ポコを見る。
ポコは静かに話を聞いていた。
でも、灯り石の話が出てから、
ほんの少しだけ
目つきが変わっている気がした。
「……見に行ってもいいですか」
僕がそう言うと、
エッダさんはすぐに立ち上がった。
「もちろん。
そのために来てもらったんだから」
役場裏から村はずれまでは、
歩いてすぐだった。
昼の光はまだ明るいけれど、
曲がり角のあたりは木立が近くて、
夕方になると影が落ちやすそうだ。
道の脇には低い石垣があり、
畑へ続く細道が一本、
そこから外へ伸びている。
灯り石は、その分かれ道のところに
立っていた。
近くで見ると、
昨日より古さがよく分かる。
石柱の色は少しくすんでいて、
上にはめこまれた灯り石には
細いひびが何本か入っていた。
根元の金具には赤茶けた錆。
支えの術式板も、
端のほうが少しだけ
くもって見える。
「夜になるとね、
ここが思ったより見えづらいんだよ」
エッダさんは石柱の横に立って、
足元を指した。
「この先、少しだけ
地面が斜めになってるだろ。
昼は気にならなくても、
暗いと足を取られやすい」
たしかに、
よく見ると土の削れ方が
少しいびつだった。
荷車の車輪や人の足で、
何度も踏み固められてきたんだろう。
ここで灯りが弱かったら、
小さな段差でも見落としやすい。
「去年の冬にも、
子どもがここで転びかけてね。
それから気をつけて
見るようにしてるんだ」
エッダさんの声は、
大げさじゃなかった。
でも、だからこそ
本当に困っているんだと分かった。
僕は石柱の前まで歩いていく。
ポコも肩の上で
じっと灯り石を見つめていた。
「……ポコ」
「ぷきゅ」
小さく鳴いた声は、
いつもより少し低かった。
灯り石の前に立つと、
ただ古いだけじゃない、
何か引っかかる感じがある。
石の表面。
ひび。
根元の金具。
術式板のくもり。
どこが悪いのか、
僕にはまだはっきり分からない。
でも、昨日見たときよりも
ずっと“見なきゃいけないもの”が
増えていた。
たぶん、これが
相談してから来た意味なんだ。
「どうだい?」
後ろから、
エッダさんが静かに聞いた。
急かす声じゃなかった。
できるかできないかより、
まず見て考えさせてくれる声だった。
「……まだ、分からないです」
僕は正直に答える。
「でも、昨日よりは
ちゃんと見れてる気がします」
「それで十分だよ」
エッダさんはそう言ってくれた。
「最初から全部分かるほうが
こわいからね」
その言葉に、
少しだけ救われる。
僕は石柱のまわりを
ゆっくり一周した。
裏側の継ぎ目は少し黒ずんでいて、
台座には細かな砂がたまっている。
風雨にさらされてきた時間が、
そのまま積もっているみたいだった。
ポコが肩の上で、
ほんの少しだけ体勢を変える。
その瞬間、
白い体の内側に、
ごく細い青い線が
一瞬だけ浮かびかけた。
僕の心臓がどくんと鳴る。
やっぱり反応してる。
でも、昨日とは違った。
ただ試したくてたまらない感じじゃない。
ここで使っていいのか。
どこまでならいいのか。
ちゃんと考えなきゃいけない。
その気持ちのほうが、
今は強かった。
「リク君」
エッダさんが呼ぶ。
「無理なら無理でいい。
でも、もし試すなら、
私はここで見てるよ。
変な噂みたいに広げる気もない」
その言葉は、
思っていた以上に重かった。
信用できる相手の前で。
失敗しても立て直せる範囲で。
フェルム先生の言葉が
そのまま重なる。
僕は鞄の中から帳面を取り出した。
日差しの下で開いた紙は、
少しまぶしく見えた。
灯り石の状態。
根元の錆。
表面のひび。
昼は点灯していないこと。
道の傾き。
エッダさんの話。
短く、見たままを書き足していく。
ポコはそのあいだも、
石柱から目を離さなかった。
「記録してるんだね」
エッダさんが感心したように言う。
「はい。フェルム先生に、
見たことも、聞いたことも、
迷ったことも書けって」
「いい先生だ」
その言い方は飾りがなくて、
だからこそ少しうれしかった。
書き終えて、
僕は帳面を閉じる。
それからもう一度、
灯り石を見上げた。
ここが、最初の頼まれごとかもしれない。
まだ引き返せる。
無理だと言ってもいい。
でも、もしここで
ポコの力が役に立つなら。
それはきっと、
ただ試すだけじゃない。
誰かの夜道を守ることにつながる。
僕は小さく息を吸った。
「……もう少しだけ、
近くで見てもいいですか」
「もちろん」
エッダさんは一歩下がって、
石柱の前をあけてくれた。
ポコが、僕の肩の上で
小さく体を揺らす。
「ぷきゅ」
その声は、
準備できてるよ、と
言っているみたいに聞こえた。
僕は灯り石の前に立つ。
手を伸ばせば届く距離。
白い前足が石に触れるまで、
あと少し。
胸の奥で、
期待と緊張が
静かに並んでいた。




