力を隠すだけじゃなく、使いどころも選ばなきゃいけない
次の日の朝、僕は帳面を鞄に入れて、
ポコを肩に乗せたまま、
フェルム先生の家へ向かっていた。
空はきれいに晴れていて、
朝の風はまだ少しひんやりしている。
村の屋根の上を抜けてきた風が、
頬をなでて、髪を揺らした。
訓練場のほうからは、
木剣が打ち合う音と、
基礎魔法の短い詠唱が
とぎれとぎれに聞こえてくる。
火を灯すための小さな声。
風を起こすための短い節。
どれも派手じゃないけれど、
ちゃんと暮らしや戦いにつながる、
この村らしい音だった。
先生の家の前まで来ると、
庭先では見習いたちが
朝の訓練をしていた。
ひとりは指先に小さな火を灯し、
もうひとりは風で木札を揺らしている。
その横には練習用の魔力灯が置かれ、
淡い光を何度も明滅させていた。
僕は思わず、肩の上のポコを見る。
魔法を使う力。
魔道具を動かす仕組み。
そして、素材を見て整える
ポコの《錬金釜》。
似ているようで、きっと違う。
だからこそ、
ちゃんと分かったうえで
前に進みたかった。
「失礼します」
戸を叩くと、
中からすぐに低い声が返った。
「開いてるぞ」
戸を開けた瞬間、
紙と木と、乾いた薬草の匂いがした。
机の上には広げられた記録紙と、
昨日使った木箱の残りがある。
火石の欠片や小さな金具も、
端のほうにまとめられていた。
フェルム先生は椅子に座ったまま、
こちらを見た。
「来ると思ってた」
「分かりましたか」
「そういう顔してる」
あっさり言われてしまって、
僕は少しだけ言葉に詰まる。
たしかに、家を出る前から
頭の中はずっと
同じことばかり考えていた。
僕が曖昧に笑うと、
先生はポコへ目を向けた。
「今日は試しに来た顔じゃないな」
「はい。相談したいことがあって」
「座れ」
うながされて、
僕は机の向かいに座る。
ポコは肩からぴょこんと降りて、
机の端にちょこんと収まった。
「ぷきゅ」
「お前も聞く気か」
「ぷきゅ」
ポコは小さく胸を張る。
その様子に、先生はほんの少しだけ
口もとをゆるめた。
「で、何だ」
僕はひとつ息を吸ってから、
昨日のことを順に話し始めた。
トマスさんの荷車を
みんなで助けたこと。
その流れで、
ギルドの話を聞いたこと。
依頼とか、実績とか、
そういう言葉が
思ったより胸に残ったこと。
やってみたい気持ちはある。
でも、それと同じくらい、
まだ慎重でいたい気持ちもあること。
ポコの力を役立てたい。
でも、むやみに見せたくはない。
全部話し終えるまで、
フェルム先生は口をはさまなかった。
ただ一度だけ、
机を指先で軽く叩いただけだった。
「悪くないな」
「えっ」
「その迷い方だ」
先生はそう言った。
「何も考えず飛びつくより、
よっぽどいい。
役に立ちたい気持ちもある。
慎重でいたい気持ちもある。
その両方が残ってるなら、
まだ踏み外しにくい」
その言葉を聞いたとき、
胸の奥にあった固さが
少しだけほどけた気がした。
迷っている自分は、
半端なんじゃないかと
思っていたからだ。
「じゃあ、ギルドに行くのは
やめたほうがいいんでしょうか」
「いや」
先生はすぐに答えた。
「行くなとは言わん。
ただ、順番は間違えるな」
「順番……」
「隠すだけじゃ駄目だ。
だが、見せればいいってもんでもない」
低い声だったけれど、
その言葉はまっすぐ胸に落ちた。
「必要なのは、
使いどころを選ぶことだ」
僕は自然と背筋を伸ばしていた。
「誰の前で使うのか。
どこで使うのか。
何に触れさせるのか。
失敗したとき、
どこまで困るものなのか。
そこまで考えろ」
先生は机の上の火石の欠片を、
指先で軽く転がした。
「たとえば広場の真ん中で、
人目だらけの中、
初めて触るものを試すのは論外だ」
「はい」
「店先で人を集めるのもよくない。
誰が見てるか分からんし、
余計な噂も立つ」
僕は小さくうなずく。
その言い方は厳しいのに、
脅すためじゃなくて、
ちゃんと分からせようとしてくれている
のが伝わってきた。
「逆に、信用できる相手の前で、
失敗しても立て直せる範囲なら、
試す意味はある」
「信用できる相手……」
「村の中で口の軽くない大人。
結果だけ見て騒がない相手。
困りごとがはっきりしていて、
助かったかどうかが
ちゃんと分かる仕事だ」
そこまで聞いたとき、
昨日の荷車の金具が
頭の中に浮かんだ。
ああいう場面で、
もし使うなら。
誰の前で、
どこまで見せるのか。
考えることは、
思っていたよりずっと多い。
「じゃあ……大きい依頼とか、
強い相手に関わる仕事は
まだ早いんですね」
「早いな」
先生は迷いなく言った。
「今のお前たちに必要なのは、
派手な成功じゃない。
小さくてもいい。
確かに役に立った、って経験だ」
確かに役に立つ。
その言葉が、
胸の中で静かに残る。
すごいと言われることより、
まずはそっちなのかもしれない。
「覚えとけ」
先生は指を一本立てる。
「最初から大きく役立とうとすると、
失敗したときの傷もでかい」
二本目。
「見せ方を誤れば、
力の価値より先に
面倒だけが寄ってくる」
三本目。
「だが、小さい仕事を
ひとつずつ積めば、
信用も記録も残る」
その三つを聞いたとき、
昨日トマスさんが言った
実績という言葉と、
先生の言う記録が、
自分の中でひとつにつながった。
実績と記録。
どっちも、
ポコの力を見失わないために
必要なんだ。
「……じゃあ、
最初は村の中の仕事が
いいんですね」
「そうなる」
先生は立ち上がって、
窓の外へ目を向けた。
訓練場の向こう、
村はずれへ続く道のほうを
見ているみたいだった。
「ちょうどいい話がある」
「え?」
「昨日の夕方、
エッダが来た」
知らない名前に、
僕は少しだけ首をかしげる。
「村の外れの灯り石を
見て回ってる人だ。
夜道の安全確認や、
古い魔道具の不調なんかも
まとめて役場へ伝えてる」
「そんな人がいるんですね」
「目立たんが、
いなくなると困る仕事だ」
その言い方は、
どこかポコの力にも
少し似ている気がした。
「そのエッダが、
村はずれの古い灯り石が
また暗くなってきたと言ってた」
その瞬間、
僕の中で何かがぴたりと重なった。
古い灯り石。
昨日、ポコが反応しかけた、
あの石だ。
「根元の金具が少し錆びてる。
石のひびも広がり気味らしい。
魔道具師を呼ぶほどじゃないが、
夜には少し心もとない。
そんな話だった」
僕は思わずポコを見る。
ポコも僕を見返してから、
小さく鳴いた。
「ぷきゅ」
「勘違いするなよ」
先生は先に釘を刺した。
「まだ受けると決まったわけじゃない。
やるかどうかを決めるのも、
現物を見てからでいい」
「見てから……」
「そうだ。
相手の困りごとを聞け。
現物を見ろ。
どこまでなら試せるか考えろ。
無理だと思ったら引け」
その言葉に、
僕は少しだけ目を見開いた。
引いてもいい。
できることと、
今はまだできないことを
分けてもいい。
そう思えたら、
怖さが少しだけ軽くなる。
「エッダは今日の昼すぎに
役場裏へ来るはずだ。
話を聞くだけなら、
今からでも間に合う」
先生はそこで、
僕の顔をじっと見た。
「どうする」
僕はすぐには答えなかった。
やってみたい気持ちはある。
でも、昨日までの僕なら、
その気持ちだけで
うなずいていたかもしれない。
今は違う。
見て、考えて、決める。
それをちゃんとやりたかった。
「……話を聞いてみたいです」
そう言うと、
先生は静かにうなずいた。
「それでいい」
大げさに褒めるでもなく、
試すようでもなく、
ただ当然みたいに返ってくる。
その言い方が、
かえってありがたかった。
「役に立つかどうかは、
そのあと考えろ。
最初から答えを急ぐな」
「はい」
「あと、帳面は持っていけ」
「え?」
「見たもの、聞いたこと、
迷ったことも書け。
成功したことだけ残しても、
あとで困る」
僕はすぐに鞄へ手をやった。
ちゃんと入っている。
「持ってきてます」
「ならいい」
先生は座り直しながら、
机の上の紙を片づけた。
「話は終わりだ。
あとはお前が選べ」
突き放した言い方じゃなかった。
ちゃんと自分で決めろと
言ってくれているんだと分かった。
僕は椅子から立ち上がる。
「ありがとうございました」
「礼はまだ早い。
話を聞いて、
考えて、
それからまた来い」
「はい」
ポコも机の上から
ぴょこんと僕の肩へ戻った。
「ぷきゅ」
「お前も、浮かれるなよ」
「ぷきゅ」
返事だけは妙に立派で、
僕は思わず少し笑ってしまう。
先生の家を出ると、
昼前の風が頬に当たった。
昨日よりも、
ほんの少しだけ
進む方向が見えている気がする。
ギルドへ行く前に、
やるべきことがある。
小さな仕事を、
小さくてもきちんとやること。
見せる力と、
まだ見せない力を分けること。
そして、ポコと一緒にできることを、
ひとつずつ確かめていくこと。
「……まずは、
話を聞きに行こうか」
「ぷきゅ」
ポコの返事は、
いつもより少しだけ
前向きに聞こえた。
僕は鞄の中の帳面を
そっと押さえながら、
役場裏へ続く道のことを
頭の中で思い浮かべていた。




