ギルドへ行きたい気持ちと、まだ慎重でいたい気持ち
トマスさんの荷車が見えなくなっても、
僕はしばらくその場に立ったままだった。
ギルド。
依頼。
実績。
さっき聞いた言葉が、
胸の奥で何度も静かに
くり返されている。
「ほんとに行くのか?」
ガルドがそう言って、
腕を組んだまま僕を見る。
隣ではグランが
低く喉を鳴らしていた。
もうさっきまでの緊張はなくて、
どこか余裕のある顔をしている。
「まだ、分からないけど……」
そう答えながら、
僕は肩の上のポコを見た。
ポコは小さく丸いまま、
でも眠っているわけじゃなくて、
ちゃんと前を見ていた。
「僕も気になるよ。
でも、すぐにってわけじゃないかな」
「慎重だなあ」
ミオが少しだけ笑う。
ルゥも肩の上で羽先を揺らして、
風の流れをたしかめるみたいに
目を細めていた。
「でも、リクらしいかも」
「そうかな」
「そうだよ。
さっきだって、何か考えてたでしょ」
その言葉に、
胸の中が少しだけひやりとする。
やっぱりミオはよく見ている。
ルゥだけじゃなくて、
ミオ自身も人の細かい変化に
気づくほうだ。
「……少しだけね」
僕がそう言うと、
ミオはそれ以上は聞かなかった。
聞かないでいてくれたことが、
少しありがたかった。
「俺は行くぞ」
ガルドがあっさりと言う。
「グランがどれだけ通じるか、
外で試してみたいしな。
村の中だけじゃ分からねえことも
あるだろ」
そう言って、
グランの首元を軽く叩く。
グランは当然みたいな顔で
鼻を鳴らした。
「ミオも?」
「私は……気になる、かな」
ミオはルゥを見上げる。
ルゥはふわりと肩から浮いて、
ミオの頭の上を一度だけ回ってから、
また元の場所へ戻った。
「ルゥの風読みが、
村の外でどれくらい通じるのか、
知ってみたいし」
「みんな、前向きだね」
僕が言うと、
ガルドが少しだけ笑った。
「お前もだろ。
さっき、試してみたいって
言ってたじゃねえか」
「それは……そうだけど」
言いながら、
自分の胸の中をのぞきこむ。
たしかに、やってみたい。
ポコと一緒に、役に立ちたい。
小さな頼まれごとでもいいから、
僕たちにもできることがあるなら、
試してみたい。
でも、その気持ちのすぐ隣には、
別の気持ちもちゃんとあった。
むやみに見せるな。
珍しい力は、
価値が分かる者にはすぐ分かる。
フェルム先生の声が、
頭の中で静かに響く。
役に立つことと、
見せすぎることは違う。
その線を間違えたくなかった。
「……僕、たぶん
行きたいんだと思う」
ぽつりと口に出すと、
二人がこっちを見た。
「でも、まだ少し怖い」
その言葉は、
思っていたよりも素直に出た。
ガルドは笑わなかった。
ミオも、変な顔をしなかった。
「まあ、そりゃそうでしょ」
先に口を開いたのはミオだった。
「だって、初めてのことだもん。
私も、もし急に明日街へ行こうって
言われたら、ちょっと緊張するし」
「俺は別に平気だけどな」
「ガルドはそう言うと思った」
ミオがくすっと笑う。
そのやり取りに、
少しだけ肩の力が抜けた。
「でも、怖いのは
悪いことじゃないんじゃない?」
ミオがそう続ける。
「ちゃんと考えてるってことだし」
その言葉に、
僕は少しだけ救われた気がした。
考えすぎなのかもしれないと、
さっきから少しだけ思っていたからだ。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
ミオは明るく笑う。
「ま、もし街へ行くなら、
そのときは教えてよ。
私も気になるし」
「俺もな」
ガルドが言う。
「お前だけ先に何か見つけたら、
あとで聞かせろよ」
「うん」
そう返事をすると、
ポコが肩の上で小さく鳴いた。
「ぷきゅ」
それは、僕も聞きたい、
みたいな声に聞こえた。
三人で少し笑ってから、
僕たちは広場で別れた。
ガルドはグランと一緒に
訓練場のほうへ向かい、
ミオはルゥを肩に乗せたまま
洗濯場の近くの道へ入っていく。
「またね、リク」
「また明日」
その背中を見送ってから、
僕はひとりで家への道を歩き出した。
夕方が近づいてきた村は、
昼すぎとは少しだけ違う顔をしていた。
鍛冶屋の炉は、
さっきよりも火が強くなっている。
炭喰いトカゲは火床のそばで
丸くなっていたけれど、
ときどき尾の先だけを揺らして、
熱の加減を整えているみたいだった。
井戸端では、水守り亀が
夕方の水汲みを手伝っている。
洗濯場からは、
まだ泡のはじける音が聞こえた。
村の中には、
ちゃんと召喚獣の仕事がある。
誰かの暮らしの中に、
自然に入りこんでいる。
僕は歩きながら、
肩の上のポコにそっと触れた。
「ポコ」
「ぷきゅ」
「僕、やってみたいよ。
でも、ちゃんと考えてからにしたい」
ポコは少しだけ体を揺らした。
急かすでもなく、
不満そうでもなく、
ただ聞いているみたいだった。
「役に立てたらうれしい。
でも、守ることも
忘れたくないんだ」
そう言うと、
ポコは僕の耳のあたりに
ちょこんと前足を置いた。
やわらかくて、小さい。
でも、その重みは
不思議と頼もしかった。
「……うん。
そうだよね」
たぶんポコも、
分かってくれている。
そんな気がした。
家に着くころには、
空の色が少しだけ
やわらかく変わっていた。
玄関をくぐって、
自分の部屋へ戻る。
机の上には、
さっきまで開いていた帳面が
そのまま置いてある。
僕は椅子に座って、
しばらく表紙を見つめた。
ギルドへ行きたい。
依頼も受けてみたい。
でも、その前に
もう少しだけ確かめたいことがある。
僕たちに何ができるのか。
どこまで見せていいのか。
誰の前なら使っていいのか。
考えなきゃいけないことは、
思っていたよりずっと多かった。
それでも、
足が止まっている感じはしない。
むしろ逆だった。
前に進みたいからこそ、
ちゃんと決めたい。
そんな気持ちに近い。
僕は帳面を開いて、
今日の出来事の最後に
一行だけ書き足した。
『ギルドには行ってみたい。
でも、その前に
僕たちの力の使いどころを、
もっとちゃんと考えたい』
書き終えてから、
その字をもう一度見返す。
少し迷っているようにも見えるし、
少しだけ前に進んでいるようにも見えた。
「明日、フェルム先生に
相談してみようか」
そうつぶやくと、
ポコが机の上へぴょこんと乗った。
「ぷきゅ」
その返事は、
それがいいと思う、
と言ってくれているみたいだった。
僕は小さく笑って、
帳面を閉じる。
ギルドへ行きたい気持ちは、
まだ胸の中であたたかく残っていた。
でも今の僕には、
その気持ちと同じくらい、
慎重でいたい気持ちもある。
たぶん、そのどちらも
間違いじゃない。
ポコと一緒に進むなら、
きっとその両方を
大事にしたほうがいいんだと思う。
そう考えながら僕は、
明日は何を聞こうかと
静かに頭の中で整理を始めていた。




