錬金術は、消えた技術の名前
火石の記録を書き終えたあとも、
僕はしばらく帳面を見つめていた。
石。
薬草。
釘。
火石。
並べてみると、昨日まで
ばらばらだったものが、
少しだけ一本の線でつながった
気がする。
ポコは僕の膝の上で、
まだ少しだけおとなしくしていた。
でも、さっきより呼吸は落ち着いて
いるし、目もちゃんと開いている。
「少し休めば大丈夫そうだな」
フェルム先生がそう言って、
湯気の立つ小さな茶杯を
机の上に置いた。
「ありがとうございます」
「お前の分だ。
召喚獣用じゃないぞ」
先生がそう言うと、
僕は思わず少しだけ笑ってしまう。
ポコも「ぷきゅ」と鳴いて、
なぜか分かっているみたいな顔をした。
先生は向かいの椅子に座り、
腕を組んだまま、しばらく
僕の帳面を見ていた。
「書き方は悪くない」
「ほんとですか」
「ああ。少なくとも、
あとで見返せる形にはなっている」
そう言ってから、先生は
火石の記録の行で視線を止める。
「だが、ここから先は
少し話しておいたほうがいいかも
しれんな」
「話、ですか」
「錬金術のことだ」
その言葉に、僕は姿勢を正した。
ポコも僕の膝の上で、
ぴくりと体を揺らす。
先生は窓の外を一度だけ見てから、
静かに口を開いた。
「さっきも言ったが、
俺――いや、私は詳しいわけじゃない」
そこで先生は、少しだけ
言い直すみたいに咳払いをした。
「村で剣や基礎魔法を教える程度の
人間だからな。
錬金術師でも、魔道具師でもない」
「はい」
「だが、名前くらいは知っている。
昔の記録や、古い職人の話の中で、
消え残ったものをな」
先生は棚のほうへ手を伸ばし、
細い木箱をひとつ取ってきた。
中には、欠けた魔石、
古びた金具、短い針、
色の違う砂みたいな粉が
少しずつ入っている。
「魔法と錬金術は、
似ているようで違う」
「違う……?」
「魔法は、魔力を使って
現象を起こす力だ」
先生はそう言って、
机の上に置いてあった
小さな魔力灯を指先で示した。
「火を灯す。
水を動かす。
風を起こす。
傷をふさぐ。
それが魔法だ」
僕はうなずく。
それは分かる。
村でも見てきたし、
訓練場でも少し見た。
「魔道具は、その魔法を
道具の形に安定させたものだ。
火石板や灯り石がそうだな。
人が毎回術を組まなくても、
仕組みとして働くようにしてある」
「うん」
「だが錬金術は、
現象を起こす前の段階に
手を入れる技術だった、と言われている」
その言い方に、僕は少しだけ
首をかしげた。
「前の段階?」
「火を出す前に、
火になるものを整える。
薬を作る前に、
薬になる素材を見分けて整える。
魔道具を動かす前に、
中を流れる魔力の道筋を
扱いやすい形に寄せる」
先生の指先が、
机の上の火石の欠片へ向く。
「お前のポコがやったのは、
たぶん、そっち寄りだ」
僕は、さっきの火石を思い出す。
赤い光。
青い線。
濁りが抜けて、
中の芯が通る感じ。
「あれは、火を強くしたんじゃ
ないんですね」
「おそらくな。
火石が本来持っていた火を、
通りやすい形へ戻した」
先生はそう言って、
今度は整えられた釘を持ち上げる。
「釘も同じだ。
新しく作ったんじゃない。
使える部分を残して、
戻した」
「薬草も……」
「そうだ。
薬草そのものを生み出したんじゃない。
傷みを外して、
使えるところを立たせた」
僕は、自分の帳面へ目を落とした。
素材によって反応が違う。
でも、どれも使える部分を
残すように見えた。
さっき自分で書いたその文が、
今になって少しだけ
意味を持ち始める。
「じゃあ、《錬金釜》って……」
「ただ作るだけの力じゃない」
先生が静かに言う。
「見て、選って、整えて、
組み合わせる力だろうな。
そして、そのどれもが
普通の人間には難しい」
窓の外から、木剣のぶつかる音が
ひとつ聞こえた。
でも、今はその音より
先生の声のほうが深く残る。
「昔は、そういう技術が
もっとあったらしい」
「昔って、どれくらい前ですか」
「さあな。俺――いや、
私が読んだ記録でも、
かなり古い」
先生は少しだけ苦い顔をした。
「昔の村や町には、
鍛冶師、薬師、魔道具師のほかに、
錬金術師という呼ばれ方をする者が
いたらしい」
「錬金術師……」
「だが今は、ほとんど聞かん。
名前だけが残って、
中身はばらばらに散ったんだろう」
先生は木箱の中の
色砂を少しだけ揺らした。
「薬師は薬草を扱う。
鍛冶師は金属を扱う。
魔道具師は魔石と術式を扱う。
だが錬金術師は、その全部の
あいだをつなぐようなことを
していたのかもしれん」
その言葉に、僕ははっとする。
「全部の、あいだ……」
「石も、薬草も、釘も、火石も。
今日お前の相棒が触ったものは、
種類は違っても、どれも
素材としては同じ線に置ける」
先生の視線が、ポコへ向く。
「つまり、この子は
最初から広い」
広い。
その言い方は、
強い、よりも不思議で、
でもずっと本当のことみたいに
聞こえた。
「普通の力は、もっと狭い。
火なら火だけ。
風なら風だけ。
草なら草だけだ」
「でも、ポコは違う」
「ああ。だから珍しいし、
だから扱いを間違えると
何ができるのか見えなくなる」
先生はそこで一度言葉を切り、
少しだけ目を細めた。
「逆に言えば、
ちゃんと積み重ねれば、
かなり遠くまで行く可能性がある」
僕はごくりと唾をのんだ。
遠くまで。
その言葉の先に
何があるのかは分からない。
でも、胸の奥が少しだけ
熱くなるのは分かった。
「……先生は、
錬金術ってすごいものだったと
思いますか」
僕がそう聞くと、
先生はすぐには答えなかった。
机の上の火石と、
整えられた釘と、
帳面に書かれた僕の字を
順に見てから、ようやく口を開く。
「すごい、というより、
失われると困る技術だったんじゃ
ないかと思う」
「困る……」
「派手じゃないからな」
先生は短く笑う。
「火球みたいに目立つわけでもない。
剣みたいに分かりやすく強い
わけでもない。
だが、そういう地味な技術が
なくなると、じわじわ困る」
その言葉は、
なんだかすごくよく分かった。
ポコの力も、そうだ。
すぐに敵を倒せるわけじゃない。
大きな音も出ない。
でも、石も、薬草も、釘も、
ちゃんと使える形へ戻した。
「……だから、ハズレに
見えやすいんですね」
思わず口からこぼれる。
先生は少しだけ目を細めた。
「そういうことだろうな」
その言い方に、否定も同情も
なかった。
ただ、事実として
そこに置かれた感じだった。
「分かりやすく強いものは、
すぐ褒められる。
分かりにくく役立つものは、
価値が伝わるまで時間がかかる」
先生の声は低い。
「だが、お前はもう見ただろう。
この子が、何をしているのかを」
僕はうなずいた。
「はい」
「なら、あとは急がず
積み上げていけ」
その一言で、
胸の中の焦りが少しだけ静まる。
すぐ全部分からなくてもいい。
今はまだ、
見つけていく途中なんだ。
ポコが僕の膝の上で
小さく鳴いた。
「ぷきゅ」
僕はその頭をそっと撫でる。
「錬金術って、
魔法の裏側みたいだね」
そう言うと、先生は
ほんの少しだけ笑った。
「いい言い方だ。
たぶん、それに近い」
窓の外では、
訓練していた見習いたちの声が
少しだけ大きくなっていた。
朝の時間が、
ゆっくり前へ進んでいく。
でも僕の中では、
昨日まで知らなかった言葉が
少しずつ形を持ち始めていた。
錬金術。
消えた技術の名前。
でも、ポコの中には
その欠片がまだ残っているのかも
しれない。
そう思ったとき、
机の上の火石が
朝の光を受けて小さく赤く光った。
その隣で、ポコが
静かに胸を張る。
まるで、
まだここにあるよ、と
言っているみたいだった。




