第六十六話「神経戦」
前半がアシュタル視点の三人称、後半がザック視点の一人称です。
魔将のアシュタルは自らの失態に、心の中で怒り狂っていた。
(どこで間違えたのだ! 我の用意した戦力は充分だったはずだ。だが、結果はどうだ? 苦労して捕らえた地竜を失い、一つ目巨人と四手熊も早急に治療が必要だ。最悪の場合、地竜ともどもアンデッド化せねばならん……)
更に周りにいる妖魔を見て落胆する。
(大魔を失い、妖魔も僅か三体になった。あの魔術師が異常でもこれほど容易く倒されるはずはない……)
彼の常識では妖魔は人間の一般的な兵士五十人に匹敵する。
優れた魔法の才能、強靭な肉体と高い武術のスキル。何よりも高速で飛行できるため、空中にいる限り、まぐれ当たりの矢や魔法以外で傷つくことはない。
大魔であれば更に強力だ。
妖魔十体分以上の戦闘力を持ち、戦い方によっては千人規模の騎士団を敗走させることも可能だ。
実際、冒険者ギルドが定めた等級では、大魔は二級相当、妖魔は四級相当の魔物だ。
二級相当の魔物を討伐するためには、冒険者ギルドであれば貴重な二級冒険者パーティを複数派遣し、帝国でも一個大隊五百名もの戦力を投入する。たった一体の魔物にそれほどの戦力を投入しなければならないのだ。
妖魔の討伐にしても、飛行型の魔物は捕捉することが難しいため、カエルム帝国なら正規軍団の一個中隊百名、カウム王国なら精鋭である黒鋼騎士団の兵士二百名が派遣される。
すなわち、アシュタルの認識は強ち間違っていないということだ。
彼にとって不幸なことはロックハート家という異常な戦闘集団が本気を出してきたことだろう。また、飛行型の魔物の天敵ともいえるザカライアスとシャロンがいたことも誤算の原因だ。
二人がいなければ、ロックハート家の精鋭が相手であっても、これほど大きな損失を出すことはなかった。
(いずれにせよ、主に断りもなく出撃したからには、目に見える成果を上げねばならん。奴らはまさに袋のネズミ。すべてを捕らえて傀儡とできれば、地竜や大魔以上の戦力を補充したことになるのだ……しかし……)
そう考えるものの、一抹の不安があった。以前、ザカライアスが作った地下拠点に入った際、貴重な大魔を一体失っており、そのことが強く印象に残っていた。
(あれほど用意周到な敵が追い詰められたとはいえ、逃げ場を失うような場所に入るだろうか? 時間はさほど与えておらんが、何らかの罠があると考えた方がよいだろう……だが、どうすべきか。妖魔を先行させる手もあるが、これ以上の損失は今後の行動に支障を来たす。翼魔を召喚すべきか……)
魔将である彼にとって、翼魔の召喚はさほど難しいことではない。召喚するための魔晶石も妖魔のものを使えば可能だ。しかし、彼ほどの能力をもってしても、魔法陣の構築と召喚のための儀式に、最低でも三時間は掛かることが気になっていた。
もっとも、この三時間という時間は非常識なほど短い。月魔族や翼魔族が召喚を行う場合、最も高位の呪術師が入念に準備された魔法陣を使っても、儀式だけで一日以上掛かる。
(時間を与えれば、奴らは戦力を回復させる。麻痺に留めたことが裏目に出たか……ならば、獣を捕らえて傀儡化した方がよい……)
アシュタルが周辺の魔物を狩り尽くしたため、魔物の数は激減していたが、その分、野生動物は増えていた。そのことを思い出し、妖魔に獣を狩るよう命じる。
「獣か、弱い魔物を捕らえてこい」
三体の妖魔は頭を下げてから飛び立っていく。
その間にアシュタルはサイクロプスと四手熊の治療を行うことにした。
サイクロプスは唯一の目を潰された後、暴れまわったためアシュタルの魔法で麻痺させられている。
欠損部位の再生は本来難しいのだが、アシュタルは呪文を詠唱することなくあっさりと成功させる。更にサイクロプスに押しつぶされ、内臓まで傷ついた四手熊も完全に回復させた。
そして、遅れていた多頭蛇竜が到着した。
(これで戦力は多少回復した。あとは地竜のアンデッド化だが、さすがに魔力を使いすぎる。どうせあの洞窟では役に立たんのだ。奴らを捕らえた後に行えばよかろう……)
闇属性を得意とする彼にとって、アンデッド化の魔法は難しいことではないが、大きな魔晶石を保有する相手をアンデッド化することは大量の魔力を消費する。
ちなみに大魔や妖魔もアンデッド化は可能だが、行っていない。
アンデッド化は死体を利用するものの、魂まで回復させるものではない。そのため、アンデッドになった初期には自我がなく、自律的な行動をとることができない。つまり魔法を使うことができないのだ。
死霊魔道師のように魔法を使えるアンデッドもいるが、長い年月を掛けて自我が芽生え、初めて魔法を使うことができる。
アシュタルにとって魔法が使えない大魔や妖魔の利用価値は低く、必要なら彼らの魔晶石を使って新たに召喚した方が有効だと考えた。
逆に言えば、傀儡として使っていた地竜は魔法を使えず、更に元々自我を制限されていたため、アンデッド化のデメリットは小さい。それどころか、痛みに対する耐性が上がるため、純粋な戦闘力は上がることになる。
(とりあえずはこれでよいだろう。あとは妖魔どもが命令どおりに囮を捕らえてくるだけだ……)
アシュタルはサイクロプスらに周囲の警戒を命じると、地下室の入口を見張り始めた。
イライラとした表情で妖魔たちを待っていると、二時間ほど経った頃に、気絶した牡鹿を一頭、運んできた。
「遅い!」と叱責し、
「傀儡の術を使う。お前は入口を見張っていろ」
牡鹿を受け取ると、心臓付近に針を刺す。その針は黒曜石で作られたように輝いていた。
針を刺しながら、魔力を込めていく。
「これでよい」とアシュタルは独り言を呟いて頷いた後、「麻痺を解除しろ」と妖魔に命じた。
妖魔が闇属性魔法を発動すると、鹿はゆっくりと立ち上がる。アシュタルたちの姿が目に入っているが、恐れる様子はなく、その場に留まり宙を見つめている。
「あの洞窟に入るのだ。奥まで行ったら、戻ってこい」
鹿はすぐに洞窟に向かう。足取りはしっかりしており、操られているという感じには見えない。
アシュタルは腕を組みながらその様子を眺めていたが、ゆっくりと瞼を閉じた。
彼の使う傀儡の術は魔族のものより優れており、操る相手の感覚を共有できる。但し、一km以上離れるとリンクが切れるため、あまり遠距離では使えない。
鹿の目を通じてトンネルの造りを確認する。表面は磨かれていないものの、仕上げを行ったかのような滑らかな平面でその技量に感嘆の声を上げる。
「なかなか見事な造りではないか」
しかし、その余裕は突然消えた。
トンネルの奥からピーという鹿の悲鳴が響く。
鹿の首に太矢が突き刺さり、アシュタルは「ウッ」と呻きながら、鹿とのリンクを切った。
「やはり待ち伏せがいたか。それとも罠か……」
予想通りとはいえ、これだけとは限らない。今の攻撃なら妖魔を倒すことも難しくはなく、不用意に入ることは戦力の消耗を招くと躊躇する。
(我が行けばこの程度の攻撃など問題にはならぬが、万が一のことがある。前回の罠は我にも有効であったのだから……この手でもう少しやってみるか、それとも生け捕りを諦めるか……)
少しだけ迷うが、別の妖魔がゴブリンを運んできたため、同じように傀儡にして洞窟に突入させた。
■■■
外での戦いを終え、地下要塞に逃げ込んでから二時間ほど経った。
未だに敵からアクションはなく、ジリジリとした感じで待ち続けている。
厳しい規律のロックハート家の家臣たちはこの状況でも一切口を開かず、指揮官の命令に従って黙々と待機している。
この状況はイライラとするものの、俺たちにとっては有利な展開だ。
第一に魔術師である俺、リディ、シャロンの魔力を回復できる。ここに来た時、魔力の残量は一割を切っていたが、この二時間で二割以上になっている。一度、シャロンやバイロンに状態回復と浄化の魔法を使っているが、この調子で回復すれば、あと一時間もすれば三割を超えるだろう。
第二にシャロンとイーノスが回復したことが大きい。イーノスは頭部を激しく打っており安静にしていたが、俺が治癒魔法を掛けた後も特に異常がないため、戦線に復帰している。
シャロンは俺の魔法で精神的なダメージがある程度回復している。まだ、動きに精彩はないが、罠の発動や撤退時の指揮など、俺に万が一のことが起きた場合のバックアップは可能だ。
他にも祖父たちが落ち着けたことが大きい。
地竜との死闘に加え、アシュタルの圧倒的な存在を目の当たりにし、歴戦のロックハート家の戦士たちも動揺していた。しかし、誰一人欠けることなかったため、希望を失っていない。
そんな中、唯一バイロンだけは未だに戦線に復帰していない。一応、話ができるほどには回復しているが、身体が満足に動かないのだ。
「情けない話、今のまま前に出ても足手纏いになるだけですから」
そう言って大人しく後方で横になっている。責任感の強い男だから大人しくしているが、内心では悔しくて仕方ないはずだ。
「まだ敵の親玉がいる。そいつとの戦いまでに回復してくれればいい」
そう言って慰めるが、アシュタルとの戦闘に勝てるかどうかも怪しい状況であり、気休めにすぎない。
彼自身もそのことは分かっており、「大物との戦いではぜひとも前線に回してください」と笑っていた。
静かな時間が続いたが、敵が動き始めたらしい。
入口付近で耳を済ませていたガイが小声で報告を始めたのだ。
「入ってきたようです」
「うむ」と祖父が頷くと、更に報告を続ける。
「ザック様が仕掛けた罠が発動した音がしました。小さな悲鳴が聞こえた気がしますが、妖魔なのか別の魔物なのかは分かりません」
俺の設置した罠は嫌がらせ程度のもので、妖魔クラスの魔物を倒すには急所に当たるか、毒が効かなければ難しい。
巨大サソリの毒は猛毒だが、毒を塗ってから既に二時間以上経っている。乾いた状態では効き目は落ちているだろう。
「とりあえず現状維持じゃ。敵が魔法を使う気配を感じたら、この扉を閉める。よいな」
この部屋の入口扉は閉められていない。分厚い岩製の扉を閉めると、音が聞き取れなくなる可能性があるためだ。
三トン近い重さの扉だが、僅かに斜めに設置されているため、ストッパーを外せば勝手に閉まる。逆に開ける場合はその自重に対抗しなければならないため、可能な限り開けておき、いざという時に閉める運用としていた。
その後、二十分くらい息を飲んで待つが、俺たちの息遣い以外、何も聞こえてこない。
拠点としていた地下室まで十五メートルほどあり、更に地下室側の入口は石造りの扉できっちり閉められている。
(伝声管でも付けておけばよかったかな。毒が流れてきたり、こちらの音が漏れたりするから採用しなかったが、状況が分からないのは辛いな……)
元々、漆黒の魔族を引き入れるために作っている。当然、慌しく撤退することを想定しており、こういう状況は考えていなかった。
そのため、敵の状況が分からず、こちらも動きようがない。念のため、脱出路側の状況もダンに確認させており、異常がないことは分かっているが、敵の動きに対応するしかない状況は不安を掻き立てる。
「時間は儂らにとって味方じゃ。焦ることはない」
祖父の言葉に全員が頷く。
更に十分ほどすると、突然ドンというくぐもった感じの爆発音が響く。
「扉を閉めよ」という祖父の声に兄ロドリックが扉のストッパーを外す。扉はゆっくりと閉まっていき、最後にはゴンという音と共に完全に閉まった。
「何をしたと思う?」と兄が聞いてきた。
「罠か、待ち伏せがあると気付いて、強引に排除しようとしたのでしょう。いい傾向です」
「いい傾向? それはなぜだい?」
「強引な手に出たということは、こちらを探知する有効な手段を持っていないことになります。つまり、この後の罠にも引っ掛かってくれるかもしれませんし、脱出路にも気づいていないことになります」
「そうだな。あとはここで敵を仕留めるだけということか」
そう言ってニコリと笑う。この状況で笑みを浮かべられる精神力に賞賛の念が湧く。
「そういうことです。魔法は効きませんから、兄上たちに期待していますよ」
「了解した。おしゃべりの時間は終わりのようだな」
その時、通路から轟音が聞こえた。俺の設置した罠が発動したようだ。
レビューを頂きました。
不争天下の伝道師様、ありがとうございました。




