第四十七話「降臨」
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
今回は三人称です。
時は半年ほど遡る。
トリア歴三〇二四年六月の初め頃。
ペリクリトル市の東の山中にある崖の上に、男が立っていた。その男はすらりと背が高く、黒いローブを身に纏い、更に皮膚も黒檀のように黒かった。そして、その背中には艶やかな漆黒の翼があった。
彼の名はサウル・インクヴァル。翼を持つ魔族、妖魔族に属する黒魔族の呪術師だ。
彼の後ろには頭二つ分以上背が高い、身長二・五mほどの魔物が三体いた。それらは赤銅色の皮膚に巨大なコウモリのような翼、目は漆黒で大きな牙を持ち、サウルを守護するかのように立っている。
(月魔族も口ほどでもなかったな。神殿の長老たちは妖魔以上を召喚することは危険すぎると言っていたが、大魔ですら大人しいものだ……)
彼の精神は高揚していた。
召喚魔法に長けた月魔族でも精々翼魔しか召喚に成功していない。しかし、自分は更に強力な大魔を召喚し、使役にも成功している。
妖魔は千年ほど前から見られるようになった異界の悪魔であり、魔将、大魔、妖魔、翼魔、小魔などがいる。
魔法に長けていること、翼を持つため機動力もあることから、月魔族や翼魔族は翼魔や小魔を眷属として使役していた。
黒魔族にも召喚の秘儀は伝承されていたが、月魔族や翼魔族に比べ、自らの身体能力が高いことから偵察用に翼魔を召喚する程度で、妖魔以上の強力な魔物を召喚する必要性がなかった。
また、黒魔族は千年ほど前の西方への大侵攻時に部族の多くを失っており、召喚の儀式を行えるほどの術者は数えるほどしかいなかった。
サウルはその黒魔族にあって、より強大な力を持つ大魔を召喚することに成功した。
そのことを含め、彼は自らの内に高まる万能感に酔っていた。
それは数年前のことだった。
何の前触れもなく力が湧き、どのような困難も克服できると思えた。実際、強力な魔物に満ちている峻厳なアクィラ山脈を単独で越えるなど、人が可能とは思えないことを成し遂げている。そのことが彼に更なる自信を与えた。
そして、彼は更に不可能と言われていることに挑戦しようとしている。
(計画は上手くいっている。ようやく最低限必要な数は揃った。後は魔将を召喚すれば準備は終わる……)
サウルはひらりと崖から飛び降り、空に躍り出る。三体の大魔もそれを追うように空に飛び出し、四つの影が茶色い崖に映った。
サウルたちはある場所に降り立った。そこは渓流が作る滝つぼの近くで、数え切れないほどの魔物がロープで縛り上げられていた。その魔物は大魔に酷似しているものの、大きさだけが一回り小さい妖魔だった。
妖魔たちは反抗することなく、大人しく座っていた。その目は虚ろで何らかの魔法を掛けられているように見える。
その中心には直径三メルトほどの複雑な紋様の魔法陣らしきものが描かれていた。
「妖魔たちの数は揃ったな」と言うが、大魔たちは特に反応することはなく、彼も答えを期待していなかったのか、そのまま前に歩いていく。
「では、妖魔と魔晶石で召喚陣を作れ」
その命令に大魔たちは頷くことなく動き始めた。
そして、魔法陣を中心に八角形を形作るよう妖魔たちを配置していく。その八角形の数は八。つまり、妖魔は六十四体いたことになる。
妖魔には直径四から五cmほどの魔晶石をはめ込んだネックレスが掛けられていく。中心に向かうにつれ妖魔に掛けられた魔晶石は大きくなり、中心部では倍ほどの大きさがあった。
もし、その魔晶石を冒険者たちが見たら、二級相当から四級相当の上位の魔物であると気づいただろう。
すべての妖魔に魔晶石のネックレスが取り付けられた。
既に日は落ちていたが、空には月と星が煌き、滝の水に反射し幻想的な風景を作っている。しかし、その風景を愛でる者はいなかった。
「では召喚を始める」とサウルは宣言し、呪文を詠唱していく。その呪文は通常の魔法とは異なり、八属性すべての神の名が入っていた。
大魔たちはサウルの後ろに控え、魔力を送る。しかし、その目にはそれまでになかった反抗的な、そして嗜虐的な光が浮かんでいた。
一時間にも及ぶ詠唱でサウルの顔は苦痛に満ちていた。額には玉のような汗が浮かんでいる。
徐々に魔法陣から光が漏れ始める。その光は不規則に明滅し、ある種の生き物のようにも見えた。
サウルから魔法陣に魔力が更に注入される。それに伴い明滅が強くなっていく。
そして、それは突然起きた。
明滅していた光が、空に向かって伸びる光の柱に変わったのだ。
その光の柱は魔法陣の直径に等しく、夜空の星々に届くかと思われるほど高く伸びていた。
十秒ほどで光の柱は唐突に消えた。それまでの光景が幻想であったかのように。
「成功したようだな」というサウルのしわがれた声が、水の流れる音しかしない渓流に響く。
彼の視線の先には大魔と同じコウモリの翼を持つ妖魔、魔将の姿があった。その体躯は大魔はおろか妖魔より小さく、身長は一・八メルトほどで、筋肉隆々の戦士のような体躯の大魔とは異なり、ほっそりとした体形だった。顔付きも僅かに犬歯は見えるものの、人間の美青年といっても通用するほどだ。
しかし、その存在感は圧倒的だ。大魔など比較にならないほどの威圧感が滲み出ていた。
魔将の目がゆっくりと開かれる。そして、召喚者であるサウルの姿を認めると、ニヤリと笑った。その笑みは口元だけで、目は蔑むような色を湛えている。
サウルはその存在感に圧倒されながらも魔将に対し、従属を求める。
「我はそなたを召喚せし、サウル・インクヴァル。我に従え」
魔将は何も言わず、口元を更に歪めて嘲笑する。
サウルは素直に従わない魔将に驚き、怒りの表情を浮かべた。
「なぜだ! 貴様を召喚したのはこの俺だ! 俺に従うから召喚に応じたのであろう!」
魔将は冷笑を浮かべるだけで答えすらしなかった。
サウルは更に怒りを爆発させ、
「我は契約の履行を求める! 従わぬのであれば、契約に基づき、そなたの存在を消滅させる。それでもよいのだな!」
そこで初めて魔将は口を開いた。
「ククク……笑止……そなた程度の力で我を消滅させる? 久しぶりに顕現したが、いきなり笑わされるとは思わなかったわ。ククク……」
サウルはその言葉を聞き、即座に召喚魔法の中止を行おうとした。
「神々よ。世の理に背きし彼の者を虚無の彼方に送りたまえ!」
その言葉に魔法陣が一度光るが、すぐに消えた。そして、魔将は冷笑を浮かべたまま存在していた。
「なぜだ……」と絶句するが、再び呪文を唱える。
しかし、魔法陣は光ることなく、魔将も消えることはなかった。
サウルは魔将を従えられないと諦め、大魔に攻撃を命じる。
「この者を始末せよ! まだまともに動くことはできぬはずだ!」
大魔はその命令に反応しない。
サウルがもう一度同じ命令を繰り返すが、結果は同じだった。
「無駄だ。我の眷属が主たる我を害するはずがない」と魔将が冷笑を向ける。
サウルは埒が明かないと思ったのか、剣を抜いた。本来であれば剣術より魔法の方が得意なのだが、召喚魔法で魔力を使いきっており、やむなく剣を抜いたのだ。しかし、剣を使えないわけではない。
黒魔族は魔法の才能も豊かだが、肉体的にも強靭な優秀な種族だ。彼自身、剣術も極めている。
そして、その手には白銀に輝くミスリルの長剣が握られていた。
「魔将といえども、この剣で貫かれれば死は免れぬ。今ならまだ許してやる。我に従うと誓え」
サウルが執拗に従属の言葉を言わせようとするのは、召喚された妖魔は契約に縛られるためだ。一度従属を誓えば、双方が解除に合意しない限り、召喚者に従わざるを得なくなる。今まで従っていた大魔が反抗し、魔将も契約に応じないという状況でも、従属の言葉さえ言わせれば逆転できると信じていたためだ。
「笑止」と言うだけで魔将は冷笑を浮かべたまま、サウルを見つめていた。
その傲慢な態度にサウルは切れた。
「俺は世界の王になる男! 貴様程度の魔物に嘲笑されて引き下がる気はない!」
そう叫ぶとミスリルの長剣に炎を纏わせ、一閃する。
魔将の首筋に正確に剣は吸い込まれていく。
サウルは魔将の首を刎ね飛ばすことに成功したと確信する。しかし、その魔法剣は魔将の右手によって易々と止められた。
「なに!」とサウルは驚きの声を上げ、その場で動きを止めた。
高熱を発する剣を素手で掴んだこともそうだが、それ以上に自分の斬撃に反応できたことに驚きを隠せない。
彼はレベル八十を超える剣術士であり、その強靭な肉体と相まって、魔法を使わずとも最強と呼ばれる剣術士と渡り合えるほどの腕を持っていた。そして、それが彼の自信の源でもあった。そのため、あまりに簡単に攻撃を防がれたことで放心状態に陥ってしまったのだ。
「何を呆けている。貴様程度がこの世界の神となる我に勝てると思っていたのか?」
「神になるだと……」と唸りながらも剣を引こうとするが、万力で固定されたかのようにピクリとも動かない。
「さて、この窮屈なところから出してもらおうか」と言って、炎の剣を掴んだまま魔法陣からゆっくりと出てきた。
「なぜ出ることができる!」
サウルが叫ぶ。彼の常識では召喚用の魔法陣から出るためには召喚者の合意が必要で、その召喚者であるサウルはそれを認めていないためだ。
「何度も言わせるな。お前程度の力で我を縛れると思うな」
「くそっ!」と吐き捨て、サウルは剣を離した。そして、翼を広げ、その場から脱出しようとした。
しかし、三体の大魔がそれを阻む。大魔はサウルに取り付き、強引に地面に這い蹲らせた。
魔法陣から出てきた魔将は「大事な寄り代だ。丁寧に扱え」と大魔に言い、
「さて、一応、礼を言っておこう。我をこの世界に招待してくれたことにな」
「貴様は何をするつもりなのだ!」
「お前が知る必要はないが、一応関係者になるのだから教えてやろう」
「関係者だと!」
「お前は我らの神の寄り代。我らの世界を統べる神を召喚するための器となるのだよ」
「神の寄り代……邪神の寄り代になどならん!」
「お前に選択権はないのだ。まあよい。我らの神の力を得て、この世界の神を駆逐する。そして、我が神となるのだ。その一端を担う栄誉をそなたに与えてやる。感謝しろよ。ククク……」
そこでサウルの首筋に手を当てた。サウルは一度ビクンと痙攣した後、意識を失った。
「まだ、我らの計画を知られるわけにはいかぬ。この場の始末をせねば、妖魔どもを集めておけ……」
大魔たちは「承りました。我が君よ」と片膝をついて了承する。
魔将を召喚する際に八角形に配置された妖魔はすべて息絶えていた。更に魔晶石のネックレスは完全に消えており、痕跡すら残っていない。
大魔たちに妖魔を集めるように指示を出した後、自らは魔法陣を消滅させた。更に魔法陣があった場所に穴を掘り、「ここに放り込め」と命じた。
大魔たちは妖魔の死体を次々と穴に放り込んでいく。すべての妖魔が穴に入れられた後、魔将は火山の魔法のような魔法を使い、それを焼いていく。
三十分ほど焼いた後、大魔たちに岩で蓋をするよう命じた。
「お前たちでも岩を動かす程度のことはできよう。そこに蓋をしておけ」
大魔たちは魔法を使い、巨大な岩を運んでいく。その魔法はこの世界ではあまり見ない重力系の魔法だった。
「この世界の魔法体系も何となく分かったな。さて、この場を離れるぞ」
そう言うと美しい夜空に舞い上がっていった。その後ろにはサウルを抱えた大魔が付き従う。
一時間後、アクィラ山脈の山中にある古代遺跡にたどり着いた。
「神の啓示にあった通りだな。この場には負の力が多く渦巻いている。この力に更なる生の力を加えれば……」
その古代遺跡はザカライアスがキトリー・エルバイン教授と調査した遺跡に近いものだった。古代文明の生き残りが神々によって封印され、怨念となって淀んでいたのだ。
「力ある者たちを生かしたまま集めよ。この者たちの贄とし、我らの神に捧げる力を蓄えさせるのだ」
大魔たちはリッカデールやペリクリトル周辺に飛び、不運な冒険者パーティを拉致していく。
そして、拉致した冒険者たちを古代遺跡に巣食う怨念たちに与え、怨念は徐々に力を付けていった。
その力がアクィラにいる魔物たちに影響を与えた。
力ある竜や巨人のような魔物は自らを脅かす存在を察知して殺気立ち、それより弱い魔物は生存本能に従い、距離を取ろうと縄張りを捨て麓に下りていく。その魔物たちに縄張りを奪われた魔物は更に山を下っていく。その連鎖が魔物の異常な活性化を招く。
九月になり、冒険者ギルドの大規模な討伐と調査により、魔将は方針を変えた。
「忌々しいが、今この場を見つけられることは不味い。お前たちも気取られぬように慎重に行動せよ」
その方針転換の前に大魔の存在は発覚していたが、魔将に気づく術はなかった。
大魔たちはリッカデールやペリクリトル周辺での行動を諦め、北方のラクス王国周辺での行動に切り替えた。
また、今回のように大規模な討伐隊が組織されぬよう一箇所で拉致するのは一パーティに限定し、単なる遭難に見せかけた。それにより、ラクス王国では大きな問題になることはなかったが、必要な者を確保し、輸送するのに三ヶ月という時間を要していた。
しかし、魔将に焦りはなかった。彼らに寿命はなく、時間を掛ける必要があれば、百年単位でも待てるためだ。
「時間は掛かったが準備はできたようだな」
十二月の末、魔将は彼らの神を召喚する儀式を行った。
直径十メルトはある巨大な魔法陣の中心に虚ろな表情のサウルが座っている。
「さて宴の始まりだ!」
魔将は古代遺跡の扉を開いた。
溜まりに溜まった怨念が膨大な魔力となって魔法陣に注ぎ込まれていく。魔法陣はどす黒い霧に包まれていった。
注ぎ込まれる力は大地を揺るがした。アクィラの山ではその影響を受け、何箇所も崖崩れが起きている。
一時間ほどで魔力の供給が途絶えた。そして、魔法陣に掛かっていた霧がゆっくりと消えていった。
サウルは虚ろな表情のまま座っている。しかし、それまでとは異なり、膨大な力を体から放出していた。
「我が君よ」と語りかけるが、サウルだった者は反応しない。
もう一度呼びかけるとゆっくりと魔将に視線を向ける。
「神よ。我に力を与えたまえ」
その言葉にサウルだった者がゆっくりと近づいていく。
魔将は歓喜に打ち震えながら片膝をついてそれを待った。しかし、魔将の表情が徐々に強張り始める。
「あなたは……いや、お前は何者だ! 我らの神ではない! 貴様は……」
「我は虚無神」と虚ろな目のまま答え、更に近づいていった。
「ヴァニタスだと! たばかったのか!」
「たばかった? 我は我を顕現させるために願ったに過ぎぬ」
感情が一切抜け落ちたヴァニタスの言葉に魔将は苛立つが、この場にいる危険を感じ逃げようとした。
しかし、翼を広げるものの、揚力を発生させることができず、その場から後ずさることしかできなかった。
彼の後ろにいた大魔も恐怖に目を見開いており、硬直したまま震えていた。
「我の眷属となれ。そなたに名を与えよう……」
「待て! やめろ!」
魔将は神に名を与えられることで取り込まれることを恐れた。しかし、ヴァニタスはそれに構うことなく、名を与える。
「そなたの名はアシュタル。魔将アシュタル。混沌にして虚無。その具現者となれ」
その言葉と共に魔将は表情を失った。
そして、片膝をつき、「臣アシュタルにご命令を」といって頭を下げた。
ヴァニタスは二重の罠を仕掛けていた。
一つ目はサウルに力を与え、魔将を召喚させる。そして、魔将に対しては、この世界を与えるという甘言をもって、彼らの神を召喚するように誘導した。
しかし、この世界に別の世界の神を召喚させることは禁じられており、その召喚に使った力を自らに流れてくるように細工をする。
その結果、ヴァニタスは世界に降臨することができた。
しかし、代償がなかったわけではない。
このような強引な方法は天の神ら十一柱の神々との力の均衡を崩すことになり、相手にも力の行使を許すことになる。
ヴァニタスはその代償を負ってまで勝負に出た。それは合理的な判断に基づくものであったが、その後の戦いに大きな影響を与えることになる……。
新年早々重い話でした(笑)。
今年中に何とか完結に持っていく所存ですので、本年もよろしくお願いします。




