第三十三話「ヴィクトリアの思惑:前篇」
三人称です。
一月二十九日。
午前十一時頃、ダン・ジェークスは主家の三男セオフィラス・ロックハートとラドフォード子爵夫人ヴィクトリアと共に、商業地区に近いカフェテラスにいた。
隣にいるセオは自分の母と同世代の女性であることから全く意識していないが、ダンは二十代後半にしか見えない妖艶な美女ということで必要以上に意識している。
彼は自分がなぜ子爵夫人と一緒にいるのか未だに理解できていない。また、ラスモア村やドクトゥスでは見たことがない、オープンカフェのようなおしゃれな飲食店で、妖艶な女性と食事を摂ることに緊張していた。
(セオ様と一緒だからまだいいけど、どうして僕がヴィクトリア様とこんな店にいるんだろう……)
この街の有名人であるヴィクトリアには人々の視線が集中していたが、彼女は意に介すことなく、二人に話し掛ける。
「少し早いけれどランチにしましょうか。セオ君、ダン君。何か食べたいものはあるかしら?」
二人は顔を見合わせ、同時に首を横に振る。
「では私が選んだものでよいかしら」
二人が承諾すると、ヴィクトリアはウェイターを呼び、手馴れた感じでメニューから選んでいく。ウェイターが恭しい態度で注文を受けて下がっていくと、すぐにヴィクトリアとダンに赤ワインが、セオにハーブティが出される。
ヴィクトリアは「乾杯」と言ってゴブレットを掲げ、それに二人も唱和する。
一口ワインを飲んだ後、彼女はテーブルに両肘を突く感じで顔を近づける。子爵夫人らしからぬ仕草に二人が驚いていると、彼女はニコリと笑う。
「私が二人をここに連れ出したのはなぜって思っているでしょ?」
ダンはどう答えていいのか悩むが、セオは素直に頷いていた。
「二人に聞きたいことがあるの。ザカライアス卿のことで」
ダンは何を聞かれるのかと身構えるが、セオは「ザック兄様のことですか? 構いませんが」と警戒心を持つことはなかった。
「大したことじゃないの。ザカライアス卿がこれからどうしたいかを知りたいの」
「兄様がどうしたいかですか? 多分、お酒を作りたいのだと思いますけど、ダンは聞いている?」
セオに話を振られたダンはヴィクトリアの目的が分からず警戒する。
「村の生活をもっと良くしたいと、いつもおっしゃっておられます。それから、ドワーフの鍛冶師方を招いてのお祭の準備などをやられるとも」
ルナのことを話すわけにもいかず、ザカライアスが言いそうなことを咄嗟に口にした。
「そうだね。確かに兄様はそんなことを言っていましたよ。確か、丘に穴を掘ってビールの貯蔵庫を作るとかって。そうだよね、ダン」
セオが自分の言葉に乗ってきたことに安堵するが、何事もなかったかのように即座に頷く。
「はい。夏場にビールを運ぶと傷むので、それを防ぐために、涼しい時期に受け入れ、保管するための地下室を作るとおっしゃっておられました。既に館ヶ丘に一つ作っておられます」
その会話をヴィクトリアは怪しげな笑みを浮かべて聞いていた。
「率直に言うわ。私が聞きたいのは、どうしてザカライアス卿がシーウェルに来ないのかということなの。侯爵様が提示した条件は破格だったはずよ。特にザカライアス卿にとってはね。それなのに断られたと聞いて驚いているの。でも、どうしても来てもらいたいから、どんな条件を付ければいいかを教えてほしいのよ」
ダンは即座に準備していた答えを口にする。
「ザック様、いえ、ザカライアス様はラスモア村の蒸留所を愛しておられます。あの蒸留所がある限り、他の土地に行くことは考えられないかと思います」
ヴィクトリアは「でも、それはおかしいわよね」といい、探るような目を向ける。
「五年間もドクトゥスに留学していたのよ。それなら、数年間シーウェルに来ることもできるはず。そうでなくて?」
その厳しい質問にダンは答えに窮する。
(シャロンなら簡単に答えられるんだろうけど、僕には無理だ……だから、僕からだけ聞き出そうとしているのか……)
ダンの苦悩を他所に、セオはヴィクトリアの思惑とは関係なく、無邪気に答えていく。
「ザック兄様は村を住みやすく安全にするために魔法を覚えに行ったんですよ。村の防壁は兄様がお一人で作ったんですけど、シーウェル侯爵様も凄いものだと褒めてくださったんです。それに覚えることはもうないって兄様は言っていましたよ」
ダンはセオのファインプレーに心の中で喝采するが、すぐにフォローを入れる。
「セオフィラス様のおっしゃる通りです。ザカライアス様は魔術学院の教授にならないかと誘われるほど魔法を極められました。これからはやりたいことをやるのだと常々おっしゃっておられます」
ヴィクトリアは「そうなの」と言うが、未だに納得した様子はない。更に質問しようとした時、頼んであった料理が出てきた。
「今日は鶏肉のクリーム煮と茸のソテーでございます」
大振りの鶏肉がやや黄色み掛かった白いソースと絡んでいる。もう一皿は三種類の茸をニンニクとベーコンで炒めたもので、食欲をそそる香りが鼻をくすぐる。更にくるみ入りのパンが置かれる。
「冷めないうちにいただきましょう」
食事が始まるが、ダンはヴィクトリアを警戒し、楽しむような余裕はなかった。特にワインには気を付けるようにし、数度口をつけるだけでほとんど飲んでいない。
「あら、白ワインの方が良かったかしら? どちらもこの新酒の赤に合うと思うのだけど」
「充分に美味しいと思いますが、今日は私しか護衛がいません。セオフィラス様に何かあっては困りますので、自重しています」
ヴィクトリアの視線を受け、咄嗟にそう答えるが、その間にも彼女の目的について考えていた。
(ラドフォード子爵様の奥方だから味方のはず。本当にザック様に来てほしいだけなんだろうか? もしかしたら、ザック様がおっしゃっていた“絡め手”という奴かもしれない……)
彼はザカライアスが以前言っていたことを思い出していた。アンデッドの大軍を退けた後、ザカライアスから「当分は力押しじゃなくて絡め手を警戒しておけばいいな」と聞いていた。
それは神々の敵といえども、この世界に干渉するには一定の制限があるという考えで、謀略や陰謀によってルナを狙ってくる可能性を示唆していたのだ。
「どうも、このワインはお気に召さないようね。なら、取って置きのものを振る舞ってあげるわ」
「いいえ、護衛が……」と断ろうとするが、すぐに「護衛の必要はないでしょ。セオ君もその辺の騎士より戦えると聞いているわ」と言って聞こうとしない。
セオは高い評価に顔を赤らめながらも無邪気に同意する。
「ヴィクトリア様のおっしゃる通りだよ、ダン」
ヴィクトリアがウェイターを呼ぶと、すぐに現れる。
「何かご用でしょうか?」
「夫が取り置いているワインがあったはずよ。それをお願いするわ」
ウェイターは「かしこまりました」と言って下がり、すぐにワインのボトルを持って戻ってきた。
「長期熟成ワインでございます。あと二本になりますが、よろしいでしょうか」
「ええ、構わないわ。グラスもあったわね」
ウェイターが一旦下がると、ボトルを見ながら、「ザカライアス卿から頂いたものよ。十年物に相当すると聞いているわ」と説明する。
「よろしいのですか? 私はザカライアス様がお持ちのものを飲むことができますが、ここでは貴重なものでは?」
彼の言う通り、ベアトリスのお気に入りのワインであるため、彼自身は割と頻繁に飲んでいる。しかし、ラドフォード子爵には二十本ほどしか渡していないと聞いており、そのうちの一本を自分たちが飲んでいいのか気になった。
「構わないわ。ザカライアス卿に来てもらえるなら、夫も必要経費として認めてくれるはず」
ヴィクトリアの目的がザカライアスの勧誘のための情報収集だと確信するものの、相手は神々の敵であり侮れないと気合を入れ直す。
(ザック様を勧誘するために僕から情報を得ようとしているだけみたいだけど、相手が相手だからな。ザック様を村から引き離すためにヴィクトリア様を洗脳している可能性だって否定できないんだ。それにルナの秘密が漏れないようにしないといけないし……)
ウェイターは若干手を震わせながらコルクを抜き、慎重にグラスに注ぐ。彼はラドフォード子爵から貴重なワインであると言われており、それで緊張しているのだ。
ウェイターはグラスを置くと、心の中で安堵の息を吐きながら下がっていった。
「では改めていただきましょうか。この料理との組み合わせは夫も美味しいと言っているの。もちろん、私も大好きよ」
そう言って微笑みながらウインクをする。それに気づいたダンの顔が赤くなる。
「やっぱり美味しい。特に茸のソテーには本当によく合うわ……」
料理とワインに恍惚とした表情になる。その表情を見て、ダンは追及の手が緩んだと安堵した。しかし、すぐにヴィクトリアの追及が始まった。
「私は別の理由でザカライアス卿がラスモア村を離れたがらないと思っているの」
「どうしてでしょうか? ザカライアス様は村を本当に愛しているんですよ。学院に行く時も本当は行きたくないとおっしゃられたんです。僕ははっきりと覚えています」
「その言葉に嘘はないと思うわ。でも不自然なのよ。昨日の醸造所と貯蔵庫の視察で私は確信したの。本当はここに来てワイン造りもやりたいのだって。そうでなければ、あれだけのアイデアは出てこないわ」
ダンも同じことを思っていた。
(ザック様はシーウェルワインが好きだし、それ以上に今の状態がもったいないと思っておられる。自分ならもっと美味しくできるのにとも……それにブランデーのこともある。前に聞いたことだけど、村で作る量は少なすぎてやりたいことができないって。ここなら蒸留する量は村の何十倍にもなるから、やりたいことが全部できる。だから……)
ダンが沈黙していると、セオが「そうですよね」と頷いた。
「兄様はベアトリス姉様のお気に入りのシーウェルワインが大好きなんですよ。ベアトリス姉様のためにいろいろと工夫もされていましたし、一から作ったら楽しいだろうなっておっしゃっていましたね」
その言葉にヴィクトリアは「そうなの!」と声を上げる。ダンは慌てて、
「で、でも、ザック様はもう少し落ち着いてからだともおっしゃっていました。そうですよね、セオ様?」
慌てていたため、愛称で呼んでしまったが、彼はそのことに気づいていなかった。
「うん、確かにそう言っていたね」とセオが頷く。
ヴィクトリアはそのやり取りを見て、これ以上無理に聞き出そうとしても心証が悪くなるだけだと諦める。
「分かったわ。ダン君のガードが固すぎて聞き出せないってことが。だから、この話はもうしないわ。あとは料理とワインを楽しみましょ」
彼女の宣言通り、その後はザカライアスの勧誘に関する話題は一切出なかった。その代わりに二人の恋の話を聞きだそうとする。
「ダン君は何となく分かるけど、セオ君は好きな子とかいるの? ヴィクトリアおばさんに教えてくれないかしら」
セオは真っ赤になって黙ってしまう。ヴィクトリアはニヤリと笑い、「どうやらいるみたいね」と言うと、
「どんな子なの? 村にいる子? ダン君は知っている?」
ダンはセオが自分の妹であるユニスに気があることを知っていたが、「僕には分かりません」と答えた。
ヴィクトリアは「ふーん」と言うと、笑みを消し真剣な表情になる。
「ここからは真面目な話よ」
その表情の変化にダンは驚き、セオはどうしていいのか分からず目が泳ぐ。
「この先、帝都に行ったら、こんな話がいろんなところで出るはずよ。どこかの貴族の園遊会とか、晩餐会とか。その時にどう答えるか考えておきなさい」
セオは彼女の目的が分からず、更に困惑し、涙目になる。
「どういうことですか?」
「あなたは巨人殺しの英雄ロドリック卿、稀代の天才ザカライアス卿の弟なの。そして、あなた自身も素晴らしい剣術の才能を持っているわ。それより重要なことはロックハートの名を持つ男子であるということなの。それも唯一独身の。それがどういうことか分かる?」
セオは「いいえ」と言って首を横に振る。
「ダン君には分かるわよね」
ダンは小さく頷き、「はい」と答える。
「ロドリック様、ザカライアス様はご結婚されていますが、セオフィラス様には婚約者もいません。ロックハート家と関係を持ちたい方々はセオフィラス様のお見合いを口実に近づいてくるのではないかと思います」
ヴィクトリアは「ご名答」と言って一瞬笑みを浮かべるが、すぐに真剣な表情に戻す。
「帝都の貴族を甘く見てはいけない。自分の娘を餌にあなたを引きこもうとするくらいならかわいいほうよ。どこかの令嬢と二人っきりになっただけで、“傷ものにされた”なんて言われかねないの。だから充分気をつけて。園遊会では誰かと常に一緒にいなさい。できればセラさんがいいわ。彼女も狙われているのだから」
セオは困惑し、ダンを見る。
「ヴィクトリア様のおっしゃる通りです。後でザック様に相談しましょう。ザック様なら一番いい方法を教えてくださります」
「そうだね。ザック兄様に話すよ」
セオは敬愛する兄に相談すればすべてが解決すると安堵の表情を浮かべた。
しかし、ヴィクトリアは表情を緩めず、ダンに警告する。
「セオ君もそうだけど、あなたも気をつけるのよ」
その言葉にダンは困惑した。




