第三十二話「シーウェルワイン販売戦略:後篇」
前半は一人称、後半は三人称です。
一月二十九日。
ワインの品質向上策と販売戦略について、クレメント・シーウェル侯爵、イグネイシャス・ラドフォード子爵、そしてレドリー・サザーランド、バーナード・ダルントンら主要な文官五名と協議を行っている。
ブランド化の話が終わり、次に販売・宣伝戦略について説明を始めた。
「ここシーウェルは美食の街、ワインの街として知られていますが、訪れたことがない人々にとってはイメージしにくいのではないかと思います。そこでワイン祭と銘打ったイベントを行い、この街を見てもらうのです……」
俺の提案はワインの出荷を祝う祭を行い、観光客を呼び込むというものだ。
「その際にワインを多くの人に飲んでもらい、評価してもらいます。そして、最も評価が高かったワインをその年のワインとして帝国中に宣伝するのです。これが定着すれば、シーウェルは更にワインの街として名を馳せることでしょう」
俺の提案に対し、シーウェル侯が「面白い!」と賛同の声を上げる。しかし、同時に懸念も示した。
「だが、我々にはそのようなイベントを行うノウハウがない。精々、街や村の者たちが行う収穫祭や夏至祭程度しかやっておらんからな」
確かに大規模なイベントをいきなりやれと言われても、言われた方は戸惑うだけだ。
「慣れるまでは鍛冶師ギルドの職員を派遣してもらうという方法もあります。もちろん何人かの親方たちを招待することになるでしょうが、ギルド職員の力が借りられるなら必ず成功します」
鍛冶師ギルドの職員の仕事ではないが、酒絡みの、そして俺が依頼したイベントの企画であれば協力してくれるだろう。そして、あのギルド職員たちなら、千人規模のイベントであっても準備期間さえ与えれば、充分にこなせるはずだ。
「確かにそうだが、それは君に期待してもいいのだろうか。もちろん、私も依頼には行くつもりだが」
ラドフォード子爵の言葉に「はい、お手伝いさせていただきます」と答える。
俺の横にいたリディが肘で俺の脇腹を突き、「大丈夫なの。この街でドワーフフェスティバルは無理よ」と小声で言ってきた。その言葉がサザーランドに聞こえたのか、「ドワーフフェスティバル……」と絶句している。
「大丈夫だ。プリムスとエザリントンの支部に頼むだけだし、ここには蒸留酒がないからな。ワインだけなら百人も集まらないと思う」
「でも、この先、ここでもブランデーを造るんでしょ。だとしたら、帝国中の……いいえ、カウム王国も近いからアルスからも来るんじゃないの。本当に大丈夫なの?」
確かにその可能性は考えていなかった。
「大丈夫だと思う。まあ、将来ブランデーの聖地と呼ばれることになれば別だろうが、二十年や三十年は大丈夫だ。その頃にはここの人たちも慣れているはずさ。多分……」
聖地ラスモア村とシーウェルではドワーフたちが持つ印象が違いすぎるため、大混乱になるようなことはないと思っている。
俺たちの会話にラドフォード子爵が苦笑を漏らしていた。
「確かに君がいるラスモア村に追いつくにはそのくらいの期間は掛かるかもしれんが、我々はもっと早くシーウェルブランデーを成功させるつもりだ。まあ、それでドワーフたちが溢れ返るというのは困るのだがな」
俺は言い方を間違えたと少しだけ後悔した。
一般的にブランデーはウイスキーより熟成期間が長い。もちろん、スコッチでも三十年以上の熟成したものはいくらでもあるが、高級ブランデーは三十年以上熟成させているイメージが強い。
「まだ熟成期間が短いので何とも言えませんが、ブランデーはスコッチに比べて更に長い熟成期間が必要だと考えています。先日、エザリントン公爵閣下に献上したブランデーは八年物ですが、八年物のスコッチに比べて荒々しさが強い気がします。私としては今の倍、十五年以上は寝かせるべきだと考えているのです」
俺の言葉が意外だったのか、子爵が首を傾げる。
「私にはそれほど差があるように感じなかったが。舌を焼く感じはどちらも同じで、ブドウの香りがある分、ブランデーの方が飲みやすいとすら思ったのだが?」
確かに今のものしか飲んだことがなければ分からないだろう。だが、そのことを言うわけにはいかず、どう説明したらよいか悩む。
「ブランデーはワイン用の大きな樽で寝かせています。熟成がゆっくり進むようにするためですが、これは樽の香りを付けすぎないためなのです。この辺りの工夫は蒸留所ごとに行えばよいと思いますが、私としては麦が原料のスコッチには樽の香りが強くともよいですが、ワインの芳醇な香りを残すブランデーはワインと同じように樽の香りを付けすぎないほうがよいと思っています」
「なるほど。確かに樽の香りが強すぎるワインは個性が強すぎる。美味いものもないではないが、ワインの十倍以上の時間を樽の中に入れておくブランデーではその辺りの工夫も必要ということか……だから、二十年、三十年と時間が掛かるということなのだな。なるほど……」
俺の苦しい説明に子爵は納得してくれた。
「イベントの話に戻しますが、ワイン祭はこの街で行うとして、他にも販売戦略上重要な催しがあります」
「それは何かね?」とシーウェル侯が尋ねてきた。
「消費地での試飲会です」
「試飲会? 試し飲みをさせるイベントということかな。確かに有効な手ではあるな」
「はい。飲んだことがないものにいきなり手は出しにくいものです。今までシーウェルワインを飲んだことがない庶民に有料で少量ずつ提供するのです。また、貴族や商人に対しては高級ワインを無料で試飲してもらう機会を作るのです」
俺の説明に侯爵が首を傾げる。
「また分からぬことが出てきたのだが、庶民は有料で、貴族は無料なのには何か意図があるのかな。私ならどちらも無料にするか、有料にするかだと思うのだが。イグネイシャス、お前には理由が分かるか?」
「私にも分かりません」とラドフォード子爵が首を横に振る。
「理由はこれが販売戦略の一環だからです」
全員が俺の意図を理解していないようで首を傾げている。
「庶民に対して無料で試飲をさせれば、ワインに興味がないものまで飲みに来るでしょう。在庫が大量にあり市場を無限に拡大できるなら、それもよいのですが、現状では供給量はさほど多くありません。ならば、金を払ってでも飲みたいと思う者、すなわち、買いたいと思っている者に試飲させるべきであり、その線引きのために有料にするのです」
侯爵は未だに納得していないのか、更に疑問を口にする。
「うむ。そこは分かったが、貴族や商人に対して無料という点はそれでは説明にならんが」
「これも販売戦略のためです。貴族や商人は元々シーウェルワインの購買層です。そして、我々が狙っているのは今後発売する最高級ワインの販路の開拓です。私としては贈答用にシーウェルワインを選んでもらいたいと思っています。そのためには多くの方々に飲んでもらい、その味を購買層に宣伝してもらうことが最も効果的だと思います。宣伝費として多少のコストは掛かりますが、それは高級ワインの販売価格に上乗せしておけばよいだけの話なので、損をすることはありません」
「なるほど。ワインの話で盛り上がるよう、より多くの者に飲んでもらうわけか。共通の話題となるような贈答品ならコネクション作りに使えると……」
シーウェル侯は即座に俺の意図を理解した。さすがは優秀な政治家だと感心する。
その後、取引業者の免許制や偽物対策、更にはワインの搾りかすを食べさせた牛のブランド化などについて話し合った。
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ザカライアスたちが去った後、残されたシーウェル侯爵らは更に協議を行った。
「ザカライアスの提案はすべて採用すべきだろう。あれほど具体的な提案なのだ。時間があれば更に詳細を語ってくれるはずだ」
その言葉にラドフォード子爵が大きく頷く。
「確かにそうですな。ザカライアス殿の頭の中には明確なビジョンがあるのでしょう。それをどこまで聞きだし、我々が行えるようにするかが、今回の肝になるかと」
二人の上司の言葉をダルントンはぼんやりと聞いていた。
(これがすべて私の仕事になるのか……蒸留所建設だけでも手に余るのだが……少なくとも十名程度は部下を付けてもらわねば……)
その間にも侯爵と子爵の話は進んでいた。
「彼がここにいるのはいつまでの予定だったかな」
「今のところ、二月七日に出発を予定しております。宰相閣下には二月十日中に到着することで了解を得ておりますので」
「では、あと七日間か。その間に蒸留所の建設予定地の確認をせねばならんな」
「その通りです。ですが、他にも可能な限り近隣の村を回るように依頼してはいかがでしょうか。今年贈るワインを自分で選んではどうかと提案すれば、彼なら話に乗ってくるでしょう。その上で各村の改善点を聞き出せれば、我らにとっては願ってもないことかと」
侯爵は「それがよいな」と頷くと、レドリー・サザーランドとダルントンに対して指示を出した。
「レドリーはワインの品質向上について早急に計画をまとめよ。法律の整備も視野に検討するのだ。バーナードは引き続きザカライアスと行動を共にせよ。蒸留所の建設だけでなく、各村の改善点について意見を聞きだすのだ」
二人は「「御意」」と言って頷くが、サザーランドが代表する形で陳情する。
「今の状態では手が足りません。文官の増員をお願いしたいのですが」
それに対し、ラドフォード子爵が答えた。
「確かにそうだな。御館様、これはシーウェル侯爵家にとって最重要課題です。担当部署を新設し、レドリーを責任者、バーナードをその補佐としてはいかがでしょうか」
「うむ。それが良かろう。予算は気にするな。新たな人員はすぐには手配できぬが、可能な限り各部門から融通する。イグネイシャス、手配を頼む」
シーウェル侯爵領は総人口三万人程度。ラドフォード子爵ら配下の貴族領も含めると、五万人規模になる。そのため、独立した下級貴族である子爵領などより行政機構もある程度整備されているが、それでも財務、民生、治安の各部門があるだけで、法的に整備されているものではない。
ちなみにラドフォード子爵はそのすべてを統括する家宰であり、サザーランド子爵家は代々財務を担当し、ダルントン家は民生を担当している。
書類仕事をする文官は思いのほか少なく、すべて合わせても百人程度しかいない。その文官たちもこういった計画の立案に携わった者はほとんどいない。そのため、掻き集めるといっても各部門の運営に支障がでないようにするには、少なくとも数日は掛かる。
「明後日までに人は掻き集めるが、それまではこの人員でやるしかない。済まぬがもうしばらくがんばってくれ」
ラドフォード子爵の言葉にサザーランドら文官たちはがっくりと肩を落とした。
「私はザカライアス殿と明日の視察の事前調整を行う。諸君らは明日中に今日の打合せ結果を取りまとめておいてくれ」
それだけいうと侯爵と共に、その場を去った。
残されたサザーランドは「明日中……」と呟き、
「素案を作るだけでも五、六十枚にはなる。それを明日中に……」
「やるしかないでしょう。やるしか」というダルントンの言葉で我に返る。
「そうだな。では、手分けして作業に掛かるぞ。バーナードは品質向上策の修正の指揮を執ってくれ。私は販売戦略について一度整理する……」
文官たちは一斉に書類と戦い始めた。
書類を手にしたダルントンは不意に隣国カウム王国のことを思い出した。
(そう言えば、カウムで蒸留酒の品質に関する法律ができたと聞いたな。あの国にも私たちのように酒神の申し子の洗礼を受けた者がいるんだな……)
彼は会ったこともない隣国の官僚に対し、言い知れぬ連帯感を抱いた。
試飲会はよく行きます。
行って話をすると、何となく分かった気になり、買って帰ることが多い気がします。
そして、家で飲もうとした時、何が分かったのか忘れていることが多いです。
カウム王国の官僚より、シーウェル侯爵家の文官のほうが恵まれていると思います。
向こうの上司は生かさず殺さず的に、ギリギリを攻めるタイプですので(笑)。




