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第8回 / 効率を捨てた救出劇



「――どこだ! 私の、私たちのカイトはどこにいる!!」


 鼓膜を震わせる怒号と共に、魔王軍の堅牢な要塞が「紙細工」のように弾け飛んだ。

 

 物理法則を無視した一撃。勇者アリスが放ったのは、単なる剣閃ではない。怒りによって増幅され、概念的な破壊力を纏った「暴力の塊」だった。

 

「アリス、落ち着きなさいと言っているでしょう。あなたの踏み込みが強すぎて、地殻変動が起きかけているわ。カイトが瓦礫に埋まったらどうするの?」

 

 冷静な口調で、しかし放つ魔力は要塞全体を凍りつかせているテッサが、影から這い出る。彼女の眼鏡はひび割れ、知的な表情は今や「獲物を絶対に逃さない猟犬」のそれへと変貌していた。

 

「……ああ、神よ。この醜悪な建物ごと、すべてを無に帰して差し上げましょう。カイト様の髪の毛一本にでも触れた不届き者は、わたくしが直々に冥府へ案内いたします」

 

 聖女セシルが微笑みながらロザリオを掲げると、空から慈愛の光――ではなく、標的を自動追尾して消滅させる光の雨が降り注いだ。

 

 魔王軍の幹部たちは戦慄していた。

 最強の勇者パーティが、戦略も交渉もなく、ただの「激情」のみで本拠地を蹂躙している。そんな光景、前代未聞だった。

 

「カイト……っ!」

 

 一番奥の牢獄。黒鏡の鎖に繋がれた俺のもとに、三人が同時に雪崩れ込んできた。

 

「あ……アリス様、皆さん……」

 

 俺は、鎖が食い込んで赤くなった手首を隠す余裕もなかった。

 まずアリスが俺の肩を強く抱き寄せた。その力は、これまでの「効率的な肉体接触」とは明らかに違う、恐怖すら感じるほどの必死さに満ちていた。

 

「無事か!? 怪我はないか!? どこか、どこか欠損してはいないだろうな!?」

 

「大丈夫です、ちょっと鎖が痛かったくらいで……。あ、テッサさん、セシルさんも」

 

 テッサは俺の手首の傷を凝視し、小刻みに震える指先でそれに触れた。

 セシルは、俺の頬についた薄い切り傷を見て、般若のような形相で背後の魔族の死骸を睨みつけている。

 

「……カイト、これは、どういうことかしら。私の、最高機密であるあなたの体に……傷がついているわ。これでは、魔力伝導率に誤差が出る。……いいえ、そんなことはどうでもいいわ。……許せない。この世界のすべてを焼き尽くしても、この傷の代償には足りないわ」

 

「テッサさん、目が、目が本気すぎて怖いです……」

 

「カイト様、今すぐ癒やしますわ。……ああ、かわいそうなカイト様。わたくしたちがついていながら、このような……。これは、わたくしたちに対する『効率』の低下を招く重大な過失です。ええ、そうです。ですから……」

 

 セシルは俺を抱きしめながら、自分に言い聞かせるように呟いた。

 

「これは、世界を救うための『効率』を維持するために……必要な救出劇だったのです。わたくしたちは、損得勘定で動いたに過ぎません。……そうですよね、アリス、テッサ?」

 

 その言葉に、二人は一瞬、視線を彷徨わせた。

 

「……あ、ああ。当然だ。カイトが、その、充電器がいなければ、私の修行スケジュールが大幅に遅れる。だから、一刻も早く取り戻す必要があった。……それだけだ。他意はない」

 

 アリスが、顔を真っ赤にしながら俺の胸に顔を埋める。

 

「ええ、私の禁忌魔法の演算も、カイトの魔力なしでは不可能。……だから、救出コストを度外視してでも、直接叩き潰すのが最も合理的だと判断しただけよ。……あなたの心配なんて、一ミリもしてないわ」

 

 テッサが、震える声で早口にまくしたてる。

 

「……嘘ばっかり」

 

 俺は、思わず漏らしてしまった。

 

「……え?」

 

「だったら、なんでそんなに震えてるんですか。なんでアリス様は、俺を抱きしめる時にこんなに力が入ってるんですか。テッサさんの眼鏡、割れてるじゃないですか。セシルさん、さっきから聖典を逆さまに持ってますよ」

 

 俺の指摘に、三人は同時に凍りついた。

 

「効率のためなら、魔王軍の罠を警戒して、もっと慎重に来るはずだ。……でも、皆さんは全部無視して突っ込んできた。……俺のために、めちゃくちゃなことをした」

 

「それは……っ! 先ほども言った通り、貴様は、その、大事な……『道具』だから……」

 

「道具が壊れたら替えが効かないから……!」

 

「……カイト、いい加減になさい。……早く、その、立ちなさい。ここから離脱するわよ。そして、安全な場所で……すぐに『清算』を行うわ。……奪われた時間の分、たっぷりとね」

 

 テッサが俺の腕を掴み、無理やり立たせようとする。

 いつもの「業務命令」の口調。だが、その瞳には焦りと、俺を繋ぎ止めようとする強迫的な独占欲が渦巻いている。

 

「……嫌です」

 

 俺は、初めて彼女たちの手を振り払った。

 

「……なっ!?」

 

 アリスが、裏返った声を出す。テッサは目を見開き、セシルは絶望したように口元を押さえた。

 

「カイト……? 何を、何を言っているの? 拒絶……? この私が、あなたをリチャージしてあげると言っているのに?」

 

「もう、道具扱いされるのは嫌なんです。効率のためとか、世界のためとか、そんな理由で抱かれるのは、もう御免だ。……皆さんが俺を『人間』として見てくれないなら、俺、もう二度とあの『部屋』には入りません」

 

 俺の宣言に、その場の空気が凍りついた。

 

「カイト……貴様、自分が何を言っているのかわかっているのか!? 私たちが、どれほど貴様を……その、必要としているか!」

 

「必要としているのは俺じゃなくて、俺の『スキル』でしょう。……だったら、魔王軍にでも使ってもらいますよ。俺は道具なんだから、誰が使っても同じだ」

 

「……っ!!」

 

 アリスが、激昂したように俺の胸ぐらを掴んだ。

 

「ふざけるな! 貴様を魔族の汚らわしい手に渡すなど、この私が、死んでも許さん!! 貴様は私の……っ、私の……!!」

 

「私の、何ですか?」

 

 俺が静かに問いかけると、アリスは言葉を詰まらせ、そのまま俺の肩に額を預けて泣き出した。

 

「……わからない。……わからないんだ、カイト。……ただ、貴様がいなくなった時、私の心に、魔王の呪いよりも鋭い穴が空いたんだ。……修行なんてどうでもいい、世界なんて滅んでもいい、ただ貴様の顔が見たいと、それだけを思ってここまで来たんだ……!」

 

 アリスの告白。

 それは、これまで「効率」という鎧で固めていた彼女たちの心が、初めて剥き出しになった瞬間だった。

 

 テッサも、セシルも、もはや反論する言葉を持っていなかった。

 

「……わかったわ、カイト。……私たちの負けよ。……あなたの言う通り、私たちは、あなたを『部品』として扱うことで、自分の弱さから逃げていたのかもしれないわ」

 

 テッサが、力なく眼鏡を外した。

 

「……ですが、カイト様。わたくしたちには、もうあなたなしの人生など考えられませんの。……どうか、わたくしたちを見捨てないでください。……おねがいです」

 

 セシルが、膝をついて俺の手を握る。

 

 その光景は、外から見れば「世界を救った英雄たちが、しがない少年に許しを乞う」という異常なものだった。

 

 だが、俺の心はまだ晴れなかった。

 

「……わかりました。でも、条件があります。……俺、しばらく『ストライキ』します。……あの部屋には、誰とも入りません」

 

「なっ……!? それは困るわ! 私の魔法回路が!」

 

「困るなら、一回、ちゃんと『人間』として、俺と向き合ってください。……修行でも、効率でもない、ただの男と女として」

 

 カイト、まさかの「愛の密室」閉鎖宣言。

 

 最強の力を手に入れたヒロインたちが、初めて「普通の恋」という、世界で最も非効率な戦いに身を投じることになる。


 

次回、カイトのストライキ勃発。

 あの無機質だった密室が、カイトの意志によって「別の姿」へと変貌し始める――。

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