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第6回 / 最強のその先にある空虚



「――目標確認。全一万二千。排除に要する時間、推定四秒」


 その声に、かつての凛とした少女の響きはなかった。

 無機質で、冷徹で、まるで精密に調整された機械がログを出力しているかのような、平坦な音。


 王都の防衛線を埋め尽くす魔王軍の軍勢を前に、アリス・フォン・マグナはただ一人、悠然と立っていた。

 

 一秒前、俺が『愛の密室』の封印を解き、彼女を外の世界へと呼び出した。

 外の時間では一瞬。だが、彼女が「置き去り」にされたあの部屋の中で過ごした主観時間は――おそらく、十年を超えている。


「あ、アリス様……? その、だいぶ雰囲気が変わったというか、何というか……」


 俺――カイトは、背後に控える国王や兵士たちと共に、戦慄していた。

 目の前に立つ彼女の背中からは、もはやオーラなどという生易しいものではない、時空を歪ませるほどの質量を持った「圧」が放たれている。


 アリスは俺の問いかけに答えず、ただ静かに、腰に下げた鉄の剣に手をかけた。

 その剣は、俺があの部屋に差し入れた安物の支給品だったはずだ。だが今、彼女が触れた瞬間、その鉄塊は神々しいまでの白銀の光を放ち、概念そのものを切り裂く「究極の刃」へと昇華されていた。


「作戦開始。……ノイズを消去する」


 彼女が動いた。

 いや、動いたと認識できた人間は、その場に一人もいなかった。


 パチン、と。

 空気が爆ぜるような小さな音が一度だけ響く。


 次の瞬間、王都を埋め尽くしていた一万を超える魔物の首が、一斉に地面に落ちた。

 血飛沫すら遅れて噴き出すほどの、神速を超えた絶技。

 巨大なドラゴンも、鋼鉄の皮膚を持つオーガも、魔王軍の幹部までもが、自分が殺されたことすら気づかぬまま、一瞬で「物言わぬ肉塊」へと変わった。


 戦場に、静寂が訪れる。

 兵士たちの歓声すら上がらない。あまりにも圧倒的すぎて、それが「勝利」であると認識するのに、脳が追いつかなかったのだ。


 アリスは、血の一滴もついていない剣を鞘に収めると、感情の消えた瞳で、ゆっくりとこちらを振り返った。


「……排除、完了。誤差、零点零二秒。カイト、確認しろ」


「え、あ、はい。……すごい、ですね。アリス様、おめでとうございます! これで王都は救われました!」


 俺は精一杯の笑顔で、彼女の快挙を称えようとした。

 これほどの勝利だ。少しは喜んでくれるだろう、と。


 だが、アリスの反応は、俺の期待を無惨に打ち砕いた。


「おめでとう? ……なぜ、祝いの言葉が必要だ? これは単なる『処理』だ。最適な角度で剣を振り、最適な魔力配分で加速した。結果は計算通り。感情が動く余地など、どこにもない」


「え……でも、嬉しいとか、ほっとしたとか、そういうのは……」


「……嬉しい? ああ、そういえば、そんな感覚もあったな」


 アリスは、自分の白い手を見つめた。

 その瞳は、まるで分厚い仮面を被っているかのように、一切の光を反射しない。


「あの部屋に置き去りにされてから、最初の三年は、貴様を呪った。次の三年は、強くなることに没頭した。……そして、その次の三年が過ぎる頃には、私は『私』であることを忘れた。ただ、剣を振る、それだけの機能へと最適化されたのだ」


 彼女の言葉に、俺は血の気が引くのを感じた。

 

 置き去り機能。

 俺が楽をしたくて使ったあの機能が、彼女から「人間としての情緒」を奪い去ってしまったのだ。

 強くなりすぎた彼女にとって、この世界の戦いは、もはや赤子の手をひねるような退屈な作業でしかない。


「アリス様……ごめんなさい。俺、そんなつもりじゃ……」


「謝罪は無用だ。……それよりも、カイト。次の『ノルマ』を提示しろ」


「え?」


 アリスが一歩、俺に詰め寄る。

 その無機質な瞳が、至近距離で俺を射抜いた。


「魔力残量、低下。細胞の活性率、低下。……今の私を維持するには、貴様の『リチャージ』が必要だ。規定の供給量を算出しろ。……次は、三セットか? それとも、十セットか?」


「アリス様、今はまだ戦場ですよ!? みんな見てますし、少し休みましょう。お祝いに美味しいものでも食べて……」


「却下だ。食事は経口摂取よりも、貴様からの直接供給の方が吸収効率が良い。……早くしろ。次の魔王軍拠点を落とすためのスケジュールに遅れが出る。一分待った。……私の忍耐を、無駄な時間に浪費させるな」


 アリスの手が、俺の腕を掴む。

 その力は、優しさなど微塵も感じられない、冷徹な機械のアームのようだった。


 彼女にとって、俺との行為はもはや「愛」でも「欲」でもない。

 高性能な兵器を維持するための、ただの「注油」や「充電」と同じカテゴリーに分類されているのだ。


「カイト様……アリスの言う通りですわ。感情などという不確定な要素は、今のわたくしたちには不要なものです」


 いつの間にか、アリスの背後に聖女セシルと魔導師テッサも姿を現していた。

 二人とも、アリスと同様に「強くなりすぎた者の空虚」をその瞳に宿している。


「わたくしの写本は、すでに神の思考の八割をトレースしました。今のわたくしにとって、祈りとは出力の調整でしかありません。……カイト様、早く『部屋』を開けてください。わたくしの次の聖務が滞ってしまいますわ」


「私もよ、カイト。この世界の物理法則を書き換える術式、あと少しで完成するの。あなたのリチャージがあれば、三秒で終わるわ。……無駄な会話で私の脳のメモリを消費させないで」


 俺を囲む、最強の三美女。

 かつては高嶺の花と謳われた彼女たちが、今や感情を殺した「効率の怪物」として、俺に燃料補給を迫っている。


 俺が求めていた「イチャラブ」は、どこにもなかった。

 あるのは、最強という名の頂に立ち、そこから動けなくなった彼女たちの、あまりにも空虚な姿。


「……わかったよ。開けるよ、開ければいいんだろ……」


 俺は、諦めたようにスキルの発動を念じた。

 

 光が俺たちを包み、再びあの『愛の密室』へと誘う。

 豪華な絨毯も、温かい暖炉も、今の彼女たちにとっては「効率的に作業をこなすための背景」に過ぎない。


 俺は、無言でベッドに横たわるアリスの上に跨った。

 彼女は、まるでメンテナンスを受ける航空機のように、されるがままに目を閉じている。


「……アリス様。俺、いつか、またあなたと笑い合える日が来るんですかね」


「……笑う? その動作が戦術的に必要なら、後でプログラムに組み込んでおこう。……今は、早くしろ。……リチャージ、開始だ」


 俺は、彼女の冷たい唇に触れた。

 

 最強になった彼女たちが得たのは、世界を救う力。

 そして失ったのは、その世界を楽しむ心。

 

 俺は、自分のユニークスキルの残酷さに、今更ながら震えていた。

 

 ――だが、その「清算」の最中。


 外の世界では、壊滅した魔王軍の残党の一人が、戦場から遠く離れた影の中から、じっとこちらを観察していた。

 

 その目は、ただの魔物のものではない。

 狡猾な知性を湛えた、魔王直属の隠密工作員。


「……見つけたぞ。あの女たちの異常な強さ。その根源は、あの男にある」


 隠密は、鏡のような魔道具を取り出し、本陣にいる魔王へと通信を送る。


「魔王陛下。勇者パーティの急成長の謎が解けました。……動力源は、あの『部屋』を作る男です。彼さえ手に入れれば、あるいは彼を殺せば、あの無敵の兵器どもはただの殻に変わるでしょう」


『……ほう。ならば、全戦力を投入してでも、その男を奪え。あの部屋の力……我が魔王軍にこそ、相応しい』


 魔王の冷酷な声が、戦場に響く。

 

 カイトが、自らの腰のライフと精神を削りながら「清算」に励んでいるその裏で。

 魔王軍の魔の手が、確実に「最強の充電器」へと伸びようとしていた。


 次回、カイト拉致作戦決行。

 最強の女たちが、自分たちの「生命線」を奪われた時、初めて見せる本当の貌とは――。

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