第3回 / 天才は賢く、貪り喰う
「――計測完了。結論から言うわね。カイト、あなたは人類史上もっとも『コスパ』の良い暖房器具兼、充電器よ」
眼鏡の奥で、知性の象徴である青い瞳が冷徹に光った。
王立魔導学院始まって以来の天才、テッサ・オリ理導師は、俺の鼻先に分厚い魔導書を突きつけた。
ここは、勇者アリスが「最高のブラック合宿所」と定めた俺のユニークスキル『愛の密室』の中である。
だが、今の光景は合宿所というよりは、怪しげな研究所に近い。
「暖房器具……。テッサさん、一応確認ですけど、俺、人間なんです。あと今の行為は、世間一般では『秘め事』とか『情事』とか呼ばれる、もっとこう、情緒溢れるものだったはずなんですけど」
「情緒? そんな非論理的な変数は計算式を狂わせるだけよ。私が求めているのは、純粋な魔力供給の出力の向上、ただ一点のみ」
テッサはベッドの上で、はだけたローブも気にせず、羽ペンを猛烈な勢いで走らせている。
魔導書のページが、見る間に数式と魔法陣で埋まっていく。
アリスが俺を「トレーニングの合間のリフレッシュ作業」として扱ったのに対し、この天才魔導師はさらにひどかった。
彼女にとって、俺との行為は「高純度な魔力触媒を効率よく摂取するための化学実験」なのだ。
「カイト、先ほどの三セット目、四分十二秒付近でのピストン運動の加速度、あれは良かったわ。私の魔力回路に流入するエネルギーの密度が、平時の1.4倍に跳ね上がった。次からはあのリズムを基本単位にしてちょうだい」
「基本単位って……。俺の腰はメトロノームじゃないんですよ」
「なら、今日からメトロノームになりなさい。いい? 魔王軍の結界を破るための禁忌魔法『虚無の閃光』。これを完成させるには、通常なら三十年の歳月と、一国を滅ぼすほどの魔力が必要なの。でも、この部屋なら――」
テッサが眼鏡をクイと押し上げ、不敵に笑う。
「外の時間でたった一分。そしてカイト、あなたの『お代(魔力供給)』さえあれば、私は一週間でそれを書き換え、最適化できる」
彼女はベッドから飛び起きると、部屋の壁一面を黒板代わりに使い、びっしりと数式を書き込み始めた。
アリスが剣を振り、テッサが数式を書く。
俺の夢見ていた「秘密の愛の巣」は、今や「体育館」兼「研究所」へと完全変貌を遂げていた。
「……あの、テッサさん。アリス様はどうしたんですか?」
「彼女なら今、隣のブースで仮眠中よ。彼女の睡眠時間が終わったら、次は彼女が修行し、その間に私が寝る。そして私たちが起きている間、あなたは交互に『清算』を行う……。名付けて『24時間フル稼働・勇者パーティ育成サイクル』よ。合理的でしょう?」
「ブラック企業でももうちょっと休みがありますよ! 俺の身体、一つしかないんですけど!」
「大丈夫よ、カイト。計算によれば、あなたの回復力なら一日に二十回までは供給可能だわ。……さあ、交渉の時間ね」
テッサは不気味なほど整った顔で俺に歩み寄り、俺の胸元に指を這わせた。
「あなたの機能性を数値化してあげたわ。あなたの射精一回あたりの魔力還元率は、上級魔力ポーション五百本分に相当する。今の市場価格で言えば、一回につき金貨三万枚といったところかしら。つまり、あなたは存在するだけで歩く国家予算なのよ。もっと誇りなさい」
「金貨換算しないでください! 俺のプライドが、どんどん小銭に変わっていく音がする!」
「あら、小銭どころか大金よ? ……でも、今のあなたはまだ『素材』の状態。私がもっと効率よく、あなたの潜在能力を引き出してあげる。例えば……そうね。結合中の私の呼吸を術式に合わせて調整すれば、あなたの快楽物質の分泌を人為的に操作し、供給量をさらに15%上乗せできるわ。試してみる?」
「人為的に操作……!? テッサさん、それ、やってることがマッドサイエンティストですよ!」
「褒め言葉として受け取っておくわ。さあ、カイト。次の供給まであと三十分。その間にこの計算式を解くから、あなたは私の足元で魔力を練りながら待機していなさい。終わったら、四セット目(実験)を開始するわよ」
テッサは俺の返事も待たず、再び魔導書の世界へと没頭していった。
俺は絨毯の上に座り込み、天井を見上げた。
アリスが「武」の効率厨なら、テッサは「智」の効率厨だ。
二人に共通しているのは、俺という人間に一ミリの情緒も求めていないこと。
俺はただの鍵だ。
俺はただの充電器だ。
俺はただの魔力触媒だ。
そう自分に言い聞かせても、虚しさは募るばかりだった。
テッサの羽ペンが走る音。
隣のスペースから聞こえるアリスの規則正しい寝息。
本来なら、二人の絶世の美女を独り占めしている、全男垂涎のシチュエーションのはずなのに。
(……なんでだろう。涙が止まらないや)
ふと、テッサが書き込んでいる魔導書のページが目に入った。
そこには、これまで俺が一度も見たことがないほど複雑で、かつ美しい魔法陣が描かれていた。
「……テッサさん。それ、すごいですね」
「ええ、私の集大成よ。……でも、まだ不完全。カイト、あなたがもっと『やる気』を出してくれないと、この回路に流れる愛の熱量が足りないの」
「やる気……。言ってることはエロいのに、なんでこんなに目が怖いんだろう」
「期待しているわよ、マイ・バッテリー。……あら、アリスが起きたみたいね」
パチリ、とアリスが目を覚まし、寝ぼけ眼のまま剣を掴んで立ち上がる。
「……テッサ、交代か。カイト、準備はいいな? 睡眠により肉体のリセットは完了した。これより百二十時間の連続鍛錬に入る。その前に、まずは一発、景気よく注入してくれ」
「景気よくって……。アリス様、あなたまでテッサさんに毒されてませんか!?」
「毒? いや、これが勝利への最短ルートだと確信しただけだ。さあ、カイト! 世界を救うぞ!」
二人の美女が、俺を左右から挟み込む。
片方は鋭い剣気を放ち、片方は圧倒的な魔力圧を孕んで。
そして始まる、終わりなき「清算」のループ。
俺のユニークスキルが生み出した密室は、もはや甘い夢の場所ではない。
人類最強の戦士と、人類最高の頭脳を、限界を超えて磨き上げるための、狂気の工房へと成り果てていた。
――そして数日後(主観時間)。
俺たちは一度、外の世界へと戻った。
時間はやはり、一秒も経っていない。
だが、俺の目の前にいる二人は、入る前とは明らかに別人だった。
アリスの剣はもはや肉眼では捉えられず、テッサの周囲には未完成だったはずの古代魔法が、当然のように常時展開されている。
そして俺は――。
「……カイト様、顔色が優れませんね。もしや、悪霊にでも憑かれているのでは?」
訓練場の入り口で、透き通るような声が響いた。
そこに立っていたのは、この国の良心。
祈りによって数多の傷を癒やしてきた、慈愛の聖女セシルだった。
彼女は、魂が抜けかけた俺の顔を覗き込み、悲しげに眉を寄せた。
「そんなにやつれて……。よほど過酷な『聖務』に励んでおられたのですね。わたくしが、その汚れを清めて差し上げましょう」
聖女の微笑みは、一見すると救いの女神のように見えた。
だが、俺は見てしまった。
彼女が抱えている膨大な「未処理の写本」の束と、その奥に潜む、アリスやテッサと同じ「目的のためには手段を選ばない」狂信者の光を。
カイトの絶望は、まだ始まったばかり。
聖女セシルが持ち込むのは、癒やしではなく、さらなる「高潔な無理難題」だった――。




