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第2回 / 勇者の効率的快楽主義



「――次の『リチャージ』まで、あと何分だ?」


 ふかふかの絨毯の上に、ボタボタと汗が滴り落ちる。

 ここは俺のユニークスキル『愛の密室』の中。豪華な調度品に囲まれた、外の世界とは切り離された「止まった時間」の聖域だ。


 だが、今のこの部屋に漂っているのは、甘美な情事の残り香ではない。

 むせ返るような汗の臭いと、空気を切り裂く鋭い風切り音。そして、一分一秒の無駄も許さないという、ブラック企業のオフィス顔負けの殺伐としたプレッシャーだった。


「えーと、アリス様。前回の『儀式』から、まだ三時間しか経ってませんが……」


 俺は部屋の隅で、キッチンワゴンに積み上げたポーションの在庫を確認しながら答えた。

 勇者アリスは、もはや騎士の礼装など微塵も残っていない、汗で肌に張り付いた訓練着姿で、重厚な鉄の剣を構え直した。


「三時間もか。……少し休みすぎたな。カイト、時間を惜しめと言ったはずだ。魔力供給の効率を最大化させるためにも、インターバルは最小限に留めるべきだろう」


「いや、休みすぎって……。今の三時間で、アリス様は素振りを五千回、術式の並列起動テストを百回こなしてるじゃないですか。普通なら一週間分のメニューですよ、それ」


「それがこの部屋の価値ではないか。外の時間は一秒も進んでいない。ならば、私が一年分の修行を終えてから出れば、魔王軍など一瞬で塵にできる」


 アリスは碧眼に冷徹なまでの「効率」を宿し、自身の太ももをパチンと叩いた。


「準備しろ、カイト。筋肉の疲労がピークに達する前に、貴様の精気を受け取って肉体をリセットさせる。……脱げ」


「ひっ……! ま、待ってください! まずは食事です! 人間、食べなきゃ力が出ないって言いますし、俺の腰のライフも回復してないんです!」


 俺が必死にワゴンを盾にして抗議すると、アリスは「チッ」と舌打ちをした。

 舌打ちする勇者様。美しい顔が台無しだが、今の彼女にとって俺の言葉は、OSのアップデートを邪魔するポップアップ広告のようなものなのだろう。


「……妥当な提案だ。貴様の出力が落ちては、供給の質に関わるからな」


 アリスは剣を床に突き立て、ドカッとソファに腰を下ろした。

 俺は冷や汗を拭いながら、急いで用意していた特製シチューをテーブルに並べる。


 せめて、この食事の時間だけでも、普通の男女らしい会話がしたい。

 俺は勇気を出して、スプーンを口に運ぶ彼女に微笑みかけた。


「アリス様、味はどうですか? これ、こちらの世界のスパイスを調整して、俺の故郷の味に近づけてみたんです。隠し味にたっぷり『愛情』も込めて――」


「ビタミンB12だ」


「……はい?」


 アリスはシチューを喉に流し込み、真顔で言い放った。


「この肉の含有成分、および野菜の繊維質。神経伝導を助け、筋肉の修復を促す成分が豊富に含まれている。非常に効率的な『燃料』だ。カイト、貴様は食材の選定においても合理的な判断ができるのだな。見直したぞ」


「いや、燃料じゃなくて……。愛情、入ってるんですけど……」


「愛情? それは魔力の変異体か? あるいは精神安定に寄与するホルモン分泌を指しているのか? もしそうなら、次からはその『愛情』の配合率を15%ほど引き上げてくれ。精神的摩耗を抑えられれば、さらに修行時間を延ばせる」


 だめだ。

 この人、完全に脳みそが「効率」にハックされてる。


 俺が求めていた「おいしいね」という微笑みも、「これ、カイトが作ってくれたの?」という甘い台詞も、すべて栄養素の計算式に変換されて消えていく。


「……あ、アリス様。あの、一つ聞いていいですか?」


「なんだ。あと三口で完食する。手短に言え」


「今の状況……その、俺との行為を『魔力供給の儀式』って呼んでますけど。ぶっちゃけ、恥ずかしくないんですか? その、俺に裸を見られたり、あんな声を出しちゃったりするのとか……」


 アリスの手が、一瞬だけ止まった。

 頬がわずかに赤らむ。……お、ついに「女」としての羞恥心が戻ってきたか?


 だが、彼女の口から出たのは、さらに斜め上のロジックだった。


「……確かに、当初は戸惑いもあった。だが考えてみろ、カイト。全裸とは、装備重量をゼロにし、皮膚感度を最大化させ、魔力の循環を最もスムーズにする『究極の礼装』ではないか。そこに恥じる余地などない」


「えぇ……。その理屈だと、全人類が全裸で歩くのが正解になっちゃいますよ」


「そして、声が出るのは肺活量の限界と横隔膜の振動による副産物だ。……むしろ、貴様のテクニックが私の呼吸を乱し、魔力効率を阻害している側面もある。次からはもっと無駄な動きを省き、直線的に私を絶頂へ導け。それが最も効率的な『リチャージ』の形だ」


「そんなマニュアルみたいな指示、出されても燃えませんよ……」


 俺は天を仰いだ。

 もう、この部屋にはエロスなど存在しない。

 あるのは、アスリートがアイシングを行うような、機械的なメンテナンス作業だけだ。


 結局、食後すぐさま「作業」は開始された。

 

 アリスはベッドの上で、俺の動き一つ一つを分析し、「あ、そこは魔力の流動が悪い」「もっと右の神経節を刺激しろ」などとコーチングを垂れ流してくる。

 

 俺は、自分が人間であることを辞めたくなった。

 俺は、高性能なワイヤレス充電器なのだ。そう自分に言い聞かせることで、なんとか精神の均衡を保った。


 ――そして。


 ひとしきりの「メンテナンス」を終え、アリスが満足げに息を吐き出した。

 

「ふぅ……よし。肉体の出力が120%まで回復した。魔力回路の詰まりも解消されたな。……カイト、一度外へ出るぞ。私の新しい魔法の威力を試す必要がある」


「は、はい……了解です……」


 俺がフラフラになりながらスキルの解除を念じると、部屋の景色が溶け、夕闇の訓練場へと戻った。

 

 外の世界の時間は、俺たちが部屋に入る直前と一秒も変わっていない。

 だが、目の前に立つアリスの雰囲気は一変していた。


 彼女が手近な鉄の剣を手に取る。

 これまで彼女が使っていた剣は、修行のしすぎで刃こぼれし、鈍く曇っていたはずだった。


 だが。


「――『閃華せんか』」


 アリスが軽く腕を振った瞬間、目にも止まらぬ速度で放たれた一撃が、十メートル先の巨大な標的岩を両断した。

 

 それだけではない。

 切断面は高熱で溶け、まるでレーザーで焼き切ったかのように滑らかだ。


「……嘘だろ。あの魔法、習得に数年はかかるって言われてる聖騎士奥義の……」


「この部屋の中で、およそ八百時間は反復練習をしたからな。コツを掴めば造作もない。……カイト、貴様のスキルは本当に素晴らしい」


 アリスが剣を鞘に収め、俺を振り返る。

 その瞳には、かつての焦燥は消え、絶対的な強者の余裕が宿っていた。

 

 だが、そのあまりの「急成長」は、周囲の目を惹かずにはいられなかった。


「……あら? アリス、今の身のこなし。昨日までとは、いえ、さっきまでとは明らかに次元が違うわね?」


 訓練場の入り口に、一人の女性が立っていた。

 

 長い銀髪を揺らし、眼鏡の奥で知性を光らせる美女。

 手には巨大な魔導書を抱え、その身に纏うローブには王立魔導学院の最高位を示す刺繍がある。


 天才魔導師、テッサ。

 

 彼女は、標的岩の切断面と、疲れ果てて地面に座り込んでいる俺を、交互に凝視した。


「一瞬で魔力波形が完全に書き換わった。……カイトと言ったかしら? あなたの後ろにあるその『違和感』、少し詳しく解析させてもらえるかしら?」


 テッサの目が、獲物を見つけた猛禽類のように鋭く細まる。


 俺は本能的に悟った。

 この「効率の鬼」が二人目に加わったら、俺の腰と精神は、間違いなく消滅する。


「あ、アリス様……! 今の、今の見られましたよね!? 絶対まずいですよ!」


「気にするな。効率を上げれば、隠蔽など不要だ。……それよりカイト、次の入室予定だが、私の計算によれば――」


 勇者の効率的な「おかわり」の要求が、夕闇に響く。

 

 俺の望んでいたイチャラブ生活が、さらに遠くへ逃げていく音がした。


 

次回、勇者の覚醒に、王宮一の知性が動き出す。

 次は、「効率」を愛する天才魔導師が、俺のスキルの「リサーチ」に乗り出す――。

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