第八話 堺入り(前編)
天文十一年九月 堺
美濃を出て、幾日か。
俺たちは、ようやく堺へ入った。
美濃の城下とは、何もかもが違う。
道には商人が行き交い、荷車が絶え間なく走っている。
米、布、茶、香辛料。
そして、武器。
海から運ばれてきた品々が、この町を通じて各地へ流れていく。
「ここが……堺か」
俺は思わず呟いた。
歴史の教科書で見た名前。
それが今、目の前にある。
堺は商人の町だ。
武士だけが力を持つわけではない。
金を持つ商人。
情報を持つ商人。
そして、海外との繋がりを持つ商人。
これからの時代を生きるなら、彼らとの繋がりは必要になる。
「十兵衛様、こちらです」
同行してきた家臣が声をかけた。
「ああ」
俺たちは、堺でも名の知れた商人の屋敷へ向かった。
――今井宗久。
後の時代、織田信長とも深く関わる大商人。
そんな男が、この時代の堺にいる。
*
「これはこれは、明智様。
お初にお目にかかります。」
「遠いところを、ようお越しくださいました」
「こちらこそ、お会い出来て光栄に存じます。」
屋敷に通されると、今井宗久が出迎えた。
「鉄砲の件ですな?」
「はい」
宗久は笑った。
「何丁、ご入用ですかな」
「はい。十丁ほど。それと火薬、弾薬も」
「十丁ですか、かなりの金が必要ですがよろしいので?」
「はい。それは重々承知しております。」
宗久は商人らしい穏やかな笑みを浮かべている。
だが、その目は鋭い。
俺は宗久と商談を始めた。
鉄砲の価格。
火薬。
硝石。
鉛。
そして今後の取引について。
斎藤家から預かった支度金を無駄にはできない。
できる限り条件を詰めていく。
「今後も鉄砲を増やされるおつもりで?」
宗久が尋ねる。
「必要ならば」
「なるほど」
宗久は少し笑った。
「明智様は、先を見ておられる」
「先を見なければ、この戦国の世では生き残れませんので」
「これはまた……」
宗久が楽しそうに笑う。
その時だった。
廊下から人の声が聞こえてきた。
「今井殿、お話がある」
「これはこれは」
宗久が立ち上がる。
「失礼いたします」
襖が開いた。
入ってきた男を見て、俺は息を止めた。
――松永久秀。
「……!」
思わず声が出そうになった。
歴史上、数々の逸話を残す戦国武将。
織田信長に仕え、後に信長と敵対する男。
そして、三好家の重臣。
この時代に、実際に生きている。
「おや?」
松永が俺を見る。
「こちらは?」
「美濃の明智家よりお越しの、明智十兵衛殿です」
「ほう」
松永は俺をじっと見る。
穏やかな笑み。
しかし、その目の奥には油断ならない光がある。
「明智……」
松永はその名を口の中で転がした。
「美濃の山城守様のご家来の明智殿か」
「はい」
「これはまた珍しい客人ですな」
俺は頭を下げた。
「お初にお目にかかります」
「明智十兵衛と申します。以後、お見知りおきを」
「こちらこそ、某は三好家家臣、松永弾正少忠と申す」
やはり。
間違いない。
俺が歴史を知っているからこそ分かる。
この男は危険だ。
だが――。
敵とは限らない。
まだ。
「失礼」
松永の後ろから、別の男が入ってきた。
落ち着いた表情。
武将としての風格を持っている。
「こちらは三淵大和守殿です」
宗久が紹介する。
「幕府奉公衆三淵弾正左衛門尉と申す」
「明智十兵衛にございます」
俺は頭を下げた。
後の三淵大和守藤英。
足利義輝に仕える武将。
後に足利義昭を支える人物。
ここで会うとは思わなかった。
「明智殿は鉄砲をお求めで?」
三淵が尋ねる。
「はい」
「美濃でも鉄砲がご入用になってきましたか」
「これから必要になると考えています」
三淵は俺を見る。
「これから?」
「はい」
しまった。
少し先のことを言いすぎた。
「鉄砲はまだ珍しい武器です」
「ですが、いずれ増えるでしょう」
「ほう」
三淵は興味深そうに俺を見る。
「随分と先を見ておられるのですね」
「備えは早い方がよいかと」
「確かに」
松久も口を挟んだ。
「面白いですな」
「何がでしょう?」
「鉄砲を買いに来た美濃の若武者が、先の戦を語るとは」
松永の目が細くなる。
「明智十兵衛殿」
「はい」
「そなたは、何を知っている?」
心臓が跳ねた。
「……何も」
「ほう」
松永は笑った。
「ならばよい」
それ以上は聞かなかった。
だが。
俺は確信した。
この男には、下手な嘘は通じない。
*
しばらくして、宗久が茶を用意してくれた。
三人で同じ席につく。
奇妙な組み合わせだった。
美濃、斎藤家の家臣の明智。
三好家家臣の松永。
幕府方の三淵。
そして商人の今井宗久。
歴史を知る俺からすれば、とんでもない顔ぶれだ。
だが、ここで一つ気づいた。
こうして人が繋がっていく。
国も立場も違う人間が、商人の屋敷で同じ茶を飲んでいる。
戦国の世とは、戦だけではない。
人脈。
取引。
情報。
それらが、表に見えないところで歴史を動かしている。
「明智殿」
三淵が声をかける。
「はい」
「美濃では、斎藤山城守殿に仕えておられるのですか?」
「明智家は斎藤家と縁がありますので」
「なるほど」
松永が笑う。
「では、山城守殿も鉄砲を?」
「はい」
松永は興味深そうに頷く。
「ほう。それは面白い」
「何がでしょう?」
「美濃のマムシといわれる山城守様が、鉄砲を欲しがるとは」
松永は茶を口にする。
「世の中が変わり始めている証拠でしょうな」
その言葉に、俺は黙った。
俺には分かる。
これから、本当に世の中は変わる。
織田信長。
足利義昭。
三好家。
松永久秀。
そして――。
明智光秀。
歴史の中で、彼らの道は交差していく。
俺はその中心に立つことになる。
だが。
それはまだ先の話だ。
今はただ。
一本の鉄砲を手に入れるために、堺へ来ただけだった。
*
夕刻。
宗久の屋敷を出る。
松永久秀と三淵藤英も、それぞれ別の道へ向かった。
俺は二人の背中を見送った。
「……とんでもない人たちに会ったな」
思わず呟く。
だが。
この出会いは、きっと無駄ではない。
いつか。
この人脈が、俺の未来を支えることになる。
そして――。
本能寺の日。
俺は、この時に得た人脈を使うことになる。
そんな未来を思いながら、俺は堺の町を歩き始めた。




