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明智十兵衛、天下を統べる  作者: 岡崎 隆幸


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第四話 妻木家の娘



 翌朝。

 明智城は、いつもより少しだけ騒がしかった。

 妻木家から客が来る。

 昨日、叔父上から聞かされた話が頭から離れない。

 妻木煕子。

 その名前。

 俺が現代で命を救った女性と同じ名前だった。

 そして――。

 俺の記憶にある、あの女性と同じ顔。

 だが、本当に同一人物なのか。

 まだ分からない。

 ただの偶然かもしれない。

 俺はそう自分に言い聞かせながら、広間へ向かった。

  「十兵衛様、妻木家の皆様がお見えになりました」

  「分かった」

 襖の向こうから声がする。

 俺は一度、深く息を吸った。

「……入ってもらえ」

 襖が開く。

 妻木家の家臣たちが入ってくる。

 その後ろに、一人の女性がいた。

 白い小袖。

 整えられた髪。

 落ち着いた物腰。

 ゆっくりと顔を上げる。

 その瞬間。

 俺は息を呑んだ。

  「…………」

 間違えるはずがなかった。

 あの日、横断歩道で見た女性。

 迫るトラック。

 俺が最後に見た、あの顔。

 目の前にいる。

 生きている。

 俺の胸が激しく鼓動した。

 だが、女性は俺を見て、静かに頭を下げただけだった。

  「妻木煕子にございます」

 その声。

 記憶の中の声と同じだった。

 俺は思わず立ち上がりそうになった。

 だが、何とか堪える。

  「……明智十兵衛だ」

 それ以上、言葉が出なかった。

 煕子は不思議そうに俺を見る。

 だが、そこに驚きはない。

 当然だ。

 彼女にとって、俺は今、明智家の十兵衛。

 初めて会う男なのだから。

  「お初にお目にかかります」

  「……ああ」

 俺は頷いた。

 頭の中が混乱している。

 なぜだ。

 なぜ彼女は何も覚えていない?

 俺のことを見ても、何の反応もない。

 あの事故のことも。

 現代のことも。

 俺の顔を見ても、何も思い出さない。

 俺だけが知っている。

 俺だけが覚えている。

 それが、妙に怖かった。

 *

 妻木家との挨拶が終わった。

 煕子は父親や家臣たちとともに、別室へ移った。

 俺は一人、廊下に立っていた。

「……どういうことだ?」

 小さく呟く。

 もし本当に、あの女性なら。

 彼女も現代の記憶を持っているはずだ。

 俺と同じように。

 そう考えるのが普通だ。

 なのに。

 彼女は何も知らない。

 俺を見ても、何も感じていない。

  「俺だけが転生した……?」

 ならば、なぜ彼女がここにいる。

 そして、なぜ妻木煕子なのか。

 偶然なのか。

 それとも――。

 何か理由があるのか。

 答えは出ない。

 ただ一つ分かることがある。

 俺は、あの女性を知っている。

 彼女は、俺が死ぬ直前に救った命だ。

 それだけは間違いない。

 そして今。

 彼女は戦国時代にいる。

 俺は拳を握った。

「……今度こそ」

 現代では、あの瞬間にしか彼女を守れなかった。

 今度は違う。

 この時代なら。

 この手で守ることができる。

 たとえ彼女が俺を覚えていなくても。

 俺は彼女を覚えている。

 それで十分だった。

 *

 その日の夕刻。

 妻木家の一行は明智城を後にした。

 門の前で、煕子が振り返る。

 十兵衛は少し離れた場所から、その姿を見ていた。

 煕子と目が合う。

 彼女は軽く頭を下げた。

 十兵衛も頭を下げる。

 それだけだった。

 煕子は何も知らない。

 自分がかつて、この男に命を救われたことも。

 その男が今、目の前にいることも。

 そして――。

 自分が遠い未来から、この時代へ来ていることさえも。

 少なくとも、今は。

 俺だけが、その事実を知っていた。

 馬車が遠ざかっていく。

 その姿が見えなくなるまで、十兵衛はその場に立っていた。

「……必ず守る」

 誰にも聞こえない声で呟く。

 その言葉が、いつか二人の運命を大きく変えることになる。

 この時の十兵衛は、まだ知らなかった。

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