第三話 明智城へ帰還
山賊討伐を終えた俺たちは、日が傾き始める頃に美濃へ戻った。
山道を抜けると、遠くに山々が見える。
その麓に、小さな城があった。
巨大な城郭ではない。
だが、山の地形を利用して築かれたその城は、周囲を睨むように静かに佇んでいる。
俺は馬上から城を見つめた。
不思議な感覚だった。
現代にいた頃なら、城なんて観光地でしか見たことがない。
それが今は、自分が暮らす場所だという。
門が見えてくる。
見張りの兵がこちらに気づいた。
「若様がお戻りになられたぞ!」
声が上がる。
門が開かれる。
城内へ入ると、何人もの家臣が出迎えに現れた。
「お帰りなさいませ!」
「ご無事で何よりです!」
「山賊どもは?」
「討ち果たしました」
家臣の一人が答える。
俺は黙って彼らを見た。
この人たちは、俺を明智十兵衛だと思っている。
当然だ。
俺の中身が別人だなんて、知るはずもない。
ふと、胸の奥が重くなった。
俺は本当に、この人たちの主なのだろうか。
それとも――。
ただ明智十兵衛の身体を借りているだけなのか。
「若様?」
声をかけられて我に返る。
「ああ。すまない」
「お疲れでしょう。まずはご休息を」
「いや、その前に叔父上へ報告してくる」
「承知いたしました」
俺は家臣と別れ、明智光安のもとへ向かった。
*
城内の一室。
そこに、明智光安はいた。
年齢を重ねた武将らしい風格。
穏やかな顔立ちではあるが、その眼差しには長年戦国の世を生き抜いてきた者の鋭さがあった。
俺はその前に座る。
「戻りました、叔父上」
「うむ。無事で何よりだ、十兵衛」
その声を聞いた瞬間、不思議な感覚に襲われた。
叔父上。
そう呼ぶことが、なぜか自然だった。
「山賊討伐の報告を聞こう」
光安が促す。
「はい」
俺は討伐の経緯を説明した。
山賊の数。
伏兵を受けたこと。
こちらの被害。
そして、逃げた者たちを追わなかったこと。
最後まで聞き終えた光安は、しばらく黙っていた。
「……十兵衛」
「はい」
「そなた、以前より変わったな」
心臓が跳ねた。
「変わった……ですか?」
「うむ」
光安は俺を見る。
「以前のそなたなら、逃げた山賊を追っていた」
「……」
「だが、今回は追わなんだ」
俺は答えに迷った。
やがて、正直に言う。
「必要がないと思いました」
「なぜだ?」
「敵を追えば、こちらも被害を受けます。それに、山賊を討ったところで、別の者が山賊になるだけかもしれません」
光安は黙っている。
「ならば、街道と村を守る方がよいと思います」
しばらくして、光安が小さく頷いた。
「……なるほど」
「それから、山賊の中に元は村人だった者がいるかもしれません」
「何?」
「飢えや借金、戦で土地を失った者が山へ逃げ込んでいる可能性があります」
光安は目を細めた。
「十兵衛」
「はい」
「そなた、何を見てきた?」
「……何も」
「そうか」
光安はそれ以上追及しなかった。
ただ、どこか満足そうに笑った。
「良い」
「え?」
「人を殺すだけでは、領地は治まらぬ」
光安は静かに言った。
「敵を討つことも武士の務め。だが、人を生かすこともまた、領主の務めだ」
その言葉が胸に残った。
現代で生きていた頃の自分が、どこかで求めていた答えのような気がした。
「……はい」
俺は頭を下げた。
*
報告を終え、部屋を出ようとした時だった。
「十兵衛」
「はい?」
光安に呼び止められる。
「明日、妻木家から客が来る」
「妻木家……」
その名前を聞いた瞬間。
胸の奥がざわついた。
「うむ。以前から話が進んでいた件だ」
「以前から?」
「覚えておらぬのか?」
光安が怪訝そうに眉を寄せる。
「……少し、記憶が曖昧で」
「山賊討伐で頭でも打ったか?」
「そんなところです」
俺は苦笑した。
光安はため息をつく。
「まあよい。妻木家の娘が来る」
娘。
その言葉を聞いた瞬間。
脳裏に現代の光景が蘇った。
横断歩道。
迫り来るトラック。
俺が突き飛ばした女性。
カバンから飛び出た名札の名前「煕子」
最後に見た、彼女の顔。
そして――。
「……名前は?」
俺は思わず尋ねていた。
光安は少し意外そうな顔をした。
「妻木煕子だ」
時間が止まったように感じた。
「…………煕子」
その名前を口にする。
あの女性と同じだ。
いや。
まだ同じだと決まったわけではない。
ただの偶然かもしれない。
それでも。
俺の心臓は、激しく鼓動していた。
光安が俺を見る。
「どうした、十兵衛?」
「……いえ」
俺は首を横に振った。
「明日、お会いします」
それだけ言って部屋を出た。
廊下を歩きながら、俺は拳を握りしめる。
もし、本当にあの女性なら。
俺は死んだ。
彼女は生きた。
そして――。
なぜか同じ時代にいる。
明日。
俺はもう一度、彼女に会う。
現代では救ったはずだった。
だが、この世界では。
もしかすると――。
彼女に救われるのは、俺の方なのかもしれない。




