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明智十兵衛、天下を統べる  作者: 岡崎 隆幸


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第二話 美濃の山賊討伐

天文十年、明智乃荘、明智城内の屋敷


 目を覚ました時、最初に感じたのは、畳の匂いだった。

  「……ここ、どこだ?」

 重い身体を起こす。

 見知らぬ天井。

 障子。

 木製の柱。

 そして、枕元に置かれた見慣れない太刀。

  「……これは太刀?」

 手を伸ばす。

 鞘に触れた瞬間、頭の奥に激痛が走った。

「っ……!」

 無数の記憶が流れ込んでくる。

 明智。

 美濃。

 土岐。

 家臣。

 戦。

 そして――。

「十兵衛……」

 その名前が口から漏れた。

 自分でも分かっていた。

 俺は死んだ。

 あの交差点で。

 女性を庇って、トラックに撥ねられた。

 そして今。

 俺は――。

「明智十兵衛……なのか?」

 ふと、部屋の隅に置かれた桶が目に入った。

 水が張ってある。

 俺はふらつきながら桶の前まで歩いた。

 膝をつき、水面を覗き込む。

 揺れる水面。

 そこに映っていたのは――知らない男の顔だった。

 髷を結った髪。

 戦国の武士らしい身なり。

 そして、こちらを射抜くような鋭い目つき。

 自分とはまるで違う顔。

 俺は息を呑んだ。

「……誰だ、こいつ」

 水面が揺れる。

 鋭い目も歪む。

 だが、その顔を見ているうちに、胸の奥に奇妙な感覚が込み上げてきた。

 知っている。

 この顔を。

 この名前を。

「……明智、十兵衛」

 呟いた瞬間、襖が開いた。

「十兵衛様!」

 若い侍が駆け込んできた。

「お目覚めになられましたか!」

「……ああ」

 自然に返事が出た。

 自分でも驚いた。

「何かあったのか?」

「美濃の山中に山賊が出ました」

「山賊?」

「はい。街道を通る商人や旅人を襲っております。近頃は村まで襲われるようになり、叔父上様から討伐の命が下りました」

 俺は黙った。

 山賊。

 現代なら警察の仕事だ。

 だが、ここは戦国時代。

 警察など存在しない。

 誰かが武力で排除するしかない。

「……分かった」

「では、出陣の支度を」

「待て」

「はい?」

「俺が行くのか?」

「もちろんです。十兵衛様が指揮を執られるのですから」

 当然のように言われた。

 俺は頭を抱えた。

 転生して間もないというのに、いきなり山賊討伐。

「……神様ってやつがいるなら、もう少し初心者向けにしてくれよ」

「神様?」

「いや、何でもない」

 こうして俺は、十数名の兵を率いて山へ向かうことになった。

 *

 山道を進む。

 木々が生い茂り、昼間だというのに薄暗い。

 俺の横には、一人の侍が付き従っている。

「十兵衛様」

「何だ?」

「この先に山賊の根城があると思われます」

「数は?」

「およそ二十から三十」

 二十から三十。

 こちらは十五。

 普通に考えれば不利だ。

 だが、俺には現代で身につけた知識がある。

 とはいえ――。

「戦ったことなんてないんだけどな……」

 小さく呟く。

 侍が振り向く。

「何か?」

「いや。何でもない」

 俺は周囲を見る。

 山道。

 左右には木々。

 前方には狭い道。

 そして――。

「止まれ」

 全員が止まった。

「どうされました?」

「……静かすぎる」

 鳥の声がしない。

 風の音しか聞こえない。

 俺は地面を見る。

 折れた枝。

 不自然な足跡。

「伏兵だ」

 言った瞬間だった。

  「撃て!」

 木々の向こうから矢が飛んできた。

  「伏せろ!」

 兵たちが身を伏せる。

 矢が地面に突き刺さる。

  「左!」

 次の瞬間、山賊たちが木々の間から飛び出してきた。

 怒号。

 刀がぶつかる音。

 戦いが始まった。

 俺も刀を抜く。

 手が震えている。

 怖い。

 当然だ。

 俺は現代人だった。

 人を殺したことなんてない。

 ましてや、刀で斬り合うなど――。

 一人の山賊が目の前へ迫ってきた。

  「死ね!」

 刀が振り下ろされる。

 身体が勝手に動いた。

 受け流す。

 相手の懐へ入り込む。

 そして――。

 刀を振った。

 手応え。

 男が倒れる。

 血が地面へ落ちる。

「……」

 俺は動けなかった。

 刀を握った手が震えている。

 人を斬った。

 本当に。

 俺が。

 その事実に吐き気が込み上げる。

 だが、戦場は待ってくれない。

  「十兵衛様!」

 背後から声がした。

 振り返る。

 別の山賊が迫ってきた。

 俺は反射的に刀を構えた。

 斬る。

 倒れる。

 また一人。

 やがて、山賊たちは逃げ始めた。

  「追いますか?」

 家臣が尋ねる。

 俺はしばらく答えられなかった。

 そして首を横に振った。

  「追うな」

  「しかし……」

  「逃げた者を追えば、こちらも被害が増える」

 山賊たちは去っていく。

 戦場に静寂が戻った。

 俺は刀を見つめた。

 赤い血が付着している。

  「……これが戦国時代か」

 その言葉が、妙に重かった。

 現代では、誰かを助ければ褒められる。

 だが、この時代では。

 誰かを守るために、人を殺さなければならないこともある。

 俺は刀を拭った。

 その時、一人の兵士が近づいてきた。

  「十兵衛様」

  「何だ?」

  「村の者たちが、こちらへ来ています」

 振り返る。

 山道の向こうから、数人の村人が歩いてくる。

 老人。

 女。

 子供。

 その顔には、恐怖と安堵が入り混じっていた。

 一人の老人が俺の前まで来ると、深々と頭を下げた。

 「ありがとうございます……」

 「……礼はいい」

 「おかげで、これで安心して暮らせます」

 俺は答えられなかった。

 視線を下げる。

 さっきまで震えていた手。

 その手で、人を斬った。

 だが、その結果として、この人たちは今日を生きられる。

 それが戦国という時代なのだ。

 俺は初めて理解した。

 そして同時に――。

 この世界で生きていく覚悟を決めた。

 現代へ帰る方法があるのかは分からない。

 そもそも、帰れるのかどうかも分からない。

 ならば。

 生きるしかない。

 俺は空を見上げた。

 青い空。

 遠くに広がる美濃の山々。

  「……明智十兵衛、か」

 その名を、今度は自分の意思で口にした。

 まだ慣れない。

 だが――。

 いつか、この名を自分自身のものにしなければならない。

 その先に待っている運命を、俺はまだ知らない。

 本能寺。

 織田信長。

 そして――。

 自分が天下を統べる未来など。

 この時の俺は、知る由もなかった。

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