第三十八話 尾張のうつけとの初対面
織田信秀が亡くなり、尾張では家督が織田三郎信長へと移った。
そして間もなく――。
織田家と斎藤家。
両家の当主が、正式に顔を合わせることとなった。
「十兵衛」
「はい」
稲葉山城で、利政が俺を呼び止めた。
「織田家との段取りを、お前に任せる」
「私に、ですか?」
「ああ」
利政は笑った。
「帰蝶もすでに尾張へ嫁いで日も経っておる。信長がどのような男なのか、お前も見てこい」
「承知しました」
こうして俺は、尾張へ向かうことになった。
*
尾張。
織田家の居城。
俺が通された部屋には、一人の男がいた。
「明智十兵衛殿か」
「はい」
俺は頭を下げる。
「お初にお目にかかります。
明智十兵衛にございます」
「うむ。儂が織田弾正三郎信長だ」
顔を上げる。
そこにいたのは、俺が知る歴史上の織田信長とは、まだ若い男だった。
だが、その眼差しは鋭い。
「話は帰蝶から聞いておる」
「私のことを?」
「ああ。堺へ行ったり、京へ行ったり……随分と忙しい男らしいな」
「それほどでも」
「そうか?」
信長は笑った。
その笑い方に、どこか人を食ったようなものを感じる。
――なるほど。
これは確かに「うつけ」と呼ばれても不思議ではない。
だが。
俺には分かる。
この男は、周囲をよく見ている。
「殿」
その時、後ろから声がした。
振り返る。
「あら、十兵衛様いらしていたのですか。」
「これは、帰蝶様」
久しぶりに見る帰蝶だった。
すでに信長の正室として尾張に入っている。
「お久しゅうございます」
「お元気そうで何よりでごさいます」
帰蝶が微笑む。
俺は二人を見る。
そして、本題に入った。
「この度、利政様と信長様が初めて対面されます」
「ああ」
「その際の段取りを、私が任されました」
「どうする?」
信長が尋ねる。
「一つ、お願いしたきことがございます」
「申してみよ」
「まず、普段通りの姿で、あとの者は武者行列を組んでいただきたいのです。」
「なぜ、儂だけ普段通りの姿なのだ?」
「はい」
俺は続ける。
「利政様には、謁見の場所から少し離れたところの小屋に隠れて、その行列を見ていただきます」
信長が面白そうに眉を上げる。
「なぜだ?」
「実際の信長様が、どのような人物なのかを見極めていただくためです」
「なるほど」
「そして――」
俺は続けた。
「謁見の場へ入る前に、正装へ着替えていただきたい」
信長が笑う。
「つまり、うつけ姿を見せてから、正装して会えと?」
「はい」
「面白いことをお考えになりますね」
帰蝶も少し笑った。
「十兵衛様らしいお考えですね」
「利政様は、織田家がどのような家なのかを見ています」
俺は信長を見る。
「同時に、信長様も斎藤家当主の前では礼を尽くす。それを示す必要があります」
信長はしばらく黙っていた。
やがて――。
「あい、分かった」
「ありがとうございます」
「十兵衛」
「はい」
「お前、父上にも同じようなことをしていたのか?」
「……いえ」
「そうか」
信長が笑う。
「ならば、儂が初めての相手ということだな」
俺も苦笑した。
「そういうことになります」
*
「帰蝶」
「はい」
「お前はどう思う?」
信長が妻へ尋ねる。
「私は良いと思います」
帰蝶は答えた。
「父上は殿を警戒されています」
「だろうな」
「ですが、信長様が正式な場では礼を尽くす方だと分かれば、少なくとも最初から敵意を持たれることはないでしょう」
「なるほど」
俺は二人を見ながら頷いた。
帰蝶はもう、完全に織田家の一員として振る舞っている。
それが少し不思議だった。
かつて美濃にいた少女が、今は尾張で信長の妻となっている。
これもまた、歴史の一場面なのだろう。
「では、これで参りましょう」
俺は立ち上がった。
「当日は、私が先導いたします」
「任せた」
信長が答える。
*
数日後。
いよいよ対面の日。
織田家の行列が、美濃へ向かって進んでいく。
その中にいる信長は――。
いつもの格好だった。
決して、斎藤家当主との謁見に相応しい姿とは言えない。
だが、それこそが狙いだった。
少し離れた場所。
利政は姿を隠し、行列を見つめている。
「……あれが、信長か」
利政の目が細くなる。
俺はその隣に立っていた。
「はい」
「なるほどな」
利政はしばらく信長を眺めた。
そして、小さく笑う。
「確かに、噂通りの男だ」
だが、その目には侮りだけではないものが浮かんでいた。
警戒。
そして、興味。
「十兵衛」
「はい」
「面白い男を連れてきたな」
俺は答えなかった。
やがて信長は行列から離れ、用意された場所へ向かう。
そして――。
正装へと着替えた。
先ほどまでとは別人のような姿。
礼服を整え、姿勢を正す。
俺はその姿を見て、少しだけ笑った。
――これでいい。
うつけとしての信長。
そして、織田家当主としての信長。
その両方を利政に見せる。
*
やがて謁見の間。
信長が入ってくる。
「織田弾正三郎信長にございます」
先ほどまでとは違う、落ち着いた声音。
利政も姿勢を正す。
「斎藤利政だ」
二人の視線が交わる。
美濃の蝮。
そして――。
これから天下を目指す男。
その二人の初対面を、俺は静かに見守っていた。
歴史では、この二人の出会いが後世まで語られることになる。
だが、この世界では――。
その場を整えたのは、明智十兵衛だった。




