第三十七話 織田信秀、逝く
土岐氏が美濃を去ってから、しばらく経った。
明智荘では、いつもと変わらぬ朝を迎えていた。
俺は佐吉とともに鉄砲の整備をしていた。
「十兵衛様」
突然、外から声が響く。
「何だ?」
「稲葉山城より急使です!」
俺は手を止めた。
「通せ」
ほどなくして、一人の使者が姿を現した。
「明智十兵衛様に、急ぎお伝えすることがございます」
「何があった?」
使者は一度、息を整えた。
「織田信秀様が……亡くなられました」
「……何?」
俺は言葉を失った。
「いつだ?」
「先頃にございます」
胸の奥が重くなる。
信秀。
尾張の戦国大名。
俺自身が戦場で対峙した男。
小豆坂では、流れ矢によって肩を負傷したと聞いていた。
だが――。
「死因は?」
「病に伏せっておられたとのことです」
俺は黙っていた。
戦場で討たれたわけではない。
病によって、その生涯を終えた。
*
稲葉山城。
道三のもとへ向かう。
「織田信秀が死んだか」
「はい」
道三は腕を組んだ。
「これで尾張はどうなる?」
「信長殿が家督を継ぐことになるでしょう」
「三郎か」
道三が目を細める。
「うつけと呼ばれている男だな」
「はい」
俺は頷いた。
「ですが、私はそうは思いません」
「ほう?」
「信長は、ただのうつけではない」
道三が俺を見る。
「以前からそう思っていたのか?」
「はい」
俺は答えた。
「これまで集めた話を考えれば、むしろ常識に囚われない人物だと思います」
「それが、どう転ぶ?」
「分かりません」
俺は正直に答えた。
「ですが――」
信秀が死んだ。
これで、尾張の情勢は大きく変わる。
そして。
俺の知る歴史では、ここから織田信長が大きく動き始める。
「信長が家督を継げば、尾張は変わるでしょう」
*
その日の夕刻。
俺は一人、明智荘の外にいた。
夕日が山の向こうへ沈んでいく。
思い返す。
初めて信秀と戦った時。
あの男の鋭い眼差し。
兵を率いる姿。
鉄砲を見て警戒した顔。
そして、小豆坂で肩に流れ矢を受けた姿。
「……信秀殿」
敵だった。
だが、決して侮れる男ではなかった。
その男が死んだ。
これから尾張の主役は、若き織田信長へと移っていく。
「歴史が……また一つ進んだな」
俺は空を見上げた。
だが、俺の知る歴史と同じになるとは限らない。
帰蝶は信長へ嫁ぐ。
道三と高政の関係は悪化している。
朝倉は俺を警戒し、二重スパイまで送り込んでいる。
そして――。
俺自身も、この時代には存在しなかった人間だ。
「これから先は、何が起きるか分からない」
そう呟いた。
織田信秀の死。
それは一人の武将の終わりであると同時に――。
織田信長の時代が始まる合図でもあった。




