第三十三話 妻木家からの申し入れ
朝倉の間者を二重に仕立ててから、しばらく。
明智荘に一通の書状が届いた。
「妻木家から?」
俺は書状を受け取った。
これまでにも妻木家とは何度か交流があった。
だが、今回は様子が違う。
書状には、妻木家当主から正式な申し入れが記されていた。
――明智十兵衛と、妻木家の娘・煕子との婚姻について。
「……来たか」
俺は思わず呟いた。
いつか、この話が来ることは分かっていた。
だが、実際に書状を目にすると、胸の奥が妙に騒いだ。
煕子。
俺が現代で命を懸けて助けた女性。
そして、この時代で再び出会った女性。
彼女は俺が何者なのか知らない。
俺が現代で自分を救った男だということも。
その事実を知っているのは、俺だけだ。
*
数日後。
妻木家から正式な使者が明智荘を訪れた。
応対したのは、叔父の光安だった。
「本日は、妻木家当主より正式な申し入れをお持ちしました」
「承知しております」
光安が使者の言葉を受け止める。
「妻木家としては、両家の縁をより深きものとしたく」
「つまり、十兵衛と煕子殿の婚姻を?」
「はい」
俺は少し離れた場所で、二人のやり取りを聞いていた。
「これまでの両家の交流もあり、煕子も十兵衛殿との婚姻について、強く拒む意思はございません」
光安が俺を見る。
「本人の意思は?」
「承知しております」
使者が頷いた。
「妻木家としても、娘の意思を無視して話を進めるつもりはございません」
「それならば――」
光安は俺に視線を向けた。
「十兵衛、お前はどうだ?」
「私は……」
答えようとして、煕子の顔が脳裏に浮かんだ。
現代で、俺が最後に見た女性。
トラックから彼女を庇った時のこと。
あの時は、まさか再び会えるとは思わなかった。
ましてや――。
この時代で妻になる可能性など。
「異存ありません」
俺は答えた。
「そうか」
光安が頷く。
「では、両家で日取りなどを詰めるとしよう」
「お願いします」
使者も深く頭を下げた。
こうして、妻木家との婚姻交渉は正式に動き始めた。
*
妻木家。
煕子は父から話を聞いていた。
「十兵衛様との婚姻を正式に進めることになった」
「……はい」
煕子は静かに答えた。
「嫌ではないのか?」
「嫌ではありません」
「本当に?」
「はい」
煕子は少しだけ微笑んだ。
十兵衛。
初めて会った時から、なぜか懐かしいような、不思議な感覚があった。
それが何なのか、煕子自身にも分からない。
ただ――。
彼と話していると、不思議と安心できた。
「十兵衛様なら……」
煕子は小さく呟いた。
その先を、彼女は口にしなかった。
まさか、自分が現代で命を救われた男と同じ人物だとは知らない。
*
俺は明智荘の庭に立っていた。
「……婚姻、か」
俺の知っている歴史でも、明智光秀と妻木煕子は夫婦になる。
だが、この世界では事情が違う。
煕子は俺と同じく、現代の女性だ。
そして俺は――。
彼女を一度、現代で救っている。
ただし、彼女はまだ知らない。
それを俺から告げるつもりもなかった。
彼女が自分自身の意思で俺を選んでくれること。
それが何より大切だった。
戦。
政略。
鉄砲。
諜報。
そして婚姻。
俺の周囲で、少しずつ未来が形を変え始めていた。
その中で唯一、俺が自分の意思で掴みたいものがあるとすれば――。
煕子との未来だった。




