第二十一話 京、騒乱の兆し
天文十一年 京
佐吉とともに美濃へ戻る準備を進めていた、その日の夜。
京の町には、妙な緊張が漂っていた。
「……何か、おかしいな」
宿へ戻る途中。
普段なら人の声で賑わっている通りが、妙に静かだった。
道の端には、武士の姿も増えている。
「十兵衛様」
佐吉が小声で呼んだ。
「何だ?」
「さっきから、妙に物騒な連中が多くないですか?」
「ああ」
俺も気付いていた。
そして――。
「急げ!」
突然、前方から男が走ってきた。
「三好の者を見つけたぞ!」
怒声。
その直後。
路地の向こうから、複数の武士が現れた。
「何だ……?」
佐吉が立ち止まる。
俺は反射的に彼の腕を掴んだ。
「下がれ」
「十兵衛様?」
「巻き込まれるぞ」
武士たちは誰かを探している。
その様子からして、ただの喧嘩ではない。
政争だ。
京では珍しくない。
だが――。
「三好修理大夫様を狙っているのか?」
俺は小さく呟いた。
その名を聞いた佐吉が目を見開く。
「三好修理大夫様って、あの三好の?」
「ああ」
細川管領家と三好長慶。
この時代、京の政局を左右する二つの勢力だ。
そして今、その対立は限界まで高まっている。
*
翌朝。
俺は三淵藤英のもとを訪ねた。
「昨夜の騒ぎは何だったのです?」
「……聞いたか」
「はい」
藤英の表情は険しかった。
「細川管領家と三好の対立が、いよいよ表面化している」
「やはりですか」
「そうだ」
「昨夜の襲撃もでございますか?」
「昨日の件も、そうだろう」
俺は黙った。
歴史の知識を持つ俺には、この先に何が起こるのか分かっている。
三好長慶は、ただの一武将ではない。
これから畿内で巨大な勢力を築く男だ。
そして細川晴元との争いは、京の情勢そのものを変えていく。
「藤英殿」
「何だ?」
「三好長慶は、今どちらに?」
「それを知ってどうする?」
「……」
答えに迷う。
「関わらない方がいい」
藤英が言った。
「美濃へ帰るのであろう?」
「はい」
「ならば、余計なことに首を突っ込むことはない」
「承知しました」
俺は頭を下げた。
*
宿へ戻ると、佐吉が待っていた。
「どうでした?」
「京が騒がしくなっている」
「やはりですか」
「ああ」
「儂らはどうします?」
「帰る」
俺は即答した。
「美濃へ?」
「そうだ」
今回、俺が京へ来た目的は果たした。
鉄砲の分解方法。
整備。
修理。
そして――。
佐吉という頼れる職人を連れて帰ること。
これ以上、京の政争に関わる必要はない。
だが。
その日の夕方。
思いがけない人物が、俺の前に現れた。
「明智十兵衛殿」
「……?」
振り返る。
そこには、一人の男が立っていた。
「松永様から、あなたに伝言がございます」
「松永様から?」
「はい」
男は周囲を確認してから、小声で告げた。
「三好修理大夫様が、十兵衛殿と話をしたいとのことです」
「……私と?」
「はい」
俺は言葉を失った。
三好長慶。
まさか、向こうから接触してくるとは。
佐吉が不安そうに俺を見る。
「十兵衛様……」
「分かっている」
俺は京の町を見た。
細川。
三好。
松永。
そして――。
これから動き出す畿内の戦乱。
美濃だけを見ていればいいと思っていた。
だが、歴史の流れはそう簡単には俺を放っておいてくれないらしい。
「……会う」
「本当に?」
「ああ」
俺は静かに答えた。
「三好様が、何を考えているのか知っておきたい」
こうして俺は。
本来なら関わるはずのなかった男――
三好長慶との対面へ向かうことになった。




