第8件 婚書に載らなかった二人
初めの証書に、二人の名は二度出てくる。娘、息子。署名の欄には、ない。
十年後の婚書に、二人の名は署名の欄にだけある。
第1項 事案と争点
本件は、王国歴1663年、タルン谷の葡萄酒の町ミューレにおける、旧い婚約証書の効と、その清算と、婚姻ののちに残った物をめぐる裁定である。
葡萄園を持つブルン家と、酒商にして樽工房を営むファルク家は、王国歴1652年、娘イルマと息子ヨナスの婚約を結び、あわせて葡萄酒の取引を定めた。二年ののち、二年続いた春の霜で葡萄園の収穫が絶え、ファルク家は縁を解いた。両家は町の裁き所で和解し、清算を終えた。それから八年、二人はそれぞれの家で暮らした。王国歴1662年、二人は、両家を経ず、自らの名で婚姻を結んだ。翌年、ファルク家は、旧い証書の効を求めて訴えた。
争点は三つ。
王国歴1652年の婚約証書は、証書に名のある二人が後年婚姻したことによって、効を取り戻すか。
王国歴1654年の和解で清算された印と費えは、婚姻が成ったのちに、返されるべきか。
ヨナス・ファルクが工房を出るときに持ち出した樽と道具は、誰のものか。
なお、二人が八年ののちになぜ互いを選んだかは、争点に含まれない。法廷はこれを問わず、二人も述べなかった。
第2項 二通の証書と、一枚の婚書と、三冊の帳
一、婚約証書の抄。
王国歴1652年 芽吹きの月 30の日、ブルン家とファルク家、娘イルマと息子ヨナスの婚約を定む。
婚姻の儀は、娘が十七になる年のうちに行う。
ファルク家は、婚約の印として銀貨百五十枚と新しい樽二十を、ブルン家に渡す。
ブルン家の葡萄酒は、十年のあいだ、すべてファルク家に、一樽につき銀貨六枚で売る。婚姻の儀成りたるときは、この取引をさらに十年延ばす。
縁を解かんとするときは、解かんとする側の家が、その旨を書に記し、相手方の家に示すべし。解きたる側の家は、婚約の印を相手方に留め置き、または返し、かつ相手方が婚礼の支度に費やしたる銭を負う。取引は、解消とともに終わる。
末尾に、両家当主の署名と家印がある。本人二人の署名はない。娘は十三、息子は十四で、いずれも成人に達していない。
編者注。この証書に、娘と息子の名は二度ずつ出てくる。婚約の条と、婚姻の儀の条である。約したのは両家で、二人は約の目的である。証書はそういう作りになっている。
二、町の裁き所の和解書の抄。
王国歴1654年 刈入れの月 15の日。
ファルク家は、同年 実りの月 4の日の書をもって縁を解いた。よって婚約の印銀貨百五十枚はブルン家に留め置き、ブルン家の支度の費え五十枚はファルク家が負う。樽二十はブルン家よりファルク家に返す。葡萄酒の取引は、本日をもって終わる。両家は、以後、婚約証書につき互いに求むるところなし。
末尾に、両家当主の署名と家印、裁き所の判事の印がある。本人二人の署名はない。娘は十五に達していたが、この町の定めでは、家の結んだ縁を家が解くのに本人の署名を要しない。
三、教団会堂の婚姻帳の写し。
王国歴1662年 芽吹きの月 12の日。
ヨナス・ファルク、樽職人、二十四。イルマ・ブルン、葡萄園主、二十三。ミューレの会堂にて婚姻を誓う。
持ち寄る財。ヨナス、樽職人の道具一式と銀貨四十枚。イルマ、なし。葡萄園はブルン家の家産にとどまる。
証人。樽職人組合の親方ゲルト。ブルン家の葡萄作りマティス。
末尾に、本人二人の署名と、証人二名の署名がある。家印はない。この町の定めでは、家産を動かさぬ婚姻に家印を要しない。
編者注。イルマ・ブルンは、王国歴1659年に父を亡くし、その年から葡萄園の当主である。婚姻帳の職の欄に葡萄園主とあるのはそのためで、家産の欄になしとあるのは、園が彼女の持参財ではなく、彼女の家の家産であるためである。
四、ファルク工房の帳の抄。
王国歴1661年 刈入れの月 22の日。「樽十、ヨナス持ち出し。代六十枚、未収」
同じ帳の道具の欄に、「鉋二、槌一、締め具一、ヨナスの分」とある。工房が買った旨の記載はない。
王国歴1656年より1662年まで、ファルク家が葡萄酒を買い入れた先は、谷の三つの園である。ブルン家の名はない。
五、ブルン家の家計帳の抄。
王国歴1656年より1662年まで、ブルン家が葡萄酒を売った先は、隣町の酒商である。ファルク家の名はない。
王国歴1660年 花冠の月 6の日。「樽の直し、ファルク工房のヨナスへ、八枚」
王国歴1661年 刈入れの月 24の日。「樽十、ヨナスの持ち込み。代の記載なし」
王国歴1662年 芽吹きの月 12の日。「婚姻の費え、二十二枚。当家分」
六、ヨナス・ファルクの帳の抄。
小さな帳である。王国歴1658年より1660年までに、町の鍛冶より鉋二、槌一、締め具一を買った受取書が四枚、帳に綴じてある。宛名はいずれもヨナス・ファルク、合わせて十八枚。同じ帳に、賃の蓄えとして四十枚の記載がある。
編者注。二人の帳は、婚姻ののちも別々である。葡萄園のことはイルマの帳に、樽と道具のことはヨナスの帳にある。私は両方を取り寄せ、同じ日に読んだ。
第3項 申し立ての経緯
王国歴1662年 日盛りの月、ファルク家当主ベルント・ファルクは、ブルン家に対し、婚姻が成った以上、証書の定めた葡萄酒の取引を行うべきことを書で求めた。イルマ・ブルンは、証書は1654年に解かれている、と書で答えた。
王国歴1663年 芽吹きの月 25の日、町の裁き所は、ファルク家の訴えを退けた。理由は、証書は両家の印で解かれ、和解書に互いに求むるところなしとある、というものである。樽と道具については、裁き所は工房が本人を相手に別に訴えるべきものとした。
ファルク家は不服とし、三つの争点をあわせて神前法廷に訴え出た。訴えの相手は、証書についてはブルン家当主イルマ・ブルン、樽と道具についてはヨナス・ファルクである。
第4項 双方の申し立て
一、ファルク家の申し立て。
証書は、娘イルマと息子ヨナスの婚姻を定めた。二人は婚姻した。証書の定めた婚姻が成った以上、証書は効を取り戻し、葡萄酒の取引はブルン家の負う約である。
和解は、婚姻が成らぬことを前提とした清算である。婚姻が成った以上、解いた側として当家が留め置いた印百五十枚と、負った支度の費え五十枚は、払う理由を失った。返されるべきである。
息子は当家の子であり、婚姻に当家の印がない。当家は婚姻を認めていない。認めていない婚姻をもって、当家が証書の外に置かれるのは、道理に合わない。
樽十は工房の帳にあるとおり工房のものである。道具は工房の帳の道具の欄にあり、工房のものである。いずれも返されるべきである。
二、イルマ・ブルンの申し立て。
証書は両家が結び、両家が解いた。私は証書に署名していない。和解書にも署名していない。私が署名したのは婚書だけである。婚書に、ファルク家の名も、ブルン家の家産も、葡萄酒の取引も載っていない。
和解は、解消の代である。解消は行われた。八年のあいだ、当家はファルク家に酒を売らず、ファルク家は当家から酒を買わなかった。
樽については、当家の帳に持ち込みとしてあるとおりで、私は誰のものとも記していない。ヨナスが答える。
三、ヨナス・ファルクの申し立て。
樽十は工房のものであった。私は二年、工房で賃を受け取らずに働いており、賃の代のつもりで持ち出した。ただし、賃の代とする承けを、父から得てはいない。
道具は、私が自分の賃で鍛冶から買った。受取書は私の名である。工房の帳の道具の欄にあるのは、工房で私が使っていたからで、工房が買ったからではない。
婚姻は、私が自分の名で誓った。父の印がないのは、家産を動かしていないからである。私の持ち寄った財は、私の道具と、私の四十枚である。
第5項 神前審理の抄
青葉の月15の日、ミューレの会堂前の広場にて開廷。
裁定者トゥーレ、原告たるベルント・ファルク、被告たるイルマ・ブルンとヨナス・ファルク、証人たる親方ゲルトは、白き貫頭衣を着し、欽定緑律の法のもとに立った。五者の手に緑の茨の証が現れたことを、法廷日録は記している。
裁定者、ベルント・ファルクに問う。
「証書で婚姻を約したのは、誰と誰か」
答え。
「当家とブルン家です」
「息子は約したか」
「息子は十四でした」
「去年の婚姻で婚姻を誓ったのは、誰と誰か」
「息子と、ブルン家の娘です」
「ファルク家は」
当主、しばらく答えず。その後、誓っておりません、と述べる。
「証書を解いたのは、誰か」
「当家です」
「解いた代を払ったか」
「払いました」
「その代を返せと言うのは、解かなかったことにしたいからか、解いたが婚姻が成ったからか」
「婚姻が成ったからです」
「誰の婚姻か」
当主、答えず。
裁定者、イルマ・ブルンに問う。
「証書の娘は、あなたか」
答え。
「私です」
「証書に署名したか」
「しておりません。十三でした」
「和解書に署名したか」
「しておりません。十五でしたが、家が署名しました」
「婚書に署名したか」
「しました」
「婚書に、葡萄園を載せたか」
「載せておりません。園は家のものです。私は当主ですが、私のものではありません」
裁定者、ヨナス・ファルクに問う。
「樽十は、誰のものか」
答え。
「工房のものでした」
「賃の代とする承けを得たか」
「得ておりません」
「道具は」
「私が買いました。受取書があります」
「工房の帳に、あなたの分とある。それは工房のものという意味か、あなたのものという意味か」
「私が使う分、という意味です。工房の帳に、工房が買ったとは書いてありません」
裁定者、ベルント・ファルクに問う。
「道具を工房が買った記録はあるか」
答え。
「ございません。息子が買ったのは知っております。工房で使っていたので、工房のものと思いました」
裁定者、親方ゲルトに問う。
「婚姻の証人に立ったとき、ファルク家の印がないことを知っていたか」
答え。
「知っておりました。町の定めで要りません。家産が動いておりませんので。動いたのは、道具と四十枚で、それは職人の財です。職人の財が職人のものであることは、組合が請け合います」
裁定者、双方に問う。
「証書は両家の名で結ばれ、両家の印で解かれた。婚書は二人の名で結ばれ、家産を動かしていない。樽十は工房の帳にあり、道具は本人の受取書にある。この三つについて、異議はあるか」
ベルント・ファルク、なし。イルマ・ブルン、なし。ヨナス・ファルク、なし。
第6項 裁定
青葉の月19の日、裁定書を交付す。主文ならびに理由の要部を写す。
一、約は、約した者のあいだにある。王国歴1652年の証書を約したのはブルン家とファルク家であり、王国歴1654年の和解で両家はこれを解き、互いに求むるところなしと定めた。解かれた約は、解いた者たちが新たに結ばぬ限り、甦らない。王国歴1662年の婚姻を誓ったのはヨナス・ファルクとイルマ・ブルンであり、両家はこれを誓っていない。よってこの婚姻は、証書の定めた婚姻ではない。証書は効を取り戻さず、葡萄酒の取引は生じない。契の律により、約は約した者の名において数える。
一、証書に娘と息子の名があるのは、両家が約の目的として記したものであって、二人が約したものではない。人の名は、その人が署名した書にのみ縛られる。名の律により、二人は証書に縛られず、証書もまた二人の婚姻によって動かない。
一、和解は解消の代であり、解消は行われた。両家は八年のあいだ互いに求めず、葡萄酒はよそに売られ、よそから買われた。婚姻が成ったことは、解消がなかったことにはならない。印百五十枚と支度の費え五十枚は、返さない。
一、婚姻は、成人二人が自らの名で誓い、町の定めに従って家産を動かさず、証人を立てて成った。ファルク家の印を要しない。ファルク家がこれを認めるか否かは、婚姻の効を変えない。座の律により、婚姻は二人のものである。それゆえに、婚姻はファルク家のものではなく、ファルク家は婚姻によって何も得ず、何も失わない。
一、樽十は工房のものである。賃の代とする承けはなく、本人もこれを認める。樽はすでに酒を入れて使われているゆえ、ヨナス・ファルクは、樽の代として工房の帳にある六十枚を、ファルク工房に払うべし。道具については、本人の名の受取書があり、工房が買った記録はない。道具は本人のものである。
一、ヨナス・ファルクが工房で賃を受けずに働いたことについて、本人は請求しておらず、法廷はこれを裁かない。
一、これは、解かれた約が解かれたままであることと、新しい約が新しい約であることと、持ち出した物の帰属を定めた裁定であり、二人が初めの相手を選び直したことの是非を量ったものではない。
第7項 履行の記録
本件の履行には、私が検分人として立ち会った。以下は私の控えによる。
日盛りの月2の日、ブルン家の葡萄園にて、樽十を検分した。十とも、側板にファルク工房の焼き印がある。中身は、前年の刈入れの酒である。数と焼き印を確かめ、中身は開けなかった。道具は、工房の焼き印も、他の印もない。鍛冶の受取書と数を照らし、鉋二、槌一、締め具一を確かめた。
同日、町へ下り、ファルク工房にて、ヨナス・ファルクよりベルント・ファルクに六十枚。受取書あり。受取書には工房の印が押され、宛名にヨナス・ファルク、樽職人、とある。宛名の字は当主の字である。
六十枚の出所を、二人の帳で確かめた。ヨナスの帳に、「樽十の代、六十枚、工房へ。うち四十、私の財より。二十、イルマより借り」とある。イルマの帳に、同じ日付で「ヨナスへ貸し、二十」とある。婚姻ののちも、二人の帳は別々である。
王国歴1663年 刈入れの月、ブルン家の葡萄酒は、ファルク家に売られた。イルマの帳に「樽二十四、ファルク家へ、その年の値、一樽七枚」とあり、工房の帳にも同じ額がある。取引の約はない。その年の、その値である。前年までの隣町の酒商には、その年、売っていない。理由は帳に書いていない。
王国歴1664年の春の時点で、二人は婚姻したままである。ヨナス・ファルクは、葡萄園の小屋で樽を作っている。焼き印は、自分の名の頭文字を新たに彫ったものを使っている。私が最後に見た樽に、それが押してあった。
第8項 編者考
この案件を、初めの相手に戻った話、と紹介する者がいる。私はそう読まない。戻るには、初めにそこにいなければならない。二人は、初めの証書のどこにもいなかった。娘と息子として二度書かれ、署名の欄にはいなかった。和解書にもいなかった。二人がいたのは、十年後の婚書の署名の欄だけである。そこには家印がなく、葡萄園もなく、取引もなかった。あったのは道具一式と四十枚と、二人の名である。戻ったのではない。初めて載ったのだ。
ファルク家の申し立てを、欲深い話として読む者もいるだろう。私は、そうも読まない。当主は、息子が娘と婚姻したことを、証書の婚姻が成ったのだと思った。父にはそう見えたのだと思う。証書に息子の名があり、婚書に息子の名がある。同じ名である。だが、証書の名は父が書き、婚書の名は息子が書いた。裁定は、約は約した者の名で数える、と書いた。同じ名が二度あっても、書いた手が違えば、それは二つの名である。師の書庫で私が最初に教わったのは、証書を読むときはまず署名の欄を見よ、ということだった。本文に誰の名があるかではなく、誰がその名を書いたかを見よ、と。この案件は、その教えのとおりに読めば、それで足りる。
本書をここまで読んで、初めの相手に戻るのが正しい、と読む者がいれば、それは本書のどこにも書いていない。第1件から第7件まで、戻った者はいない。この二人も、戻っていない。八年のあいだ別の酒商に酒を売り、別の園から酒を買い、父の工房で賃なしに働き、父を亡くして園を継いだ、そのあとで、二人は自分の名を書いた。私はその八年を知らない。帳に書いていないからだ。分かるのは、婚書の日付と、その日の費え二十二枚と、証人二人の名である。
履行の日、私は丘の樽を見た。側板には父の工房の焼き印があり、中には二人の園の酒が入っていた。焼き印は父のもので、酒は二人のもので、六十枚は息子の財と妻からの借りで払われた。それを別々に書いておける帳があって、その帳が二冊あることが、私には、この案件の全部である。




