第5件 花嫁のいない水門
婚約は、花冠の月の初めに解かれた。水門は、その二日後に閉じられた。
二つの家が別れたことを、三つの村の畑は知らなかった。
第1項 事案と争点
本件は、王国歴1662年、オルデンナ王国西部、カルゲン管内のケル川沿いにおける、婚約解消に伴う水利の裁定である。
ケル川の堰と、堰から引いた水路の水門は、上流の地主ホルスト家の地所にある。水路は下流のラウエ家の畑と、そのあいだにあるラーデ村、ボルン村、エッシュ村の畑を潤す。ホルスト家の長男ヨアヒムとラウエ家の娘ゾフィとの婚約に伴い、両家は水利の約を結び、四年のあいだ水門は開いていた。婚約が双方の合意で解かれたのち、ホルスト家は水門を閉じた。ラウエ家と三つの村は、水門を開くことを求めて訴えた。
争点は三つ。
婚約に伴って結ばれた両家の水利の約は、婚約の解消とともに終わるか。
それより六十年前に結ばれた、ホルスト家と三つの村との旧約は、両家の約によって消えたか、残っているか。
四年のあいだの堤と水路の修繕の負担は、どう清算されるか。
なお、婚約の解消そのものは、双方の合意によるもので争いがない。ヨアヒムとゾフィがなぜ別れたかは、争点に含まれず、双方とも述べていない。
第2項 成立した約定と水路の記録
一、村々との旧約の抄。
王国歴1601年 芽吹きの月 3の日、ホルスト家とラーデ、ボルン、エッシュの三村、定む。
ホルスト家は、芽吹きの月より実りの月まで、十日のうち三日、すなわち三の日、六の日、九の日に、水門を開き、水路に水を通す。
三村は、その代として、毎年白霜の月に、堤と水路の修繕のため、各村より人足十人を三日出す。木材はホルスト家が出す。
この約は、両者の印なくして改めず。
末尾に、ホルスト家当主と三村の村長の印がある。以後六十年、毎年の人足の記録が三村の村帳にある。
二、両家の婚約証書の抄。
王国歴1658年 花冠の月 2の日、ホルスト家とラウエ家、長男ヨアヒムと娘ゾフィの婚約を定む。
婚姻の儀は、五年のうちに行う。
本人双方の願いにより縁を解かんとするときは、双方の家の印をもって書に残すべし。解消の日をもって、別紙の水利の約は終わる。
三、別紙水利の約の抄。
同日、ホルスト家とラウエ家、定む。
ホルスト家は、婚約のあいだ、芽吹きの月より実りの月まで、日を限らず水門を開き、ラウエ家の畑に水を通す。
堤と水路の修繕は、両家が費えを折半し、人夫を雇って行う。三村の人足は、このあいだ要せず。
この約は、婚約証書の解消の定めに従って終わる。
末尾に、両家当主の署名と家印がある。三村の印はない。
編者注。水利の約は両家のあいだの約であり、三村は当事者ではない。ただし、三村の人足を要せずという一条は、三村の負担にかかわる。三村がこの一条を知っていたことは、ラーデ村の村帳に「ホルストの旦那より、当分人足は要らぬとの伝え」とあることから分かる。三村の印がないことが、本件の要になる。
四、修繕の帳。
王国歴1658年から1661年までの四年、両家は毎年白霜の月に人夫を雇い、堤と水路を修繕した。費えは四年で銀貨四百八十枚、両家が二百四十枚ずつ出した。人夫頭の受取書と、両家の出納控えがある。三村の人足は、この四年、出ていない。
五、水門の帳。
ホルスト家の水門番の帳によれば、王国歴1658年 花冠の月 3の日から1662年 芽吹きの月 40の日まで、芽吹きの月より実りの月のあいだ、水門は日を限らず開いていた。
第3項 婚約の解消と水門の閉鎖
王国歴1662年 芽吹きの月 20の日、本人双方の願いにより、両家は解消書に印を置いた。解消書には、別紙の水利の約が同日をもって終わる旨が、婚約証書の定めどおりに記されている。
花冠の月2の日、ホルスト家は水門を閉じた。水門番の帳に「旦那の言い付けにより閉門」とある。
同じ日、ラウエ家の畑と、三村の畑への水が止まった。花冠の月は種を蒔いて芽を出す月で、三村の村帳は、いずれも「水なし」の行を続けている。
花冠の月5の日、三村の村長は連名でホルスト家を訪ね、旧約の三の日、六の日、九の日の水を求めた。ホルスト家当主ライナーは、水利の約は婚約とともに終わった、旧約はその約に呑まれてすでにない、と答えた。ラーデ村の村帳にその旨の覚え書きがある。
花冠の月8の日、ラウエ家と三村は、カルゲンの領裁き所に訴えた。裁き所は、両家の水利の約が終わったことを確認したうえで、旧約については、両家の約に呑まれたか否かの判断を留保し、季節が待たぬとして、双方に示談を勧めた。示談は成らなかった。
花冠の月14の日、ラウエ家と三村は、欽定緑律教団の神前法廷に訴え出た。法廷は季節を考え、早期の審理を定めた。
第4項 双方の申し立て
一、三村の申し立て。
旧約は六十年続いた。両家が婚約のあいだ日を限らず水を通したのは、旧約より多く通したのであって、旧約を消したのではない。人足を要せずと伝えられたので出さなかったが、旧約を捨てると言った覚えはなく、印も押していない。
求めるのは、旧約どおり、三の日、六の日、九の日の水である。芽が枯れる前に、直ちに開けてほしい。
二、ラウエ家の申し立て。
水利の約が婚約とともに終わることは、証書に書いてあり、争わない。
ただし、四年のあいだ修繕の費えを二百四十枚出した。堤も水路もホルスト家の地所にあり、修繕の利はホルスト家に残る。縁が切れた以上、この二百四十枚の返還を求める。
あわせて、当家の畑にも、三村と同じ日に水を通してほしい。当家の畑は水路の末にあり、三村に水が通る日には、余った水が流れてくる。
三、ホルスト家の申し立て。
水利の約が終わったことに争いはない。
旧約については、両家の約を結んだとき、三村に人足を要せずと伝え、三村はそれを受け入れた。旧約の定める人足を四年出さなかった以上、三村は旧約を守っていない。守っていない約を、いま持ち出すことはできない。
水門は当家の地所にあり、開くも閉じるも当家の勝手である。
修繕の費えについては、ラウエ家は四年、日を限らず水を得た。二百四十枚はその代であり、返さない。
四、ゾフィ・ラウエの陳述書の抄。
「私とヨアヒム様のことは、二人で決めて、両家に願い出ました。それについて、法廷で申し上げることはありません。
ただ、私が嫁がなくなったことで、ラーデの畑が枯れるのは、筋が通らないと思います。私は、ラーデの水のことなど、婚約の日には知りませんでした」
第5項 神前審理の抄
花冠の月25の日、カルゲンの教団広場にて開廷。
裁定者ハイム、原告たる三村の村長三名とラウエ家当主マルガレーテ、被告たるホルスト家当主ライナーは、白き貫頭衣を着し、欽定緑律の法のもとに立った。五者の手に緑の茨の証が現れたことを、法廷日録は記している。
裁定者、被告に問う。
「旧約には、両者の印なくして改めず、とある。旧約を改めたとき、三村の印を取ったか」
答え。
「取っておりません。改めたのではなく、当分のあいだ要らぬと伝えたのです」
「当分のあいだ要らぬ、とは、旧約を終わらせる言葉か、休ませる言葉か」
被告、しばらく答えず。その後、休ませる言葉です、と述べる。
「休ませた約は、休みが終われば戻るか」
「戻ると言われれば、戻るのでしょう」
裁定者、三村の村長に問う。
「四年、人足を出さなかった。旧約の定めを守らなかったことになるか」
ラーデ村の村長、答える。
「出すなと言われたので出しませんでした。出すと言われれば、今年の白霜から出します」
「出す用意があるか」
三名、あると答える。
裁定者、ラウエ家当主に問う。
「四年、日を限らず水を得たか」
答え。
「得ました」
「その四年の修繕の費えは、水を得るための費えであったか」
「そうです」
「では、費えは、得た水の代として払われたことになるか」
当主、しばらく答えず。その後、そうなります、と述べる。
裁定者、被告に問う。
「三村への水を止めたとき、三村の畑が芽を出す月であることを知っていたか」
「知っておりました」
「婚約が解けたことで、三村の畑に何か変わったことがあるか」
「ございません」
「では、三村の畑に水を止めた理由は、三村にあるか、ホルスト家とラウエ家のあいだにあるか」
被告、答えず。
裁定者、双方に問う。
「両家の水利の約は解消の日に終わった。旧約は三村の印なくして改められておらず、休んでいたが終わっていない。ラウエ家は四年の水を得て、その費えを払った。この三つについて、異議はあるか」
被告、旧約が終わっていない点に異議を述べ、三村が人足を出さなかったことを重ねて挙げた。裁定者、人足を出さなかったのは被告の伝えによるものであり、被告の伝えを理由に三村の権利を失わせることはできない、と告げた。被告、それ以上は述べず。
第6項 裁定
花冠の月28の日、裁定書を交付す。主文ならびに理由の要部を写す。
一、ホルスト家とラウエ家の水利の約は、婚約証書の定めにより、解消の日をもって終わった。ラウエ家の畑に日を限らず水を通す義務は、ホルスト家にない。
一、ホルスト家と三村の旧約は、両者の印なくして改めず、と定める。両家の水利の約は三村の印を欠き、旧約を改めるものではない。ホルスト家が三村に伝えた「当分人足は要らぬ」との言葉は、旧約を休ませたにとどまり、終わらせていない。旧約は残っている。婚約の解消は、三村と何のかかわりもなく、三村の畑に水を止める理由にならない。
一、よって、ホルスト家は、この裁定の交付より三日のうちに、旧約の定めに従い、三の日、六の日、九の日に水門を開くべし。以後、旧約は旧約の定めどおりに行う。三村は、この年の白霜の月より、旧約の定める人足を出すべし。四年のあいだ出さなかった人足について、三村に補いを求めない。出さなかったのはホルスト家の伝えによるからである。
一、ラウエ家の求める修繕の費え二百四十枚の返還は、認めない。費えは、四年のあいだ日を限らず水を得るための負担として払われたものであり、ラウエ家はその水を得た。堤と水路がホルスト家の地所にあることは、ラウエ家が水を得た事実を変えない。
一、ラウエ家の求める、三村と同じ日の水については、旧約にラウエ家の名がなく、両家の約は終わっており、これを命じる根拠がない。ただし、水路の末に流れる余りの水を、ホルスト家が止める理由もない。この点は命じず、慣わしに委ねる。
一、水門はホルスト家の地所にあるが、水門を開く義務は旧約によってホルスト家を縛っている。地所の主であることは、約の外に立つ理由にならない。縛の律は、地所の主にも及ぶ。
一、これは、二つの家が別れたことと、三つの村が水を得ることとを分ける裁定であり、ヨアヒム・ホルストとゾフィ・ラウエの縁の是非を量ったものではない。
第7項 履行の記録
本件の履行には、私が検分人として立ち会った。以下は私の控えによる。
花冠の月30の日、ホルスト家の水門にて。裁定より二日目。三の日ではないが、ホルスト家当主の申し出により、この日に開門。水門番が堰板を二枚抜く。水路に水が入る。私はラーデ村まで水路に沿って歩き、村の畑の取り入れ口に水が届くのを見た。半刻ほどかかった。ラーデ村の村長の受取書に「水、届く」とある。
青葉の月3の日、旧約の日。開門。三村の村帳に記載あり。以後、六の日、九の日、と続く。私は青葉の月9の日までの三度を確かめ、その後は三村の村帳の写しを月ごとに受け取った。実りの月の終わりまで、休みなし。
白霜の月、三村より人足各十人、三日。ホルスト家より木材。旧約どおり。ホルスト家の帳と三村の村帳、いずれに記載あり。
ラウエ家の畑については、三村の日に、水路の末に余りの水が流れている。ラウエ家の帳によれば、その年の収穫は前の年の六割ほどであった。ラウエ家は翌年、畑の一部を牧に替えた。
ヨアヒム・ホルストは、王国歴1663年、カルゲンの商家の娘と婚姻した。ゾフィ・ラウエは、王国歴1664年の春の時点で、婚姻していない。ラウエ家の家令によれば、本人は畑と牧の帳を付けているという。
第8項 編者考
水は、誰の嫁でもない。ラーデ村の村長が審理のあとで言った言葉で、私は控えに書いた。裁定書には載っていない。
この案件の筋は、法廷では短かった。両家の約は両家の印で結ばれ、両家の印で解けた。三村の約は三村の印で結ばれ、三村の印なしには解けない。それだけである。ホルスト家の当主が、それを知らなかったとは思わない。知っていて、四年のあいだ日を限らず水を通しているうちに、水門が自分の勝手になった気がしたのだと思う。地所の主であることと、約の主であることとは、別である。裁定者はそこを切った。
ラウエ家のことも書いておく。二百四十枚は返らなかった。四年の水の代だからで、ラウエ家の当主も法廷でそれを認めた。ゾフィ・ラウエの陳述書は、自分の縁については何も言わず、ラーデの畑のことだけを言った。私はその陳述書が、この案件の中で、いちばん正確に争点を言い当てていたと思う。当人は、婚約の日にラーデの水のことを知らなかったと書いている。知らなかったのは、当人だけではない。
水門が開いた日、私はラーデ村まで歩いた。水が畑の取り入れ口に届くまで、半刻かかった。その半刻のあいだ、村の者は誰も口をきかなかった。水が届くと、一人が鍬を取り、それから皆が取った。私は受取書をもらって帰った。受取書には、水、届く、とだけある。




