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第2件 浪費家の領収書


 破談の理由は、一語で告げられた。浪費である。


 その一語を裏付けるはずの領収書は、箱に三つあった。


第1項 事案と争点


 本件は、王国歴1661年、オルデンナ王国東部、リンデン管内のダールク男爵領における、婚約解消に伴う清算の裁定である。


 ダールク男爵家の嫡男ヘルム・ダールクと、ヴェント子爵家の娘ロザリエ・ヴェントとの婚約が、男爵家の側から解かれた。男爵家は、解消の理由をロザリエの浪費とし、婚約時に受け取っていた支度金の返還を拒み、あわせて婚約中にロザリエが男爵領で支出した銭について、その責めを子爵家に帰した。子爵家は、支度金の返還と、ロザリエが男爵家のために立て替えた銭の弁済を求めた。


 争点は三つ。


 ロザリエの支出は、婚約証書にいう「相手方の重大な不行跡」にあたるか。


 その支出のうち、何が男爵家のための立替えで、何が贈り物で、何が本人の出費か。


 支度金と、婚礼の支度に費やした銭は、誰が負うか。


 なお、ヘルムがロザリエを厭ったか、別の縁談があったかは、争点に含まれない。男爵家は解消の理由として浪費のみを挙げ、子爵家もそれ以外を問うていない。


第2項 成立した約定と支出の記録


 一、婚約証書の抄。


 王国歴1659年 実りの月 12の日、ダールク男爵家とヴェント子爵家、婚約を定む。


 婚姻の儀は、二年ののち、実りの月のうちに行うものとす。


 子爵家は、婚約の印として支度金銀貨六百枚を男爵家に渡す。婚姻の儀成りたるときは、これを持参財の一部とす。婚姻に至らざるときは、縁を解きたる側が、相手方の婚礼の支度に費やしたる銭を負い、支度金は子爵家に返すべし。ただし、相手方の重大な不行跡を理由に解きたるときは、この限りにあらず。


 婚約のあいだ、ロザリエはダールク領の館に住まい、館の切り盛りを男爵家より預かる。館の入用は男爵家が負い、ロザリエが自らの財より出したるものは、帳に記して男爵家に示すべし。


 末尾に、両家当主の署名と家印がある。


 二、支度金の受取書。


 実りの月14の日、男爵家家令の署名と家印のある受取書に、銀貨六百枚とある。争いはない。


 三、ロザリエの出納帳と領収書。


 ロザリエは、婚約証書の定めに従い、館に入った日から出納帳を付けていた。帳は三冊、領収書は箱三つに分けて綴じられ、いずれも子爵家から神前法廷に提出された。以下、帳の総額を、支払い先の別に写す。


 館の修繕。屋根の葺き替え九十枚、井戸の浚い十二枚。屋根屋と井戸屋の受取書がある。


 領内の橋の修繕。二百四十枚。石工組頭の受取書と、男爵家家令の立会印がある。


 使用人の賃金。百八十枚。男爵家の賃金帳に、三期分の滞りをロザリエが払った旨の記載と、使用人十一人の受取印がある。


 種麦。六十袋、百二十枚。穀物商の受取書がある。


 医者と薬。四十枚。領内の村の熱病の折のもので、医者の受取書がある。


 男爵家の紋を入れた銀器一揃い。八十枚。銀細工師の受取書があり、帳には贈り物と記されている。


 衣装。三百二十枚。仕立屋と織元の受取書がある。


 馬車一台。二百六十枚。車大工の受取書があり、馬車はロザリエの名で登録されている。


 宝石。百五十枚。宝石商の受取書がある。


 総額は千四百九十二枚となる。帳の合計もこの数で、領収書の合計と一致する。


 編者注。男爵家が申し立てた「浪費」の額は千五百枚である。帳の総額を丸めた数と見てよい。男爵家は、この総額のうち何が館と領地のためのものであったかを分けずに申し立てた。分けたのは、法廷である。


第3項 婚約の解消と申し立ての経緯


 王国歴1661年 花冠の月 3の日、ダールク男爵は、ヴェント子爵に宛てて書を送った。要旨を写す。


 「ご息女は当家の館に入られて以来、千五百枚に及ぶ銭を費やされた。当家の家産をもってしては到底支えきれぬ暮らしぶりであり、嫡男の妻として迎えることはできぬ。婚約証書の定めにより、重大な不行跡を理由として縁を解く。支度金は、費やされた銭の一部に充てるものとし、返還はしない」


 ロザリエは、同じ月の7の日に館を出て、子爵家に戻った。出るにあたり、出納帳三冊と領収書の箱を持ち出し、写しを一部、男爵家家令に残した。家令の受取印がある。


 子爵家は、花冠の月15の日、男爵家に対し、支度金六百枚の返還と、立替えの弁済とを求める書を送った。男爵家は答えなかった。


 子爵家はリンデンの領裁き所に訴えた。裁き所は、婚約証書の不行跡の条項について、その判断は両家の身分にかかわるとして判断を避け、示談を勧めた。示談は成らなかった。


 青葉の月2の日、子爵家は欽定緑律教団の神前法廷に訴え出た。


第4項 双方の申し立て


 一、ヴェント子爵家の申し立て。


 ロザリエの支出は、婚約証書の定めに従って帳に記し、男爵家に示していた。支出の大半は、男爵家の館と領地の入用であり、本来は男爵家が負うべきものである。これを浪費と呼ぶことはできない。


 男爵家は不行跡を理由として縁を解いたが、不行跡は成り立たない。したがって、縁を解いたのは男爵家の側であり、支度金六百枚は返されるべきである。あわせて、館と領地のために立て替えた銭の弁済を求める。婚礼の支度に子爵家が費やした銭についても、証書の定めにより男爵家が負うべきである。


 なお、衣装、馬車、宝石については、ロザリエ自身の財より出したものであり、男爵家に弁済を求めない。


 二、ダールク男爵家の申し立て。


 帳と領収書の真正は争わない。ただし、千五百枚という額は、当家の一年の収入を超える。そのような額を二年足らずで費やす者を、嫡男の妻とすることはできない。支出の中身がどうあれ、額そのものが不行跡である。


 橋や屋根の修繕は、当家が頼んだものではない。ご息女が勝手に始めたものである。頼んでいない工事の代を弁済する義務はない。


 使用人の賃金は、当家が遅れて払うつもりであったものを、ご息女が先に払ったにすぎない。


 支度金は、費やされた銭の穴埋めに充てる。


 三、ヘルム・ダールクの陳述書の抄。


 「ロザリエ殿が館の切り盛りを引き受けてくださったことは、ありがたく思っておりました。橋のことも、屋根のことも、私は承知しておりました。止めなかったのは私です。


 父が縁を解くと決めたことに、私は逆らいませんでした。当家に、あの方を支える財がないことは、私がいちばんよく知っております。


 浪費という言葉を、私は使っておりません」


 編者注。この陳述書は、男爵家の申し立てと同じ日に提出された。同じ家から出た二通が食い違うことを、法廷は見逃さなかった。


第5項 神前審理の抄


 青葉の月23の日、リンデンの教団広場にて開廷。


 裁定者メルド、原告代理たる子爵家の家令、被告たる男爵本人が、白き貫頭衣を着し、欽定緑律の法のもとに立った。三者の手に緑の茨の証が現れたことを、法廷日録は記している。


 男爵は、嫡男の陳述書について、嫡男は当家の当主ではない、と述べた。裁定者は、陳述書は当主の申し立てとして扱わず、証言として扱う、と告げた。


 裁定者、男爵に問う。


 「橋の修繕は、領地に要るものであったか」


 答え。


 「橋は古く、荷車が通れなくなっておりました。要るものではありました」


 「当家が修繕する目算はあったか」


 「ございませんでした。銭がなかったのです」


 「では、ご息女が修繕しなければ、橋はいまも荷車が通れぬままであったか」


 「そうなります」


 「その橋を、当家は使っているか」


 「使っております」


 裁定者、続けて問う。


 「使用人の賃金の三期の滞りは、いつ払うつもりであったか」


 「刈入れののちに、と考えておりました」


 「賃金帳によれば、滞りは前の年の刈入れより前から続いている。前の年の刈入れののちには払ったか」


 男爵、しばらく答えず。その後、払っておりません、と述べる。


 裁定者、子爵家家令に問う。


 「銀器は、贈り物か」


 答え。


 「贈り物でございます。帳にもそう記してあります。返還は求めません」


 「衣装、馬車、宝石は、館の入用か」


 「ご息女ご自身の入用でございます。男爵家には求めません」


 「その三つで、七百三十枚になる。子爵家の娘の二年の出費として、多いか少ないか」


 「多いと思う者もございましょう。ただし、ご息女自身の財から出ており、男爵家の財は一枚も使っておりません」


 裁定者、双方に問う。


 「帳と領収書に争いなく、千四百九十二枚のうち、館と領地のための支出が六百八十二枚、贈り物が八十枚、ご息女自身の出費が七百三十枚である。この分け方に異議はあるか」


 男爵、館と領地のための支出を当家が頼んだものではないとして異議を述べた。裁定者は、頼んだか否かは弁済の義務を量るときに検める、分け方そのものへの異議か、と問い直した。男爵、分け方には異議なし、と答えた。


 男爵、申し添える。


 「額が多すぎるのです。中身がどうあれ、これほど使う者を当家は養えませぬ」


 裁定者、問う。


 「養えぬのは、ご息女か、館か」


 男爵、答えず。


第6項 裁定


 青葉の月26の日、裁定書を交付す。主文ならびに理由の要部を写す。


 一、婚約証書にいう「相手方の重大な不行跡」とは、相手方の行いが約定の趣旨に背き、婚姻を続けることを不当にするものをいう。ロザリエ・ヴェントの支出は、証書の定めに従って帳に記され、男爵家に示されていた。そのうち館と領地のための支出は、男爵家が負うべき入用を代わって払ったものであり、男爵家はその成果を現に用いている。これを不行跡ということはできない。


 一、ロザリエ自身の財よりなした衣装、馬車、宝石の支出は、男爵家の財を損なっていない。自らの財を自らのために用いることは、その額の多寡にかかわらず、相手方に対する不行跡にあたらない。額の多さをもって将来の暮らしを案ずることは、縁を結ぶ前に検めるべき事柄であり、結んだのちに不行跡の名を与える事柄ではない。


 一、ゆえに、本件の縁を解いたのはダールク男爵家であり、不行跡の除外は適用されない。証書の定めにより、支度金銀貨六百枚はヴェント子爵家に返還すべし。


 一、館と領地のための支出六百八十二枚のうち、橋の修繕二百四十枚、屋根の葺き替え九十枚、井戸の浚い十二枚、使用人の賃金百八十枚、種麦百二十枚、医者と薬四十枚は、いずれも男爵家の負うべき入用であり、証書はロザリエが自らの財より出したものを帳に記して男爵家に示すべしと定めている。示された以上、男爵家はこれを弁済すべし。頼まなかったことは、要らなかったことではない。


 一、銀器八十枚は、帳に贈り物と記され、原告も返還を求めない。弁済に含めない。


 一、衣装、馬車、宝石の七百三十枚は、原告が求めず、被告に弁済の義務もない。裁定に含めない。


 一、婚礼の支度に子爵家が費やした銭については、原告の提出した織元と仕立屋の受取書により百二十枚を認める。証書の定めにより、男爵家がこれを負う。


 一、よって、男爵家は子爵家に対し、支度金六百枚、立替えの弁済六百八十二枚、婚礼の支度の費え百二十枚、あわせて銀貨千四百二枚を支払うべし。男爵家の申し立てた家産の乏しさに鑑み、支払いは三度に分け、最終の期日を翌年の実りの月12の日とする。利足は取らない。


 一、これは、ロザリエ・ヴェントが館と領地のために払ったものと、両家が約した支度の清算であり、男爵家が縁を解いたことに科す罰ではない。


第7項 履行の記録


 本件の履行には、私が検分人として立ち会った。以下は私の控えによる。


 実りの月12の日、男爵家、第一の支払いとして銀貨四百枚を子爵家に納める。子爵家の受取書あり。


 翌年 芽吹きの月12の日、第二の支払い五百枚。受取書あり。


 同年 実りの月12の日、第三の支払い五百二枚。受取書に完済の記載あり。男爵家の出納控えによれば、第一の支払いは領内の森の伐り出し、第二と第三は男爵家の王都の屋敷の売却による。


 私は第三の支払いののち、ダールク領に赴き、次を確かめた。


 橋。石造り。荷車二台がすれ違える幅。石工組頭の刻んだ年号あり。村の者はこれを令嬢の橋と呼んでいる。


 館の屋根。葺き替え済み。雨漏りなし。


 井戸。水あり。


 使用人。十一人のうち九人が引き続き館に勤める。賃金帳に、裁定ののち滞りなし。


 種麦。六十袋は前の年に蒔かれ、その収穫から次の種麦が取られている。帳に記載あり。


 馬車。館にはない。ロザリエ・ヴェントの名で登録されたまま、子爵家にある。


 ロザリエ・ヴェントは、その後、リンデンの織物商の家に嫁いだ。嫁ぐにあたり、支度金として持参したのは、裁定で返された六百枚のうち五百枚であったと、子爵家の家令は言う。私は子爵家の帳を見ておらず、この点は確かめていない。


 ヘルム・ダールクは婚姻していない。男爵家の帳には、王都の屋敷を売った年から、館の入用の行に「嫡男立替」と書かれた行が現れる。


第8項 編者考


 浪費という言葉は、額を言うのか、使い道を言うのか。


 男爵家の申し立ては額を言い、裁定は使い道を読んだ。千四百九十二枚を三つに分けると、館と領地のための六百八十二枚、贈り物の八十枚、本人の七百三十枚になる。男爵家が負うべきだったのは最初の一つで、最後の一つは初めから男爵家の財ではなかった。三つを足して千五百枚と呼び、それを浪費と呼んだとき、男爵家は自分が負うべき額と、自分が一枚も出していない額とを、同じ袋に入れていた。


 私は、七百三十枚が少ないとは書かない。子爵家の家令も、法廷でそう言わなかった。衣装と馬車と宝石に二年で七百三十枚を使う娘を、養えないと思う家があるのは分かる。だがそれは、縁を結ぶ前に帳を見て決めることであって、縁を結んだあとに不行跡と名付けることではない。裁定者はそこを切った。切ったあとに残ったのは、橋と屋根と井戸と賃金と種麦と薬、つまり館が館であるために要ったものだった。


 橋を見に行ったのは、検分人の務めの範囲を少し越えている。裁定は銭の支払いを命じたのであって、橋の検分を命じたのではない。だが私は、頼まなかったことは要らなかったことではない、という裁定の一行が、石でできているかどうかを見たかった。石でできていた。荷車が二台、すれ違っていた。


 ダールク領の帳に、嫡男立替という行が現れたことは、この件の続きとして書いておく。ヘルム・ダールクは、法廷で浪費という言葉を使わなかった。館の入用を自分の財で立て替えるようになったのは、その二年後である。誰に教わったのかは、帳には書いていない。


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