表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
掟破りだと追い出された結果、国を守護していた“存在”が誰の言うことも聞かなくなったらしい  作者: キョウキョウ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/7

第06話 歪みを祓う者

 北の森は、町の喧噪が嘘のように、深い静寂に沈んでいた。


「足元に気をつけて。このあたりは、根が張ってる」


 先を行くルークが、ときおり振り返っては声をかけてくれる。剣を佩いた背中は頼もしく、危なげな段差では、さりげなく手を差し伸べてくれた。


 ティアナが家中で蔑まれてきた身なりを、ルークは一度も笑わなかった。ただ、対等な仲間として、隣に立っている。それが、ティアナには新鮮だった。


「ティアナは、どうしてこの件を調べようと?」


 歩きながら、ルークが尋ねた。


「正直、ただの好奇心で来るような場所じゃないと思うが」


「……うまく言えないんです」


 問いかけられたティアナは、言葉を選んだ。レグルスのことを、詳しく話すべきではないと思ったから。


「ただ、放っておいたら、もっと大変なことになる気がして。森の奥のこれは、きっと、人の手には負えないものだから」


 そんな言葉を聞いてルークは、ふしぎそうにティアナを見た。けれど、それ以上は問わなかった。


 短く頷き、剣の柄に手を添えた。


 森が、深くなる。


 ティアナの肌が、ぞわりと粟立った。襟元のレグルスが低く唸る。


「――近いぞ、ティアナ。気をつけよ」


 木々の向こう、ぽっかりと開けた窪地。そこに、それは在った。


 うまく、言葉にできない。空間そのものが、ねじくれていた。ぐにゃりと歪んだ闇が、虚空に亀裂を走らせ、その縁から影の塊が、もやもやと滲み出している。


 見ているだけで、頭の芯がきしむような、おぞましい違和感。その周囲には、倒れ伏した冒険者らしき影が、いくつか――けれど、それを確かめる間もなかった。


 裂け目から影が、ぬるりと這い出してきた。


 獣とも、人ともつかぬ、黒い塊。それが、いくつもの腕のようなものを伸ばし、ティアナたちへと殺到する。


「下がってろ!」


 ルークが、ティアナを背にかばって踏み込んだ。抜き放たれた剣が、銀の弧を描く。影の腕を、一閃が斬り払った。けれど――手応えがない。斬られた影は、すぐにまた、ぐずぐずと寄り集まって元に戻る。


「くっ……斬っても、効かないのか……!」


「ルークさん、避けて!」


 ティアナの叫びと同時に、影の一本が、横合いから鞭のようにしなった。よけきれず、ルークの肩口を、それが激しく打ち据える。鈍い音。ルークが、たまらず膝をついた。


「ルークさん!」


 ティアナは駆け寄り、ためらわずその肩へ手をかざした。指先に意識を集める。てのひらに、あたたかな光が満ちていく。レグルスから授かった、回復の力。やわらかな光が傷口に吸い込まれ、見る間に、裂けた肌がふさがっていく。


「これ……は。回復魔法、か?」


 ルークが、目をみはった。


「あんた、こんな力を……」


「説明は、あとで!」


 ティアナは、影をにらんだ。


「ルークさん、これは斬っても倒せません。逃げる隙を作りましょう。わたしが――」


 逃げよ。生き延びよ。レグルスの教えが、頭をよぎる。けれど、ルークを置いてはいけない。一緒に逃げるためには、どうすれば。ティアナが必死に頭を巡らせた、そのとき。


 襟元から、銀の光が、ふわりと抜け出した。


「――よくやった、ティアナ。ここからは、我に任せよ」


 声が、響いた。それは、もはやひそやかな囁きではなかった。森じゅうを、いや、世界そのものを震わせるような、荘厳な響き。


「――まったく」


 その荘厳な響きに、ふと、呆れたような色が混じった。


「これほどの歪みだ。……倒れておる者らも、まだ息はあるな。幸い、犠牲の出る前に片がつきそうではあるが。それにしても、アーデンフェルの者どもは、これほどのものに、報せのひとつも寄越さぬとは」


 歪みの兆しをいち早く察し、曜獣へ報せる。報せを受けて、曜獣が祓う。――それが、かの家に代々課された務めのはずだった。歪みを追い、調べ上げることこそ、あの一族の大事な役目。それが近ごろは、すっかり怠り気味らしい。


「今はまだ、捨て置いたとて事なきを得よう。だが、放てばいずれ、この綻びは世を呑む。せめて、検めておけよ」


 光が、膨れあがる。


 子犬ほどだった小さな獣が、みるみるうちに大きくなっていく。木々の梢を越え、空を覆わんばかりに。さざめく銀の鬣。星座を宿した、二つの瞳。星屑を溶かしたような、神々しいまでの光が、暗い森を、真昼のように照らし出した。


 あれほど猛っていた影が、その光におびえるように、じりっと後ずさった。けれど、影が滅する気配はない。分身体の光は、ティアナたちを守る盾にはなれても、歪みそのものを祓うには足りないのだ。


 ルークが、声を失っていた。


「な……なんだ、これは……曜獣……? まさか、本物の――」


 森の奥、はるか彼方から、もう一条の銀光が、流星のように駆けてくるのが見えた。同じ光。同じ気配。――本体だ。ヴァルディアの地に留まっていたレグルスの本体が、分身体の呼びかけに応え、この地へと駆けつけたのだ。二つの光が窪地の上で寄り添うように交わる。


 レグルスが、ゆるりと前脚をかざした。


 それだけで、十分だった。


 黒い影が、銀の光に触れたとたん、まるで朝日に晒された霜のように、音もなく溶けていく。虚空にぱっくりと口を開けていた歪みの裂け目が、ゆっくりと、縫い合わされるように閉じていった。おぞましい違和感が、嘘のように消え失せる。


 あとに残ったのは、星のにおいのする、清かな夜気だけだった。


「……すごい」


 ティアナの口から、ぽつりと言葉がこぼれた。森で多くを授かってきたものの、レグルスが本当の力をふるうところを、ティアナはこれまで見たことがなかった。これが――世界を守ってきた、銀星の曜獣。


 倒れていた冒険者たちは、息を取り戻した。死んでいなかったのだ。それに気づいたティアナは、急いで処置を施す。レグルスとティアナの力が、失踪していた冒険者たちの命を、かろうじてこの世につなぎとめた。



***



 しばらく、誰も口をきかなかった。


 ルークは地に膝をついたまま、ただ茫然と、銀の光を見上げていた。やがて、その瞳に、燃えるような熱が宿る。彼は、はじかれたように立ち上がると、レグルスの前へと進み出て――深く、頭を垂れた。


「……助けていただき、ありがとうございました」


「よい」


 感謝の言葉に、レグルスは短く応じた。それで会話も終わりかと思われたが、ルークはまだ何か言いたげだった。


「突然の申し出で申し訳ないのですが……、お願いがあります」


 絞り出すような声だった。


「俺は今日まで、強くなりたいと、ずっとそう思って剣を振ってきました。誰かを守れる騎士になるんだと。けれど今日、思い知らされました。俺の剣では、本当に守りたいものを守れないことがあるのだと」


 握りしめた拳が、震えている。


「曜獣さまは、人には及ばないほど多くの知識を持ち、人を強く導く術も知っている――そんな話を、聞いたことがあります」


 ルークは、さらに深く頭を下げた。


「ならば、どうかお願いします。俺に、強くなるための知識を授けてください。俺は、誰かを守れるようになりたい。今日みたいに、何もできずに膝をつくだけの自分でいたくないんです」


 レグルスは、しばらく無言で、若者を見下ろしていた。星の瞳が、すうっと細められる。そこに浮かんだのは――どこか、楽しげな色だった。まるで、こうなることを、はじめから見越していたかのような。


「面をあげよ、人の子」


 レグルスの声が、夜気を渡った。


「殊勝な願いだ。よかろう。お前に、力の使い方を教えてやろう。――ただし、条件がある」


「なんでも」


「この娘を――ティアナを、守れる男になれ」


 レグルスは、ちらりとティアナへ視線を流した。


「我が認めるは、その一点のみよ。励め」


「……っ、はい!」


 ルークの返事に、迷いはなかった。その頬が、興奮にうっすらと染まっている。本人は、レグルスの言葉の奥に込められた、もうひとつの意味には――まだ、まるで気づいていない様子だった。


 ティアナもまた、頬が熱くなるのを感じて、たまらず俯いた。


「レ、レグルス……なに言ってるの……」


「なに、よい縁だと言うておるのよ」


 レグルスは喉の奥でくつくつと笑うと、再び光を縮めはじめた。


 木々を越えていた巨躯が、みるみる子犬ほどの大きさへと戻り、もう一条の光――本体は、来たときと同じように、ヴァルディアの地へと去っていく。留守を気取られたとて、レグルスに痛痒はない。ただ、どこへ行っていたのかと問い詰められ、いちいち騒がれるのは面倒だった。本体さえ素知らぬ顔で戻り、大人しくしてみせれば、アーデンフェルの者たちは、それで満足して口をつぐむ。ティアナのそばには分身体がある。娘の動向は、それで十分に見て取れるのだから、長居は無用というわけだった。


 それでも分身体は、すべるようにティアナの肩へと舞い戻り、いつもの定位置にちょこんと収まった。


 ぽかんと口を開けたままのルークに、ティアナは、おずおずと向き直った。


「……あの、ルークさん。驚かせて、ごめんなさい。この子は――いえ、この御方は、レグルス。曜獣さま、です。わけあって、わたしと一緒に、旅をしていて……」


「曜獣と、旅を」


 ルークは、まだ夢から覚めきらぬような顔で、何度もまばたきをした。それから、ふっと、肩の力を抜いて笑った。


「……はは。どうりで。ただ者じゃないと思ったよ、あんた」


 その笑顔に、屋敷の誰もが向けてきたような、蔑みや値踏みの色は、かけらもなかった。ただ、まっすぐな、あたたかい眼差し。


「改めて、よろしく頼む。ティアナ。それに――師匠」


 肩の上で、レグルスが、ふん、と満足げに鼻を鳴らす。ティアナは、こみあげてくるものを抑えきれず、小さく笑った。家を出てから、誰かと並んで歩く道が、こんなにも明るく感じられるなんて。


 追い出された少女と、銀星の曜獣。そして、まっすぐな心を持つ、一人の青年。


 ティアナの旅路に、あたたかな灯が、もうひとつ加わろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ