第07話 星の下で
助け出した冒険者たちを背負い、また自力で歩ける者には肩を貸しながら、ティアナたちが北の森から町へ帰還したのは、夜更けのことだった。
ロウェルの冒険者ギルドは、上を下への大騒ぎになった。
「ガルドだ! 失踪していた奴らが、生きて帰ってきたぞ!」
帰らぬものと諦められていた腕利きたちが、傷だらけながらも息を吹き返している。その知らせは、たちまち酒場じゅうを駆けめぐった。あの昼間、ティアナをあざ笑った男たちが、今度は信じられないものを見るように、彼女を取り囲んでいる。
「嬢ちゃん……いや、あんた。本当に、あの森から連れ帰ってきたのか」
「わたしだけの力では、とても」
ティアナは、隣のルークを見やった。
「ルークさんが、守ってくれたから。それに……いろいろと、助けてくれた方が、いたんです」
肩の上の小さな銀の獣のことは、口にしなかった。レグルスもまた、素知らぬ顔で目を伏せ、ただの小獣を装っている。
「昼間は、すまなかった」
ふいに、ベテラン冒険者の一人が、深く頭を下げた。酒場で、いちばん大きな声で笑っていた男だった。
「俺たちは、お前さんを侮った。自分だけ危ないことから逃げて、見て見ぬふりをした。――なのに、お前さんは行った。情けねぇのは、俺たちのほうだ」
その言葉に、酒場の男たちが、ばつが悪そうに目を伏せる。
ティアナは、どう返せばいいのか、わからなかった。
これまでの人生で、そんな反応をされたことはなかった。何かの手柄を立てても、それは姉の成果となり、自分はただ俯いて、やり過ごすしかなかった。けれど、ここは違う。自分のしたことを、自分のしたことだと、正面から見てくれる人がいる。値踏みでも、蔑みでもない眼差しが、たしかにここにある。
「……いいえ」
ティアナは、首を横に振った。
「みなさんが無事で、本当によかった。それだけで、十分です」
ギルドの受付の女が、今回の報酬として革袋を、そっとティアナの手に握らせた。ずしりと、重い。失踪事件の解決にかけられた、相応の額だった。
「あんた、ただ者じゃないね」
女は、感心したように笑った。
「よかったら、これからもこの町を拠点に、やっていかないかい」
「ありがとう、ございます。ちょっと考えてみます」
ティアナは、その重みを両手で受けとめた。家を出て、自分の力で、初めて稼いだお金。そして求められること。それは、レグルスがくれた「庭の外で生きていける」という言葉が、嘘ではなかった証だった。
***
その夜、ティアナとルークは、ギルドの二階の安宿に部屋をとった。むろん、別々の部屋である。
明くる朝、町外れの井戸端で顔を合わせるなり、ルークが、改まった顔で切り出した。
「なあ、ティアナ。……一つ、頼みがあるんだ」
「はい?」
「あんたと――いや、あんたたちと一緒に旅をさせてもらえないか」
ティアナは、まばたきをした。改まって頼まれるとは、思ってもみなかった。ルークが弟子になると決まった昨夜から、この人と旅を続けるのは、もう当たり前のことだと――自分の中では、はなからそのつもりでいたから。
「昨日、俺は弟子にしてくださいって、師匠に頼んだ」
ルークは、ティアナの肩の上の小さな獣を、まぶしそうに見やった。
「だが、師匠はあんたと旅をしてる。だったら、俺も一緒にいなけりゃ、教えも請えない。……それに」
ルークは、少し言いよどんで、頭をかいた。
「それに、あんたを一人にしておけない。あんなとんでもない回復の力を持ってるのに、あんたは、戦うのが得意じゃないんだろう。昨日も、自分より人のことばかり気にしてた。逃げる術は心得ているようだが――そういうのは、誰かがそばで守ってないと、危なっかしくてな」
そこまで一息に言ってルークは、ふいに口をつぐんだ。ぶっきらぼうだった声から、ふっと力みが抜ける。それから、あらためてティアナの目を見て、続けた。
「だから――頼む。あんたの旅に、俺も連れていってくれないか」
深く頭を下げられて、ティアナは、とっさに言葉が出てこなかった。
ぶっきらぼうな言い方だった。けれど、その不器用さの奥にある気遣いだけは、ティアナにも、ちゃんと伝わってきた。師匠の弟子になったから、ではない。この人は、ティアナ自身に、頭を下げてくれている。
肩の上で、レグルスが、ふん、と満足げに鼻を鳴らす。むろん、ルークには、ただの小獣の鳴き声にしか聞こえない。
「我は、構わぬぞ」
ティアナにだけ届く声で、レグルスが囁いた。
「この者、芯がよい。鍛えれば、お前のよき守護者となろう。――もっとも、連れていくかどうかは、お前が決めることよ。……ふ、見ていて飽きぬ二人だ」
最後のひと言に、どこか含みのある響きを聞きとって、ティアナはわずかに頬を染めた。
レグルスに言われるまでもない。答えなら、とうに決まっている。それでも、これほど真剣に頭を下げてくれる人に、「もちろん」などと軽い調子で返すのは、違う気がした。
ティアナは、そっと居住まいを正して、ルークを見上げた。
「……はい。こちらこそ、どうかよろしくお願いします。ルークさん」
ルークの顔が、ぱっと明るくなった。
「ああ! ……いや、待ってくれ。ルークさん、ってのは、なんだかむずがゆいな」
彼は、照れたように笑った。
「さん付けは無くていい。俺も、ティアナって呼ぶ。仲間なんだから、それでいいだろう」
「……うん」
ティアナは、小さく頷いた。
「よろしくね、ルーク」
名前を、呼び合う。たったそれだけのことが、こんなにもくすぐったいものだとは、知らなかった。
こうして、ティアナとレグルス、そしてルークの三人は、ロウェルの町を拠点に、冒険者として旅を重ねていくことになった。
***
旅の暮らしは、ティアナにとって、驚きの連続だった。
野山を歩き、川で水を汲み、火を熾して食事を作る。屋敷では侍女に任せきりだったことの、何もかもを、自分の手でやらねばならない。けれど、不思議と苦ではなかった。
ルークは何でもよく知っていて、火の熾し方も、野営の仕方も、丁寧に教えてくれる。レグルスは肩の上から、もっともらしい顔で口を出しては、ときどき的外れなことを言ってルークを苦笑させた。
そして――陽が落ちると、ルークの「稽古」が始まる。
「もう一度だ、ルーク。腰が浮いておる。それでは、ひと押しで崩れるぞ」
焚き火のそばで、レグルスはいつのまにか、人の背丈ほどの大きさに身を変えていた。星座を宿した瞳が、剣を構えるルークを、じっと見据えている。野営の闇に紛れ、人目のない場所でだけ、レグルスは師匠としての姿を現すのだ。
「はい!」
ルークの返事には、いつも、迷いがなかった。汗だくになって剣を振り、何度倒されても、すぐに立ち上がる。
「お前の剣は、悪くない。だが、力で押すことしか知らぬ」
レグルスは、ゆったりと言った。
「あの森の歪みを思い出せ。斬っても効かぬ相手が、世にはおる。大事なのは、何を斬るか、ではない。何を、守るかだ。――守るべきものが見えておれば、剣はおのずと冴える」
「守る、べきもの……」
「さよう」
レグルスの瞳が、ちらりと、焚き火のそばのティアナへと流れた。
「お前には、もう、あろう?」
その視線の意味を、ルークは、たぶん半分も汲んでいなかった。それでも、はいと返事をして力強く頷くと、再び剣を構え直す。その横顔を、焚き火の明かりが照らしていた。
ティアナは、汁物の鍋をかきまぜながら、そっとその様子を見守っていた。
(……ルークは、すごいなあ)
ひたむきで、まっすぐで。誰かを守るために、あんなにも一心に剣を振れる。屋敷にいた頃のティアナは、ただ俯いて、嵐が過ぎるのを待つことしかできなかった。けれど、ルークは違う。怖くても、前に出る。手を、差し伸べる。
そういう人のそばにいると、自分まで、少しだけ強くなれる気がした。
***
稽古を終えたルークが、焚き火のそばに腰を下ろした。肩や腕には、打ち据えられた痣が、いくつも赤く残っている。
「ちょっと、じっとしていて」
ティアナは、その傍らに膝をつくと、腫れた肩へ、そっと手をかざした。指先に意識を集めると、てのひらから、あたたかな光がにじみ出す。やわらかな光に包まれて、青黒い痣が、みるみる引いていった。
「……悪いな。稽古のたびに、これじゃ」
「ううん。これくらい、わたしにできることだから」
剣を振るのはルーク、歪みを祓うのはレグルス。ティアナが人の役に立てるのは、こうして誰かの傷をふさぐときだ。それが、少しも苦ではなかった。むしろ、この力があってよかったと、心から思える。
手当てを終えると、ティアナは、よそった汁物の椀を、ルークに差し出した。
「はい。たくさん動いたでしょう」
「ありがとう」
椀を受けとったルークの指が、ほんの一瞬、ティアナの指に触れた。たったそれだけのことで、ティアナの胸が、ことりと小さく跳ねる。慌てて手を引っ込めた自分が、なんだか気恥ずかしくて、ティアナは火のほうへ目を逸らした。
しばらく、二人は黙って、汁物をすすった。焚き火が、ぱちぱちと爆ぜる。
「……なあ、ティアナ」
ふいに、ルークが口を開いた。
「あんた――いや、ティアナは、どうして家を出て、旅をしてるんだ。差し支えなければ、でいいんだが」
ティアナは、椀を持つ手を、わずかに止めた。
追放されたこと。でっち上げの掟。姉のこと、王子のこと、レグルスのこと。話せないことが、あまりにも多すぎる。けれど、嘘もつきたくなかった。この、裏表のない人には。
「……いろいろ、あって」
ティアナは、言葉を選んだ。
「家には、わたしの居場所が、なかったの。ずっと、出来損ないだって、言われ続けてきて。――だから、外の世界で、自分の足で生きてみようって」
「そうか」
ルークは、それ以上は、聞かなかった。ただ、火を見つめたまま、ぽつりと言った。
「出来損ない、なんかじゃないよ」
ティアナは、顔を上げた。
「あの森で、ティアナがしたことを、俺は見てた。誰も助けに来ない依頼に、たった一人で行こうとした。倒れた人を、見捨てなかった。自分が傷つくかもしれないのに、人のことばっかり、心配してた」
ルークは、まっすぐにティアナを見た。
「そういうのを、出来損ないなんて言う奴は、どうかしてる。――ティアナは、強いよ。俺なんかより、ずっと」
何気ない言葉だったのかもしれない。けれど、ティアナの胸の奥で、ずっと凍りついていた何かが、ほろりと溶けた。
屋敷で、何度も何度も、刃のように突き立てられてきた「出来損ない」という言葉。それを、こんなにもあっさりと、否定してくれる人がいる。価値がないと思い込まされてきた自分を、まるごと肯定してくれる人が。
「……ありがとう」
声が、少し震えた。ティアナは、こみあげるものを隠すように、うつむいて笑った。
「ううん。なんでもないんだ。本当のことを、言っただけで」
ルークのほうが、かえって慌てている。
「な、なんだよ、泣くなよ」
「泣いてないもん」
「泣いてるだろ、絶対」
二人のやりとりを、肩に戻った小さなレグルスが、星の瞳を細めて、機嫌よさげに眺めていた。
(よい。実によい)
レグルスは、心の中で、ひとりごちる。
慎ましく、優しく、自分の価値に気づかぬまま俯いてきたティアナ。その本当の姿を、ようやく正しく見てくれる者が現れた。家の者が誰一人わからなかったこの娘の価値を、この実直な若者は、出会ってわずかな間に見抜いてみせた。
(――さあ、これからだ。ゆるりと、慈しめ。我が娘よ)
親が子の行く末を案じるように。姉が妹の恋を見守るように。銀星の曜獣は、ただ静かに、二人を見つめていた。
頭上には、満天の星が広がっていた。
王都の屋敷の窓から見上げたものと、同じ星のはずだった。けれど、今夜のそれは、どうしてだろう、ずっと近く、ずっとあたたかく、ティアナの目には映った。
隣には、ルークがいる。肩には、レグルスがいる。
追い出された少女が見つけた、ささやかで、けれど何ものにも代えがたい、あたたかな夜だった。




