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掟破りだと追い出された結果、国を守護していた“存在”が誰の言うことも聞かなくなったらしい  作者: キョウキョウ


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第05話 手を挙げた者

 王都を離れて、数日が過ぎた。


 街道をいくつも越え、ティアナがたどり着いたのは、辺境の宿場町ロウェルだった。山あいの森を背にした、小さな町だ。


 それでも、ずっと屋敷の奥で暮らしてきたティアナにとっては、見るものすべてが目新しい。露店の呼び声、荷馬車の軋み、行き交う人々の雑多なざわめき。屋敷の、あの息のつまる静けさとは、何もかもが違っていた。


「ふむ。賑わっておるな」


 肩のあたりから、ひそやかな声がした。ティアナが羽織った外套の襟元、その奥にすっぽりと身を縮めて、小さな銀の獣が顔だけをのぞかせている。


「レグルス、あんまり顔を出しちゃだめだよ」


 ティアナは慌てて、声を落とした。


「曜獣さまだって気づかれたら、大騒ぎになっちゃう」


「案ずるな。これしきに身をやつせば、ただの珍しき小獣にしか見えぬ」


 ふん、と得意げに鼻を鳴らし、レグルスはまた襟の奥へと引っ込んだ。たしかに、子犬ほどに縮こまり、星の光をひそめてしまえば、誰もこれが世界や王国を守護する曜獣だとは思うまい。


 旅の路銀は、心もとない。どこかで稼ぐすべを見つけなければ――そう考えながら町の広場を歩いていたとき、ふと、井戸端の女たちの話し声が、ティアナの耳に飛び込んできた。


「――それでね、また一人、帰ってこないんだって。北の森へ入ったきり」


「おそろしいこと。あれで、もう四人目でしょう。腕利きの冒険者だって、何人も」


「森の奥に、なにか得体の知れないものが出るって噂よ。お役人も、近づくなって……」


 ティアナの足が、止まった。


 襟元で、レグルスがわずかに身じろぎする気配がした。小さな獣の声が、ほんの一筋、ティアナの耳にだけ届く。


「――ティアナ」


 その響きが、ふだんとは違っていた。低く、押し殺すようで、張りつめている。


「におう。かすかだが……まちがいない。これは、歪みのにおいだ」


「歪み……?」


 聞き慣れない言葉に、ティアナは小さく問い返した。森で過ごした日々のなかで、レグルスがそれを口にしたことは、ほとんどなかった。


「我ら曜獣が、この世界を守るために祓う、世界のほころびよ」


 レグルスの声は、めずらしく硬かった。


「放っておけば、じわじわと広がり、やがては国も大地も呑み込んでいく。――まだ、ほんの小さなものだろう。だが、人の身には、十分すぎる脅威となる」


 帰らぬ冒険者たち。森の奥に潜む、得体の知れないもの。井戸端の女性たちがひそひそと囁き合う声は、それでもティアナの耳に届いていた。その噂の正体が、少しずつわかってきた。


「我は、それを確かめねばならぬ」


 レグルスが言った。


「本体は、ヴァルディアの地で報せを待っておる。だが、ここで噂を耳にし、においに気づいてしまった以上、まずはこの目で実態を見ておきたい。――手を貸してくれるか、ティアナ」


 ティアナは、迷わなかった。


「うん。……行こう、レグルス」


 あの優しい銀の光が世を守るために背負ってきたものの、ほんの一端に、自分もまた触れようとしている。そう思うと、恐ろしさよりも先に、確かな決意が胸に満ちた。



***



 もう少し詳しい話を聞く必要がある。そう考えたティアナが向かったのは、町外れに建つ冒険者ギルドだった。


 重い扉を押し開けると、酒と汗のにおい、それに、ざわめきが押し寄せてきた。昼間だというのに、酒杯を傾ける男たちでにぎわっている。荒くれた視線がいくつか、ティアナのほうへ向けられ――そして、すぐにそらされた。細身の、地味な身なりの娘。値踏みするまでもない、と言いたげに。


 旅を始めて、そんな視線にはすぐ慣れていた。ティアナは気にとめず、迷わず受付の窓口へと歩み寄る。


「あの……北の森で、人が消えているという話を聞きたいのですが」


 応対した受付の年のいった女性が、わずかに眉を寄せた。


「……お嬢さん、悪いことは言わないよ。あの件には、関わらないほうがいい」


 声をひそめ、女は続けた。


「腕利きが四人も帰ってこないんだ。ギルドだって、調査の依頼は出してる。出してるけどね――」


 女は、ぐるりと酒場のほうを見渡した。


「誰も、受けようとしないのさ」


 その言葉に応じるように、近くの卓から、嘲るような笑いが上がった。


「やめときな。あんな森、入ったが最後だ」


「ベテランのガルドの一党が、まるごと消えたんだぜ。あんたみたいな細っこいのが行ったって、餌になるだけさ」


 どっ、と下卑た笑いが酒場に広がる。ティアナは唇を結んだ。怖くないと言えば、嘘になる。けれど、襟元のぬくもりが、たしかにそこにある。それだけで、背筋は伸びた。


「それでも……気になります」


 ざわめきが、ふと止んだ。


「わたしには、確かめなければならない理由があるんです。誰か、北の森への道に詳しい方は、いませんか。近くまで案内をしてくださるだけでいい。危ないところは、わたしがなんとかします」


 しん、と酒場が静まりかえった。


 それから――どっと、さっきよりも大きな笑いが弾けた。


「お前がなんとかするだと?」


「こりゃいい」


「正気じゃないな」


 誰も、手を挙げなかった。あざ笑う声と、そらされる視線。差し出される手は、ひとつもない。ティアナはひとつ息を吸い、襟元のレグルスにだけ聞こえるように、そっと囁いた。


「……仕方ない。二人で行こうか。レグルス」


「うむ」


 何かあれば、レグルスがいる。


 けれど、頼りきるつもりはなかった。自分にできることは、自分でやる。そう覚悟を決めて、ティアナが踵を返そうとした、そのときだった。


「――待ってくれ」


 凛とした声が、酒場の喧噪を割った。


 奥の卓から、一人の青年が立ち上がっていた。年の頃は、ティアナより少し上だろうか。鍛えられた肩に、使い込まれた剣を佩いている。けれど何より目を引いたのは、その瞳だった。迷いのない、まぶしいほどに澄んだ目。


 青年は、酒場を見渡し、はっきりと言い放った。


「犠牲者が出ている事件について調べようとしてくれている人が、目の前にいる。なのに、誰一人手を貸そうとしない。――それを情けないと思わないのか、あんたたちは」


 笑い声が、ぴたりとやんだ。


「危ないのは、わかってる。だが、危ないからこそ、放っておけないんじゃないのか。冒険者ってのは、そういうもんだろう」


 青年はティアナのもとへ歩み寄り、まっすぐに向き直った。近くで見ると、その背は思いのほか高く、けれど物腰は、驚くほど柔らかかった。


「俺が行く。あんたに、力を貸すぞ」


 ティアナは、目をみはった。


「……いい、んですか。わたしのために、そんな」


「あんたのため、ってわけでもないさ」


 青年は、少し照れたように頭をかいた。


「困ってる奴を見過ごせない。それだけだ。――俺はルーク。ルーカスってのが本当の名だが、まあ、ルークでいい。冒険者で……いつかは、王国の騎士になるつもりだ」


「ティアナ、です」


 名乗りながら、ティアナの胸の奥が、ことりと小さく音を立てた。屋敷の外に出て、初めて自分に差し伸べられた手。それが、こんなにもまっすぐで、あたたかいものだとは。


 その様子を見ていたレグルスが満足げに目を細めていたことに、ティアナは気づかなかった。

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