第03話 掟破り
ティアナが当主である父親から呼び出されたのは、選定の儀から三日後のことだった。
大広間へ足を踏み入れると、そこには家族が勢ぞろいしていた。父アルドリック、母ミレーユ、そして姉のイザドラ。さらに――壁際には、第二王子ジークハルトまでいた。その全員が、ティアナに視線を向ける。とても好意的とは思えない、硬いまなざしだった。
ただならぬ気配に、ティアナの胸がざわついた。
「ティアナ」
父の声には、ティアナへの不満が隠しもせず滲んでいた。厄介事を早く済ませたいとでもいうようだった。
「お前に、確かめねばならぬことがある。――お前は、曜獣さまのもとへ、ひとりで会いに行っていたな?」
詰問するような言葉に、心臓が跳ねた。
姉だけでなく、父にも知られていた。レグルスのもとへ、ひそかに通っていたことを。ティアナは咄嗟に俯いた。たしかに、禁じられていた森へ幾度も足を運んだ。
「……はい」
絞り出すように、ティアナは認めた。
「行って、いました。ごめんなさい」
「やはりな」
父が深く息を吐く。だがその目の奥に光ったのは、落胆ではなく――どこか、安堵にも似た色だった。
もちろん、それはティアナにとって都合の良いものではない。
「ならば、話は早い。よいか、ティアナ。我が家には、古くからの掟がある。許しなく曜獣さまに近づいた者は、一族から追放される。これは、絶対の掟だ」
掟。
ティアナは、はっと顔を上げた。そんな掟を、これまで一度も聞いたことがなかった。当主の口から、今この瞬間に生まれたかのように。けれど――その違和感を、ティアナは口にすることはできなかった。
なぜなら、近づいてはならぬと言われていた森へ勝手に踏み入ったのは、まぎれもない事実なのだから。
「お前は、その掟を破った」
父の断罪が、重く落ちる。その横でイザドラの紅い唇が、勝ち誇ったように吊り上がる。
「わかるでしょう? 自分が何をしたのか」
「……姉さま」
「貧相なくせに、こそこそと曜獣さまにまとわりついて。みっともない。この家の品位を、どれだけ汚したと思っているの」
言葉のひとつひとつが、刃のようにティアナを刺した。けれど、ティアナは言い返さなかった。言い返せなかった、と言うほうが正しい。
(そうだ。わたしは、言われたことに逆らって、会いに行ってしまった)
心の中で、自分の犯した罪を悔いる。レグルスに会いたい一心で、両親の言いつけに背いた。それは確かに、咎められて当然のことだった――たとえ、その「掟」が、今この場で初めて聞かされたものであっても。
「アルドリック殿」
それまで黙っていたジークハルトが、ようやく口を開いた。退屈そうな、けれど有無を言わせぬ声音だった。
「王家としても、曜獣さまにまつわる不始末を見過ごすわけにはいかぬ。――この娘の追放、王家の名において認めよう」
その一言が、すべてを決定づけた。
言い終えたジークハルトへイザドラが送った一瞥には、二人だけに通じ合う密やかな色がにじんでいた。
王族の言葉だ。もはや、覆る余地などない。たとえどれほど無理のある裁定であっても、王家が認めると言えば、それは「正しいこと」になってしまう。
「……わかり、ました」
ティアナは、深く頭を下げた。
不思議と取り乱しはしなかった。悲しくないはずがない。それでも、腹の底に、奇妙なほど静かな覚悟があった。
レグルスから授かった、強い回復の力。危うくなれば逃げるすべ。生き延びるための、数えきれない知恵。それらが、ティアナの心を支えていた。家を追われても、きっと、なんとか生きていける。そう思える自分が、確かにいた。
そして何より――ここで抗えば、レグルスに迷惑がかかるかもしれない。あの優しい銀の光が、自分のせいで責められるようなことだけは絶対に避けたかった。
「もちろん異論は、ないでしょう?」
イザドラが念を押す。
「はい。……処分を、お受けします」
その従順さが、かえって拍子抜けだったのだろう。イザドラの眉が、わずかにひそめられた。が、すぐにまた、満足げな笑みへと戻る。望んだものが、ようやく手に入る。邪魔者は、これで消える――そう、信じて疑わない笑みだった。
「明日の朝までに、屋敷を出ていきなさい」
父が、感情のない声で告げた。
「貴族の身分も、今この時をもって剥奪する。お前はもう、アーデンフェルの人間ではない。それを肝に銘じよ」
母ミレーユが、冷ややかに言い添えた。
「この一件、けっして他言することは許しません。この家の名を、これ以上汚さぬように。……もっとも、お前にはもう、関わりのない名ですけれど」
「はい」
ティアナは、もう一度だけ頭を下げ、ひとり広間を後にした。
廊下に出ると、夜風が頬を撫でた。窓の向こう、屋敷の奥の森が闇の中にひっそりと横たわっている。屋敷を追われ、この地を去る。もう二度と、あの銀の光のもとへ会いに行くことは許されない。
(レグルス……)
胸の奥で、その名を呼ぶ。
別れの挨拶すら、許されないだろう。けれど、それでいい。自分が黙って去ることで、あの御方を守れるのなら。
ティアナは涙をこらえ、最後の夜を過ごすために自分の部屋へと戻っていった。
――それが、レグルスとの別れにはならないことを、まだ知らないままで。




