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「で、お嬢は帰らないのか。お供はみんな行っちまったぜ」
鈎蛇は手を蛇の口のようにぱくぱくさせる。
「丸呑みにされても文句は言えねえぞ。たらふく食わせたのは、美味しくいただくためだったとしたら」
黒い笑みを浮かべる男。しかし蝋梅はゆっくりとお茶を飲んだ。
「あなたには、うかがいたいことがありますから」
行き場を失った手が、かぶりつくのをやめて机に伏す。大きくため息が出た。蝋梅のすぐ隣でも、小さく嘆息するのが聞こえる。
「俺は元来嫌われものだ。もう少し警戒しろよ」
「そうでしょうか。昔からの祠や信仰は、星神さまの廟に代わられて朽ちてしまうことも多かった。でもここの方々は違う。あなたを豊穣をもたらす神のひとつとして信じた。信じ続けた。豊穣とは、作物を実らせるだけでしょうか。そうではないと、私は思います」
背筋をぴんと伸ばして、蝋梅は述べる。
「封印がなければただの凶暴な蛇だ。かいかぶりが過ぎる」
「あのような呪いをかけるくらい?」
「ひでーもんだろ」
にかりと、悪い顔で彼は笑う。蝋梅も笑顔で返した。
「それ、私が引き受けても?」
「は?」
鈎蛇は目を剥く。対して星守見習いは涼しげな顔。
「これまでも、いろいろな方の呪いを引き受けてきました。彼女は呪いを拒もうとしている。これも何かの縁です。私が」
「ダメだ」
「造作もないことです。毎日でも、私が請け負いましょう」
「ダメだ。あんたも何か言ってやれ」
ついには横で苦虫を噛み潰すような表情になっている青年に、助け舟を出すよう求める。が、黒髪の青年は呆れた顔で肩をすくめるだけ。
「それとも、かけられないのですか。私には」
蝋梅の一手に、鈎蛇は口をへの字に引き結んだ。それ以上、何も言わない。目をぎゅっと瞑って、食器を重ね始めた。
「やっぱりそうですか。あれは、彼女のためのもの。あなたなりの加護といったところなのではありませんか。あなたは恨みを、怒りを抱いてはいない。あなたの呪いからは、害そうとする気配は感じられませんでした。本当なら、私を苛むはずのものが、少しも」
がちゃがちゃと音を立てて、食器は全て厨房へ運ばれてゆく。再び店主が出てきた時には、手に小さな包みを持っていた。それをぽんと蝋梅の手に置く。そうして今度は机の上にあった、特製の酒の瓶を望に握らせた。
「さ、俺もそろそろ店じまいだ。幻なんてのはそう長く見せられるもんじゃない」
見渡せば、店の端の、誰もいないところはうっすら霧がたちこめたようになっている。
「待ってください。今の形以外に、あなたの願いを叶える方法はないのですか? あなたは、呪いたいわけではないのでしょう」
蝋梅は食い下がるが、鈎蛇は背を向けて再び厨房へと戻ってゆく。じゃぶじゃぶと、皿を洗う音が聞こえ始めた。手は止まることがない。
行くぞ、と望が袖を引く。
「でも」
「あの様子じゃ話さないさ。彼女に不運が起こり続けようと罰されようと、やつの知ったことじゃない」
「罰される?」
望の言葉に、鈎蛇は手を止めた。
「あんたが呪いに侵されてる間に、玫瑰は王弟を王に担ぎ上げ、その妃を追放せんとする者たちに加担した。王への謀反だ。職を失うだけで済むかどうか」
後ろ髪引かれる蝋梅の背を押しながら、彼は歩き始める。
「首でも刎ねられるか」
投げかけられた問いに、望は肩越しに返した。
「さあな。呪われてるってのは、罪をなすりつけられやすくなる。特に家名を汚したくない貴族からはな」
「そうか」
短い返答のあと、後ろからは再び鍋を洗う音が聞こえ始める。下を向く彼の表情はうかがいしれなかった。
店から出ると、後ろはすぐさま霧に包まれ、建物の姿は見えなくなった。
拝してから祠の扉を閉め、店の方を見やると、既に霧も消えていた。ただ木々だけが、何事もなかったかのように佇んでいる。さあ、とその間を風が吹き抜けた。湿り気のある風だ。
戻ろうと向きを変えると、後ろから望が抱き上げた。主の意を汲んで大きくなった槃瓠の背に、乗せられる。同じく背に跨った望の腕の中に押し込められた。
「あの、一人で歩けます」
体を起こそうとするが、望の力は強い。
「歩けるかどうかじゃない。休める時には休め。あれだけの巨体を一人で祓ったんだ。疲れただろうに」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられると、あっという間に望の温もりに包まれる。蝋梅は目を細めた。揺られていると、あっという間に睡魔の虜になりそうになる。
「ああ、槃瓠は体を洗ってやらないとな。近くの川へ寄ろう。少しいいか」
「はい」
意識が遠くなりかけていた。蝋梅は袖をきゅっと握って返した。耳を澄ませど、人の話し声も足音も聞こえない。頭上に意識を集中させて、解く。
「二人とも、もう……」
「戻ってこないってことは、今ごろ捕らえられているころだ」
そう。そうでなくては示しがつかない。
二人で河神へと拝すと、望は裾と袖を捲った。靴を揃えて脱ぐと、槃瓠を呼ぶ。小型犬ほどの大きさになった彼は、尻尾をふりふり川へと入る。望は手巾でその体を拭った。蝋梅も続こうとするが、望はそれを制した。
「休んでおけって」
言われたとおり、大人しく近くの岩に腰掛ける。槃瓠は気持ち良さげに目を瞑って洗われている。それは、ごくごく普通の犬のようだ。
先程、鈎蛇からもらった包みを解くと、中には緑豆糕が入っていた。もちろん紋様は違う。が。蝋梅は包みを戻す。
「他人事に思えないか」
ばしゃりと川から上がった望が、声をかけてくる。蝋梅は自分の手巾で、今度は濡れた彼の足を拭く。
「私は、呪いではありませんでした。必要なものでした」
ぶるぶると、後ろで槃瓠が水気を飛ばす。
「結果論だろ。村にいた時はわからなかった。辛かった気持ちがわかるから、他にはさせたくないんだろ。呪いと愛が紙一重だって言うなら、呪いと加護もそうなのかもな」
礼を言って、望は靴を履く。服を整えると、岩に並んで座った。
「一応言っておくぞ。今回の件は、首謀者一味を捕らえて見せしめにするのが目的だ。玫瑰の呪いを解決するために来てるんじゃない。星守さまの読見も、晶華を長らえさせるためのものだ。たまたま陰謀の最終地点が、呪いの元凶と被っただけで。このまま処刑されてしまえば、それでおしまい」
潜めることなく、むしろ周囲に聞こえるように語る。
「でしょうね。でもそうしたら、鈎蛇の報復があるのではありませんか。この地のみのりを止めるとか」
「そうなれば、もっとがっちり封印を施すだけだろ。事情も話さん相手にこちらが色々察してやる必要はない」
話の切れ目に、蝋梅は河神に拝して流れゆく水に触れる。ひんやりとしたその流れは、一見涼やかで綺麗に見える。しかし、ゆっくりと同調してゆくと澱みがあるのが感ぜられた。手に意識を集中させて穢れを祓う。水面がきらきらと瞬いた。
手を拭いながら立ち上がると、石を鳴らして望がすぐ後ろにやってきた。揺れる水面に、それが映り込む。背中側から抱きしめてきた彼は、銀糸の髪をさらとよけると、耳元で囁いた。今度は聞かせたい人にだけ聞こえるように。
「……ご褒美、いるか」
蝋梅の心臓が、大きく音をたてる。きゅうっと胸が苦しくなって、今すぐにでもお願いしたい気持ちと、抑えようとする理性とがぶつかりあう。がっぷり四つに思われたそれは、すぐに欲望が優勢に。
「……欲しい、です」
伏目がちに見上げると、相手の甘い眼差しに補足された。もう、吸い寄せられるほかない。腕の中で向きを変えると、唇を重ねた。川で冷やされたはずなのに、熱い。入り込んで来る気も、外の熱気に負けないくらい。性急に何度も重ねられてゆく。彼の中の邪気を追い出して、清らなそれで満たしているのかどうか怪しいくらいに。ただ、そうしていたいだけ。
夢中になっていると、あのお、と足元から遠慮がちに声がかけられた。それも小さい。二人がそちらを向くと、蛙が三匹見上げていた。
「親分のことでご相談があ」
一匹が困ったように体を傾けた。
「親分ちょー頑固なんです」
かかった、と二人は顔を見合わせる。
「いい子分がいるんだなあ。聞かせてくれないか」
望は三匹を岩の上に乗せると、先を促した。蛙たちは群れのようにひとところにかたまって話し始めた。
「親分は元はそりゃあ凶暴な怪物でした。俺たちよりずうっと大きな、それこそ牛だの馬だの人だのを、丸呑みしてました。俺たちの元々のオヤビンもです」
「それから俺たちは子分にされたんですが、俺たちはガタガタ震えてばっかりで。もう何百、いや千年も前でしょうかね。封印されてからです、親分がまあるくなったのは。それまで丸呑みだったのが、調理されたお供え物を食って、感銘を受けたんです。俺たち、ほうぼうかけずり回って、腕のいいもんを探しまして。見つかるとそいつの家の屋根裏に親分自ら忍び込んで、技を盗むんでさあ。そうしてモノにした後は、親分が俺たちに振る舞ってくれましてね。時間はたっぷりありましたから、そりゃめきめき上達したもんです。でも、どんなに腕が良くても、材料がまともでなけりゃいけません。そうすると親分は、この地に願ったんでさ。豊作を。永きにわたって貯めた力を、暴れるためじゃなく、実りのために」
「それからこの辺は豊かになりやした。親分はヒマを持て余してやしたから、そのうち誤魔化しのきく子どもに料理を教えて始めたんです。その一人があの玫瑰お嬢の母親。親分は元が蛇だけあって執着が強いですから。気にいるととことん気にかけるんです。それで、ついに恋仲に。そうして生まれたのがお嬢です」
「しかし彼女は、そんな素振りはありませんでしたよ」
何かを隠していれば、その不自然さはどこかに滲み出る。蛙たちは不憫そうに目尻を下げた。
「人間として育てるって決めやしたからね。当人にも秘密にされてたんです。親分の術で何とかしたんですが、代わりに呪いみたいなおまけがついちまいやして……」
「親分が近くで見てりゃいいんですが、体調が悪い時や遠くにいる時なんかはどうもうまく調整できない時があるようでさ」
「……そういうことでしたか」
深く息をつく。誰も悪くない。けれど、気持ちの落としどころとして、彼は悪者のふりをした。
「で、その頑固者はどうするつもりなんだ?」
望の影の下で、蛙たちは順番にぴょこぴょこ跳ねた。
「お嬢を救い出すために、霊符を破って封印を解けとか鍵を盗んでこいとか仲間がどやされてるんですう」
「そんなことしたら、みいんなオダブツですう」
「お二人も説得を手伝ってくれませんかい?」
それまで傍らで丸くなっていた槃瓠が、さっと立ち上がる。身震いすると、あっという間に二人を乗せられるほどの大きさに変わった。
「おやびーん!」
三匹を放つと、めいめいがぴょこぴょこ跳ねてゆく。小さいが故に、その速度はゆっくりだ。それに合わせて後ろからついていくと、少々輪郭のぼやけた壮年の男があぐらをかいていた。鋭い眼光が、二人を刺した後、三匹に向けられる。
「お前ら、余計なことを」
蛇に睨まれた蛙は、身を寄せ合って「ひええ」と震え上がった。奥の祠は、まだ扉が閉まったまま。その前に蛙たちが十数匹、かたまって大きな蛙の形を象って、抵抗していた。
「血の味のメシと美味いメシ、食うならどっち!」
「美味いメシ! 美味いメシ!」
蛙の大合唱に、さしもの鈎蛇もたじろいでいる。
「虫でも食ってろ!」
そう言い放つと、向こうからは
「揚げ出し豆腐!」「茄子の煮浸し!」「芋の煮っ転がし!」
と料理名の雨霰が浴びせられた。随分と食育が進んでいるようだ。
「まだ封印は解けてないようですね」
祠の前に陣取って蝋梅が声をかけると、鈎蛇は眉間の皺を深くした。
「さすがに自分じゃ無理だ。前より強固になってんだろ。締めつけがキツい」
「星神の加護に覆われた国ですから」
視界の半分が、背中に隠される。
「事情は聞いた。お前が動いても、玫瑰の立場が悪くなるだけだ。ここで逃げおおせたとしても、星守さまの目は欺けない。いずれは捕まり、罪はより重くなる。いない間に、謂れのない罪が二、三個なすりつけられているだろうな」
望の言葉に、蛙たちは凍った。まあるい目が一斉に向けられる。鈎蛇は片手で顔を覆った。かなり動揺している。
「ただ、彼女が助かる道がないわけじゃない」
「なに?」
男は険しいながらも、僅かに顔を上げた。望は謁見の間で発言するかのように、厳かに告げた。
「罪を上回る功績があれば、だ。それに免じて軽くなることもあるだろうな」
「……功績だと?」
今から何を。訝しむような彼の前に、望はどっかと座った。同じようにあぐらをかいて。ばらばらと蛙たちは元に戻り、その周囲に集まる。なんだなんだと、興味津々にこのただの人間を見上げた。
「俺の提案に乗ってみる気はないか?」
不敵な笑みを口元に浮かべて、望は身を乗り出した。




