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 外は再び、霧で道が消えていた。土地勘も何もない。そんな中を、あてもなく玫瑰は走った。

 ――あの女官は運が悪いわ。

 ――近寄らないようにしましょう。

 ――早く宮から出せばいいのに。

 言われるたびに悔しくて、人知れず涙を流した。そんな噂、気にならないように。流行には人一倍敏感に。身だしなみはしっかりと。水分補給ひとつにしても、香り高い茶をその日の体調に合わせて選んだし、目でも舌でも楽しめる食事をと、自ら厨房へ足を運んだ。食の細かった先の黒妃も、これならと少しずつ食べる量を増やし、またこの前の菓子が食べたいと声をかけてくれるようにもなった。これなら、陛下に出してもお喜びいただけるでしょうと、太鼓判まで。それなのに。

 ぼろぼろと熱いものが溢れていく。視界が歪んで、何度も袖で拭った。走り慣れてなんかいないから、すぐに足は止まる。息はきれるし苦しいし、おまけに。

「おい、迷っちまうぞ!」

「何であなたがついて来るのよ!」

 掴まれた腕を振り払うと、そこには梧桐がいた。息はそれほど荒くない。

「……とう、いや蝋梅さまに走らせるわけにいかないだろ。かと言って一人で行って、何かあったら危ない」

「私はどうとでもなるわ。主をわけのわからないところへ残して来る方が問題でしょう。……私もだけど」

 玫瑰は唇をかむ。女官失格だ。そうやって理性的なふりをして、そのくせ頭から湯気でも噴き出しそうなくらい中は沸騰している。

「それくらい、あんたには耐え難いことだったんだろ」

 落ち着いた声音は、余計に彼女を苛立たせる。

「知った口をきかないで」

 頭の片隅ではわかっている。こんなのは八つ当たりで、彼は少しも悪くないのだと。なのに止まらない。

「悪い」

 それでも彼は、反発することなく受け止めた。そうされると、余計にバツが悪い。たっぷりと時間をとって、大きく息を吐く。

「……私も、感情的だったわ。ごめんなさい」

 そう言って玫瑰は顔を覆った。もやもやは消えない。胸の内で停滞して、重く沈んでいる。戻ろうにもわからない道が、少しの救いになっていた。

 あのさ、と梧桐が遠慮がちに口火を切る。

「あんたのかかってる呪いって、どんななんだ」

 霧がかった空気は、湿気を含んで重苦しい。

「別に、そんなたいそうなものじゃないわよ。目の前でさる偉い方のカツラが飛ぶとこ見ちゃったり、悪口言ってる現場に居合わせちゃったり」

 梧桐は変な顔をした。

「それ、呪いなのか?」

 つい、玫瑰は眉根を寄せる。

「……はじめは間が悪かったのねって言われてたのよ。でも、それがどんどん積み重なってくると、何かあるんじゃないのって話になって。私が先の黒妃さまに呼ばれる回数が増えるほど、それは憶測から事実にされて、誇張されて、そうして陛下のお耳にそんな者を重用していると思われたくないって、遠ざけられるようになっちゃったの。……原因が本当に呪いだったなんて」

「この道中でも?」

「……気にしてなかったけど、こんなことになっちゃったもの。運が悪いどころじゃないわ。最悪よ」

 霧は少しも動かない。すぐ側の木々の姿も歪めて、遮ろうとしてくる。

 こんなに霧深くはなかったのに。そんなふうに考えてから、はたと思い至る。果たしてそうだっただろうか。

(何かひっかかる)

 玫瑰はおもむろに視線を上へと昇らせる。

 濃緑は霧に埋もれて、色も匂いもわからなくなってきている。空など更に見えようはずもなく。ぐるぐると、回されてでもいるように方向感覚がおかしくなってゆく。自分の中にまで霧が入り込んで来て。ぐるぐる。ぐるぐる。ぐらりと身体が傾ぐような気がして、咄嗟に梧桐の腕を掴んだ。

「大丈夫か?」

 相手は怪訝そうな顔で覗き込んでくる。

「え、ええ……」

 どうにも言葉が続かない。顔を伏せていると、彼は遠慮がちに提案した。

「なあ、もっかい話してみねえか」

「話してみるって?」

「あんたがどれだけあそこに残りたいのか、だよ。年に一回なら帰ってこれるから、呪わないでくれとかさ」

 ぐしゃぐしゃになっていた女官は、取り繕うことも忘れて目を瞬かせる。ややあって、僅かに笑んだ。

「あなた、何ていうか変わってるわね。ひくものじゃないの? 呪われてるなんて聞いたら」

「ひかねえよ」

 強く、どこか決意を秘めたように、彼は返した。とてもとても、真っ直ぐだ。玫瑰はつい、それに見惚れた。霧深い中で、そこだけが晴れているようだ。

「戻ろうぜ。蝋梅さまがもしかしたら、解決の糸口を掴んでくださってるかもしれねえ」

 彼は踵を返す。地元民のくせに、方向感覚を失った玫瑰とは真逆だ。けれど。

 此度の旅の主人の顔が浮かぶ。彼女は首を横に振った。

「どうして」

「だって私、蝋梅さまを陥れようとしたのよ。首謀者だって、私に罪をなすりつけて逃げる。どっちみちもう、戻れないのよ」

「ちゃんと話をすれば」

 わかった顔をして、何もわかっちゃいない。どれだけ貴族が陰湿で、容赦がないのか。だから真っ直ぐにぶつかろうとする。それが。

「もういいの!」

 梧桐の言葉を遮って、玫瑰は感情をぶつける。

「母にも罪が及ぶかも。あなたも保身に走った方がいいわよ」

 早口でそう告げると、彼を置いて歩を進めた。


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