第九話 病室にて 桜華視点
第九話 病室にて 桜華視点
夜。
練習を終えて、わたしはシオンの病室に向かった。
扉を開けると、シオンがベッドの上でイチゴショートを頬張っていた。
幸せそうな顔で、頬が膨れている。
この子、大怪我したばかりだというのに、どうしてこんなにも吞気なのだろう。
「シオン、誰か来たの?」
「ん、ああ。来た」
「誰? まさか御曹司じゃないでしょうね」
「小山高吉」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
「……は? 高吉が? どうして?」
「さあ。これを持ってきた」
シオンはケーキを口に運びながら、当然のことのように頷いた。
箱を見ると駅前のミル・ド・カエデだった。
女子の間で話題になっている銘店だ。
「なんで、わたしに連絡してくれないのよ!」
思わず声が大きくなった。
二年間、わたしとガードナーを見てくれていた人だ。
わたしだって会いたかったに決まってる。
「ボクの見舞いに来ただけ。いちいち報告する義理はない」
「義理はあるでしょう! わたしの気持ちを知ってるのに!」
わたしは腕を組んで、ベッドの横の椅子にどかっと座った。
シオンはそんなわたしをちらりと見て、特に動じる様子もなくケーキを食べ続けている。
むかつく。
腹が立つ。
わたしだけ知らなかったなんて、聞いてない。
「……これ、食べる?」
シオンが箱から新しいケーキを取り出して、こちらに差し出してきた。
イチゴショートだ。
「……」
「小山が買ってきたやつ。三つあったから一つ余ってる」
彼が買ってきたものだと聞いた瞬間、さっきまでの不機嫌が嘘みたいに引いていくのが自分でも分かった。
「……いただくわ」
フォークを受け取って、一口食べる。
甘い。
二年の間、彼が差し入れしてくれるケーキはいつも美味しかった。
向こうは別に意識してないんだろうけど、こういう些細な気配りがずるい。
「桜華は現金だな」
「うるさい」
ケーキを食べながら、わたしは完全に機嫌を直していた。
「……ああ、そうだ」
「小山に裸、見られた」
シオンが、何でもないことのように言った。
「は? は? は? はだかあ?!」
夜の病院にとんでもない言葉が響いた。
フォークを持つ手が止まる。
「ノックもせずに入ってきたから。着替えの最中だった。いわゆる不可抗力」
「……は、は、は、裸って、全部?」
「上半身だけ」
「それでも裸でしょう!?」
さっきまでの機嫌の良さが、一瞬で吹き飛んだ。
何なのそれ。
何でシオンはそんなに平然としてるの。
「高吉のバカ……デリカシーがないのよ、昔から」
「ボクは別に気にしてない」
「わたしが気にするの!」
「分かりやすいな、桜華は」
シオンがにやりと笑った。
その顔が妙に腹立たしい。
「べ、別に、そんな分かりやすいことないし」
「顔真っ赤だぞ」
「うるさい、黙れ」
わたしは顔を背けた。
頬が熱いのは、きっとイチゴが反射してるせいだ。
そういうことにしておく。
☆
少し落ち着いてから、わたしは今日あった出来事を話した。
チームの練習がどれだけ緩くなったか。
御曹司がどれだけわたしにつきまとってくるか。
愚痴みたいな話だったけど、シオンは黙って聞いてくれた。
「……つまらないわね、最近」
「ボクも、同じこと思ってた」
シオンが天井を見上げて、小さく息を吐いた。
「高吉がいた頃は、もっと緊張感があった。今は、誰も何も言わない。言う人間がいない」
「そうね……」
わたしも同じ気持ちだった。
叱られることもなくなったし、褒められても実感がなくなった。
ただ毎日が過ぎていくだけ。
帰ろうと荷物をまとめかけたとき、シオンがぽつりと言った。
「そうだ、桜華。ボク、スカウトされた」
「は? 誰に?」
「小山に」
「……どういうこと?」
わたしは立ち止まった。
「俺のところに来ないかって」
「はあ!? なんですって!!?」
思わず大きな声が出た。
病院だっていうのに、我慢できなかった。
気がつけばシオンを揺さぶっていた。
「ゴメン、ゴメン。俺の会社っていうのが抜けてた」
「何それ!」
シオンが悪ノリしていてツライ。
「……でも、スカウトされたのは本当」
「それって、つまり……」
頭の中が整理できない。
彼がシオンを引き抜こうとしている。
それ自体は分かる。
腕のいいプレイヤーを欲しがるのは当然だ。
でも、何だろう。
胸の奥がざわざわする。
「考えさせてくれって言っといた」
「考える、って……」
「迷ってるってこと」
シオンは、まるで他人事みたいに言った。
「……それで、受けるの?」
「まだ分からない」
曖昧な返事だった。
でも、それが余計に落ち着かない。
シオンがいなくなったら、サツキネクサスはどうなるんだろう。
わたしは――。
「アークライトのサイト、教えようか?」
考え込んでいるわたしに、シオンがからかうように言った。
「はい?」
この子は何を言っているんだろう。
「気になるんだろ。桜華も」
「べ、べ、別に気になってないし!!」
「噓つけ」
シオンはくすりと笑いながら、スマホでサイトを検索して見せてきた。
「ほら」
「……いらないわよ、そんなの」
そう言いながらも、わたしはちゃっかりそのURLを自分のスマホにメモしていた。
シオンは何も言わずに、ただ笑っていた。
なんだか、結局うまく乗せられた気がする。
悔しいけど、不機嫌だった気分は、もうすっかり直っていた。
「じゃあ、また来るから」
「ああ。また」
わたしは病室を出た。
☆
病院の外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。
星がいくつか見える。
わたしはバッグの内ポケットから、小さく折りたたんだ紙を取り出した。
あの週刊誌の切り抜きだ。
彼と並んで話しているだけの、何てことのない写真。
熱愛疑惑なんて、くだらない見出しがついてたけど。
わたしはそれを広げて、少しの間、見つめた。
夜空の下、誰にも見られていないのを確認してから、わたしは小さく笑った。
「……バカみたい」
そう呟きながら、その紙を丁寧に畳み直して、また内ポケットにしまった。




