第二十五話 異形の遺物
壁の上から見下ろす光景は、昨夜ホテルの窓から見たものとは、まったく違っていた。
高さ十メートルの足場の上に立つと、壁の中が一望できた。
朝の光の下で、地面は赤と緑と黒に染まっている。
その全部が、動いていた。
数なんて、数えられない。
千か、二千か、もっと上か。
折り重なって、這って、ぶつかり合って、ひとつの生き物みたいに、ゆっくりうねっている。
近くで見ると、見た目の気味悪さが、はっきり分かった。
魚のうろこをまとった体に、口だけが裂けたやつ。
蔦のような腕を何本も持つやつ。
小さいのは犬ほどの大きさで、足が多すぎる。
どれも、見ていて目を背けたくなる形をしていた。
「……いっぱいいるな」
「いるね」
隣で、シオンが言った。
シオンの顔は、いつもと変わらない。
ただ、身体に力が入っているのが分かった。
「今日は、これを使う」
足場の後方には、機体用の武器が並べられていた。
サブマシンガン、M3改。
ガードナー用に、大きく作り直した短機関銃だ。
口径は二十二ミリ。
弾数も多く、長時間の射撃に向いている。
「連射が利く。弾数も多い。あの数が相手なら、こっちのほうが向いてる」
俺は、銃の整備記録をもう一度確認して、機体のほうへ向かった。
シオンが乗り込んでから、無線で呼びかけた。
「動作はどうだ」
『固い』
すぐに返事が返ってきた。
『いつもより、動きが重い。二割くらい鈍い』
「それでいい」
昨夜、俺が決めた設定だった。
「今日は、壁の上から撃ち下ろすだけだ。走る必要も、避ける必要もない。だから、機動性は削って、耐久性に振った。関節のロックは固めてある。反動で関節や駆動系を痛めたら、元も子もないからな」
『分かってる』
シオンの声は、落ち着いていた。
『あんたの設定なら、文句はない』
足場の反対側には、ほかのビルダーの機体が、ずらりと並んでいた。
サツキネクサスの機体は、少し離れた場所に固まっている。
その中に、桜華の機体がないかを探したが、見つけられなかった。
無線に、本部の声が入った。
『各機に連絡する。三十分後に、攻撃を開始する。それまでに、全員、配置につけ』
「了解」
三十分。
長いのか、短いのか、よく分からなかった。
☆
合図は、短かった。
『撃て』
その瞬間、壁の上のすべての銃口が、火を噴いた。
まるで爆発したみたいだった。
耳をふさいでも意味がなかった。
壁の中で、異形が倒れ始めた。
弾が当たったやつから、体液を吹き出して崩れていく。
うろこが砕けて、蔦が千切れて、小さい群れが、まとめてつぶれる。
倒れた上に、次のやつが乗り上げて、また撃たれる。
一方的だった。
上から撃ち下ろしているぶん、異形はこちらに近づけない。
壁を上ろうとするやつもいたが、途中で撃ち落とされた。
『効いてるぞ! ざまぁみろ!!』
誰かが、無線で叫んだ。
俺は、足場の上で、機体の後ろに立っていた。
弾の補給と、銃身の交換が、整備の仕事だ。
連射を続けると、銃身が熱を持ちすぎる。
赤くなる前に、新しいものに替える。
弾倉も、空になる前に交換する。
けれど、足場がひどく揺れた。
「くっそ……!」
掃射の振動が、足場の鉄を通して、足の裏から、体の中まで響いてくる。
立っているだけで、歯の根が痛い。
膝が、勝手にがくがくする。
正直、めちゃくちゃキツい。
機体の中のシオンは、どれだけの揺れを受けているんだろう。
『大丈夫』
無線から、シオンの声が聞こえた。
短い言葉。
俺の考えを読んだみたいだった。
『ボクは慣れてる。あんたこそ、足元に気をつけて』
「……ああ」
そのときだった。
少し先で、一体の機体が、ぐらりと傾いた。
ほかのビルダーの機体だ。
足場の端に立って、撃ち続けていた。
その機体が、反動に押されて、片足を滑らせた。
足首の補正が、合っていない。
整備を担当する人間として、見た瞬間に分かった。
あの機体は、反動の逃がし方が足りていない。
「危ない――」
声が出る前に、機体は足場から落ちた。
十メートル下の壁の中へ。
無線に、叫び声が入った。
『うわああああっ!! た、たた、助けてくれえっ!!』
その声は、すぐに途切れた。
落ちた機体に、異形が群がっていくのが見えた。
数が多すぎて、機体はあっという間に見えなくなった。
助けようがなかった。
誰も、何も言えなかった。
ただ、銃の音だけが、続いていた。
☆
壁の内側は、時間とともに、色を変えていった。
異形の体液が、緑や黒や、濁った赤に混ざって、地面に広がっていく。
やがて、壁の中は、その体液でいっぱいになった。
池みたいに、重く、ゆらゆらと揺れている。
動くものは、少しずつ減っていった。
その上に、倒れた異形が、重なっていた。
討伐ミッションは、五時間後に終わった。
『攻撃、終了。全機、射撃をやめろ』
本部の声が、無線に響いた。
撃つ音が、止まった。
その瞬間の静けさが、逆に耳に痛かった。
耳鳴りが止まない。
足場の鉄が、まだ小さく震えている気がした。
☆
壁から下りて、機体を整備工場に戻した。
シオンは、機体から降りてきて、少しふらついた。
俺は、それを黙って支えた。
「……生きてるな」
シオンが、小さく言った。
「ああ。生きてる。あんたが整備してくれたおかげだ。ずっと、壊れなかった」
「お前が当ててくれたからだ。俺は、弾を運んだだけだ」
「それも大事な仕事だろ」
「お前こそ、よく五時間も撃ち続けたな」
二人で、顔を見合わせて、少しだけ笑った。
シオンの顔は青白かったが、目は、ちゃんと笑っていた。
「ケーキ、食べたい」
「ホテルに戻ったら、好きなだけ食え」
そう言ってから、俺は、ふと、あることを思い出した。
「ちょっと、待ってくれ」
「何」
「壁の中に、行ってくる」
「……は?」
シオンの声が、一段低くなった。
「正気か」
「もう、動いてるやつはいない。見てきたいんだ」
「見てどうするの」
「分からない。ただ……ここにいる間にしか、見られないものがある気がして」
シオンは、ため息をついた。
「ボクは行かない。臭いのは嫌だ」
「すぐ戻る。ここで待っててくれ」
壁の下には、点検用の門がある。
門を管理している自衛隊の隊員に、事情を話した。
隊員は、渋い顔をしながら本部に連絡を入れる。
しばらくして許可が下りたらしく、鍵を開けてくれた。
「ただ、臭いは覚悟してください」
重い門が、ゆっくりと開いた。
その瞬間、臭気が、鼻の奥に突き刺さった。
生ゴミを煮詰めて、酸っぱく腐らせたような臭い。
それに、鉄が焼けたような、金属の臭いが混ざっている。
息をするたびに、喉の奥が焼ける感じがした。
俺は、手袋とマスクをつけて、足を踏み入れた。
地面は、体液でぬかるんでいた。
靴が沈む。
倒れた異形が、あちこちに転がっている。
うろこのやつの死骸の前で、しゃがんだ。
うろこが、一枚、剥がれて落ちていた。
手のひらくらいの大きさ。
濃い青緑で、光を当てると、金属みたいに光る。
拾い上げて、指でなぞった。
弾の当たった跡が、残っていた。それなのに、割れていない。
「……硬いな」
ナイフの背で、軽く叩いてみた。
高い、澄んだ音が返ってきた。
もう少し奥に、角が転がっていた。
別の異形の頭から折れたものだろう。
長さは、半分くらい。
ゆるく曲がっていて、黒く光っている。
持ち上げると、見た目よりずっと軽かった。
「なんだ、これ」
軽いのに、硬い。
これが装甲材になったら――。
そんな考えが、頭に浮かんだ。
これは、ただのゴミじゃない。
俺は、うろこを三枚と、角をひとつ、持ってきた袋に入れた。
それから、あまり長居せず、門を出た。
外に出ると、シオンが待っていた。
「……高吉、くさい」
「分かってる」
「近寄らないで」
「まだ何もしてない」
☆
その後、機体の回収や現場の確認に時間がかかった。
異形の死骸から素材を採取する許可をもらうまでにも、かなり待たされた。
アークライトに戻ったのは、夜の十時を過ぎていた。
シオンは、帰りの車の中で、ずっと寝ていた。
工場の事務所には、司さんが待っていた。
霜山さんと香織さんも、一緒にいた。
「無事だったか」
「はい。ただいま戻りました」
香織さんが、シオンの顔を見て、ほっとしたように息を吐いた。
「よかった……」
「ありがとう。心配かけた」
シオンは、そう言って、そのまま椅子に座って、また目を閉じた。
俺は、袋を机に置いた。
「司さん、これを見てください」
「なんだ」
「異形の体の一部です。壁の中で拾ってきました」
「……拾ってきた?」
司さんの声が、低くなった。
「お前、あの中に入ったのか」
「入りました。もう動いてるやつはいなかったので」
「バカか、お前は」
そう言いながら、司さんは、袋の中を覗き込んだ。
うろこを一枚、取り出して、光に透かした。
角も、手に取って、重さを確かめた。
「これは……」
司さんの目が、変わった。
「使い道がないか、見てもらえますか。軽くて、硬い。ガードナーの装甲に使えるかもしれない。ここまで強い素材は、見たことがありません」
司さんは、うろこを机に置いて、しばらく黙っていた。
それから、ぽつりと言った。
「うちは、昔、素材の開発研究もやっていた」
「素材?」
「軽量化の研究も、もとは素材から入ったんだ。専門の研究チームがあった。……皐月に、奪われるまではな」
司さんは、スマホを取り出して、番号を呼び出した。
「ちょっと、待ってろ」
呼び出し音が、二回、鳴った。
「もしもし、健二か。俺だ。ああ、元気にしてるか。いや、頼みがある」
大和田さんだった。
俺は、思わず霜山さんの顔を見た。
霜山さんは、小さく頷いた。
「あの二人は、うちの研究担当だったんだ」
電話の合間に、司さんが言った。
「プレイヤーをやっていたのも本当だが、そのあと、うちの研究に回った。真央も、その頃の後輩だ」
「そうだったんですか」
「皐月に技術を奪われて、うちは、会社を縮めるしかなかった。研究にかける金もなくなった。給料も、払えなくなってな。それで、二人とも、出ていった」
司さんは、電話を持ったまま、少しだけ目を伏せた。
「恨んではいない。むしろ、よく持ちこたえてくれたと思ってる」
電話の向こうから、大和田さんの声が聞こえた。
何を言っているかは、分からない。
「ああ、異形の素材だ。詳しいことは、あとで話す」
話し終えると、司さんは、スマホを机に置いた。
「どうなんでしょう。使えそうですか」
「それは、あいつらに見てもらわないと分からん」
司さんは、うろこと角を見下ろしてから、口の端を上げた。
「だが、面白い。久しぶりに、血が騒いできた」
「じゃあ……」
「一度、送ってみるか」
司さんは、声を出して笑った。




