第二十二話 前夜
合同突入作戦は、何の成果も上げられなかった。
亀裂の中で、五十体のガードナーが失われた。
無事に戻れたのは、桜華だけだった。
自衛隊員も、サツキネクサスの選手も帰ってこない。
テレビは「想定外の事態」と繰り返し、犠牲者の数を読み上げていた。
壁の前には、家族が集まっていた。
名前を呼びながら泣く人がいた。
何も言わず、ただ壁を見上げている人もいた。
桜華が出てきたあと、亀裂からは何も出てこなかった。
なぜ外へ出てこないのか。
誰にも分からなかった。
それでも、陸佐は用心した。
トップの指示で、陸上自衛隊の一師団が、壁の中で待機することになった。
いつでも動けるように、戦車と装甲車、重火器が、亀裂のまわりに並べられた。
壁の中の広場には簡易の基地が作られ、テントが並び、発電機が回り、野外の調理場から湯気が上がった。
一万人の自衛隊員が、ひとつの穴を見張っていた。
ここまでやれば大丈夫だろう。
基地の誰もが、そう思っていた。
☆
午後になって、司のスマホが鳴った。
ガードナー協会からだった。
『至急、本部に来てほしい。近くのビルダーの代表を、全員集めている』
それだけ言って、電話は切れた。
司は留守を頼んで、車に乗った。
協会の本部は、都内の古いビルの五階にある。
窓のない会議室に、長い机が四角く並べられていた。
二十人ほどが席についている。
隣の県の工場の社長もいれば、見覚えのある顔もあった。
誰も、しゃべっていなかった。
司は、空いていた席に座った。
それから、前を見て、目を止めた。
議長の席の隣に、皐月修二が座っていた。
紺のスーツに背筋をのばして、机の上で手を組んでいる。
議長のほうは青い顔で、ハンカチで何度も額をふいていた。
修二は、司のほうを一度も見なかった。
司は、修二から目を離さなかった。
重い空気のまま、会議が始まる。
議長が立ち上がって、何か言いかけた直前。
修二が軽く手を上げた。
「挨拶は、省かせていただきます。時間がありません」
落ち着いた声だった。
「まず、映像をご覧ください。自衛隊から譲り受けたものです。今日の突入で、洞窟の中で何があったのかが映っています」
部屋の照明が落ちた。
壁のスクリーンに、映像が映った。
ガードナーの目の位置にあるカメラの映像だった。
ゆれて、ところどころ乱れている。
斜面の先に、広い空間があった。
壁にへばりつく赤い塊。
魚のうろこをまとった化け物。壁一面にうねる蔦。
そして、床を埋めつくす小さな群れ。
音声も入っていた。無線の声だった。
『撃つな!』
『足が! 足がっ!』
画面の中で、ガードナーが一体、群れに飲まれていく。
腕が上がって、すぐに見えなくなった。
別の一体が、うろこの化け物に踏みつぶされた。
フレームのひしゃげる音が、スピーカーからはっきり聞こえた。
また一体。
そして、また一体。
助けに行く機体はなかった。
助けられる状況でもなかった。
部屋の中で、誰かがうめくような声を出した。
映像は、七分ほどで終わった。
最後に画面が大きくゆれて、真っ暗になった。
照明がつくと、全員の顔から、血の気が引いていた。
口を押さえて、部屋を出ていく者がいた。
机に手をついたまま、動けない者がいた。
司は、ひざの上でこぶしを握りしめていた。
修二だけが、表情を変えていなかった。
「ご覧の通りです」
修二は言った。
「サツキネクサス単独で、これ以上の対応をするのは難しい。皆さんの機体と人の力が、必要になるかもしれません。要請があれば応じていただくことは、すでにご存じの通りです。そのうえで、率直なご意見を聞かせてください」
すぐには、誰も口を開かなかった。
やがて、一人が手を上げた。
まだ若い社長だった。
「もう一度、入るべきだと思います。このまま放っておいたら、いつか外に出てきます」
「無茶だ!」
別の誰かが、声をあらげた。
「あの映像を見て、まだそんなことを言うのか!」
「じゃあ、どうするんですか!」
言い合いになりかけたところで、年配の社長が静かに言った。
「様子を見るのがいいと思う。今は、近づかないほうがいい。あそこからは、これまで何も出てきていないんだろう」
それを聞いて、あちこちから、小さくうなずく気配が広がった。
司は、一度だけ口を開いた。
「壁の外に出てきたときのことは、考えてあるのか」
部屋中の視線が、司に集まった。
「壁の中には、自衛隊の一師団が待機しています」
答えたのは、修二だった。
「一万人です。問題ありません」
「そうか」
司は、それ以上は言わなかった。
言ったところで、聞く者はいないと分かっていた。
それに、司自身にも、はっきりした代案はなかった。
「では、多数決を取ります」
修二が言った。
「今後の方針です。様子を見るか、もう一度亀裂に入るか。様子見に賛成の方は、手を挙げてください」
ばらばらと、手が上がった。
十八人。
二十人のうち、九割だった。
残りの二人は、手を挙げなかった。
再突入を言った若い社長は、うつむいたままだ。
司も、手を挙げた。
ゆっくりと。
挙げたくなかった。
それでも、ほかに選べる道が見えなかった。
「ありがとうございます」
修二は、満足そうにうなずいた。
「結果は防衛省に伝えます。皆さんのご意見として」
議長が、小さな声で解散を告げた。
椅子を引く音が、あちこちで鳴った。
誰も、あいさつを交わさない。
司は部屋を出る直前に、もう一度だけ修二のほうを見た。
修二は書類をそろえていた。
何事もなかったような顔だった。
☆
その夜は、風がなかった。
空には、うすい雲がかかっていた。
防御壁の中の基地には、白い照明がともり、見張りの自衛隊員が、壁の上と亀裂のまわりに立っていた。
ほとんどの隊員は既に眠っていた。
テントの中から、いびきが聞こえる。
発電機が低い音で回り続けていた。
医務のテントでは、けがをした隊員が、うとうとしていた。
見張りの若い隊員が、あくびをかみ殺した。
「夜は静かだな」
「ああ。昼間の騒ぎが、うそみたいだ」
隣の隊員は、ポケットから小さな写真を出して、ちらりと見て、またしまった。
そのとき、足の下が、ふるえた。
最初は、ほんの小さな揺れだった。
やがて、地面全体が、ごうごうと鳴り始めた。
「地震か?」
「いや、ちがう……」
亀裂のほうを見て、声が止まった。
何かが、あふれていた。
黒いもの。赤いもの。緑のもの。
最初は、水かと思ったがちがう。
うろこが光った。
蔦がうねった。
小さな無数の足が、地面をかいた。
異形の群れだった。
あふれ出た群れは、止まらなかった。
亀裂の縁をこえて、壁の内側いっぱいに広がっていく。
茶色い土が、赤や緑や黒の波にのみこまれて、見えなくなった。
大地が、別の色に塗り替えられていくようだった。
「敵襲! 敵襲!」
誰かが叫んだ。
サイレンが鳴り響く。
照明がゆれた。
テントから、隊員たちが飛び出してくる。
銃声が上がり、装甲車の大きな銃が火を噴いた。
それでも、群れは止まらない。
倒れた仲間の上を、後ろの群れが踏みこえてくる。
壁は、高さ十メートル、厚さ二メートル。
異形を閉じこめるための壁だった。
逃げ場はない。
壁をよじのぼる蔦があった。
壁の上で見張りをしていた隊員が、のみこまれた。
テントが、次々とつぶれた。
装甲車が、ひっくり返る。
調理場の火が倒れて、火炎になった。
その炎の中を、異形が走った。
無線の声が、あちこちで重なった。
叫ぶ声。
名前を呼ぶ声。
助けを求める声。
やがて、その声は、一つずつ、聞こえなくなっていった。
雲が切れた。
空に、月が出ていた。
白い光が、壁の中を照らしている。
つぶれたテント。ひっくり返った車。
動いているのは、異形だけだった。
月明かりの下で、異形の群れが壁の中を埋め尽くしていた。




