第二十話 亀裂
あれから、一ヶ月が経った。
桜華を守れなかった悔しさは、消えたわけじゃない。
ただ、朝起きるたびに息が詰まる、ということは、いつの間にかなくなっていた。
慣れたくなかったが、人間は慣れる。
工場の毎日は、あまり変わらない。
八時に起きて、九時に出社して、整備と訓練。
夕飯を食堂で食べて、社宅に帰る。
社宅には、シオンがいる。
桜華が泊まった部屋は、そのままにしてある。
布団は畳んで押し入れに入れた。
誰も片づけようと言い出さなかったし、誰も、勝手に使おうとはしなかった。
今朝、シオンのランキングが更新された。
世界ランク十五位から、圏外。
「圏外って、おかしくないですか!?」
香織さんが、事務所のパソコンの画面を睨んでいた。
「シオンさん、実力は全然落ちてないのに」
「公式戦に出てないんだから、ポイントが付かない。落ちて当たり前だ」
シオンは、気にした様子もなく湯呑みを傾けていた。
「順位より、体が鈍るほうが困る」
そのぶん、うちの訓練は濃くなった。
香織さんの右肩の癖は、完全に抜けた。
シオンが入ってから、練習の密度がひと回り上がって、三世代機でも、設定を詰めれば、五世代機相手に食らいつけるくらいにはなった。
霜山さんたちサービスの調整も、サツキにいた頃の同僚と比べて、見劣りしない。
亀裂の周囲は、この一ヶ月ですっかり姿を変えていた。
高さ十メートル、厚さ二メートルの壁が、亀裂をぐるりと囲んで出来上がった。
そのすぐ外側に自衛隊の基地が広がって、隣にはガードナーの工場まで建った。
プレイヤー用にホテルまで建てられた。
突貫で建てたとは思えない規模だ。
ニュースで見るたびに、よくこんなものを一ヶ月で作ったな、と思う。
第一陣として入るのは、サツキネクサスと自衛隊だけだ。
うちには、まだ要請は来ていない。
☆
今日、初めて、ガードナーと自衛隊が共同で亀裂に突入する。
十三時前には、アークライトの全員が事務所に集まった。
霜山さんが壁掛けのテレビをつけて、椅子を並べてくれた。
司さんは腕を組んで、一番前に立っている。
画面には、特別番組のテロップが出ていた。
『【生中継】自衛隊・サツキネクサス ガードナー合同突入作戦』
映ったのは、亀裂の入口に近い広場だった。
ガードナーが、列をなして並んでいる。
サツキネクサスの機体と、迷彩に塗り直された自衛隊の機体が、交互に、一糸乱れず立っている。
足の幅まで揃っていた。
「すごい数ですね」
坂本が、口を開けたまま呟いた。
アナウンサーが、先頭を指した。
『最前列に並ぶのが、サツキネクサスのエース、鳳来桜華選手の機体です』
事務所の空気が、止まった。
画面の中の、先頭の機体。
見ただけで、分かった。
重心の置き方だ。
右に、ほんの少しだけ、体重を預けている。
ガードナーに乗ってる桜華は気づいてないクセ。
何年も、ずっと見てきた。
間違えようがない。
「桜華さんだ!」
「生きてた……よかった」
「ちゃんといる!」
誰かが涙声で言った。
立ってる、というだけのことだ。
機体の中は見えない。
表情も、声も、分からない。
それでも、一ヶ月ぶりに、桜華を見て安心できた。
拳を握ったまま、俺は画面から目を離せなかった。
「あれだけ揃えて、国からいくら出てるんだ。どれだけ儲けたんだ、あいつは」
低い声がした。司さんだった。
「社長」
霜山さんが小さくたしなめた。
司さんは、それ以上は何も言わなかった。
☆
作戦開始の前に、防衛大臣の訓示があった。
壇上に立った大臣は、手元の紙に目を落としながら、よく通る声で読み上げた。
『本日、我が国は、未知の領域に初めて足を踏み入れます。国民は皆さんの技術と勇気に期待しております。安全を最優先に、しかし臆することなく、任務を全うしてください』
「聞いてるだけで腹が立つ」
香織さんが小声で言った。
続いて、自衛隊の陸佐が、短く挨拶した。
『本作戦の指揮を執ります。述べることは多くありませんが、一つだけ。全員、帰ってきてください。以上です』
帽子を取って、一礼した。
それを見て、俺は少しだけ好感を持った。
画面の端に、テロップが出た。
『ガードナー 合計五十体』
「五十?! 多すぎないか」
坂本が、気の抜けた声で言った。
スタジオのコメンテーターたちが、順番に話し始めた。
『軍事技術として生まれたガードナーが、本来の役割に戻ったとも言えます。歴史的な瞬間です』
『ただ、中にいる生物の正体が、まだ分かっていません。偵察を重ねてから、という意見もあったはずですが』
『民間企業に任せすぎではないか、という声もあります』
どいつもこいつも、他人事みたいな口ぶりだった。
テレビは、突入までのカウントダウンを映し始めた。
☆
十三時半。
先頭の自衛隊員が合図を出した。
ドローンが一機、列の前に出て、亀裂の縁をゆっくりと越えていく。
その後ろをガードナーが着いていく。
映像が、ドローンのカメラに切り替わった。
斜めに下っていく岩肌。
奥は、ただ暗い。
ドローンのライトが、濡れたような壁面を照らして、少しずつ、下へ降りていく。
『ドローン、前進中。異常なし』
無線の声が、テレビの音声に重なった。
『照明弾を使用します』
ドローンの下部から、小さな光の玉が撃ち出された。
光が弾けた。
一瞬、画面が白くなった。
それから、色が戻ってきた。
亀裂の奥は、洞窟なんて呼べる広さじゃなかった。
ドームのような空間が、何百メートルも先まで続いている。
そして、そこに、いた。
壁に、赤い塊がへばりついていた。
バクテリアのような形だった。
棒のような胴体から、細い鞭のようなものが無数に伸びている。
ゆらゆらと動いていた。
その下を、別の何かが這っていた。
魚のような鱗に覆われた四足の生物。
いや、二本足にも見える。
口だけが、不自然なほど大きく裂けている。
壁一面を、蔦が覆っていた。
蔦は、波打つように動いている。
数えられないほど、何かがいた。
ホラー映画だ、と思った。
笑えなかった。
根元だけ、蔦とは別の何かが、ゆっくりとうごめいていた。
事務所の誰も、声を出さなかった。
『……これは』
テレビの向こうのアナウンサーが、言葉を失っていた。
ガードナーが動かなかった。
前に出る機体も、下がる機体もない。
全員、立ったままだった。
あれは、機体の故障じゃない。
中の人間が、止まっているんだ。
「下がれ!」
司さんが、テレビに向かって叫んだ。
「何してる! 下がれ! 動け!」
聞こえるはずがない。
映像の奥で、赤い塊が、ぐっと膨らんだ。
うろこのバケモノが、床を滑るように走り出した。
先頭に立っているのは、桜華の機体だった。
動かない。
椅子が、倒れた。
気がついたら、俺は立ち上がっていた。
「桜華!」
次の瞬間、テレビの画面は真っ黒になった。




