第二話 アークライト株式会社
第二話 アークライト株式会社
霜山さんから聞いた住所は、想像以上に遠かった。
都心から電車で三時間。
そこからさらに乗り換えて、駅からバスに揺られること五十分。
最初のうちはビルが並んでいた車窓も、いつの間にか住宅街へ変わり、やがて建物そのものが少なくなっていった。
窓の外に見えるのは、田んぼと畑ばかりだ。
「……こんな場所にガードナー企業があるのか」
思わず呟いてしまう。
もちろん、ガードナー企業だからといって都心にある必要はない。
工場を動かすには広い土地が必要だし、騒音や振動の問題もある。
むしろこういう場所の方が都合がいいのかもしれない。
それでも、十三年間サツキネクサスにいた俺にとっては、かなり意外な立地だった。
サツキネクサスなら、駅から送迎車が出ている。
敷地に入れば警備員がいて、建物も大きい。
設備も最新。
それが当たり前だったと思っていたのは、サツキネクサスで過ごした時間が長すぎたのだろう。
やがてバスが停まり、俺は荷物を持って降りた。
周囲を見渡す。
「……ここか?」
目の前にあったのは、どう見ても町工場だった。
錆びかけたトタン屋根。
年季の入った看板。
駐車場の隅には、使い込まれたドラム缶がいくつか積まれている。
サツキネクサスの本社とは、まるで違う。
あちらがガラス張りの洗練された建物なら、こっちは何十年も前からここに建っている工場だ。
だが、その中に一つだけ、妙に目立つものがあった。
看板だ。
そこには『アークライトホライズン』と、大きく書かれている。
「……ここか」
俺は苦笑しながら、工場の入り口へ向かった。
扉を開けると、油と金属の匂いが鼻についた。
懐かしい匂いだった。
ガードナーを扱う工場なら、どこへ行っても似たような匂いがする。
ただ、設備はかなり古い。
壁際に並んだ工具も、最新型とは言い難い。
「……古い工具が多いな」
思わず口に出してから、足元を見る。
床には、ほとんど油が落ちていない。
工具台の上も整理されている。
古い設備を使っているからといって、仕事まで雑なわけではないらしい。
むしろ逆だ。
古い設備を使い続けるには、それなりに手入れをしなければならない。
こういうところを見ると、その会社がどういう仕事をしているのか、なんとなく分かる。
作業服姿の従業員たちが、こちらをちらちらと見ていた。
見慣れない男が突然やってきたんだから、気になるのも当然だろう。
その中から、一人の男性がこちらへ歩いてきた。
「小山さんですね?」
「はい、小山です。霜山さんですか」
「そうです。ようこそいらっしゃいました」
電話で話した霜山さんだった。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ。遠かったでしょう」
「ええ。ちょっとした旅行でした」
「よく言われます」
霜山さんは苦笑した。
電話の声から想像していたより、少し小柄な男性だった。
だが、工場に入ってからずっと周囲を見ている。
作業の進み具合を確認しているのだろう。
現場を知らない人間の歩き方ではない。
「まずは事務所へどうぞ。動画の件について、詳しくお話ししたいので」
「分かりました」
俺は霜山さんの後をついていった。
案内された事務所は、工場と同じく質素だった。
ただし、こちらもきれいに片付いている。
壁には手書きの整備スケジュール表。
机の上には部品の発注書。
ホワイトボードには、プレイヤーの練習予定まで書かれていた。
「……ちゃんとしてるな」
「え?」
「いや、なんでもないです」
俺が椅子に座ると、霜山さんも向かいに腰を下ろした。
「早速ですが、動画の件、詳しく聞かせてもらえますか」
「ええ。実機のログを見せてもらえますか」
「もちろんです」
霜山さんがタブレットを差し出した。
画面には、問題になっているガードナーの記録が表示されている。
俺はタブレットを受け取り、順番に数字を追っていった。
入力補正。
駆動遅延。
関節ごとの負荷分布。
足首から膝、腰へ伝わる数値。
一つずつ確認する。
動画を見たときに感じた違和感は、間違っていなかった。
「……やっぱりだ」
「何か分かりましたか?」
「入力補正が二重に掛かってます」
俺は画面を指差した。
「ここがメーカー出荷時の標準補正。それとは別に、こっちにも補正が入ってる」
霜山さんが画面を覗き込む。
「……本当だ」
「もう一つの方は、後から追加した設定でしょう」
「誰かが設定した記録は?」
「少々お待ちください」
霜山さんが別の画面を開く。
履歴を確認して、眉を寄せた。
「……新人が設定しています」
「やっぱり」
「練習用に、動きを安定させるためだったようです」
「悪気はなかったんでしょうね。でも、この二つが重なると駄目です」
俺は画面を切り替えた。
「入力そのものは安定します。ただ、着地の瞬間に補正が二回掛かる。だから、プレイヤーが入力したタイミングと実際に機体が動くタイミングにズレが出る」
「それが、動画に出ていた沈み込みですか?」
「そうです」
霜山さんはしばらく画面を見つめていた。
「……そこまで分かるものなんですね」
「ログを見れば、ある程度は」
「ある程度……」
霜山さんが苦笑する。
「小山さん、それを『ある程度』で済ませるのはどうかと思いますよ」
「そうですか?」
俺は本気で分からなかった。
十三年もガードナーを見ていれば、この程度は珍しくない。
そのとき、事務所の外から声が聞こえた。
「霜山さん、原因分かったんですか?」
「ちょっと待ってください。今、見てもらっています」
声を聞きつけたらしい。
何人かのサービスメンバーが事務所に集まってきた。
俺は画面を見せながら説明を続ける。
「単純に片方を消せばいい、という話でもないです」
「え?」
「今まで二重補正を前提に動かしていた部分があります。片方を消すだけだと、今度は逆方向にズレる可能性がある」
「じゃあ、どうすれば?」
「比率を調整します」
俺は具体的な数値を示した。
「まずここを下げる。次にこっちを確認して、それから実際の動きを見ながら微調整する」
「分かりました」
「この設定で一度動かしてみます」
メンバーがタブレットを受け取り、機体の設定を変更していく。
しばらくして、工場の奥から声が上がった。
「……動きが変わった」
「さっきまであった沈み込みがない」
俺もモニターを確認する。
数値が安定していた。
「これなら大丈夫そうですね」
「動作確認をしたいですね。プレイヤーの方はいますか?」
「もうすぐ帰ってくると思いますが……。今は全員出ていますね」
「じゃあ、俺が動かしてみますよ」
「小山さんが?」
「サービスでも操作くらいはできますよ」
俺がそう言うと、周囲から微妙な反応が返ってきた。
どうやら、サービスがガードナーに乗ること自体が珍しいらしい。
「操作席、こっちです」
案内されて、俺はガードナーの前に立った。
近くで見ると、やはり古い。
塗装にも傷がある。
関節部分には補修した跡も見える。
コックピットに乗り込み、シートに身体を預ける。
起動すると機体が低く唸った。
「……古いな」
反応が遅い。
出力も、今の機体とは比べ物にならない。
ただ、動かせないほどではない。
一歩。
二歩。
前進。
次に旋回。
古い機体は反応が遅い。
なら、入力を早める。
旋回に入る前に、ほんの少しだけ腰を残す。
足を動かす。
着地では膝を先に受けにいかない。
機体が沈むのを待ってから、次の入力を入れる。
前進。
停止。
方向転換。
もう一度、旋回。
機体の反応を確かめながら、一つずつ動かしていく。
十三年もガードナーを見ていれば、機体ごとの癖くらい分かる。
同じ型でも、整備状態や使用年数で反応は変わる。
まして、この機体は二世代前だ。
今の機体と同じように扱えば、当然うまく動かない。
だから、俺の方で合わせる。
「……」
工場の中が静かになっていた。
最後に軽く着地して、機体を停止させる。
コックピットを開けた。
「……どうでした?」
霜山さんが声を掛けてくる。
「問題ないと思います」
「本当に?」
「ええ。ただ、機体が古いので、今の設定でも反応は遅いです。プレイヤーが慣れてないなら、少し苦労するかもしれません」
そう答えて機体から離れた。
すると、工場の奥から一人の若い整備士が近づいてきた。
「小山さん……」
「はい?」
「今の、どうやったんですか?」
「どうって?」
「この機体、あんなに動きませんよ」
俺は機体を振り返った。
「動かしただけですよ」
「いや、そうじゃなくて……」
若い整備士は困ったように機体を見る。
「俺たちが乗せたときは、もっと遅かったです」
「機体に合わせただけです」
「機体に……合わせる?」
「古い機体ですから。今の機体と同じ入力をしても、同じようには動きません」
俺は機体の脚部を見た。
「でも、まだ使えます」
その言葉に、若い整備士が顔を上げた。
「……使える?」
「ええ。設定を見直せば、もう少し反応速度も出せると思います」
工場の空気が、少しだけ変わった。
俺は気にせず、機体を見上げた。
まだ現役として使える。
心からそう思った。




