第十八話 契約の盾
雄介の後ろには、黒服が並んでいた。
数えてみると十人いる。
バンから降りてきた順に、無言のまま二列に並んでいく。
全員、似たような黒いスーツを着ていた。
うちの工場の砂利道には、えらく似合わない眺めだった。
「桜華さんを、迎えに来ました」
雄介は、にこやかな顔のまま、同じ台詞を繰り返した。
「どうしてここが分かった」
「桜華さんの端末ですよ。チームの支給品ですから、管理システムから位置情報を確認できます。昨日の夜、急に電源が入ったので、すぐ分かりました」
作業場のほうから、足音がいくつも近づいてくる。
霜山さん、香織さん、坂本、他のメンバーたちが、事務所や作業場から出てきて、遠巻きにこっちを見ていた。
「小山さんにもご迷惑をおかけしました。桜華さんは少し混乱しているんです。ここ最近、色々ありましたから」
混乱、か。
一週間も閉じ込められて、逃げてきた人間を、それで片づけるのか。
「本人に聞いてくれ。俺は取り次がない」
「取り次いでいただかなくて結構ですよ。僕が呼びますから」
雄介が息を吸った、そのときだった。
「呼ばなくても来てるわよ」
作業場の入り口に、桜華が立っていた。
ジャージ姿で、髪を後ろで括っている。
「御曹司。何の用」
「桜華さん。無事でよかった。さあ、帰りましょう。みんな心配しています」
「帰らない」
「桜華さん。無理を言わないで下さい」
「帰らないって言ってるでしょう。何回言わせるの。あんな部屋に、二度と戻らない」
雄介は、困った顔を作って肩をすくめた。
「困りましたね。桜華さん、あなたはまだサツキネクサスの所属選手です。契約は残っているんですよ」
「契約が残ってるから、何。わたしは戻らないって言ってるの」
「契約期間中、選手にはチームの指定する練習や試合への参加義務があります。健康管理も、スポンサー対応も、僕らの仕事です。その義務を果たすために迎えに来た。それだけですよ」
「それだけだと?」
「桜華さんは今、無断でチームを離れて、他社の施設に出入りしている。契約上、問題のある行為です。違約金の話にもなりかねません。僕はそれを避けたくて来たんですよ」
言い方が、いちいち上手い。
自分のしたことは全部引っ込めて、問題の側を相手に押しつけてくる。
俺は桜華の前に出た。
「契約が残ってる。それは分かった。だけど、本人が嫌がってるのを無理やり連れて行くのか」
「嫌がっているのではなく、混乱しているんです」
「それ決めるのはお前じゃない」
「サツキ側にも、正当な主張をする権利があります。契約というのは、そういうものでしょう」
雄介は、俺のほうを見て、少しだけ口の端を上げた。
「それに、小山さんはもう、うちの部外者です」
部外者。
その通りだ。
だが嫌がる桜華を行かせたくはない。
「警察を呼んでもらっても構いませんよ」
雄介は、先回りするように言った。
「これは契約上の話し合いです。少なくとも、僕たちが所属選手を迎えに来ただけでは、警察も簡単には動けないでしょう」
黒服たちが、一歩前に出た。
ざり、と砂利が鳴った。
「ふざけないで!」
桜華の声が割れた。
「わたしの意思は? どうして聞かないの!? あの部屋に一週間閉じ込められて、外には知らない男がずっと立ってて、わたしがどんな気持ちでいたか、あんた、一回でも考えたことあるの!?」
「桜華さん、落ち着いて」
「落ち着けるわけないでしょう! 帰らない!! 絶対に帰らない!!」
桜華が、雄介のほうへ一歩踏み出した。
右の拳が握られている。
まずい、と思った。
体が先に動いた。
俺は桜華を抱き止めた。
「桜華、やめろ!」
「離して! 一発殴らないと気が済まない!」
「ここで手を出したら、向こうの思うつぼだ!」
暴れる。
背があるぶん力も強い。
肘が脇腹に入って、息が止まりそうになる。
それでも離せない。
「桜華。聞け」
耳のすぐ近くで、できるだけ低い声を出した。
「俺がいる。大丈夫だ。ここで殴ったら、お前が悪者にされる。それだけは、させない」
暴れていた体から、少しずつ力が抜けていく。
やがて、桜華は動かなくなった。
肩が小さく震えているのが、腕越しに伝わってくる。
声は出さなかった。
足音がして、気がつくとシオンが俺の後ろに来ていた。
桜華と俺を庇うような位置だ。
雄介を見る目だけが、えらく冷えていた。
雄介の笑顔が、消えた。
口の端は上がったままなのに、目が笑っていない。
桜華が俺の腕の中でおとなしくしているのと、シオンが俺の後ろに立っているのと、両方を順番に見て、それから低い声で言った。
「……シオンくんまで、そちら側ですか」
シオンは答えなかった。
桜華が、自分から俺の腕を解いた。
何も言わず、俺の隣に立つ。
俯いたまま、拳だけがまだ握られていた。
「契約書を見せろ」
俺は言った。
「何故ですか?」
「本人にも、その代理にも、見せるくらいの筋はあるだろ。どの条項で連れ戻せると言ってるのか、確認したい」
「桜華さん個人のプライベートな内容です。部外者にお見せするものではありません」
「なら、桜華本人に見せろ」
「契約書の写しは、本社の法務を通してください」
「見せる気がないだろう!」
「お答えする必要はありません」
取りつく島もない。
霜山さんが、スマホを耳に当てて何か話している。
司さんに連絡しているんだろう。
だが、間に合う距離にいない。
「埒が明きませんね」
雄介は小さく息を吐いて、黒服のほうを向いた。
「お願いします。丁重に」
「また、わたしを監禁する気なの!?」
桜華が叫んだ。
「人聞きの悪い。部屋でゆっくり休んでいただくだけです」
「ふざけないで!」
黒服たちが動いた。
二列が崩れて、前にいた四人が桜華の周りを囲む。
「失礼します」
誰も、桜華の声には反応しなかった。
顔色ひとつ変えない。
四人が左右から腕を取った。
桜華が抵抗しても、歩みは止まらない。
「待て」
俺が前に出ようとした。
その腕を、後ろから掴まれた。
「やめろ、高吉」
シオンだった。
「離せ、シオン」
「だめだ。今ここで手を出したら、向こうの思うつぼだ」
「それでも! あいつが連れて行かれるんだぞ!?」
「分かってる。分かってるから止めてる」
シオンの手は、思ったより強かった。
俺の腕を掴んだまま、一歩も引かない。
その間に、桜華は車のほうへ連れていかれた。
後部座席に押し込まれる直前、桜華が首だけこっちに向けた。
「高吉!」
目が、赤かった。
「わたし、絶対に戻ってくるから! 絶対!! 待ってなさいよ!!」
ドアが閉まった。
窓の向こうで、まだ口が動いているのが見えた。
声はもう聞こえなかった。
黒塗りの車が、砂利を鳴らして動き出した。
バンもその後ろに続く。
雄介は最後に、俺のほうを見た。
そして、何事もなかったように車へ乗り込んだ。
車列は、工場前の道を曲がって見えなくなった。
☆
拳を握ったまま、地面に叩きつけた。
砂利が皮膚に食い込む。
痛かったが、どうでもよかった。
もう一回殴ろうとして、手首を掴まれた。
「やめろ。手を壊す」
「放せ」
「放さない。あんたの手は、ガードナーを触る手だ」
シオンの声は静かだった。
俺は、息を吐いた。
手の力が抜ける。
膝をついたまま、砂利の上で、しばらく動けなかった。
後ろで、誰かが鼻をすする音がした。
坂本かもしれない。
香織さんは、歯を食いしばったまま、車の消えた方向をずっと睨んでいる。
「……何もできなかった」
絞り出すように言った。
「高吉」
シオンが、ポケットからスマホを出した。
「これを見ろ」
画面を向けられる。
見慣れた配信アプリの画面だった。
映っているのは、さっきまで俺たちが立っていた工場の前だ。
雄介の顔、黒服の列、桜華が両腕を取られて引かれていく様子。
全部が、少し斜めの角度から映っている。
右上には、再生数の表示があった。
三千を、越えている。
画面の右側には、コメントが滝のように流れていた。
『なにこれ、連れ去り?』
『黒服十人で女の子ひとりを?』
『契約を盾にとか、やり方が汚すぎる』
『桜華ちゃんを返せ』
『サツキHD、これはアウト』
『通報した』
『でかめろんちゃんが止めてたの見た、いい人じゃん』
最後のコメントは、見なかったことにした。
「お前、いつから」
「雄介の車が見えた時から。胸のポケットに入れて、カメラだけ出して、ずっと回してた」
シオンは画面を見ながら、淡々と言った。
「桜華が移籍するって言った夜から、準備してた。あの御曹司は、素直に引き下がるタイプじゃない。ボクは最初からそう思ってた」
だから、あのとき止めたのか。
俺が黒服に手を出していたら、画面に映るのは、サツキの暴力沙汰にすり替わっていた。
「お前が止めてくれなかったら、俺は今ごろ……」
「あんたが先に手を出さなかったから、使える映像になった。それだけだ」
「助かった」
俺は、シオンの顔を見た。
「お前、本当に頼りになるな」
「別に」
シオンは、スマホの画面に目を落としたまま、ほんの少しだけ視線をそらした。
画面の中では、まだコメントが増え続けている。
サツキホールディングスを責める言葉が、画面の端から端まで埋めていた。
俺は立ち上がって、手についた土を払った。
拳は痛む。
だが、握れないほどじゃない。
桜華は、絶対に戻ってくると叫んでいた。
あいつがそう言ったなら、迎えに行くのは俺の役目だ。
「待ってろ、桜華。必ず、迎えに行くからな」




