第3章 獣種
王国歴1657年の青葉の月、旅団の使節に連れられて初めてダレの宿場に入ったとき、私がそこで最初に目にした獣種の特徴は、顔にではなく、背中にあった。ヴェイ川が南へ下って河港になるこの町では、川に着いた舟から宿場の蔵へ、蔵から次の宿場へ向かう荷車へと朝から晩まで荷が動いていて、荷を担ぐ人はみな私に背を向けて坂を上っていくので、顔を見る前に背中を見ることになる。その背中の多くが、肩から腰へかけて短い毛に覆われていたり、担ぎ縄を押さえる手の指が黒く太い爪で終わっていたりして、獣種がこの町にどれほどいるかを、私は顔を一つも見ないうちに知った。魚と松脂と濡れた麻と川泥の匂いの中で、使節の荷物を宿に運び込むあいだずっとその背中を見ていて、宿の主人が裏の長屋なら寝られると言うので行ってみると、土間に敷いた藁の上で、荷役の人たちが昼の休みを取っていた。
そのとき私に寝床を分けてくれたのが、ヴィナという手のガルヴの女である。私が名を聞くより先にこの人は自分を手のガルヴだと言い、それから名を言ったのだが、獣の特徴の出ている場所を名より先に言うのがこの町の名乗りの順番なのだと気づいたのは、長屋で幾日か寝起きして、新しく組に入った若い者が同じ順で名乗るのを聞いてからである。ダレの荷役組では、手の人と翼の人と脚の人とで回される仕事が違うので、組に入る者はまず自分がどの仕事に就けるかを告げなければならず、名はそのあとでよい。どこに獣の特徴が出ているかが名より先に要るのは、そのためだった。
ガルヴという呼び名は古い言葉で爪を指し、私が歩いたどの土地でも通じた。汎種を指すマールという語が、土地によってはもう誰も口にしないほど薄れているのに比べると、ガルヴのほうはずっとよく残っている。町で多数を占める側は、わざわざ呼び名を付けて区別される必要がなく、ただ人と呼ばれて済むのに対して、数の少ない側はいつも区別して呼ばれるので名が残るのだとすれば、獣種はどの町でも呼び分けられる側にいたことになる。港と宿場ではその呼び分けがさらに細かく、ダレでは手に獣の特徴のある人を手のガルヴ、背に翼のある人を翼のガルヴと呼び、脚や耳についても同じように呼ぶ。荷役の仕事が特徴の出る場所で分かれているので呼び名も分かれたのだと荷役組の頭は言い、山裾の村や開拓地のように、数が少なくて呼び分けるほどいない土地では、まとめてガルヴとだけ呼ぶ。獣種と書くのは私の当てた字で、町の人が獣の手と言い、獣の翼と言うので、その字をそのまま使った。爪の字を当てることも考えたが、爪は翼にも脚にも当たらず、獣の字には人ではないものに寄せる響きがあって、それを気にする人がいることも知っているが、町の人が使う言葉から離れた字を当てるほうが、私には偽りに思えた。
ヴィナの手を私は写生させてもらったのだが、右の手が獣の手で、左は汎種と同じである。右の手のひらは私の手とほとんど変わらないのに、指の背から手首にかけて鈍い金色の短い毛が生えそろっていて、朝の光の向きで色が変わり、爪は厚く、先が黒く、手の空いたときに彼女はそれを板の角で研いでいた。汎種の荷役は荷縄に荷の重みを預けて担ぐが、獣の手の指は荷縄にではなく荷そのものに食い込むように掛かり、重みを爪と指で受けるので、縄は荷が崩れないように添えるだけでよく、長屋の荷縄が汎種の荷役の縄より細いのはそのためである。ヴィナは荷を右で担ぎ、担いだ荷の数は左の指で数えた。組の帳面に荷の数を付けるには字が要るが、この人は字を書かず、担いだ荷の数をその爪で板に刻んでいた。夜明け前、まだ灯りをつけない土間で、こつ、こつ、と鳥が幹をつつくのに似た音がするので目を覚ますと、ヴィナが寝床の脇で板の角に爪を当てて研いでいて、その板が、その日に担ぐ荷を一つ刻みにして数えるための板なのだった。夕方になるとその板を組の帳付けのところへ持っていき、帳付けが数を帳面に写して、板は次の日に削ってまた使う。
明るくなると長屋の戸が次々に開いて、肩から胸へ毛の濃い人、耳だけが尖った人、尻尾を帯に巻き込んだ人、たたんだ翼を外套のように背に垂らした人が、川のほうへ降りていく。宿の客や旅の人が獣種をまとめてガルヴと呼んで済ませるのは、こうして群れで動くのを遠くから眺めているからだと私はこの朝に思ったが、長屋の戸口まで近づいて見れば、一人として同じ毛並みの人はいない。獣の特徴は多くの場合ひとつの場所にだけ出て、ほかは汎種と変わらない。手に出る人、翼に出る人、脚に出る人、耳や牙に出る人がいて、どこに出るかは人ごとに違い、同じ家の中でも違う。ダレで世話になった家族は父が手で母が翼で子は脚だったし、手と耳とに出ている人も二人見たが、それはまれで、出る場所がどう決まるかを長屋の人に聞いても、生まれてみなければ分からない、という答えしか返ってこず、私もそれ以上のことを知らない。獣の特徴と言うとき、体の半分が獣であるかのように思う人が町にはいるが、私が見た獣種の中に、そういう人はいなかった。
翼については書き分けておきたいのだが、獣種の翼は一対で、後で記す天種の翼は二対であり、たたんだときに肩のあたりで二つに折れて背に垂れるのが獣種の翼で、天種の翼は四枚が重なって背を覆う。長屋の翼の人たちは、荷を積んだ舟の帆柱へ綱を上げる仕事に就いていて、朝のうち川面に靄が残っているあいだに帆柱のてっぺんまで上がり、綱を掛けると翼を開いて、そのまま舟べりまで滑り降りる。飛ぶというより高いところへ上がって滑って降りるのであって、長く飛ぶ人を私は見ていないし、飛べる距離を聞くと、翼の大きさによると言う人と風によると言う人がいて、答えは人によって違った。獣の特徴のある場所には獣の力があり、手の人は力が強く、脚の人は速く、翼の人が帆柱へ上がるのもこの力で、荷役組で獣種に重い荷が回るのはこのためである。魔力については、学院の計りでは汎種と大きく変わらないと講義で聞いたが、私はこの計りを扱えないので、聞いたままを書く。
ダレの荷役組では仕事が特徴の場所で分かれていて、手の人は荷を担ぎ、翼の人は帆柱へ綱を上げ、脚の人は荷の着く知らせを次の宿場へ走り、耳の人は夜の荷を見張る。耳の人の耳はこめかみの上についていてよく動き、眠っているあいだも物音のほうへ動くので、長屋の夜に私が寝返りを打つたびに、隣の藁に寝ている耳の女の耳だけが私のほうを向いたが、本人は起きていない。耳だけが起きていて、眠っていても聞き慣れない音がすれば目が覚めるのだとその女は言い、組は夜の蔵の見張りを、その耳に預けている。汎種の荷役も手の人と同じ荷を担ぐが、回ってくる荷は幾らか軽く、賃金は荷の数で決まるので、同じ日に獣種の荷役は汎種より多く稼ぐことになるのだが、長屋の暮らしはその稼ぎで大きくは違わなかった。稼いだ分だけ酒と故郷への仕送りに消えるのだとヴィナは言い、実際、夕方に帳付けが板を写し終わると、長屋の者は獣種も汎種も同じ鍋から飯を食い、同じ酒を飲んで、同じころに藁の上に転がった。町の人が、手のガルヴは肉を好むと言うのを聞いたが、長屋の飯は同じ鍋から出るので、確かめようがなかった。祈りは町の教会でし、獣種だけの祈りがあるかと組の人に聞くと、聞いたことがない、と言われ、葬りも町の慣わしに従ってダレでは川に流し、流したあとで組の者が集まって飲む。飯も酒も祈りも葬りも、長屋の中では獣種と汎種のあいだに違いがなく、違うのは担ぐ荷の重さと稼ぎの数だけだった。
獣種は港と宿場に多く、ダレの荷役組では組の者の半分が獣種で、南の湾の港では荷役のほとんどが獣種だと聞いたし、宿場の町全体で数えると十人に一人ほどになる。山裾の村では村に数戸あればいいほうで、開拓地では一戸もない村のほうが多かった。港と宿場に多い理由を私は二つ聞いていて、一つは同じ賃金で重い荷が動くので荷役組が獣種を雇いたがるからであり、もう一つは獣種の子が生まれた土地を出て港へ行くからである。私の生まれたミルヴァの染め町にも、染めの家に嫁いだ獣種の女に獣種の子が生まれた例があって、その子は十五になるとダレへ行き、戻らなかった。染めの仕事に爪のある手は向かないとその家の人は言ったが、向かないのか、雇わないのかを、私はその家に聞かなかった。獣種の多くが力仕事に就いていることと、獣種が力仕事に向いていることとは同じではない。荷役組の頭が獣種は荷に向いていると言うのを私は否定しないが、爪のある手で筆を持つのは難しく、字の仕事には雇われにくいのだから、向いている仕事に就いているのか、ほかに就ける仕事がないのかを、外から見て分けることは私にはできなかった。
ヴェレンの本草学院には翼のガルヴの写字生が一人いて、翼のある人は手が汎種と同じなので筆が持て、この人は図譜の写しを私と同じ部屋でしていて、高い棚の巻物を取るときだけ翼を使い、机に戻ると翼をたたんで椅子の背に掛け、私が知るどの写字生よりも静かに筆を動かした。翼は焦げ茶で、羽の先が擦り切れていて、棚の角で擦れるからだと本人は言った。学院に獣種は、私が知る限りこの人だけで、少ないのは学院に来る道がないからで、字を習う前に港へ行ってしまうのだと、この人は言った。
傭兵と狩人にも獣種は多く、北方の開拓地に傭兵の一団が通ったとき、私は門で数えて、四十人のうち獣種でない人は七人だった。山裾の狩人の村では狩りに出る人の多くが脚のガルヴで、脚の人が獲物を追い、汎種の人が皮を鞣して肉を干し、獲物は村で分けて皮は町へ売るのだが、皮を売る値は汎種の人が決める。それを不満に思う狩人には会わなかった。走るのは自分で、売るのはあの人だ、と脚のガルヴの狩人は、当たり前のことを聞かれた顔で言った。傭兵も狩人も力と速さがそのまま賃金になる仕事であって、獣種が多いのはそのためだと推されるが、国じゅうの傭兵の数がどれほどか、狩人の数がどれほどかを私は知らず、門で数えた四十人は一つの団の数にすぎない。獣種だけの村や町を私は知らず、港でも宿場でも獣種は汎種と同じ長屋に住み、同じ組で働いていて、獣種の村があると聞いて山裾を訪ねたことが一度あるが、着いてみるとそれは狩人の村で、獣種が多いというだけだった。
ほかの種と一緒になった例を各地で聞き集めると、獣種と汎種の組み合わせがいちばん多い。どちらも町に住んでいて、同じ長屋で寝起きし、同じ組で働くので、つながりができやすいのだと思う。ダレで私が聞いた例も長屋の中で一緒になった二組で、どちらも荷役同士だった。子は母の胎から一人ずつ生まれ、獣種と汎種の夫婦からは、獣種の姿の子が生まれることも汎種の姿の子が生まれることもあって、どちらになるかは生まれるまで分からない。十五で成人とする慣わしは汎種と同じで、長屋で育った獣種の子は、娘も含めて十五になると多くが親の組に入り、ダレの荷役組に女の荷役が幾人もいるのはそのためで、ヴィナも男と同じ荷を担いでいた。寿命は、荷役組が持つ組の者の帳面から数えると四十から六十のあいだにある人が多く、汎種より短い。ただしこの帳面には荷役の仕事で亡くなる人が多く、短いのが体のためか仕事のためかを帳面からは分けられず、山裾の狩人の村でも聞いたものの、生まれの年を知る人が少なくて確かめられなかった。
獣種は気が荒い、という言い方があって、宿の主人からも開拓地の農家からも聞いたし、学院の講義にも似た言い方があったので、この言い方がどこから来ているのかを、私は幾つかの土地でたどった。宿場の喧嘩が一つの出所で、ダレの宿場では荷役同士の喧嘩が月に幾度かあって、獣種と汎種のどちらも殴るのだが、爪のある手で殴ると跡が残り、跡が残ると喧嘩は獣種のものとして覚えられる。宿の主人が私に語った喧嘩の話はどれも爪の跡から始まり、誰が先に手を出したかは、どの話にも出てこなかった。
傭兵がもう一つの出所で、開拓地の農家が獣種を荒いと言うとき、その農家が見た獣種は村を通る傭兵の一団であって、荷役も狩人も農家の村には来ないのだから、農家は傭兵しか見ていない。荒い仕事をする人の多くが獣種であることと、獣種が荒いこととは別のことである。学院の講義では、獣の特徴のある人には獣の気性が混じると教える人がいたが、手に獣の爪があるから気性も獣だというなら、翼のある人は鳥の気性で脚のある人は鹿の気性になるはずである。あの写字生は私が知るどの写字生よりも静かだったし、ダレの脚のガルヴの人たちに鹿に似たところを、私は見つけられなかった。私が会った獣種の中で気が荒いと言える人は酒のあとの二人で、同じ長屋の汎種にも酒のあとに荒くなる人が二人いた。宿の主人は、獣種の荷役が運んだ木材で宿を建て、その宿で、獣種は荒いと私に語った。
王国歴1663年に一人でダレを通ったとき、ヴィナはまだ荷役をしていた。私が獣種の話を集めていると言うと、それなら長屋に泊まれ、と言って六年前と同じ場所を空けてくれて、なぜ荷役をするのかと私が聞いたのはこのときである。この人は右の手を上げて爪を見せ、これで筆は持てない、と言い、それから左の手を上げて、こっちでは荷が担げない、と言った。筆の持てない右の手と、荷の担げない左の手と、その両方があるから荷役をしている、というのが答えで、私はそれを書き付けに写し、写しながら、右で担いで左で数え、数えた数を右の爪で刻むこの人の一日が、答えをそのまま形にしたものだと思った。
1667年にダレを通ったとき長屋にこの人はいなくて、二年前の冬に病で亡くなったと帳付けが言い、長屋の柱に、削られていない板が一枚掛けてあった。亡くなる前の日に刻んだ板で、帳付けはそれを写したあと、削らずに掛けたのだという。刻みを数えると二十一あった。板は乾いて色が褪せ、刻みの縁だけがまだ白く、私はその白い縁に指を当ててから、長屋を出た。




