第2章 汎種
王国歴1668年の白霜の月、八年の旅を終えて西方ミルヴァに戻ったとき、父は染め場の奥で藍の甕をかき混ぜていて、私が戸口に立ったことに気づいても棒を持つ手を止めず、顔だけをこちらへ向けて、無事だったか、と聞いた。無事だった、と答えると、父は私を上から下まで見て、痩せたな、飯を食え、と言い、それでも棒は置かずにまた甕に向き直った。私は旅の荷を土間に下ろし、八年前と同じ場所に腰を下ろして、父の背中と、甕から立つ藍の匂いと、染め場の梁から下がる布が風で揺れるのを眺めていた。ミルヴァは二つの川が合わさるところにある染め町で、合わせ目の岸に染めの家が並び、どの家も川から水を引いて甕に溜め、染めた布を川風の通る梁に掛けて乾かすので、町に入る道からは家々の屋根より先に、藍と茜と灰色の布が風に揺れているのが見える。私はこの町で生まれ、十七で学院へ出るまでここで育ち、この町の人は父も隣の家の人も通りの子どもも、みな汎種であるから、私は汎種がどういう人かを知らないまま育ったことになる。周りが全部そうであるものを、人は種として見ない。
汎種の章を書くのがいちばん難しいと、書き始めてから分かった。ほかの種については、その人たちに会った土地と、その人たちの手や翼や鱗から書き起こすことができるのに、汎種についてはどこへ行っても会っていて、どこへ行っても多数なので、書き起こす起点になる一人を選ぼうとすると、私の生まれた家から始めるほかなくなるからである。汎という字を当てたのは私で、学院の分類語では、岩、森、水、天というふうに目立った特徴を字にするのがふつうで、汎種にはその特徴がない。特徴がないことを字にしようとして、常や普といった字を考えてやめたのは、常の人と書けばほかの人が常でないことになるからで、汎は、ひろく、どこにでもいる、という意味で選んだ。
マールという古い言葉が、この人たちを指す名として方々に残っている。平地を意味する語だとヴェレンの訳語学院の教師から聞いたのだが、この語を口にするのはほとんどの場合、汎種でない人である。北方の開拓地の岩種の村では町から来る商人をマールと呼び、ヴェルツの森種の村でも同じ呼び方をしていて、汎種自身がマールと名乗るのを私は一度も聞いていない。町で多数を占める人は、ただ人と言えば自分たちのことになるので、名乗る必要がないのだった。土地によってほかの言い方もあって、開拓地では、ただの人、と言い、ウルの湖の水種は、陸の者、と言うと漁師から聞いたし、南のダレの宿場では獣種の荷役たちが汎種の荷役を、土の人、と呼んでいた。土の上でしか働けない者という意味だと荷役の一人が説明してくれたが、別の一人は、土のように数が多いからだと言い、どちらが古い意味なのかは分からない。この言い方に幾らかの侮りが混じることは聞いていて分かったが、面と向かって使う分には、笑いながら使う語だった。
汎種の姿がどれほど幅を持つかを、私は十七でヴェレンへ出た最初の月に知った。学生通りには方々の土地から人が来るので、北方の開拓地から来た学生は私より頭一つ高く、肌が白くて目が薄い灰色をしていて、南の湾から来た学生は背が低く、肌に赤みがあって髪が縮れていた。その二人が同じ長椅子に並んで座ると、ミルヴァの通りで見慣れた日に焼けた色の人が、そのあいだでちょうど真ん中に見えた。背丈は私が歩いた範囲では北方の人がもっとも高く、ミルヴァの人がそれより幾らか低く、肌の色は西方では日に焼けた色、北方では白く、南の湾では赤みが強く、髪の色も目の色も土地で違う。この幅を種の違いと思う人がいて、ミルヴァに南の湾から商人が来たとき、町の子どもたちがその人を獣種だと言い張ったのを私は覚えている。肌の色が違い髪が縮れていたからで、商人の手にも耳にも獣の特徴はなく、子どもたちは自分たちと違う姿を見たときに、知っているいちばん近い呼び名を当てただけだった。同じことを学院の教師が講義でするのを聞いたこともあり、肌の色で人を分けるのは、標本の乾き具合で草を分けるようなもので、分けた者の都合しか表さない。
汎種の身体を写生するなら、私は父の手を描くことになるのだが、染物師の手は指の腹から爪の縁まで藍が染みて、洗っても落ちない青が皮膚の皺に沿って残り、爪の縁は黒に近い藍で縁取られていて、手の甲は甕の縁で擦れて皮が厚い。甕から引き上げたばかりの布は黄みがかった緑で、父がそれを梁に掛けて風に当てるあいだに端から青へ変わっていき、その変わるところを見ているのが子どものころの私の仕事で、父の手はその布を一日に幾度も甕に沈めては引き上げる。ところがその手は、藍を除けば私の手と変わらず、隣の家の染物師の手とも変わらず、ヴェレンの写字生の手とも、指の長さや爪の形が人ごとに違うという以上には変わらない。師ダーヴィト・ロ・オルムは汎種の手の形を土地ごとに紙に写して票をつけて束ねていて、その束を広げると、指の長さも爪の形も土地で違い、同じ土地の中でも人で違い、師はその束に、町の人、とだけ書いて、それ以上の区分を立てなかった。耳と髪についても同じ束があって、乾かした標本のように並べてみると、汎種の姿にはまとめて言えることがほとんどなく、父の手に残る藍のように、仕事が残した跡のほうが、種が与えた形よりもはっきり見える。まとめて言えないことが、汎種の形質である。
魔力は汎種も持つが、その強さは中ほどで、学院はこれを基準にしてほかの種の魔力を測る。基準にされているから中ほどなのであって、汎種の魔力がもともと中ほどであるわけではない。子は母の胎から一人ずつ生まれ、双子はまれで、ミルヴァの教会の帳面では百の生まれに一つあるかないかだった。十五で成人とする慣わしは王国のどこでも通っているが、体が育ちきるのはそれより幾らかあとで、寿命は、ミルヴァの教会に残る生まれと葬りの帳面から数えると、病や事故で早く亡くなる人を除けば、おおむね五十から八十のあいだにあった。これは一つの町の帳面から出した数で、北方や南方では違うかもしれない。食べるものに決まりはなく、私が歩いた土地で汎種が食べないものを探すほうが難しく、開拓地では岩種と同じものを食べ、湖畔では水種から買った魚を食べていた。
汎種の数を、私は数えていない。私が歩いた町と村ではどこでもいちばん多いのが汎種で、数える必要がなかったからで、数えたのは汎種でない人の数のほうであり、汎種の数は、村の長が言う村の人数から私が数えた人数を引いて出した。この引き算には一つ落とし穴があって、村の長が言う村の人数に、汎種でない人が入っていないことがある。北方のある開拓地で長は村の人数を百二十と言い、私が村を歩くと堤の脇に岩種の家が二十戸あって、長にそれを言うと、ああ、山の者は入れていない、と言った。悪気はなく、長にとって村の人とは村の汎種のことで、山の者は山の者だったのであり、人といえば汎種を指す慣わしは数えるときにも働いて、ほかの種の人が数から外れるのはそのためである。私が歩いた範囲での見積もりを書いておくと、町では十人のうち八人か九人が汎種で、開拓地や山裾の村では半分ほどのところもあり、湖畔と港では町よりは少なく、山裾よりは多い。これらは村の長の言う人数と私が広場で数えた人数から出したもので、村ごとの数字を足し合わせて国の数字にできるようなものではない。汎種の住む土地はどこにでもあり、平地、川筋、港、山裾、開拓地に汎種の町と村があって、汎種が住んでいない土地を私は一つしか知らず、それは水の中である。
汎種の暮らしについて書こうとして私は幾度か筆を止めたのだが、ミルヴァの染物師と、ヴェレンの学生と、ダレの荷役と、北方の開拓農と、ウルの漁師とは、同じ種でありながら同じ暮らしを一つもしておらず、ここで書けるのはその多さそのものである。ミルヴァの染め町では暮らしは水で決まり、二つの川の合わせ目にあるこの町では、染めに使う水の質が家ごとに違い、それが家ごとの色になる。父の家は上流側の水を引いていて、父の藍は下流側の家の藍より青みが強く、それは腕の違いではなく水の違いだと父は言い、染めの家は代々同じ場所にあって、婚姻も染めの家同士が多いのは、水を移せないからである。ヴェレンの学生通りでは暮らしは学院の暦で決まり、講義のある月には人が増え、ない月には減る。通りの店は学生に貸す部屋を持ち、学生は方々の土地から来て方々の土地へ帰るので、ここで生まれ育った人は少なく、通りの住人の多くは私と同じように、よそから来て居着いた人である。
ダレの宿場では暮らしは荷で決まり、荷が着けば働き、着かなければ休む。荷役の長屋には汎種と獣種が一緒に住んでいて飯も一緒に食べ、汎種の荷役の女が獣種の荷役の男と一緒になった例を私は宿場で二つ聞いたが、宿場の人はそれを珍しいこととは思っておらず、子がどちらに似るかは、生まれてみなければ分からない、で済まされていた。北方の開拓地では暮らしは冬で決まり、冬に食べるものを冬までに蓄え、汎種の農家は岩種の村から石を買って蔵を作り、岩種の村は汎種の農家から麦を買い、その取引は市ではなく家と家とのあいだで代々続いている。葬りの仕方も土地で違って、ミルヴァでは土に埋め、ヴェレンでは焼き、ダレでは川に流す家があり、開拓地では冬のあいだ遺体を蔵に置いて春に埋める。教団の教会はどの町にもあって、汎種の多くは第四の座の神を母と呼んで祈るが、祈り方は町ごとに違い、ミルヴァの教会では染めた布を捧げ、ダレの教会では荷の一部を捧げると聞いた。汎種の暮らしに共通することを一つだけ言えと言われれば、私は、どこにでも住む、と答えるほかなく、それ以上のことは村と町ごとに書くしかない。
汎種には特徴がない、という言い方があって、学院の講義でも聞いたし、北方の岩種の老人からも聞いたのだが、同じ言い方でも言う人によって指しているものが違う。学院の教師がそう言うとき、それは分類の話で、岩種には固い肌があり天種には羽があるが、汎種には字にできる特徴がなく、だからほかの種を分けるときの基準になるのであって、基準に特徴がないのは当然で、基準に特徴があれば基準にならない。岩種の老人がそう言うとき、意味は別だった。老人は、マールには特徴がない、と言ってから、だから何でもできる、と続け、石も積めるし字も書く、ただしどれも山の者ほどにはできない、と付け足した。老人の言う特徴のなさは、欠けていることではなく、何にでも向いていることだった。
もう一つ、同じ老人たちから聞いた汎種の特徴があって、マールは水を飲みすぎる、というもので、岩種は水をあまり飲まず、汎種が仕事のあいだに何度も水を飲むのを見て、老人たちは、マールは体に水が溜まらないのだと言い合っていた。汎種の側から見ればそれは特徴ではなくただの当たり前で、特徴は外から見る人の目に映るものであって当人には見えにくく、汎種に特徴がないと言う人の多くは、汎種を外から見る位置にいない。教団の説教には、汎種が世界の運行を担う主であるという言い方があって、数がいちばん多いからだという理屈なのだが、神書には人が役目を授かったとあるだけで、どの人がとは書かれていない。数が多いことと役目が大きいこととが同じかどうかを私は判断できないし、この言い方を汎種でない人の前で口にする説教師を、私は見たことがない。
ミルヴァに戻った日の夕方、染め場の火を落として飯を済ませたあとで、父は、どこを歩いてきたのか見せろ、と言って、私の荷から書き付けの束を引き出した。人の姿を写したほうではなく、土地と暮らしを書いたほうを、父は藍の染みた指でゆっくりめくり、北方の開拓地のところで手を止めて、この土地の人は何色を着ている、と聞いた。灰色が多かった、と答えると、父は、その土地の水では藍が入らないからだ、と言い、染め場に戻って藍の布を一枚持ってきて、私の書き付けの上に置いた。次に行くときに持っていけ、灰色の土地に藍を置いてみれば、水のせいかどうか分かる、と父は言った。布は父の家の藍で、上流の水の、青みの強い色をしていて、灯りの下で見ると書き付けの紙がそこだけ沈んで見えた。私はまだその布を持って北方へ行っておらず、布はこの原稿の脇に畳んである。




