第1章 人はどこから来たか
西方ミルヴァの教会は染め町の中ほどの、二つの川のどちらからも等しく離れたところにあって、子どものころ、私は父に連れられて七日ごとにその石の床に座り、説教師が神書を読むのを聞いた。説教師は年に幾度か第五の巻の第五節を読んだ。そこには生命の母である第四の座の神が草を芽吹かせ、木を茂らせ、獣を走らせ、鳥を翔けさせ、そして人を生み出したとあり、同じ節の終わりには、人には、ただ生くるのみならず、世界の運行を担うという役目を授けたまえり、と記されている。説教師の声は高い天井に当たって二重に聞こえ、私はその響きのほうを覚えていて、言葉のほうを覚えたのは、学院に入って自分で第五の巻を開いてからである。人がどこから来たかについて、いちばん広く読まれ、多くの人が知っているのはこの統一神書の記述で、人について神書が語るのはおおむねここまでである。
私はこの一節を本書の出発点にするのだが、それは、この一節が人について言っていることと言っていないことの境がはっきりしているからである。神書は人を生み出したのが誰かを言い、人に世界の運行を担う役目があることを言う。しかし人がどんな姿で生まれたか、幾つの姿で生まれたか、その姿があとで変わったかどうかについては一言も触れておらず、第五の巻を通して読んでも、ほかの巻を読んでも、人の姿に触れた箇所を私は見つけられなかった。神書に書かれていないことは書かれていないのであって、人の姿について神書を引くときには、まずそこから始めなければならない。役目という言葉についても同じことが言え、世界の運行を担うとは何をすることかを神書は説明しておらず、教団の説教ではそれは畑を耕し、子を育てることだと説かれ、学院の講義では理を知り、記録を残すことだと言う人がいた。私は畑を耕したことがなく、記録を残すことを生業にしているので学院の言い方のほうが耳に心地よいが、心地よいということと正しいということとは別である。
書かれていないところには人が補うのが常で、ミルヴァの教会で私が子どものころに聞いた説教では、母なる神が最初に生み出した人は町の人と同じ姿をしていて、ほかの姿はそのあとに土地や暮らしによって変わったものだ、ということになっていた。説教師がそう言ったのか、聞いた私がそう覚えたのかはいまとなっては分けられないのだが、同じ考えをその後も方々で聞いたので、私の覚え違いだけではないと思う。町の人にとって人といえば自分たちの姿であり、ほかの姿は付け足しで、学院にもこの考えを口にする人はいる。それを間違いだと言うつもりはなく、神書にその記述がない、と言うだけである。
神書に書かれていないことを、各地の村はそれぞれの言い方で埋めていて、私が聞いた範囲のものを幾つか記す。北方の開拓地で、堤を積む岩種の老人たちから聞いた話では、母なる神は最初に山の石を手に取り、それを握って人の形にした。握った石が人になり、握るときにこぼれた砂がほかの土地の人になったのだという。この話を私は、堤の仕事が終わった夕方、老人たちが堤の脇に腰を下ろして干した肉を噛んでいるときに聞いたのであって、老人たちはこぼれた砂のほうを悪く言わず、砂は砂で畑になった、と一人が言い、ほかの老人はそれに何も足さなかった。ヴェルツの高原の森にある森種の村では、母なる神が最初に木を植え、その木陰で休んだ者が人になった、と語られる。木陰にいた者と日向にいた者とで姿が違ったのだといい、この村の話では日向の者は日に焼けて色が変わり、木陰の者は変わらなかった。どちらが先かはこの話には出てこず、木も日も同じ日にあったからだ、と村の長は言った。ウルの湖の漁師からは、水種の人たちが自分たちをどう語っているかを聞いた。漁師の話では、ナーユは、母なる神が最初に生み出したのは水の中の命で、陸の人はそこから上がった者だと言うそうで、これは漁師がナーユから聞き、私が漁師から聞いた話であって、私は水種の口から直に聞いてはいない。天種と冥種については来歴の話を聞く機会がなく、天種に会ったのは二人だけでそのどちらともこの話をするだけの時間がなく、冥種には四人会ったが、四人とも自分たちがどこから来たかを語ろうとしなかった。語れないのではなく、語らないのだと私は受け取った。
これらの話に共通することは一つだけあって、どの村も、自分たちがあとから変わった側だとは語らない。岩種の村では石が先で、水種の話では水の中が先であり、森種の村は先後を言わないが、自分たちの姿のほうが変わらなかった側だと言う。町の人が自分たちを最初の姿だと思っているのと、これは同じ形をしていて、自分たちを付け足しだと語る村を私は一つも知らない。ここから言えることはそう多くなく、人が初めから複数の姿で生み出されたのか一つの姿から分かれたのかを伝承は決めてくれず、伝承は語る側の姿を先に置くので先後の話は当てにならない。ただ、どの伝承も、ほかの姿の人が世にいることを初めから前提にしていて、岩種の話には砂が出てきて、森種の話には日向の者がいて、水種の話には陸に上がる者がいて、町の説教でさえ、ほかの姿が変わったと言うことで、ほかの姿があることを認めている。ほかの姿の人があとになって現れた、と語る村はなかった。私はここから、人は初めから複数の姿で生み出された、と推している。これは神書に書かれていることではなく村の話から私が引き出した見方で、伝承が語る側を先に置くのと同じ理屈で、私の見方にもどの呼び名にも収まらない私の都合が混じっているかもしれない。それを承知で、本書はこの見方を採る。
人の来歴を書くときに混同を避けなければならない相手がいて、七種族である。雷冠の民、銘肌の民、芽吹の民、天秤の民、黙坐の民、逆刻の民、黄昏の民の七つを、神書の第十の巻は、千年の闘争のおりに七柱の神々がそれぞれの傍らに引き上げ、慈しんだ民として記す。彼らは生み出されたのではなく引き上げられ、引き上げられるときにそれぞれの神の欠片を分け与えられたのであって、人が神から授かったのが役目であるのに対して、七種族が授かったのは欠片である。役目と欠片とは同じものではなく、役目は果たすものであり、欠片は身に宿るものである。この違いは書物の上では分かりやすいが、土地の上ではそうでもなく、森種の村はジーナリの村の近くにあり、天種の集落は雷冠の民の止まり木の麓にあると聞く。同じ山にいて、同じ森を歩き、ときに同じ言葉を使うのだから、町の人が両方を混同するのは無理もない。
『七つの隣人』の序は、七種族の名を知らない人はまずいないが、実際に会ったことのある人は百人に一人もいない、と書いていて、名だけを知っている相手と隣の村にいる相手とが似ていれば、人は隣の村のほうを名のほうに寄せて呼ぶ。森種をジーナリに寄せた呼び方が方々にあり、森種の人がそれを嫌うのはそのためである。芽吹の民が命を奪えないことは『七つの隣人』にも金糸の教会の歴史にも記されているが、森種の人は狩りをし、私はヴェルツの森で森種の若者が鹿を仕留めるのを見た。天種の人は羽で飛ぶが、雷冠の民のように雷を纏うことはなく、見た限りでは、である。七種族と人とを分けるのに、私は神書の言葉のほかにこうした暮らしの違いを使うのがしっくりくるのであって、欠片を宿す者にはできないことが人にはでき、人にできないことが欠片を宿す者にはできる。ただし、その線をどこに引くかを私は七種族の側からは確かめておらず、旅団の使節が七種族と話しているあいだ、私はいつも隣の村にいた。
本書は人を八つに分けて書くのだが、この分け方について断っておくと、八つという数は私が本書のために定めたものである。町や村で人を呼び分ける名は、マール、ガルヴ、ハドル、ティエル、ナーユ、アヴェル、ノルグの七つで、私はこれを下地にして七つの種を立て、それぞれを汎種、獣種、岩種、森種、水種、天種、冥種と呼ぶ。呼び名は土地によって違うが、七つに分けること自体は私が歩いた範囲ではどの土地でも大きくは変わらず、同じ人々を川筋と海辺で別の名で呼ぶことはあっても、川筋の人と海辺の人を別の種として数える土地には出会わなかった。八つ目は神に連なる者で、これは種ではない。七つのどれかに生まれた人に先祖の受けた神の加護がある代になって現れることがあり、その人を土地によっては神に連なる者と呼び、加護の人と呼び、あるいは呼び名を持たない。町や村に決まった呼び名がないのは、そういう人がどこにでもいるわけではなく、いても、その人がどの種であるかは見れば分かるためだと思う。岩種の人に加護が現れれば、その人は岩種の人であることをやめず、だから種ではない。それでも本書がこれを八つ目に数えるのは、人がどこから来たかを問うときに、神から何を授かったかという問いを避けられないからで、人は役目を授かり、七種族は欠片を授かり、神に連なる者はそのどちらでもないものをあとから授かる。この人々を種の外に置いたまま人を語ることは、私にはできなかった。
師の草稿は人を十二に分けていて、獣種を特徴の出る場所によって手の者、翼の者などに分け、水種を下半身が魚の者と全身が鱗の者とに分け、そのように姿の細かさで区分を立てていくと十二になる。私がこれを採らなかったのは十二が多すぎるからではなく、姿で細かく分けるほど区分は暮らしから離れていくからで、手の者と翼の者は港町では同じ荷役に就き、同じ呼び名で呼ばれている。師の十二区分は標本帳の上では正しく、町の通りでは使われていなかったのであって、私は通りで使われている数のほうを採った。
最後に、区分というものについて本草学院で学んだことを一つ書いておく。学院の薬草図譜は薬になる草と毒になる草とを見分けるために作られていて、図譜を写す仕事をしていると、写しを注文する人の中に、薬のほうではなく毒のほうを見分けたい人が混じっていることにいずれ気づく。図譜はどちらの人にも同じ働きをし、分けた者は、分けたものがどう使われるかを決められない。このことを初めて聞いたのは師の講義で、師は冬の講堂で図譜を一枚ずつ回しながらそう言い、それでも図譜を作るのをやめなかった。毒を見分けられなければ薬も見分けられない、と師は言い、それから、図譜に毒の在り処を書き込むことだけはしなかった。師の図譜には、どの草がどこに生えているかが書かれていない。




