序 人を分けるということ
学都ヴェレンの学院の門には、昼どきに門番が立っていて、出入りする者の顔を見るのが仕事なのだが、私が本草学院に入った年の秋、その門番が私を呼び止めて、あなたはどちらの人か、と聞いた。悪意のない問いで、私が答えると門番は、そうか、と言ってそれきりになり、その後も門を通るたびに会釈をするだけの人になったのだが、私はその日、学生通りの借家に戻ってからも、自分が何と答えたかを幾度も思い返していた。同じ問いを、私は市場でも、宿でも、旅の途中の村の戸口でも、子どものころから幾度も向けられてきた。私は女としては背が高く、線が細く、町でよくティエルと間違えられる。父は西方ミルヴァの染物師で、私たちがふだん人と呼び、古い言葉ではマールと呼ばれることもある人であり、母はティエルで、その血を私は姿に濃く受け継いだ。姿は母に似て、魔力は父並みである。どちらかと聞かれて、どちらでもあり、どちらでもない、と答えるのは問う側の望む答えではなく、端的に言えば、人であるという自認が本音ではあるのだが、その答えは問いに対する答えになっていない。この問いは本書の底にずっとあって、それこそが本書を書くに至ったものなのかもしれない。
私は本草学院で草木の分類を学び、いまは学院や商館の求めに応じて薬草図譜の写しを作って暮らしていて、人を書く仕事とは縁のない身分である。それでもこの度、人について一冊を書くことになったのは、学院で身につけた手つきが草木にとどまらず人にまで及んでしまったからで、その経緯を先に断っておきたい。本草学院には標本に票を二枚つける慣わしがあって、一枚には葉の形、花の数、茎の毛の向きといったその草の姿を書き、もう一枚には、どこで、いつ、どんな土から、誰が採ったかを書く。二枚は別々に束ね、照らし合わせるのは分類が終わったあとと決まっていて、同じ草でも乾いた土と湿った土では姿が変わるので、姿から産地を決めてはならず、産地から姿を決めてもならない、というのがその理由である。この慣わしを私は師ダーヴィト・ロ・オルムから教わった。師は本草学院の分類学者で、晩年に『人の本草』と題する図譜を作ろうとし、人を草を分けるのと同じ流儀で姿だけによって分ける試みを、十二の区分を立てたところで止め、なぜ止めたのかを弟子に語らないまま、王国歴1652年に亡くなった。私の手もとには十二区分の草稿と、師が集めた標本帳が残され、標本帳といっても人のものであるから、髪や爪や、絵に写した手の形が、票をつけて束ねてある。草稿を読み返すたびに師がどこで行き詰まったのかを考えたが、学院にいるあいだには分からなかった。
王国歴1655年、私は吹き流れる知恵の収集旅団の使節に史料整理の係として同行することになった。旅団の目当ては七種族の村であり、私の仕事は使節が持ち帰る記録を整えることであったのだが、使節が訪ねた七種族の村の近くには、たいていティエルかハドルの村があった。ハドルは山や荒れ地を拓いて暮らす、背の低い、肌の固い人々のことである。使節が七種族の長と話しているあいだ、私は隣の村で待つことが多く、そこで多くの人と話した。使節の記録係を務めたユーリ・ロ・ヴェンデルとはその旅で机を並べ、『七つの隣人』はその旅の記録から書かれた本なのだが、同じ旅に出ていながら、あの本に私が見た村は一つも出てこない。書くべきものが違ったのだから当然で、あの本は七種族を書き、私は七種族の村の隣にいた人を見ていた。本書はその隣にいた人についての本である。
隣の村で待つあいだ、私は気づくと人の手や耳の形を書き付けに写していて、草を採ったときと同じ手つきで、写したものに土地と日付の票をつけ、束ねていた。それが写される側にとって快いことでないのは相手の顔を見れば分かったので、写すのをやめる代わりに、写したものの隣に、その人が何をしていたか、誰と暮らしていたかを書くようになり、書き付けはそのころから、片側が姿で、片側が暮らしになった。使節の旅は1660年に終わり、翌年から私は一人で歩いた。ミルヴァから東へ、ヴェルツの高原、ウルの湖、北のヴェイン、南のダレ、それから北方の開拓地を幾つか回って、歩いた年数は八年になる。そのあいだ、訪ねた村と町では、そこにいる人を種ごとに数えた。数え方は村の長に聞くか市の日に広場で目で数えるかで、正確とはとても言えないのだが、それでも数えなければ、多いとか少ないとかを口にする資格がないと思ったので、数え続けた。
旅の途中で、師の草稿が止まった理由について一つの見当がつき、その見当をつけたあとで、本書の書き方は決まった。人の姿について書くときには、体つき、寿命、食べるもの、生まれ方を、種のものとして書く。人の暮らしについて書くときには、住む場所、生業、婚姻、葬り、神との関わりを、村と人のものとして書き、種のものとしては書かない。標本の二枚の票のように、姿と暮らしを別々に書くということで、同じ姿の人が土地によって違う暮らしをしているというのが、旅で見た中でいちばん動かない事実だったからである。ただし本書では、姿と暮らしを別の節に分けて並べることはしない。私が会った人は、姿と暮らしを一度に持って私の前にいたのであって、その人に会った順に書くほうが、私の見たものに近い。
人の呼び名は、町や村では、マール、ガルヴ、ハドル、ティエル、ナーユ、アヴェル、ノルグと、古い言葉から来た名で呼び分けるのがふつうで、呼び名は土地によって違い、同じ人々を川筋と海辺で別の名で呼ぶこともある。本書では、この呼びならわしを下地にして、人の区分を八つとして立てる。汎種、獣種、岩種、森種、水種、天種、冥種の七つの種と、神に連なる者と呼ばれる人々である。八つ目は種ではなく、町や村に決まった呼び名もないが、人とは何かという本書の問いから外せないため、一つの区分として立てた。この分類語は私が本書のために定めたもので、町や村では使われておらず、以下の本文では地の文をこの分類語で書き、人の言葉を引くときにはその人が使った呼び名のまま引く。
第2章から第8章までは七つの種を一章ずつ扱い、章の並びは私が会った数の多い順としたのであって、多い順ではあるが、上下ではない。どの章も、私がその人々に会った土地と、会った人のことから書き始める。種について書いたことは、結局はその人たちを見て書いたものだからである。第9章は神に連なる者について、第10章は種と種の境目にいる人々について書く。
本書を読むにあたり、幾らか断っておきたい。本書のもととなるのは私が見聞きしたもので、そこから幾つかの書物を参考にして書いているため、幾らか主観的にならざるを得ないことはご了承いただきたい。数字については、本書に出る数はすべて歩いた村と町で数えた見積もりであって、国がまとめている数字でも学院の数字でもなく、千人に一人、といった言い方を本文で用いるが、それは私が数えた範囲でそう見えたという以上の意味を持たない。人の名については、会った人の名を、本人が望まない場合を除いてそのまま記す。ただし冥種と神に連なる者については、存命の人の名を記さず、記す必要があるときは本人が望んだ仮名を用い、住む土地も地方の名までにとどめる。名を書かれることがその人の益にならない場合があり、それを決めるのは私ではないからである。村の名も、本人が望まない場合には記さない。本文ではこれらの約束を繰り返して断らず、黙って守る。
王国歴1671年 白霜の月 学都ヴェレンの借家にて
カーラ・ロ・エステン




