第9話 空港線の下で会議が降る
会議は上から降ってくるものではない。
少なくとも、私の知る限りではそうである。
会議はたいてい、横から来る。チャットで来る。カレンダーに入る。件名に「軽く相談」と書かれ、実際には軽くないものとして来る。あるいは、定時の二十分前に「少しだけいいですか」と言って来る。
だから私は、会議というものを信用していない。
会議には、終わる会議と、終わったふりをして次回を生む会議がある。後者が圧倒的に多い。
そして、会議音声が高架下に降ってくるとなると、もうかなり終わっている。
朝、怪異IT相談所の問い合わせフォームには、昨夜のメールが残っていた。
件名:高架下の声について
本文:空港線の下を歩くと、上から車ではなく、誰かの会議音声が降ってきます。
差出人:東新町で終電を逃した者
私は本文を二回読んだ。
空港線。
東新町。
終電を逃した者。
この三つだけで湿度が高い。
空港線は、高速道路の高架下を通る道である。上を車が走る。音が落ちてくる。雨でもないのに、音だけが降る。
あの道は、夜に歩くと少し変だ。
地上にいるのに、地上の下にいる感じがする。空の下ではなく、どこかの構造物の腹の下に保管されている気分になる。
私は嫌いではない。
嫌いではないが、長くいたくはない。
私は返信した。
瀬戸口です。
発生場所、発生時刻、聞こえた会議内容、録音の有無、周囲の状況を教えてください。
なお、会議音声に返事をしないでください。議事録に載る可能性があります。
送信してから、最後の一文が自然に出たことを少し嫌に思った。
議事録に載る可能性があります。
なぜ私はそんなことを知っているように書けるのか。
知らない。
知らないが、最近の私は知らないものに対して、かなり具体的な警戒文を書けるようになっている。
成長と言ってよいのかは分からない。
五分後、返信が来た。
場所:東新町交差点付近、ヒノキドラッグの近く
時刻:午前一時十二分ごろ
内容:「議題三、未処理案件の統合について」「女子大小路側からの報告を求めます」「熱田側、異議あり」など
録音:しようとしたら、スマホの会議アプリが勝手に起動しました
周囲:ヒノキドラッグは営業中、二階のデナイドに人がいました。女王ツアーの音がうるさかったです。外兎の前で牛丼かそばか迷っている人がいました。
備考:最後に「欠席者、瀬戸口連平」と言われました。欠席してません。知りません。
私は画面を閉じた。
閉じたが、無駄だった。
欠席者、瀬戸口連平。
私はその会議に出席していない。
にもかかわらず欠席扱いされている。
会議というものは、出席しなくても責任だけ発生することがある。これは会社員時代から知っている。知っているが、街の高架下から言われると腹が立つ。
ノックがあった。
私は返事をした。
扉は、返事の後半を聞く気配もなく開いた。
榊原小夜子だった。
「おはようございます」
「会議に呼びましたか」
「まだ呼んでいません」
「まだ」
「必要なら」
「不要です」
「ですが、欠席扱いです」
「知ってるんですか」
「廊下で議題に上がっていました」
「廊下が議題を持つな」
榊原さんは今日も黒い服だった。手には紙袋がない。
少し安心した。
差し入れがない日は、話が仕事に寄る。仕事に寄るのが良いことかは分からないが、少なくとも血糖値で判断が曲がらない。
「東新町ですね」
「はい」
「空港線の下です」
「高架下で会議音声」
「よくあることですか」
「よくはありません」
「少しはあるんですね」
「場所によります」
「この街は、場所によります、でだいたい済ませようとしますね」
榊原さんは、少しだけ東の方を見た。
もちろん、この事務所から東新町は見えない。
見えないが、見ているような顔だった。
「東新町は境目です」
「何の」
「女子大小路の湿り気と、広小路の顔と、空港線の下の音がぶつかるところです」
「詩的に言わないでください」
「では、交通と地名と夜の客層が混線する場所です」
「急に現実的ですね」
「どちらも同じです」
私はメールを見せた。
榊原さんは「熱田側、異議あり」のところで少しだけ目を細めた。
「熱田側」
「昨日、熱田に行ったばかりです」
「つながりましたね」
「つながらないでほしいです」
「つながる時は、つながります」
「ネットワーク障害みたいに言わないでください」
その時、複合機が唸った。
印刷指示は出していない。
もう驚きはしたが、立ち上がる速度は早くなった。慣れではない。危機管理である。
排紙トレイに紙が一枚出てきた。
未承認会議通知
件名:第零回 女子大小路周辺未処理案件統合準備会
日時:本日二十三時四十分
場所:東新町 空港線高架下/デナイド二階窓側席/その他必要に応じて
出席予定:瀬戸口連平、榊原小夜子、ログ語り、関係各位
議題:閉店処理、四〇四号室、鬼丸認証、旧学生寮、追憶カツ丼、レビュー狐、未食決済、その他
私は紙を見た。
長い。
嫌な長さである。
そして、私の案件がまとめられている。
まとめるな。
「未承認会議通知」
「承認していません」
「未承認ですから」
「未承認なら開催しないでください」
「準備会です」
「準備会も嫌です」
榊原さんは紙をじっと見ていた。
「第零回」
「そこも嫌ですね」
「第一回の前にある会です」
「なくていいです」
「零は大事ですよ」
「システム屋に零の大事さを説かないでください。分かったうえで嫌です」
廊下の奥から声がした。
「会議とは、発言と記録の接続点です」
ログ語りだった。
私は振り返らずに言った。
「出ましたね、関係各位」
「記録に呼ばれました」
「呼ぶな」
「呼ばれました」
「帰ってください」
「会議前です」
「なおさら帰ってください」
ログ語りは複合機の横に立っていた。
今日は輪郭が少し薄い。会議音声に呼ばれて、まだ完全に出席していない感じだった。そんな感じがあること自体、かなり嫌だった。
「この会議、何ですか」
「未処理案件の統合準備です」
「統合しません」
「既に議題化されています」
「議題化は同意ではありません」
「ですが、欠席すると欠席者になります」
「当たり前のことを脅しに使わないでください」
私は紙を机に置いた。
こういう時は、まず無視する。
無視して悪化するかを見る。
それも対応手順のひとつである。
ただし、今回はすでに欠席者扱いされている。
無視すれば議事録に載る。
議事録に載ると、たぶん消すのが面倒になる。
私は会社員時代、議事録で何度もひどい目に遭っている。「瀬戸口対応」と一行書かれた瞬間、そこに作業が生まれる。作業は無からでも生まれる。会議はそういう魔術である。
「現地確認ですね」
「そうなります」
「嫌です」
「デナイドがあります」
「それで緩和しないでください」
「ドリンクバーもあります」
「緩和されます」
私は負けた。
デナイドはずるい。
深夜のファミレスには、人間側の薄い安全圏がある。全員が少しずつ帰り損ねていて、照明が均一で、スープバーの味が妙に薄い。ああいう場所では、世界の変さが少しだけ薄まる。
あるいは、薄まったような気がする。
依頼人は夕方に来た。
名前は芹沢真吾。二十代後半くらい。シャツの襟が少し曲がっている。目の下にうっすら疲れがある。終電を逃した者、という差出人名に偽りはなさそうだった。
芹沢さんは事務所に入るなり、廊下の奥を見た。
「ここも、会議室っぽいですね」
「やめてください」
「あ、すみません」
「いえ。悪いのは会議です」
芹沢さんは困った顔をした。
私は録音データを聞かせてもらった。
スマホを再生すると、最初に高架下の車の音が入っていた。ごう、ごう、と低い音。そこに、遠くの会議室のような声が混ざる。
『議題三、未処理案件の統合について』
『女子大小路側からの報告を求めます』
『熱田側、異議あり』
『覚王山側、食後につき発言を保留』
『池田公園旧学生寮、門限後のため一部退席』
『レビュー狐、五つ星を提出』
『欠席者、瀬戸口連平』
私は停止した。
「私が欠席していますね」
「はい」
「私は呼ばれていません」
「でも名前、出てます」
「出ていますね」
「どうしたら」
「まず、会議の成立要件を疑います」
「成立要件」
「招集通知が不適切です」
「そこなんですか」
「そこからです」
会社員時代の私が少し戻ってきた。
よくない。
しかし、会議には会議で対抗するしかない場合がある。暴力には暴力、火には火、会議には議事進行である。あまり使いたくない言葉だが、今日は仕方ない。
「芹沢さんは、なぜ東新町に」
「飲み会帰りです」
「どこで」
「女子大小路の方です」
「終電を」
「逃しました」
「なぜ」
「二軒目で、先輩が話し始めて」
「会議ですね」
「飲み会です」
「長い話は会議です」
「そうなんですか」
「そうです」
私は断定した。
かなり乱暴だが、今日はそういうことにしたい。
夜、二十三時過ぎ。
私たちは東新町へ向かった。
私、榊原さん、芹沢さん。
ログ語りは来ないと言った。
しかし、たぶん来る。
あれは来ないと言っても、記録としている。
東新町の交差点に近づくと、ヒノキドラッグの白い光が見えた。
その隣には、白河玲子さんの勤める高級ホテルがある。夜でも入口のガラスは静かに光っていて、こちら側の雑さを映しすぎないようにしている。私はあのホテルを見るたびに、建物にも育ちの良し悪しがあるのだと思う。
ヒノキドラッグの二階にはデナイド。少し離れて、そばと定食の外兎。さらに向こうで、女王ツアーの電飾がぎらぎらしている。
東新町は、眠らないというより、眠る機能をどこかへ置き忘れた交差点だった。
外兎の前には、終電を逃したらしい男が一人、券売機の前で立ち尽くしていた。そばにするか、親子丼にするか。それは人生の分岐にしては小さいが、午前近い胃袋には十分大きい。
女王ツアーからは、音がこぼれていた。玉が落ちる音、当たりを知らせる音、誰かの疲れた笑い声。光が強すぎて、建物そのものが昼を偽造しているようだった。
その上を、空港線の高架が通っている。
車の音が降る。
人間の生活音が横から来る。
そして、その隙間に会議が混ざる。
東新町は、便利すぎるせいで現実が薄くなっている場所なのかもしれない。
空港線の高架下に入る。
上を車が走る。
ごう、と腹の底に響く音。
女王ツアーの音が横から刺さる。
外兎の券売機が電子音を鳴らす。
ヒノキドラッグの自動ドアが開き、白い光が一瞬歩道に伸びる。
その全部の隙間から、声が降った。
『定刻となりましたので、第零回準備会を再開します』
芹沢さんが肩を跳ねさせた。
榊原さんは平然としている。
私はスマホを見た。
勝手に会議アプリが起動していた。
参加しますか?
会議名:第零回 女子大小路周辺未処理案件統合準備会
参加者:多数
あなたは招待されています。
私は「参加しない」を押した。
画面が変わった。
欠席理由を入力してください。
「腹が立つ」
「瀬戸口さん」
「欠席理由を求められています」
「入力しますか」
「しません」
「でも」
「すると議事録に載ります」
会議音声が上から降る。
『欠席者、瀬戸口連平。理由未提出』
『理由未提出は、消極的出席と見なします』
『異議なし』
『熱田側、匂いによる出席を主張』
『覚王山側、食後の記憶により出席を補足』
『レビュー狐、五つ星』
『女王ツアー、確変中につき採決保留』
『外兎、親子丼とそばの同時注文を提案』
「勝手に見なすな!」
私は声を出してしまった。
高架下で、自分の声が少し反響した。
その瞬間、スマホ画面に表示が出る。
瀬戸口連平が発言しました。
「しまった」
「発言扱いですね」
「言わないでください」
会議音声が、少しはっきりした。
『瀬戸口連平、出席を確認』
『議題三に戻ります』
『未処理案件の統合について、各案件は個別対応では限界があります』
『閉店処理とレビュー狐は、閉じた店の扱いとして統合可能』
『四〇四号室と旧学生寮は、存在しない場所の保管として統合可能』
『追憶カツ丼と未食決済は、食物経由の記憶・欲望処理として統合可能』
『鬼丸認証は本人性の議題として残存』
『手羽先関連勢力は、現時点では議題外。ただし熱田側より無頼坊主派見届け人が傍聴中』
『女子大小路側より宇宙の海さん派見届け人が遅延中』
『以上を踏まえ、女子大小路総合窓口への移管を提案します』
私は背中が少し冷えた。
総合窓口。
嫌な言葉である。
総合窓口は、だいたい何でも受ける。そして、何も終わらない。
「榊原さん」
「はい」
「女子大小路総合窓口とは」
「まだありません」
「まだ」
「できるかもしれません」
「作りません」
「作るのは、瀬戸口さんではないかもしれません」
「誰が」
「街が」
上から、車の音が降る。
その奥に、会議の声がある。
横から女王ツアーの音が刺さり、外兎の券売機が定食番号を呼ぶ。
私は高架下の暗い天井を見た。
高架の裏側。
コンクリート。
配管。
影。
そこに、会議室の蛍光灯のような白い反射が混ざっている。
空港線の下に、会議室が重なっている。
長机。パイプ椅子。紙コップ。誰かの資料。マイクのない発言。終わらない議題。
さらに、その会議室の隅で、骨だけの手羽先が皿の上に整列しているのが一瞬見えた。
見なかったことにした。
今はまだ、その件ではない。
「芹沢さん」
「はい」
「いま手羽先、見えました?」
「見えました」
「見えましたか」
「皿の上で、骨が円陣組んでました」
「言わないでください」
「すみません」
かなりまずい。
まだ触れていない案件が、会議室の隅にいる。
しかも円陣を組んでいる。
手羽先が円陣を組むな。
芹沢さんが小さく言った。
「これ、どうしたらいいんですか」
「出席を取り消します」
「できますか」
「やります」
私はスマホを操作した。
会議アプリの参加者一覧を開く。
参加者名が並んでいる。
瀬戸口連平
榊原小夜子
ログ語り
鬼丸
四〇四小僧
旧女子大 学生寮 寮監
レビュー狐
勘定守り
追憶カツ丼 店主
白河玲子
宇宙の海さん派 見届け人
無頼坊主派 見届け人
ヒノキドラッグ
デナイド
外兎
女王ツアー
白河さんの職場ホテル
女子大小路
東新町
空港線
欠席:蜘蛛
私は画面を見た。
情報が多すぎる。
「蜘蛛、欠席になってます」
「よかったですね」
「よくないです。蜘蛛まで呼ぶな」
そして、白河玲子さんの名前がある。
私はそこを見て固まった。
「白河さんがいます」
「名前がありますね」
「本人は」
「分かりません」
「招待するな」
「それは会議に」
スマホが震えた。
白河さんからだった。
瀬戸口さん。
会議アプリに、私の名前が出ています。
私は出席しておりません。
必要であれば、招集手続きの不備を指摘してください。
私はその文面を見て、少し落ち着いた。
白河さんは強い。
会議に対しても、正面から手続きで殴れる人である。
私は返信した。
承知しました。
招集通知不備で止めます。
すぐに返ってきた。
お願いします。
職場の隣なので、デナイドにおります。
私は顔を上げた。
二階の窓を見る。
デナイドの窓側席に、白河玲子さんがいた。
水のグラスを前に置き、静かにこちらを見ていた。
なぜいる。
いや、いると言っていた。
職場の隣なので、デナイドにおります。
この人は、ときどき現実にいる位置が強すぎる。
「デナイドに行きます」
「逃げますか」
「戦略的移動です」
私たちは高架下を出て、ヒノキドラッグの横の階段から二階へ上がった。
デナイドに入る。
深夜のファミレスの音。食器。ドリンクバー。小さな会話。均一な照明。人間側の薄い安全圏。
窓の外には、白河さんの職場ホテルの入口が見える。隣にヒノキドラッグ。その下に空港線の影。少し離れて外兎と女王ツアー。
東新町が一枚の変な配置図になっている。
白河さんは窓側席に座っていた。
隣の席は空いている。
私たちはそこへ向かった。
「こんばんは」
「こんばんは」
「なぜここに」
「職場が隣ですので」
「そうでした」
「高架下の声がホテルの入口まで届いていました」
「お客様は」
「気づいていない方もいます」
「気づいている方も」
「会議室は何階ですか、と聞かれました」
「最悪ですね」
白河さんは小さく頷いた。
テーブルの上には、デナイドのメニューがあった。
深夜のファミレスメニューは、写真がやけに明るい。現物より明るい。希望を盛りすぎている。
「招集通知を見ました」
「はい」
「この会議は無効です」
「ですよね」
「出席者の同意が取れていません。議題の範囲も広すぎます。開催場所も複数にまたがっており、議事進行の主体が不明です」
「白河さん」
「はい」
「強いですね」
「ホテルでも、よくあります」
「怪異会議が?」
「会議が」
私は少し笑ってしまった。
たぶん疲れていた。
スマホがまた震えた。
『瀬戸口連平、デナイドへ移動』
『場所変更を確認』
『議題四、デナイド窓側席における臨時協議へ移行』
「ついてきた」
「会議はついてきます」
「やめてください。かなり嫌です」
私はスマホを置いた。
注文用タブレットが光った。
勝手に画面が変わる。
会議セット
ドリンクバーつき
議事録一部無料
延長十七分ごとに追加料金
女王ツアー出玉連動割引あり
外兎そば追加可
「デナイドまで乗っ取るな」
「注文しますか」
「しません」
「ドリンクバーは」
「します」
私は負けた。
ドリンクバーは必要である。
会議には飲み物が要る。これもまた嫌な現実だ。
コーヒーを取りに行く。
戻ると、テーブルの上に紙が増えていた。
議案
一、未処理案件の統合可否
二、女子大小路総合窓口の設置
三、手羽先代理戦争に関する事前確認
四、瀬戸口連平の役割
五、その他
「三が見えました」
「手羽先ですね」
「まだ早いです」
「事前確認ですから」
「事前確認も早いです」
白河さんが紙を見て、少しだけ目を細めた。
「宇宙の海さん派と無頼坊主派」
「知っているんですか」
「名前だけは」
「みんな名前だけは知っているんですね」
「食べ物の名前は残りますから」
私はコーヒーを飲んだ。
熱かった。
現実に戻るには、熱いコーヒーが有効である。
私はスマホを開き、怪異IT相談所の管理画面から新規ページを作った。
空港線高架下の会議音声について
本文を書く。
東新町周辺、空港線高架下では、深夜帯に未承認の会議音声が聞こえる場合があります。
当該会議は、正式な招集通知、出席同意、議題範囲の確認を欠いているため、現時点では無効です。
聞こえた場合でも、返事をしないでください。発言扱いになる可能性があります。
会議アプリが起動した場合は、参加せず、欠席理由も入力しないでください。
議事録に名前が載った場合は、怪異IT相談所までご相談ください。
私は少し考えて、もう一行足した。
デナイド窓側席は、会議室ではありません。
ヒノキドラッグ、外兎、女王ツアー、隣接ホテルも会議主体ではありません。
手羽先に関する派閥協議は、別途正式な手続きが必要です。
「最後、増えましたね」
白河さんが言った。
「見えたので」
「手羽先が?」
「皿の上で円陣を」
「それは、まだ見なかったことにした方がよいかもしれません」
「白河さんでもそう言いますか」
「はい。今夜は会議だけで十分です」
私は公開ボタンを押した。
その瞬間、高架下の音が少し遠くなった。
スマホの会議画面が揺れる。
参加者一覧が乱れ、いくつかの名前が消えた。
女子大小路
東新町
空港線
だけが残った。
人名ではない。
場所名だけが残っている。
私は嫌な感じがした。
「白河さん」
「はい」
「人は抜けました」
「場所は残っていますね」
「場所が会議している場合、どうしますか」
「難しいですね」
白河さんが難しいと言う。
それはかなり難しいということだ。
画面に、新しい表示が出た。
第一回 本会議に移行しますか?
議題:女子大小路の名前について
予定日時:明日二十三時五十九分
場所:未定
出席者:街
私はしばらく画面を見ていた。
街。
出席者、街。
これはまずい。
かなりまずい。
会議の規模が、人間から場所へ移った。場所から街へ移った。
つまり、次はたぶん、女子大小路そのものが何かを言い出す。
「閉じましょう」
白河さんが静かに言った。
「はい」
私は画面を閉じた。
閉じられた。
だが、通知だけが残った。
明日二十三時五十九分、本会議があります。
私はスマホを伏せた。
デナイドの窓の外に、東新町の交差点が見える。
ヒノキドラッグの白い光。
隣の高級ホテルの静かなガラス。
外兎の券売機。
女王ツアーの電飾。
空港線の高架。
広小路を流れる車。
その奥に、女子大小路の夜がある。
今までの案件が、ばらばらに見えていたものが、少しずつ同じ方を向いている気がした。
閉店した店。
存在しない部屋。
旧学生寮。
鬼の旧名。
追憶カツ丼。
レビュー狐。
未食決済。
全部、名前と場所と記録の話だった。
そう気づいた瞬間、かなり嫌になった。
気づくと、会議に参加したことになる場合がある。
私はコーヒーを飲んだ。
ぬるくなっていた。
事務所に戻ったのは、日付が変わる少し前だった。
疲れた。
会議に出たような疲れだった。
出ていない。
出ていないが、疲れだけは本物だった。
複合機の排紙トレイには、やはり紙が出ていた。
高架下会議音声:暫定対応
対象:東新町/空港線高架下/デナイド窓側席
備考:未承認会議は無効。返事禁止。場所名のみ残存。第一回本会議通知あり。手羽先派閥は保留。
私は紙を見た。
第一回本会議通知あり。
やめろ。
そう思ったが、文字は消えない。
「ログ語り」
「はい」
廊下の奥から声がした。
「本会議って何ですか」
「分かりません」
「あなたが分からないんですか」
「まだ記録されていません」
「記録されると?」
「分かります」
「最悪ですね」
私は紙を引き出しに入れた。
閉店処理。四〇四処理。鬼丸認証。位置情報障害。追憶カツ丼。レビュー狐。未食決済。高架下会議音声。
案件が並ぶ。
その並びが、何かの招待状に見えた。
夜、問い合わせフォームに新しいメールは来なかった。
珍しい。
安心するべきだった。
しかし、代わりにスマホのカレンダーへ予定が入っていた。
予定名:第一回 女子大小路本会議
日時:明日 二十三時五十九分
場所:女子大小路
参加者:街、その他
私は画面を見た。
削除ボタンを押した。
予定は消えた。
三秒後、戻った。
もう一度消した。
戻った。
私はスマホを伏せた。
「寝よう」
寝れば明日になる。
それは問題である。
だが、寝なくても明日になる。
もっと問題である。
私は椅子にもたれ、天井を見た。
蜘蛛がいた。
蜘蛛は、少しだけこちらを見ている気がした。
「お前、明日出席するなよ」
蜘蛛は答えなかった。
当然である。
カレンダー通知が、また小さく震えた。




