表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女子大小路 怪異IT相談所  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
7/13

第7話 レビュー狐は五つ星をつける

レビューは荒れる。


 これは、私が元システムエンジニアとして得た、数少ない確信のひとつである。

 レビュー欄、コメント欄、問い合わせフォーム、社内チャット、障害報告チケット。人間は入力欄を与えられると、やがてそこへ感情を流しこむ。星の数という、数字の顔をした感情は特に厄介だ。

 五つ星は褒めているとは限らない。

 一つ星は怒っているとは限らない。

 本文を読めば分かるかというと、読んでも分からない。

 人間は「最高でした」と書きながら三つ星をつける。あるいは「普通」と書きながら一つ星をつける。なぜなのか。私には分からない。分からないが、そういう生き物なのだと思うことにしている。


 朝、怪異IT相談所の問い合わせフォームには、昨夜のメールが残っていた。


 件名:レビューについて

 本文:閉店した喫茶店に、毎晩五つ星レビューが投稿されます。

 差出人:喫茶跡地の現テナント


 私は本文をもう一度読んだ。

 閉店した喫茶店。

 毎晩五つ星レビュー。

 差出人は、喫茶跡地の現テナント。

 嫌な要素が、三つ揃っている。

 閉店した店は、閉じたことを理解しないことがある。これはスナック真珠で学んだ。五つ星レビューは、人の感情を数字にしてしまう。現テナントは、たぶん現実側の被害者である。

 私は返信した。


 瀬戸口です。

 対象店舗名、現在の業態、レビュー投稿先、投稿時刻、レビュー本文のスクリーンショットを送ってください。

 可能であれば、削除申請を行ったかどうかも教えてください。


 送信してから、私は少し嫌な予感を覚えた。

 削除申請。

 消す。

 この街で「消す」は、だいたいよくない。

 だが、レビュー対応の初手としては確認せざるを得ない。実務とは、嫌な予感がしても定型手順を踏むことがある。

 三分後、返信が来た。


 現店舗:レンタル着物・撮影小物店「花衣」

 旧店舗:喫茶こかげ

 投稿先:地図アプリ、飲食レビューサイト、なぜか当店の予約ページ

 投稿時刻:毎晩二十三時五十九分

 削除申請:しました。翌朝戻ります。

 レビュー本文:添付します。


 私は添付画像を開いた。

 そこには、いくつものレビューが並んでいた。


 ★★★★★

 今日の日替わりはナポリタン。鉄板の卵が少し焦げていて、端だけぱりっとしている。マスターは相変わらず水を出すのが遅い。でも、それも含めてこかげ。閉店なんてしていません。


 ★★★★★

 奥の二人席、まだ午後の光が入ります。ブレンドは少し薄い。けれど、木曜の雨の日はこのくらいがいい。傘立ての三本目は、まだ私のです。


 ★★★★★

 チーズトーストの耳が固い。そこがいい。灰皿がなくなっていたので寂しい。禁煙になったのかと思ったら、そもそも店がないと言われた。そんな馬鹿な。


 私は画面を閉じた。

 閉じたくなる文章だった。

 怖いというより、しつこい。

 そして、やたら具体的だ。

 ナポリタンの卵。水を出すのが遅いマスター。傘立ての三本目。チーズトーストの耳。

 こういう具体性は強い。

 人間は抽象的な未練には耐えられるが、具体的な傘一本には負けることがある。


 ノックがあった。

 私は返事をした。

 扉は、返事の最後の母音を待たずに開いた。

 榊原小夜子だった。


「おはようございます」

「最近、返事を最後まで聞かない技術が上達していますね」

「ありがとうございます」

「褒めていません」

「ですが、成長は事実です」

「嫌な成長です」


 榊原さんは今日も黒い服だった。手には紙袋を持っていない。

 私は少し安心した。

 差し入れがない朝は、判断が少しだけ自分のものになる。


「レビューの件ですね」

「廊下で噂に?」

「今回は狐が」

「まだ出てきていない登場人物が噂元なんですか」

「狐は人ではありません」

「そこではありません」


 榊原さんは机の上のスクリーンショットを見た。

 その顔に、少しだけ懐かしそうなものが浮かんだ。

 まただ。

 この人は、古い店や古い名前に反応する時、ほんの少しだけ表情を変える。変えるが、説明はしない。


「喫茶こかげ」

「知っているんですか」

「知っています」

「今回は主語がありますね」

「昔、ありました」

「どんな店ですか」

「水が出るのが遅い店です」

「レビュー通りですね」

「はい」


 私は画面を見た。

 レビューは正しい。

 正しいレビューほど厄介なものはない。間違っていれば訂正できる。嘘なら消せる。だが、正しい未練は消しにくい。


「現地はどこですか」

「大須寄りです」

「大須」

「お嫌いですか」

「嫌いではありません。ただ、物が多い」

「物は多いですね」

「情報量が多い場所は疲れます」

「女子大小路も多いと思いますが」

「あちらは慣れました」

「慣れましたか」

「今のは撤回します」


 慣れたと言ってはいけない。

 慣れると、街の方が一段近づいてくる気がする。

 私はノートパソコンを閉じた。


「現地確認ですか」

「レビューは現物を見ないと」

「レビューに現物とは」

「レビュー対象です」

「閉店済みですが」

「だからです」


 榊原さんは当然のように言った。

 当然にしないでほしい。

 私は椅子にもたれ、天井を見た。

 蜘蛛がいた。

 昨日より近い。

 近づくな。


 昼過ぎ、私は大須寄りの路地へ向かった。

 大須は苦手ではない。苦手ではないが、何かを買わせようとする力が強い。看板、店頭ポップ、古着、電気部品、唐揚げ、ガチャガチャ、謎の雑貨。情報が横から斜めから来る。

 私は買い物に強くない。

 目的以外のものを見ると、脳内のタスク管理が崩れる。気づくと、必要のないケーブルや、用途の分からないアダプタを持っていることがある。元SEにとって、ケーブルは油断ならない。


 現店舗「花衣」は、古いビルの一階にあった。

 レンタル着物と撮影小物の店。入口には淡い色ののれんと、造花の飾り。店内には和傘、髪飾り、帯、小さな鏡、撮影用の椅子が見える。

 その看板の下に、うっすら古い文字が残っていた。


 喫茶こかげ


 塗りつぶした跡の下から、見える。

 見えるというより、見えてしまう。

 名前は、塗料よりしつこい場合がある。


 店に入ると、若い女性が出てきた。

 二十代後半くらい。明るい茶色の髪を後ろでまとめている。エプロン姿。顔に疲れが出ていた。店をやっている人の疲れである。客が来た時だけ少し明るくする技術も見えた。


「怪異IT相談所の瀬戸口です」

「あ、メールの。花衣の高瀬です」

「よろしくお願いします」

「本当に来てくれるんですね」

「私も驚いています」

「え」

「いえ、こちらの話です」


 高瀬さんは店の奥へ案内してくれた。

 店内はきれいだった。きれいに整えられているが、壁の一部だけ古い。そこに小さな棚がある。今は髪飾りが並んでいる。だが、棚の奥に、昔のコーヒーカップの跡のような丸い薄汚れが残っていた。

 高瀬さんはスマホを出した。


「これ、昨日のレビューです」

「拝見します」


 画面には、新しい五つ星レビューがあった。


 ★★★★★

 今日も奥の席でブレンド。隣の若い人が着物の写真を撮っていた。こかげもずいぶん華やかになった。マスターが見当たらないので、代わりに狐が会計を見ていた。小銭を一枚多く置いた。


 私は画面を見たまま止まった。


「狐が出ていますね」

「そこなんです。狐って何ですか」

「現時点では、狐です」

「説明になっていません」

「こちらもまだ情報がありません」

「毎晩、こういうレビューが出て、うちの予約ページにも紛れこむんです。お客さんが『ナポリタンありますか』って聞いてくるんですよ」

「ありませんよね」

「ありません。着物屋なので」

「ですよね」

「でも昨日、一人だけ『匂いがする』って」

「ナポリタンの?」

「はい」

「しました?」

「少し」


 高瀬さんは小さく言った。

 店内を見回す。

 今は匂わない。

 造花、布、畳風の敷物、少しの防虫剤。喫茶店の匂いはない。

 だが、夕方以降に変わる可能性がある。

 毎晩二十三時五十九分。

 レビュー投稿時刻。

 また夜である。

 夜は仕事を増やす。


「削除すると戻るんですね」

「はい。削除申請が通って、消えたと思ったら、翌朝にはまた」

「レビュー本文は変わりますか」

「変わります」

「星は」

「必ず五つです」

「強いですね」

「怖いです」

「五つ星なのに」

「五つ星なのに怖いんです」


 正しい。

 私は頷いた。

 五つ星は怖い。好意が強すぎる時、人は少し逃げたくなる。


 店の奥で、小さな音がした。

 かさ。

 布が動くような音。

 高瀬さんが振り向く。


「今の」

「音ですね」


 奥の棚の下から、白っぽいものが出てきた。

 小さな狐だった。

 いや、狐のようなものだった。体は半透明で、尻尾が二本あるようにも三本あるようにも見える。首から小さな木札を下げている。

 木札には、手書きでこうあった。


 常連


 私はしばらく黙った。

 狐は私を見た。

 それから、床にちょこんと座った。


「レビュー狐ですか」

「こん」


 鳴いた。

 鳴いたのか、肯定したのか分からない。

 高瀬さんが小さく悲鳴を上げた。


「いるんですか」

「いますね」

「本当に」

「本当に、という言葉の意味が最近分からなくなってきました」


 狐は棚の下から、小さな帳面をくわえて出てきた。

 古いレビュー帳のようなものだった。

 開いてあるページには、筆で文字が並んでいる。


 こかげ、本日も良し。

 水は遅い。

 ナポリタンは熱い。

 灰皿は丸い。

 マスターは無口。

 また来る。

 ★★★★★


「星が筆書き」

「そこですか」

「重要です。レビュー媒体が変わっています」


 私はスマホで写真を撮った。

 狐は嫌がらなかった。むしろ少し胸を張った。

 承認欲求がある。

 レビューする側にも、される側にも、承認欲求はある。狐にもある。世界は複雑だ。


「君が投稿しているんですか」

「こん」

「閉店しているのは知っていますか」

「こん」

「知っている?」

「こん」

「知らない?」

「こん」

「会話が成立しない」


 狐は帳面をめくった。

 そこに、今夜の下書きらしきものがあった。


 ★★★★★

 若い女主人が、赤い傘を窓辺に置いた。こかげでは見なかった色である。けれど、午後の光にはよく合う。ブレンドは出なかった。ナポリタンも出なかった。店が違うのかもしれない。だが、こかげはここにある。たぶんある。なければ困る。


 私は最後の一文で止まった。

 なければ困る。

 それがこの狐の本音なのだろう。

 こかげは閉店している。今は花衣だ。高瀬さんが家賃を払い、商品を並べ、予約を受け、客を迎えている。現実としては、ここは花衣である。

 だが、狐にとっては、喫茶こかげがなければ困る。

 困るから五つ星をつける。

 五つ星をつけ続けることで、店があることにしている。

 厄介だ。

 好意である分、余計に厄介だ。


「瀬戸口さん、これ、消せますか」

「消すだけなら、おそらくできます」

「じゃあ」

「ただ、消すと戻ります」

「ですよね」

「さらに、戻り方が悪くなる可能性があります」

「悪く」

「予約ページにナポリタンの注文欄が出るとか」

「最悪です」

「はい」


 高瀬さんは両手で顔を覆った。

 店をやるのは大変である。

 前の店の未練と同居するのは、もっと大変である。


 私は狐を見た。


「レビュー狐」

「こん」

「こかげは閉店しました」

「こん」

「今は花衣です」

「こん」

「だから、花衣の予約ページに喫茶店レビューを投稿してはいけません」

「こん」


 狐は尻尾を揺らした。

 分かっているのか分かっていないのか。

 いや、分かっていても止められないのかもしれない。

 人間にもある。

 分かっていてもレビューを書いてしまうことがある。私は書かない。書かないが、障害対応後の社内チャットに余計な一言を入れたくなることはある。あれに似ているのかもしれない。

 似ていてほしくない。


 その時、店の入口の鈴が鳴った。

 客かと思った。

 違った。

 白河玲子さんだった。


 私は一瞬、固まった。

 白河さんは淡い色の服に、薄い上着を羽織っている。ホテルの制服ではない。今日は仕事ではないように見える。手には小さな紙袋。

 また紙袋である。

 この街の人々は紙袋で情報を運ぶのかもしれない。


「白河さん」

「瀬戸口さん」

「なぜこちらに」

「花衣さんに、髪飾りをお願いしていました」

「そうですか」

「それと、榊原さんから、狐が出るかもしれないと伺いました」

「大家」


 高瀬さんが驚いた顔をした。


「白河さん、お知り合いですか」

「はい。少し」

「怪異IT相談所の方と」

「お世話になっております」

「世話をした覚えと、された覚えが混ざっています」

「では、相互ですね」


 白河さんは店の奥に座っている狐を見た。

 まったく驚かなかった。

 狐は白河さんを見ると、少し姿勢を正した。


「レビュー狐ですね」

「有名なんですか」

「古い店には時々います」

「時々いるんですか」

「はい。気に入った店を、閉店後も褒め続けます」

「迷惑ですね」

「はい。ですが、悪意ではありません」

「悪意がない迷惑は、処理が難しいです」

「そうですね」


 白河さんは普通に頷いた。

 この人は、怪異の扱いが静かすぎる。

 私は少し悔しい。


「白河さんなら、どうしますか」

「レビューを消すのではなく、掲載先を変えます」

「掲載先」

「こかげのレビューとして残し、花衣さんの営業情報とは分けるのがよろしいかと」

「アーカイブ化ですか」

「はい。たぶん」

「たぶん」

「ITの言葉は、瀬戸口さんに合わせました」


 私は少し負けた。

 また負けた。

 白河さんは淡々としているのに、たまに強い。


「つまり、こかげの記録ページを作る」

「はい」

「花衣の予約ページからは切り離す」

「はい」

「レビュー狐には、そこへ投稿してもらう」

「はい」

「狐が従いますか」

「褒める場所があれば」


 白河さんは狐を見た。


「こかげを褒めたいのですね」


 狐は、今度は鳴かなかった。

 ただ、帳面の上に前足を置いた。

 白河さんは続けた。


「では、こかげの場所を作りましょう。今のお店を困らせない場所に」


 狐の耳が少し動いた。

 高瀬さんが私を見た。


「できますか」

「できます」

「本当に?」

「ページを作るだけなら」

「怪異的には」

「やってみます」


 私はノートパソコンを開いた。

 店のカウンターを借りる。高瀬さんが小さな椅子を出してくれた。狐は棚の下から出て、私の足元に座っている。白河さんは、店内の髪飾りを見ている。なぜか非常に落ち着かない。

 私は作業した。

 怪異IT相談所のサイト内に、またページを作る。


 喫茶こかげの記録


 タイトルは地味にした。

 本文を書く。


 喫茶こかげは閉店しました。

 現在この場所では、レンタル着物・撮影小物店「花衣」さんが営業しています。

 こかげの営業情報、飲食提供、予約受付は現在行っていません。

 ただし、この場所に残る喫茶こかげの記憶・レビューは、記録としてこちらに保存します。

 花衣さんへのお問い合わせ、予約、レビューとは分けて扱ってください。


 私は少し考え、追加した。


 ナポリタンは現在提供していません。

 チーズトーストもありません。

 水が遅いのは、現在の店舗運営とは関係ありません。


 高瀬さんが後ろから言った。


「最後、助かります」

「現場が困るので」

「すごく困ってました」


 白河さんが静かに言った。


「よい注釈だと思います」

「ありがとうございます」


 私は少しだけ背筋を伸ばした。

 褒められた。

 今のはたぶん褒められた。

 業務上の評価である。

 業務上でも、少し効く。


 次に、レビュー投稿フォームを作った。

 通常のフォームではない。コメント欄に近いが、星は五つで固定した。

 狐用である。

 星を選ばせる必要はない。どうせ五つなのだから。

 項目は三つ。


 今日の記憶

 味の記録

 また来るか


 私は自分で作っていて、かなり嫌になった。

 だが、狐は画面をじっと見ていた。

 分かるらしい。

 レビュー狐は、前足で画面を押そうとした。私は止めた。


「画面に爪を立てないでください」

「こん」

「入力は私がします。読み上げてください」

「こん」

「読めません」

「こん」


 白河さんが言った。


「帳面を見せてもらえばよいのでは」

「そうですね」


 私は狐の帳面を見た。

 今夜のレビューを入力する。


 ★★★★★

 若い女主人が、赤い傘を窓辺に置いた。こかげでは見なかった色である。けれど、午後の光にはよく合う。ブレンドは出なかった。ナポリタンも出なかった。店が違うのかもしれない。だが、こかげはここにある。たぶんある。なければ困る。


 私は少し迷って、最後に注釈を入れた。


 管理者注:現在の店舗は花衣です。喫茶こかげは閉店済みです。


 狐が不満そうに鳴いた。


「こん」

「注釈は必要です」

「こん」

「レビューには注釈が必要な場合があります」

「こん」

「炎上防止です」


 狐は納得していない顔をした。

 狐の納得していない顔は、少し可愛い。

 可愛いが、業務妨害である。

 私は公開ボタンを押した。

 ページが公開される。


 その瞬間、店内の空気が少し変わった。

 布と防虫剤の匂いの奥から、コーヒーの匂いがした。

 ほんの少し。

 それから、ナポリタンの焦げたケチャップのような匂い。

 高瀬さんが目を丸くした。

 狐が棚の下から飛び出し、店の奥へ走った。

 奥の壁に、少しだけ喫茶店の影が重なる。木のテーブル。古い椅子。丸い灰皿。カウンターの向こうに、無口そうな男の影。

 それは数秒で薄くなった。

 消えたわけではない。

 奥へ寄った。


「……今のは」

「こかげでしょうね」

「戻ったんですか」

「全面的には戻っていません」

「部分的に?」

「アーカイブされました」

「そういうものなんですか」

「今日からそういうことにします」


 高瀬さんは少しだけ笑った。

 疲れた顔だったが、最初よりは少し軽く見えた。


「これで、うちの予約ページにレビュー来なくなりますか」

「様子見です」

「ですよね」

「ただ、投稿先はできました」

「狐さんは」

「たぶん、そちらに書きます」


 狐は奥の棚の下で、帳面に何かを書いていた。

 前足で。

 字が書けるのか。

 書けるのだろう。

 もう驚き方が分からない。


 白河さんが、花衣の赤い髪飾りを手に取った。


「この色、よいですね」

「あ、ありがとうございます。そちら、今日お渡しできます」

「お願いします」


 白河さんは高瀬さんと普通に会話している。

 その奥で、レビュー狐が帳面を書いている。

 私はノートパソコンを閉じる。

 現実の層が多すぎる。

 だが、今日はそれほど悪くない気がした。

 閉店した喫茶店は消えない。

 狐は褒めるのをやめない。

 花衣は営業を続ける。

 それぞれの場所を分けた。

 完全な解決ではない。

 しかし、暫定対応としては悪くない。


 帰り際、白河さんが私に紙袋を差し出した。


「こちらを」

「またですか」

「花衣さんの撮影用ではなく、普通の飴です」

「なぜ」

「レビュー対応は喉が疲れるかと思いまして」

「私はそんなに喋っていません」

「ログ語りさんよりは短いですね」

「比較対象が悪いです」


 私は受け取った。

 また両手だった。

 飴の袋は軽かった。

 軽いものなのに、妙に重い。


「白河さん」

「はい」

「レビューをつけるなら、今日の私は何点ですか」

「星で?」

「はい」

「星は、あまり信用していません」

「それは正しいです」

「ただ、注釈はよかったです」

「ありがとうございます」


 それだけ言って、白河さんは小さく会釈した。

 私は店を出た。

 外は夕方だった。

 大須寄りの路地は、人が増えていた。揚げ物の匂い、古着屋の匂い、雨が来そうな空気。情報量が多い。

 私は飴をひとつ口に入れた。

 普通の飴だった。

 何も戻らない。

 それがいちばんありがたい。


 事務所に戻ると、複合機の排紙トレイに紙が出ていた。

 予想はしていた。

 触りたくはなかった。

 触った。


 レビュー狐:投稿先分離

 対象:喫茶こかげ/花衣

 備考:五つ星固定。注釈必須。ナポリタン提供なし。


 私は紙を見た。


「ナポリタン提供なし、は必要か」

「必要です」


 廊下の奥からログ語りの声がした。


「現場が困ります」

「それはそう」


 私は引き出しに紙を入れた。

 閉店処理。四〇四処理。鬼丸認証。位置情報障害。追憶カツ丼。レビュー狐。

 並びがだいぶひどい。

 だが、案件管理としては整ってきている。

 それもまた嫌だった。


 夜、問い合わせフォームに新しいメールが届いた。

 件名を見て、私は目を細めた。


 件名:熱田社周辺の決済について

 本文:食べていないひつまぶしの支払いが、未来の給与から引き落とされています。

 差出人:財布が軽い者


 私は画面を見た。

 熱田。

 ひつまぶし。

 未来の給与。

 決済。

 これはいけない。

 非常にいけない。

 ひつまぶしは高い。

 未来の給与から引かれるのは、もっと高い。


「金の話は怖いな」


 私は椅子にもたれた。

 天井の蜘蛛が少し動いた。

 私は言った。


「お前、経費精算できるか」


 蜘蛛は答えなかった。

 当然である。

 私は明日の自分に、財布の危機を投げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ