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女子大小路 怪異IT相談所  作者: 堀吉 蔵人


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12/13

第12話 胡椒は星辰、骨は仁義

長文は、怪異である。


 これは比喩ではない。

 いや、比喩かもしれない。

 しかし、少なくとも朝の怪異IT相談所においては、長文は現実の脅威だった。

 短い怪異はまだいい。

 「廊下が長いです」

 「レビューが勝手に増えます」

 「食べていないひつまぶしの支払いが来ました」

 こういうものは、ひどいが分かる。分かるというだけで、いくらかましである。だが長文は違う。長文は、開いた瞬間こちらの時間を奪う。読む前から重い。読んでいる最中に責任が発生する。読み終えると、読んだ側にも何かを理解したような顔をする義務が発生する。

 それが嫌だ。

 理解したような顔は、だいたい次の仕事を呼ぶ。


 朝、私は怪異IT相談所の管理画面を開いた。

 昨日作った「手羽先代理戦争 隔離声明欄」には、未読件数が表示されていた。


 未読:四百八十七件


 私は画面を閉じた。

 閉じた。

 しかし、数字は頭に残った。

 四百八十七。

 多すぎる。

 手羽先に関して、一晩で四百八十七件も言うことがあるのか。

 あるのだろう。

 あるから来ている。

 それが一番困る。


 私はもう一度開いた。

 未読が増えていた。


 未読:四百九十二件


「増えるな」


 声に出た。

 天井の蜘蛛が少し動いた。

 私は蜘蛛を見た。


「お前は読まなくていいからな」


 蜘蛛は答えなかった。

 当然である。

 蜘蛛には声明欄を読まない権利がある。

 私にも欲しい。


 机の引き出しを開ける。

 昨日入れた紙がある。

 手羽先代理戦争:開戦。

 その横に封筒が二つ。

 胡椒/宇宙の海さん派。

 骨/無頼坊主派。

 封筒は、昨日より少し重くなっている気がした。

 中身は胡椒一粒と骨一本のはずである。

 重くなるな。

 証拠品が意味で重くなるのはやめてほしい。


 私は声明欄を開いた。

 最上部に、宇宙の海さん派の投稿が固定されている。


 宇宙の海さん派 基本声明 第一稿

 投稿者:胡椒筋の者

 文字数:二万八千字


 私は画面を閉じた。

 また閉じた。

 閉じても駄目だ。

 仕事である。

 いや、これは仕事なのか。

 仕事にしてよいのか。

 仕事とは、もっと人間が納得しやすい形をしていてほしい。手羽先の胡椒を星辰と呼ぶ文章を読むことが仕事であってよいのか。よくない気がする。だが、問い合わせは来ている。対応しなければならない。

 私は開いた。


 冒頭だけ読む。


 手羽先とは、夜の皿に開かれた小さな航路である。

 皿は海ではない。皿は空でもない。皿はその両方を拒まぬ白き港であり、揚げられた翼はそこに降り立つ。われわれは肉を食っているのではない。われわれは一度失われた飛行を、指先と歯で回収している。そこに胡椒が降る。胡椒とは何か。黒き粒ではない。夜である。星辰である。舌の上へ落ちる小さな隕石である。甘辛に沈む者は、この落下を知らぬ。照りに目を奪われる者は、黒き点の配置を読まぬ。点を読まぬ者に航路はない。航路なき者に骨は残らぬ。


 私は目を閉じた。

 腹が減る。

 たいへん不本意だが、腹が減る。

 文章としてはおかしい。

 内容もおかしい。

 だが、手羽先がうまそうである。

 これが一番悪い。


 次を読む。


 骨は航路標識である。

 食後に皿へ残る骨は、終わりではない。次の一口がなくなった後に初めて現れる地図である。甘辛派は骨を見て沈黙と言う。だが沈黙とは何か。沈黙は星のない夜ではない。沈黙は、星を読み終えた者に訪れる余白である。つまり骨は、胡椒の後に来る。骨は胡椒を否定しない。骨は胡椒の記憶を保存する。よって骨のみを拝する者は、航路の終点だけを拝む者である。始点を知らぬ礼拝に、道理はない。


 私は画面を伏せた。

 強い。

 無駄に強い。

 手羽先に対して論理構築するな。

 しかも少し筋が通っているのが嫌だ。


 ノックがあった。

 私は返事をした。

 扉は返事の途中で開いた。

 榊原小夜子だった。


「おはようございます」

「声明を読みましたか」

「少し」

「どちらを」

「胡椒筋の方を」

「感想は」

「長いです」

「正しい」


 榊原さんは今日も黒い服だった。

 手には紙袋がある。

 私は紙袋を見た。

 匂いはない。

 少し安心した。


「差し入れです」

「手羽先ではないですよね」

「違います」

「骨もないですよね」

「骨はありません」

「胡椒は」

「少しあります」

「なぜ」

「おにぎりです。黒胡椒チーズ」

「寄せてきた」

「コンビニにありました」

「コンビニが悪い」


 私は受け取らなかった。

 腹が減っている。

 今、黒胡椒チーズおにぎりを食べると、宇宙の海さん派に寄る気がする。

 そんな理由でおにぎりを避ける日が来るとは思わなかった。


「食べないんですか」

「中立性の問題です」

「おにぎりですよ」

「胡椒です」

「では私が食べます」

「どうぞ」


 榊原さんは普通に食べた。

 強い。

 咀嚼が中立を揺るがさない人間は強い。


「無頼坊主派は読みましたか」

「まだです」

「こちらも来ています」


 榊原さんはスマホを見せた。

 無頼坊主派 基本声明 第一稿。

 投稿者:骨まわりの者。

 文字数:三万一千字。


「増えてる」

「胡椒筋より長いです」

「対抗しなくていいところで対抗している」


 私は読んだ。


 手羽先に宇宙などいらぬ。

 皿は皿である。骨は骨である。肉は肉である。その単純を受け入れられぬ者が、夜だ星だ航路だと舌の上で騒ぐ。騒がしき舌は、最後の骨を見落とす。手羽先とは、食っている最中に完成しない。食い終わった後、指に残る甘辛、皿に残る骨、紙おしぼりに移る照り、喉の奥に残る熱、その四つが揃って初めて終わる。終わりを見ぬ者に、始まりを語る資格なし。


 私は黙った。

 こちらも強い。

 そして、こちらもうまそうである。

 甘辛。

 骨。

 紙おしぼり。

 食後。

 嫌だ。

 食べたい。


 さらに続く。


 骨まわりとは、残りものではない。

 骨まわりとは、肉が肉であることを最後まで主張する場所である。食い手はそこに歯を立て、指を汚し、少しだけ黙る。その黙りにこそ仁義がある。胡椒で騒ぐ者は、舌の一瞬を祭り上げる。こちらは一瞬を否定しない。だが、手羽先は一瞬では終わらない。終わらせてはならない。最後の骨を皿へ置く、その小さな音が聞こえぬ者に、味の後始末はできぬ。


 私は画面を閉じた。


「どっちも嫌です」

「どちらも食べたくなりますね」

「そうなんです」

「文章としては成功しています」

「抗争文としては失敗しています」

「宣伝になっています」

「それが嫌なんです」


 複合機が鳴った。

 朝から働きすぎである。

 紙が出た。


 手羽先代理戦争:声明量警告

 宇宙の海さん派:二万八千字

 無頼坊主派:三万一千字

 中立委員会:未読による疲労を申告

 備考:長文は怪異化しつつあります。


「長文は怪異化しつつあります」

「やはり」

「やはりじゃないです」


 廊下の奥から声がした。


「記録量が一定値を超えると、文章は場所を持ち始めます」


 ログ語りだった。

 出ると思った。

 長文と記録の話で出ないわけがない。


「場所を持たないでください」

「すでに持ち始めています」

「どこに」

「声明欄の中です」

「Webページの中に場所が?」

「はい」

「嫌なことを言いますね」

「声明欄の中に、胡椒側の席と骨側の席ができています」

「席を作るな」

「さらに中立委員会の折り畳み椅子があります」

「一名だからですか」

「はい」

「やめてあげてください」


 私は管理画面を見た。

 声明欄のレイアウトが変わっていた。

 左右に分かれている。

 左が宇宙の海さん派。背景に黒い点が散っている。

 右が無頼坊主派。背景に甘辛い照りのような色が乗っている。

 中央に「中立」と書かれた細い欄がある。

 細すぎる。

 中立委員会がかわいそうだ。


 私は設定を開いた。

 レイアウトを標準に戻す。

 保存。

 三秒後、戻った。

 左、胡椒。

 右、甘辛。

 中央、細い中立。


「戻るな」

「派閥が強いですね」

「Webレイアウトに派閥が出るな」


 コメントが増えている。

 宇宙の海さん派。


 胡椒は星辰である。

 星辰を装飾と見る者は、夜の表面しか撫でていない。

 甘辛は光を反射する。

 胡椒は光を吸う。

 吸われた光が舌に戻る時、人は一瞬だけ夜を食う。


 無頼坊主派。


 光を吸うなどと申すな。

 食い物は照ってなんぼである。

 照りは媚びではない。

 照りは約束である。

 食う前に見えるもの、食った後に残るもの、その両方を甘辛は結ぶ。


 宇宙の海さん派。


 照りは表面である。


 無頼坊主派。


 表面を軽んじる者は、揚げを知らぬ。


 宇宙の海さん派。


 揚げは大気圏突入である。


 無頼坊主派。


 揚げは揚げである。


 私は少し笑ってしまった。

 揚げは揚げである。

 正しい。

 かなり正しい。

 だが、大気圏突入も少し分かる。

 分かりたくない。


「瀬戸口さん」

「はい」

「笑いましたね」

「笑っていません」

「少し」

「少しです」

「どちらに」

「どちらにもです」

「危険ですね」

「はい」


 中立は笑っても危険である。

 胡椒で笑えば甘辛派から責められ、甘辛で笑えば胡椒派から責められる。両方で笑うと両方から「軽い」と言われる。笑わないと「冷めている」と言われる。

 中立に生き道がない。


 手羽先中立委員会からメールが来た。


 件名:声明欄について

 本文:中立欄が細すぎます。スマホで見ると一文字ずつ縦に表示されます。「中立です」と書くと「中」「立」「で」「す」になります。助けてください。


 私は管理画面で中央欄を広げた。

 保存。

 戻る。

 また細くなる。


 宇宙の海さん派からコメント。


 中立は細いから中立なのだ。


 無頼坊主派からコメント。


 骨の隙間ほどの中立で十分。


「性格が悪い」

「派閥ですから」

「派閥は性格が悪いんですか」

「だいたい」

「そうですね」


 私は新規ページを作ることにした。

 タイトル。


 手羽先代理戦争 声明欄利用規約


 本文。


 声明は一投稿千字以内。

 同一比喩の連続使用は禁止。

 胡椒、星辰、宇宙、航路、大気圏は一投稿につき合計三回まで。

 骨、仁義、沈黙、甘辛、照り、後始末は一投稿につき合計三回まで。

 中立委員会への攻撃は禁止。

 実店舗のレビュー欄、地図アプリ、券売機、景品交換所、ホテルロビーへの波及は禁止。

 食欲を発生させる過度な描写は控えてください。


 私は最後の一文を見た。

 食欲を発生させる過度な描写。

 手羽先の声明でそれを禁じると、ほぼ何も書けないかもしれない。

 しかし書く。

 必要である。


 公開ボタンを押した。

 表示。


 公開されました。

 ただし、両派から長文による異議申立てがあります。


「長文による異議を禁止した直後に長文で異議を出すな」


 すぐに通知が来る。

 宇宙の海さん派。


 千字では夜を語れぬ。


 無頼坊主派。


 千字では骨が残らぬ。


 手羽先中立委員会。


 千字でお願いします。


 私は中立委員会を応援したくなった。

 応援すると中立ではなくなる。

 難しい。


 その時、事務所の扉が鳴った。

 ノックではない。

 どん、と重い音。

 鬼丸だった。


「瀬戸口。手羽先の匂いがする」


「していません」

「する」

「文章の匂いです」

「文章に匂いがあるのか」

「今回あります」

「では食えるのか」

「食べないでください」


 鬼丸は扉をくぐる時、また少し引っかかった。

 縮むのを忘れている。

 入ってきた鬼丸は、すでに腹を空かせた顔をしていた。鬼の空腹顔は迫力がある。事務所の面積が少し減る。


「どちらがうまい」

「それを聞かないでください」

「宇宙の海さんか」

「無頼坊主か」

「はい」

「どちらも実店舗は無関係です」

「だが手羽先はある」

「あります」

「なら食えば分かる」

「食べても分からないことがあります」

「食えばうまいかは分かる」

「そうですが」

「では食う」

「今日は食べません」


 鬼丸は不満そうだった。

 鬼に不満そうにされると、部屋の空気が重くなる。


「鬼丸さんは、どちら派なんですか」

「食った方」

「危険な答えですね」

「食ってうまければ、うまい」

「それが一番正しいかもしれません」

「なら食う」

「今日は食べません」


 鬼丸は声明欄を見た。

 スマホではなく、複合機から勝手に印刷された紙で読んだ。

 胡椒筋の文章を読む。

 骨まわりの文章を読む。

 しばらく黙る。


「どちらも、腹が減る」

「そうなんです」

「悪い文章だ」

「分かります」

「食わせない文章は悪い」

「食わせようとしすぎる文章も悪いです」

「難しいな」

「難しいです」


 レビュー狐も来た。

 小さな帳面をくわえている。


「こん」

「レビューしないでください」

「こん」

「どちらにも五つ星をつけると揉めます」

「こん」

「どちらにも一つ星でも揉めます」

「こん」

「レビューしないでください」

「こん」


 レビュー狐はしょんぼりした。

 少しだけかわいそうだ。

 だが、ここで甘やかすとレビュー欄がまた燃える。


 勘定守りも来た。

 算盤を持っている。


「声明による未食欲が増えています」

「計算しないでください」

「読んだ者が食いたくなる」

「なります」

「なら負債だ」

「食欲を負債にしないでください」

「腹は空く」

「空きます」

「なら記録だ」

「記録しないでください」


 事務所が混んできた。

 榊原さん、鬼丸、レビュー狐、勘定守り、ログ語り。

 手羽先はない。

 手羽先はないのに、手羽先の話だけで事務所が満ちている。

 油の匂いがする気がする。

 いや、たぶん気のせいだ。

 でも気のせいが強い。


 白河さんからメッセージが来た。


 瀬戸口さん。

 ホテルのロビーに、手羽先代理戦争声明欄の印刷物が置かれています。

 お客様が「これは近隣グルメ案内ですか」と質問されました。

 どのように回答すべきでしょうか。


 私は頭を抱えた。

 近隣グルメ案内。

 違う。

 違うが、そう見える。

 たいへんまずい。


 返信する。


 近隣グルメ案内ではありません。

 怪異側声明文です。

 撤去してください。

 可能なら、お客様には「館内資料ではございません」と案内してください。


 白河さんからすぐ返事。


 承知しました。

 撤去しました。

 三秒後に戻りました。

 表紙に「近隣の翼」と追加されています。


「勝手にタイトルをつけるな」


 私は立ち上がった。

 これは現地確認が要る。

 いや、現地というほど遠くない。だが、白河さんの職場に迷惑がかかっている。ホテルのロビーに怪異声明文がグルメ案内として置かれているのはまずい。

 行きたくない。

 しかし行くしかない。


「行きます」

「ホテルへ?」

「はい」

「私も」

「来るんですね」

「はい」

「手羽先は食べません」

「分かっています」

「本当に?」

「念のため、言いました」


 榊原さんはまた少し笑った。


 東新町へ向かう。

 昼を少し過ぎた時間だった。

 広小路通りを東へ歩く。

 女子大小路の湿った気配を背中に置いたまま進むと、白河さんの勤める高級ホテルの静かな入口が見えてくる。東新町の交差点から見れば西側、広小路沿いにあるホテルだ。入口のガラスは昼でも静かに光っていて、こちら側の雑さを映しすぎないようにしている。

 その先、交差点の南西側にヒノキドラッグの白い光があり、二階にはデナイドの窓が見える。南東側には、そばと定食の外兎、さらに女王ツアーの電飾。東西に走る広小路通りと、南北に走る空港線が交わるところで、昼の街が一度ごちゃりと結び目になる。

 この一帯は、前からずっと面倒な場所である。

 便利な場所は、怪異にも便利なのだろう。

 嫌な納得である。


 ホテルのロビーに入る。

 空気が変わる。

 外の雑さを、ガラスと照明と絨毯で一度濾している感じがする。

 白河さんがいた。

 制服姿で、背筋がまっすぐだった。

 その前の小さな案内台に、冊子が置かれている。


 近隣の翼

 宇宙の海さん派・無頼坊主派 共同声明集

 調停監修:瀬戸口連平


「監修してない」


 私は小声で言った。

 白河さんが静かに頷いた。


「承知しております」

「これ、誰が」

「置かれていました」

「でしょうね」

「撤去すると戻ります」

「でしょうね」

「お客様が三名、持って行かれました」

「持って行った」

「はい」

「グルメ案内として」

「おそらく」


 私は冊子を開いた。

 目次がある。


 一、胡椒は星辰か

 二、骨は仁義か

 三、甘辛は照りか誓いか

 四、食後の沈黙について

 五、中立に味はあるか

 六、近隣店舗一覧

 七、実店舗は無関係です


「七が遅い」

「最後ですね」

「最初に置くべきです」

「その通りです」


 私は冊子を閉じた。

 怪異IT相談所の管理画面を開く。

 声明欄利用規約を更新する。


 共同声明集、印刷物、冊子、グルメ案内、館内資料、近隣案内、観光案内、食べ歩きマップへの無断変換を禁止します。

 実店舗無関係確認は、すべての声明・冊子・印刷物の冒頭に表示してください。


 公開。

 表示。


 反映されました。


 案内台の冊子が震えた。

 表紙の下に文字が追加される。


 ※実店舗は無関係です。


「小さい」

「小さいですね」


 私は更新する。


 実店舗無関係確認は、表紙タイトル以上の文字サイズで表示してください。


 反映。

 冊子が震える。

 表紙が変わる。


 実店舗は無関係です

 近隣の翼

 宇宙の海さん派・無頼坊主派 共同声明集


「これなら」

「かなり不穏な冊子ですね」

「持って行く人は減るでしょう」

「そう願います」


 その時、ロビーの端にいた客が冊子を手に取った。

 表紙を見る。

 首をかしげる。


「実店舗は無関係……?」


 私は目を逸らした。

 説明したくない。

 白河さんがすっと近づいた。


「そちらは館内資料ではございません」

「そうなんですか」

「はい。近隣の怪異側声明文でございます」

「怪異側」

「はい」

「では、いただいても?」

「おすすめはいたしかねます」


 強い。

 白河さんは強い。

 客は冊子を戻した。

 勝った。

 小さな勝利である。


 スマホが震えた。

 宇宙の海さん派。


 実店舗無関係の文字が大きすぎる。夜が隠れる。


 無頼坊主派。


 実店舗無関係の文字が骨を圧迫している。


 手羽先中立委員会。


 このくらいでお願いします。


 私は中立委員会を強く支持したくなった。

 危ない。

 中立を支持すると中立ではなくなる。


 白河さんが言った。


「瀬戸口さん」

「はい」

「長文は、削るより枠を決めた方がよいかもしれません」

「枠」

「ホテルでも、案内文は文字数、掲示場所、責任者を決めます」

「それは正しいですね」

「手羽先でも同じでは」

「手羽先でも」

「はい」


 手羽先でも同じ。

 今日聞いた中で一番まともな言葉かもしれない。

 いや、まともなのか。

 分からない。

 でも使える。


 私は声明欄に新しい設定を作った。


 声明フォーマット


 派閥名:

 主張:百字以内

 比喩:一つまで

 実店舗との関係:無関係

 骨・胡椒・甘辛の使用:画像一枚または語句一つまで

 中立委員会への攻撃:不可

 瀬戸口連平への調停要求:不可


 公開。

 表示。


 反映されました。


 声明欄が静かになった。

 未読が減る。

 四百九十二。

 四百七十。

 四百三十。

 三百。

 百。

 二十。

 五。

 止まった。


 未読:五件


 五件なら読める。

 たぶん。

 私は開いた。


 宇宙の海さん派

 主張:胡椒は星辰である。

 比喩:皿は夜の港。

 実店舗との関係:無関係。


 無頼坊主派

 主張:骨まわりに仁義がある。

 比喩:甘辛は食後の誓い。

 実店舗との関係:無関係。


 中立委員会

 主張:百字以内で助かります。

 比喩:ありません。

 実店舗との関係:無関係。


 レビュー狐

 主張:読みやすいので五つ星。

 比喩:星。

 実店舗との関係:無関係。


 勘定守り

 主張:短文でも食欲は発生します。

 比喩:腹は財布の前借り。

 実店舗との関係:無関係。


「最後が嫌です」

「勘定守りですから」


 榊原さんが言った。

 白河さんも少しだけ頷いた。


 事務所に戻ったのは夕方だった。

 声明欄は落ち着いている。

 長文は枠に収まった。

 胡椒は星辰。

 骨は仁義。

 甘辛は誓い。

 実店舗は無関係。

 中立委員会は少し救われた。

 私はかなり疲れた。


 複合機の排紙トレイには、やはり紙が出ていた。


 手羽先代理戦争:声明欄暫定整理

 対象:宇宙の海さん派/無頼坊主派/中立委員会

 対応:声明フォーマット制定。長文怪異化を抑制。実店舗無関係表示を表紙化。

 備考:胡椒は星辰。骨は仁義。どちらも百字以内。


 私は紙を見た。

 胡椒は星辰。

 骨は仁義。

 どちらも百字以内。

 狂っている。

 しかし、実務的ではある。

 実務的な狂気が一番嫌だ。


 夜、問い合わせフォームに新しいメールが届いた。

 差出人は手羽先中立委員会だった。


 件名:ありがとうございました

 本文:声明欄は読みやすくなりました。ただ、両派が「短文では味が伝わらない」と主張し、次は実食による確認を求めています。中立的な場での停戦協議は可能でしょうか。


 私は画面を閉じた。

 実食。

 来た。

 来てしまった。

 言葉で駄目なら食べる。

 食べ物としては正しい。

 案件としては最悪である。


 榊原さんが横から言った。


「デナイドですか」

「なぜ」

「中立的な場なので」

「ドリンクバーがありますね」

「あります」

「会議になりますね」

「なります」

「嫌です」


 私は天井を見た。

 蜘蛛がいた。

 今日も黙っている。

 私は言った。


「お前、手羽先食べるか」


 蜘蛛は答えなかった。

 当然である。

 中立とは、たぶん、こういうことなのだ。

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