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27 真夜中のおしゃべり

 娟如は言葉を必死に探していた。頭の中にはいくつもの賛辞の言葉が浮かんでいるのに、それらすべてが、この吉服の前では陳腐なものに思えて、声に出すことがはばかられる。


 それほどに、目の前の吉服は素晴らしいのだ。


「いかがでしょうか?」


 娟如が何も言わぬので、作り手である素月は不安になったのだろう。

 普段から表情の乏しいその瞳が、不安そうに一瞬揺らぐ。


「なんと言えば良いのか、言葉を探していたのよ。とても……とても素晴らしいわ」


 歴史に名を残す詩人ならば、もっと気の利いた感想が出てくるのだろうが、生憎と娟如には刺繍の腕しかない。

 結局、ありきたりな言葉しか出てこなかった。


「ご満足いただけるでしょうか?」


「当然だわ」


 迷うことなく娟如は即答した。


 娟如は一歩、完成したばかりの吉服に歩み寄る。


 なんという深みのある青だろうか。窓から差し込む陽の光を受け、ころころと表情を変えている。

 この色合いを活かせたのは、断ち方、そして縫い方を間違えなかったからだ。


 恐る恐る、袖口を持ち上げる。肌に絡みつくようななめらかさ。

 袖口には銀糸で刺繍が施されている。

 と言うより、この吉服には銀糸しか用いられていない。


「……麒麟」


 袖口から襟元、腰回り、そして裾へ視線を動かしていけば、そこには見事な麒麟が刺繍されている。


 本来、麒麟を刺繍する場合は金や赤などを用いて鮮やかに、そして立体的になるように色を選ぶものだ。

 だがこの吉服に刺繍された麒麟は、銀糸のみで刺繍されたらしい。立体感が薄れてしまうかと思ったが、銀糸の本数などで色の濃淡をうまく活かしている。


 堂々たる麒麟。

 それをさらに引き立てるのは流れる水を表す水紋と松。縁起の良い図案ばかりが用いられている。


「なぜこの図案を描いたの?」


 麒麟は瑞獣。水紋も吉祥文様、松は不老長寿としてこちらも縁起が良い。

 吉服の図案として選ぶには、まずもって問題はない。


 だが危うくもある。

 麒麟は優れた君主あるいは聖人が誕生する前兆に現れるとされる仁獣。


 水紋は絶え間なく水が流れる様子から永遠を連想させ、古くから親しまれてきた。宮廷衣装にもよく用いられているが、この水紋が皇帝のみに使用が許された龍と組み合わさると、そこには「権力」といった別の意味合いを持つことがある。


 松は不老長寿を願い鶴や鹿と共に刺繍されるのが一般的だ。冬を耐え抜く強い生命力を持つ植物でもあるため、忍耐の象徴でもある。


 素月が仕立てた吉服は非常に素晴らしいが、図案のひとつひとつを繋ぎ合わせてみると、少しばかり深読みをしてしまいそうになるのは、自分が疑り深いからだろうか?


「私の目に映るあの方を表すのであれば、これが良いと判断しました。──不正を許さず、妥協もせず、部下の進言にも耳を貸す。自らの目で確かめ、自ら判断を下す。背負うものは大きく重くとも、それに足を取られることなく前へと進む──私にはあの方がそう見えました」


 素月は淡々と語る。自らが仕立てた吉服について、彼女なりの説明をしているのだ。


 素月は流行りだから、間違いのない組み合わせだから、という理由で図案を描かない。

 彼女だけの図案を描き、それを見事なまでの形にしてみせるのだ。

 娟如が認めているのは、素月の刺繍の腕だけではない。

 この図案の発想、それを一番に認めている。


「──園遊会には問題なく間に合うわね。明日、共に斉王府へ届けましょう。ご満足していただけるわ」


「そう願います」


 素月はずっと、自分が仕立てた吉服を見つめている。

 それは我が子を見つめる母のようでもあり、愛しい人を見つめる乙女のようにも見える。


 だが今の素月の気持ちが、娟如にはよくわかる。

 いや、繍女ならば皆、同じ気持ちだろう。丹精込めて仕立てた衣は、いや衣に限らず手巾一枚だって、仕立てた本人にとっては我が子も同然。特別な思いが宿るもの。


 娟如は微笑みを浮かべ、しばらく素月の横顔を眺めていた。


 ◇◆◇◆◇


 夜、誰もいない花仙楼の一室の扉が、ゆっくりと開く。物音を立てぬよう、細心の注意を払っているのだろうが、衣擦れの音はどうしようもない。


「何をしにきたの?」


「────!!」


 誰もいないはずの室内に響いたのは、若い娘の声だった。


「錦児……?」


 声が響いてすぐ、室内が蝋燭の灯りで明るくなる。蝋燭に火をつけたのは、錦児だった。


 そして部屋に入ってきたのは阿葉。幽霊でも見たかのような顔で、錦児を見つめ返している。


「あ、あんたこそ何してるのよ?」


 出てきた声は思っているよりもずっと小さく、掠れていた。


「見張りに決まってるでしょ」


「見張りって……」


「素月は考えもしないでしょうけど、世の中、善人ばかりじゃないもの。そう思わない?」


 錦児の言葉に、阿葉は唇を噛み締める。


「──見事よね。同じものを作れと言われても、絶対に無理よ。どれだけの年月を重ね、達人に教えを乞うたとしても、この領域には達せない」


 錦児の視線の先には、昼間、素月が娟如にお披露目した斉王の吉服がある。銀糸の刺繍が施されたおかげか、布だけの状態の時よりもずっと輝いて見える。


「あたしが何かすると思って、見張ってた、ってわけね」


「あんたとは限らない。でも候補の一人には入ってたわ」


 二人は向かい合い、先に声を発したのは阿葉だった。


「他の子たちが、あたしのことをどう思ってるかぐらい知ってるわ。玉の輿狙いの身の程知らず──でもね、刺繍に対して不誠実だったことなんてないのよ、こう見えて」


 阿葉は諦めか、羨望か、もしくは両方か。

 そんな目で吉服を見つめている。


「これほどの品に傷をつけたりなんてしない。できるわけないじゃん。あたしだって、花仙楼の繍女なんだから」


「じゃあなんでこんな夜中に来たのよ?」


「昼間はちゃんと見れなかったから。明日には斉王府に持ってっちゃうから、見るなら今夜しかないでしょ?」


 他の繍女の参考になれば、と娟如がお披露目会をしてくれたが、そのときは持ち前の意地っ張りが発動して素直に見ることができなかった。

 だから誰もいない真夜中を選んだ、というわけ。


「誤解を招くわよ? 何かあったらどうするつもり?」


「誰かいるなんて思いもしなかったの!」


 叫び声を上げなかったことを褒めてもらいたいくらいだ。

 もし叫んでいたら、人を集めて余計な騒ぎを起こしてしまうところだった。


「それで?」


「何が?」


「あたしを疑ったことを謝ってよ」


「実際来たんだから、同じようなもんでしょ」


「……良い性格してるわよね、あんたって」


「お互い様でしょ。──言っとくけど、触っちゃだめだからね?」


 言い合った二人は、揃って窓際の長椅子に腰かける。

 お互い、目が覚めてしまって眠れそうにないのだ。


「……これが才能、ってやつなのよね、きっと」


 阿葉が静かな声でつぶやく。

 花仙楼の繍女は皆、優秀。

 そう言われてはいても、やはり差は出てしまうものだ。

 それを今日、目の当たりにした。


「ねえ、あんたは素月の親友でしょ? 何か聞いてないの?」


「何かって、何よ?」


「素月って変って言うか……不思議じゃない? ほんとに田舎の出身なの?」


「それは……」


 言葉に詰まった錦児は、それを誤魔化すように目を伏せるが、その態度は余計に怪しく見えるだけだ。


 阿葉の疑問は、多分、皆が思っていること。


 花仙楼にはいろんな境遇の女子がいる。身寄りのない者や、田舎から出てきた者が大半で、素月は前者と後者、その両方に当てはまるだろう。

 兄はいるが、兄しかいない。


 初めて会った時、五年前の戦に巻き込まれて村が無くなり、仕事と住む場所を求めて都へやって来た、という話は聞いた。

 けれどそれだけだ。辛い記憶をわざわざ思い出させる必要などないと思い、錦児はその村のことなどを聞いたりしてこなかった。


「素月の言葉遣いとか、立ち振る舞い──あんなことできる子、あたしの周りにはいなかった。田舎の農村だもん。文字を書けない子だって当たり前にいるのよ? 花仙楼に来なかったら、あたしだってその子たちと大差ない。……おかしいと思ったことないの?」


 本当に素月は田舎の名もない村の出身なのだろうか?


 初めて会った時、とても美しい子だと思った。顔立ちじゃない──もちろん、容姿は整っていたけれど、そうじゃないのだ。

 娟如から新入りの面倒を見るように言われ、初めて顔を合わせた日、素月は凛とした雰囲気をまとっていた。


 田舎から出てきたばかりの娘は都に浮かれていたり、怯えたりするものだ。訛りがある娘も珍しくない。


 素月には訛りなどなく、むしろお手本のような話し方だった。

 まるでどこかのお嬢様のよう。


「もしかして、訳ありなんじゃないの? それを親友のあんたにも話してないなんてね」


「何が言いたいわけ?」


「隠し事されて、嫌な気持ちにならないの? 信用されてない、って思うでしょ」


「──なんでも話すのが親友ってわけじゃない」


 言い訳みたいに聞こえたとしても、それは錦児の本心だった。


「素月は素月だもの。それでいいじゃない」


 どんな事情を素月が抱えていたとしても、素月が素月であることに変わりはない。


 そしてそれは、自分も同じだ。自分らしく生きていられるのであれば、それだけで良い。


「お互いを大切に思う気持ちがあれば、それで十分なのよ」


「…………あっそ」


 さもつまらなそうに、阿葉は唇を尖らせる。


「どんな褒美をいただくのかしらね、素月は」


 視線を吉服へと移動させる。

 あの吉服で褒美をもらえないはずがない。


「斉王府の縫い子に抜擢されるとか?」


「ふざけたこと言ってないで、早く寝なさいよ。明日も仕事なんだから」


 燭台を手に持ち、錦児は立ち上がる。


「はいはい。親友がいなくなったら、寂しいものね」


「ほんとにおしゃべりな口ね」


 阿葉の背を押すようにして、錦児は部屋を出る。

 吉服は明日、素月と娟如が直接斉王府へと届ける予定だが、そこに斉王本人がいるかはわからない。


 吉服を見た斉王がどんな顔をするのか見てみたい気持ちはあるが、満足するに決まってる。

 こんなにも見事な吉服、どこを探したって見つからないのだから。



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