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24 がらくたの中の覗き穴


 執務室に張り詰めた空気が満ちる。


 徐慧は執務机にある報告書を手に取り、それを無造作に床へ向かって放り投げた。

 柳評事──柳越は床に落ちた報告書を一瞥したが、表情は変わらない。


 柳越は徐慧よりも年上だ。大理寺での勤務年数も、柳越の方が長い。

 だがそんな人間、大理寺には山ほどいる。


 徐慧は斉王で、皇帝の甥。

 その立場を利用して少卿に任命されたという陰口は、どれだけの数の事件を解決しようとも、今なお根強く残っている。

 そんな徐慧の存在を快く思っていない者が大理寺には数多くおり、柳越もその一人だ。


「報告書に不備がありましたでしょうか、少卿」


 柳越は落ち着いた声音で問いかける。報告書を拾いもしない。


「それは羅家の令嬢の、〝事故〟に関する報告書だ」


「受理していただけましたか?」


「確認してみたらどうだ?」


 張り詰めた空気の中、柳越はようやく床に放り投げられた報告書を拾い上げる。


「──まだ受理していただけていないようですね。何か問題が?」


「何が問題か、自分が一番よくわかっているのではないか?」


 徐慧の声音は落ち着いてはいるものの、氷のように冷たく鋭い。


「ここに検視報告書がある。正しい、検視報告書だ」


「既に検視は終えているはずですが?」


「先ほどこの目で確かめてきたが、羅元華の死は事故ではない。自ら命を絶ったのだ。──なぜ、偽りの報告書を提出した?」


「李瑾が少卿に、検視を改めるよう願い出たのですか?」


 検視を再度行うことは、そう珍しいことではない。

 だが担当した検視官が、その事件の担当者を飛び超え、少卿にまで直談判したとなれば、事件の担当者を信用していない、と宣言しているようなものだ。


 この事実が大理寺に広まれば、柳越の評価はあまりよろしくない方向へと向かうことだろう。


「私は偽りの報告書を提出した理由を問うているのだ」


 徐慧の冷たく凍えるような鋭い視線は、真っ直ぐに柳越を射抜いている。

 どんな言い訳を並べ立てようとも、今の徐慧を納得させられることはできない。

 そんな空気が室内には満ちている。


「──落ちぶれたと言われているとはいえ、羅家が歴史ある名家であることは変わりありません。その名家の一人娘が自害したとなれば、家紋に傷がついてしまうもの。少卿にもお分かりになるのではありませんか? 貴いお方には、時として真実を隠してでも取り繕わねばならぬことがある、ということを」


 饒舌に語る柳越の姿に、徐慧は顔色を変えることはなかった。


 徐慧には習慣になってしまっていることがある。

 それは相手を観察することだ。

 どれだけ長い付き合いであろうとも、身分が違おうとも、偏見を持たず他者を見るように意識している。


 それは大理寺でも同じこと。

 今も変わらず、役人たちの言動には注意を払っている。

 それもまた、少卿の役目だ。


 柳越という人間は、良くも悪くも先を読む人間だと徐慧は見ている。


 今回の件も、露見せずに済めばそのまま。

 もし露見したとしても、解決策をいくつか用意していたはず──あの饒舌な物言いが、そのうちのひとつなのだろう。


 まるで事前に用意されていた台詞を読み上げるかのようだった。


「少卿、人の命は尊いものです。ですが時に、その尊さを無視せねばならぬ時もある。罰は受けますが、すべては羅家の名誉のためにしたことなのです」


 ──この物言いから察するに、羅家となんらかの取引をしたのだろう。今の羅家には大した力はないとはいえ、名家は名家。いまだに人脈は生き続けている。

 あるいは僅かな銀子をかき集めたか。


 徐慧は無表情のまま考える。


 柳越がなんの見返りもなく動くはずもない。羅家が何を差し出したのかは知らないが、両者の間に何かしらの取引があったことは確実だ。


「処罰は追って下すが、ひとまず謹慎を命ずる。そしてこの件は、私が引き継ぐ」


「──承知しました」


 報告書を江紹へ渡した柳越は、低い声とともに頭を下げ執務室を出て行く。納得したようにはどうやっても見えないが、あれ以上何かを言えば自分の立場を危うくすることぐらい、柳越ならばわかるだろう。


「納得はしていませんな、あれは」


 今まで黙っていた江紹が口を開く。


「納得していようがいまいが、どうでもよい。この後、羅家へ赴く。準備を頼む」


「今日ですか?」


「問題でもあるのか?」


「い、いえ、承知しました」


 苦笑いを浮かべる江紹を横目に、徐慧は偽られた報告書を睨むように見下ろす。

 自害だと分かったのであれば、報告書をそう書き直せば済むだけ。

 だがやはり、自分の目で確かめねば。


 徐慧は何事も自分で確かめたい性分なのだが、それはどうやら徐慧だけではないようだ。


「──李瑾、満足したのか?」


 江紹から報告書を受け取った徐慧は、誰もいない壁に向かって検視官の名を呼ぶ。


「早く来い。誤魔化しても無駄だ」


 そうしてすぐ、満面の笑みを浮かべた老爺が執務室へと現れた。

 その後ろには、場違いと言われても仕方ない、小柄な繍女の姿もある。


 ──ああそうか、江紹はあの部屋(・・・・)へ彼女を通したのか。


「あの部屋について、ご存知でしたか」


「知らないはずがないだろう」


 皇族に生まれたのだ。取り巻く環境や人間関係などには、否応がなく敏感になる。

 少卿と任命された徐慧が最初にしたことは、大理寺の内部を細部まで把握することだった。


 当然、先代の少卿──今の大理寺卿が増設させた隣室についても、抜かりなくきちんと調べた。

 大理寺卿が収集家なのは周知の事実。増設された隣室は──徐慧からすればがらくたにしか見えないが、大理寺卿が集めた数々の品で埋め尽くされていた。


「知った上で、あの穴を塞がなかったのですね」


 李瑾が嬉しそうに口角を持ち上げる。


 そう、徐慧はあの覗き穴を塞がなかった。がらくたばかりの部屋を隅から隅まで調べた結果、見つけたのは執務室が覗ける穴だけ。隠されているところを見るに、誰かが故意で開けたのは明白。

 塞いでしまおうかとも思ったが、あえてそのままにしておくことにした。


 それが今、役に立った、というべきなのか。


「羅家へ赴く。同行しろ」


「承知しました。少卿に感謝いたします」


 真面目な声で、李瑾は拱手する。


「──花仙楼へ送ろう、素月殿」


 一言も発さず、ただその場に立ち続ける素月に、徐慧はようやく声をかける。忘れていたわけではない。


 素月が伏せていた目を持ち上げ、こちらを真っ直ぐに見つめる。

 ここまで自分を真っ直ぐに見つめ返す人間は、非常に珍しい。

 恐らく母ぐらいだろうが、母に見つめられるのとは違った感覚を抱く。


 それが何か今の自分にはわからないが、知る必要もないだろう。


 徐慧は出かける支度を手早く済ませると、執務室を出る。


 羅家の件が済めば、今日はこのまま王府へ帰ることとしよう。

 たまには残業も何もせず、早めに帰宅するのも悪くないだろう。


 ……母の口うるさい小言も聞かずに済むはずだ。



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