第5話 先生、ゴブリンと暮らす?
朝。
教会に差し込む光で、ナキは目を覚ました。
「……朝か」
隣を見ると、レンが布にくるまって眠っている。
昨日までなら、起こすのを少しためらっていたかもしれない。
けれど。
「レン、朝だよ」
「……んぅ」
「朝ご飯にしようか」
「……ごはん?」
レンの目がぱっと開く。
「うん」
「起きる!」
その反応に、ナキは思わず笑った。
「はいはい。慌てなくてもご飯は逃げないよ」
二人は簡単に朝食を済ませると、村へ向かった。
向かった先は、昨日訪ねた村長の家。
扉を叩く。
「どうぞ」
中から声が返ってきた。
「失礼します」
ナキが扉を開ける。
村長はナキの顔を見ると、少し驚いたように目を細めた。
「ああ、おお、昨日の青年か」
「はい」
「教会は使えそうだったか?」
「はい。ちょっと古いですけど、レンと二人で住むには十分でした」
「そうか。それならよかった」
村長は頷いた。
ナキも頷き返す。
そして。
「それで……昨日聞いたゴブリンのことなんですけど」
「ゴブリン?」
村長の表情が変わった。
「何かあったのか?」
「実は昨夜、教会の近くにある巣を見に行ってきまして」
「……見に行った?」
「はい」
村長は眉をひそめる。
「昨日も言ったが、あそこには何匹いるか分からん。危険だっただろう」
「まあ……ちょっとだけ」
「ちょっとだけ、ではないと思うが」
ナキは苦笑した。
「でも、大丈夫です」
「大丈夫?」
「はい。ゴブリンたちと話をしてきました」
「……話?」
村長の動きが止まる。
「ゴブリンの長とも話しました」
「……ゴブリンの長と?」
「はい」
「まさか……」
村長は信じられないものを見るような目でナキを見る。
「戦ったのか?」
「まあ……最初は」
「……」
「でも、殺してませんよ」
「いや、だからそういう問題ではない」
村長は額に手を当てた。
「ゴブリンの長と戦って、それでどうなった?」
「もう人間を襲わないって約束してもらいました」
「……本当に?」
「はい」
村長はしばらく黙っていた。
やがて。
「……そうか」
小さく息を吐く。
「それが本当なら……村にとって、これほどありがたいことはない」
村長の顔には、隠しきれない喜びが浮かんでいた。
「ゴブリンは長い間、この村の悩みの種だった。畑を荒らされたり、家畜を襲われたり……村人たちも森へ入るのを怖がっていた」
「そんなにですか」
「ああ」
村長は頷く。
「それが、人間を襲わないと約束したのなら……大きな一歩だ」
「よかった」
ナキもほっとしたように笑った。
だが。
すぐに表情が曇る。
「……でも、一つ問題があるんです」
「何だ?」
「ゴブリンたちの食料です」
「食料?」
「はい」
ナキは昨夜のことを思い出す。
森には食べ物が少ない。
それが、人間を襲う理由だった。
「人間を襲わないって約束してもらったんですけど、今までそれで食べ物を手に入れていたなら……」
ナキは腕を組む。
「明日から何を食べるのかって問題が残ってます」
村長も難しい顔になった。
「……確かにな」
「だから、何とかしたいんです」
少し考えてから、ナキが顔を上げる。
「ゴブリンたちに、畑を作ってもらうのはどうでしょう?」
「農業を教える、ということか」
「はい」
村長は顎に手を当てる。
「それなら、いずれは自分たちで食料を作れるようになる」
「ですよね」
「だが……」
村長が言葉を止める。
「作物ができるまでには時間がかかるぞ」
「あ」
ナキが固まる。
「……そっか」
種を植えて。
育てて。
収穫する。
当たり前のことだった。
「その間の食料が必要ですね」
「ああ」
村長は頷く。
「村にも余分な食料がまったくないわけではない。少しなら分けることもできる」
「本当ですか?」
「ただし、村の食料にも限りがある。ずっと与え続けるわけにはいかん」
「それは当然ですよね」
ナキは考え込む。
そして。
「あ」
顔を上げた。
「だったら、ゴブリンたちにも仕事をしてもらいましょう」
「仕事?」
「はい」
ナキは指を折りながら話す。
「畑を作るための土地を耕したり、薪を集めたり、村の仕事を手伝ってもらうんです」
村長は黙って考える。
「働いた分だけ、村から食料を渡す……か」
「そうです」
「それなら、村の者たちも納得しやすいかもしれんな」
「ゴブリンたちも、人間を襲わずに食べ物を手に入れられます」
村長はゆっくり頷いた。
「……悪くない」
そして、少しだけ笑った。
「まさか、ゴブリンと仕事の話をする日が来るとはな」
「僕もです」
ナキは苦笑する。
「でも、約束した以上は、ちゃんと守れるようにしたいです」
「そうだな」
村長は頷いた。
「なら、農業を教えられる者を探そう」
「お願いします」
「この村なら、ガンツという農夫がいいだろう。畑のことなら、あいつが一番詳しい」
「ガンツさんですね」
「ああ。少々頑固だが、腕は確かだ」
「会わせてもらえますか?」
「分かった」
村長に紹介された農夫、ガンツは畑で土を耕していた。
事情を説明すると、ガンツは難しい顔をした。
「ゴブリンに農業を教えるだぁ?」
「はい」
「本気で言ってんのか?」
「本気です」
「襲われたらどうする?」
「その時は僕が止めます」
ガンツはナキをじっと見た。
「……昨日来たばかりの兄ちゃんが、随分自信満々だな」
「まあ……昨日、ちょっと色々ありまして」
ナキは苦笑する。
村長から昨夜の話を聞いていたガンツは、しばらく考え込んだ。
やがて。
「……まあ、村長が認めてるなら俺も手伝う」
「本当ですか?」
「ああ」
ガンツはくわを肩に担ぐ。
「ただし、ゴブリンを村の中には入れない」
「分かりました」
「教えるなら、あいつらの住処まで行く」
「それでお願いします」
話は決まった。
その日の昼。
ナキとレンは、ガンツと一緒にゴブリンたちの住処へ向かった。
森の中をしばらく進む。
やがて、昨日訪れた場所が見えてきた。
ゴブリンたちはナキたちに気づくと、少し警戒した様子を見せる。
その中から、昨日のゴブリンの長が前へ出てきた。
「……ニンゲン」
「こんにちは」
ナキは手を上げる。
ゴブリンの長は、じっとナキを見る。
「……オマエ」
「ん?」
「ナマエ……」
「……あ」
ナキは目を丸くした。
そういえば。
昨日は相手のことを勝手に「ごっさん」と呼んだだけで、自分の名前を名乗っていなかった。
「そうだった」
ナキは少し笑った。
「僕の名前はナキ」
胸に手を当てる。
「ナ・キ」
「……ナキ」
「うん」
ゴブリンの長は、確かめるようにもう一度呟いた。
「ナキ」
「そうそう」
ナキは笑った。
「よろしくね、ごっさん」
「……ゴッサン」
ごっさんは少し首を傾げた。
「……オマエ、ヘン」
「えっ、なんで!?」
レンが隣でくすくす笑っている。
「まあいいや」
ナキは気を取り直す。
「今日は、みんなに話があるんだ」
「ハナシ?」
「うん」
ナキはガンツを見る。
「この人が、畑の作り方を教えてくれる」
「ハタケ……?」
「そう。食べ物を自分たちで作るんだ」
ゴブリンたちがざわめく。
「タベモノ……ツクル?」
「そう」
ナキは頷いた。
「でも、作物ができるまでには時間がかかる」
ごっさんが黙って聞いている。
「だから、それまでは村から少し食料を分けてもらう。その代わり、みんなには薪を集めたり、土地を耕したり、村の仕事を手伝ってもらう」
ごっさんはしばらく黙っていた。
やがて。
「……ニンゲン、タベモノ、クレル?」
「うん」
「……オレタチ、シゴト、スル」
「そういうこと」
ごっさんは大きく頷いた。
「……ワカッタ」
「よし」
ナキは笑った。
「これで、まずは一歩前進だね」
ガンツは早速、畑を作る場所を探し始めた。
ゴブリンたちもその後についていく。
大人たちが農業の話をしている間。
ナキは、ふと周囲を見回した。
「……ん?」
少し離れた場所。
大人たちの後ろから、こちらを覗いている小さな影があった。
一匹。
二匹。
よく見ると、何匹もの小さなゴブリンがいる。
「子どもたちか……」
ナキはしゃがんだ。
「こんにちは」
子どもたちは答えない。
大人の後ろに隠れて、じっとナキを見ている。
無理もない。
昨日まで知らなかった人間なのだ。
ナキはそれ以上近づかなかった。
「怖いよね」
子どもたちは黙っている。
「ごめんね。いきなり近づいたりしないから」
そう言って、ナキはその場に座った。
しばらくして。
一匹の小さなゴブリンが、大人の影から顔を出した。
ナキは笑った。
「こんにちは」
今度は、小さな声が返ってきた。
「……コンニチハ」
「うん。こんにちは」
それだけ。
けれど、ナキは嬉しかった。
その後ろで、大人たちが農業の話を続けている。
ふと、誰かが何かを呟いた。
「ん?」
「ナキ、コドモ、スキ?」
どうやら、ナキが子どもたちに優しく声をかけていたのを見ていたらしい。
「うん。僕は子どもたちと過ごすのが好きだよ」
「……コドモ、マモル?」
「そう」
ナキは頷いた。その様子を見ていたレンは思い出したように話し始める。
「おにいさんは先生なんだ!」
「……センセイ?」
小さなゴブリンが首を傾げる。
「ご飯を食べさせてくれるし、怖いときは守ってくれるんだ。ナキ先生なんだよ!」
レンは少し誇らしげに胸を張った。
ナキは目を丸くした。
自分のことを、レンがそんなふうに思ってくれていたなんて。
「……ナキセンセイ」
小さなゴブリンは、確かめるようにその言葉を繰り返した。
ナキは少し考えてから、優しく笑った。
「そうだね」
そして、小さなゴブリンに手を振る。
「そう呼びたいなら、それでもいいよ」
小さなゴブリンは、少しだけ笑った。
その瞬間。
ナキの胸元に、淡い光が灯る。
【固有職業:保育士】
「……え?」
ナキは自分の胸元を見る。
淡い光は、すぐに消えた。
けれど。
ナキには、なんとなく分かった。
「そっか」
ナキは小さく笑う。
大人たちが畑を作る。
ゴブリンたちが、自分たちの未来のために働く。
そして。
そのすぐそばには、子どもたちがいる。
「じゃあ……」
ナキは子どもたちを見る。
「僕は僕の仕事をしようかな」
食べて。
遊んで。
眠って。
いっぱい笑う。
ナキにとって大切な仕事だった。
こうして。
人間の村と、ゴブリンの集落。
二つの種族による、少し不思議な共同生活が始まった。




